越南州へ 04
「温州ほどじゃないけど、瑞安も宿が多い、大きな街なんだよね。どんな宿に泊まるのかな?」
そんな疑問が浮かんだティナヤの頭の中で、興味が朝霞達の泊まる宿から、朝霞達が泊まった宿で何をするかの方に、移って行く。自分だけがいない状況で、神流と幸手が朝霞相手にするだろう、様々な艶っぽい行為を想像し、ティナヤは微妙に苛立つ。
「――ま、いいか。昨日の夜は……私だけ、色々……したんだし」
昨夜、朝霞相手に自分がした事を思い出し、ティナヤは自分の苛立ちを抑え込もうとする。甘く……艶っぽい記憶が甦り、実際に苛立ちは収まってしまう。
遠征前の夜は、ティナヤが朝霞を独占する事が、何時の頃からか事実上のルールとなっている。神流と幸手は遠征中、朝霞と複数の夜を共にするとはいえ、朝霞を独占は出来ない。
遠征の際、独占は出来ないが、複数の夜を朝霞と共にする神流と幸手、遠征前に朝霞を一晩独占出来るティナヤという形で、女性陣三人の間で納得し、話がついた感じだ。結束してしまった女性陣三人には抗い難く、朝霞は割と流されるままに近い状態といえる。
「一昨日の夜も、夜空でデート出来たもんね」
目を瞑り、ティナヤは一昨日の夜の事を思い出す。朝霞に抱き抱えられて夜空を飛んだ時の記憶を。肌寒い夜空で感じた朝霞の体温や、唇の感触、心に焼き付いている、空から見下ろした、自分が生まれ育った街の夜景……。
それは、異世界から来た、自分で空を飛べる、神流や幸手には味わえない、感動的なティナヤだけの記憶なのだ。自分だけが持っている、朝霞との時間や思い出があるからこそ、神流と幸手が朝霞と共に、遠征に行っている時間、ティナヤは一人残されるのを耐えられる。
「思い出って、大事なんだな……」
思い出……記憶というものは、とても大事な物なのだと、ティナヤは思う。だからこそ、自分の記憶を力の代償に消費してしまう交魔法に、ティナヤは漠然とした不安感を覚えている。交魔法が悲しい未来に、自分達を連れて行ってしまう予感がして。
だが、香巴拉との衝突が有り得る現状、朝霞達が交魔法を必要としているのも、ティナヤの理性的な部分は理解している。漠然とした不安感や予感で、自分の理性的な部分や朝霞達を、説得出来る訳が無いのも自覚しているので、ティナヤは朝霞達を止められずにいる。
思い出の大事さについて、思いを巡らせていた、ティナヤの心の中に、交魔法に関する不安感などが、湧き上がって来てしまった。部屋で一人でいる時に、不安になる様な事を考えるのは、良くないと思い、ティナヤは思考を即座に切り替える。
「――そうだ、朝霞と見に行く映画、決めておかないと!」
ティナヤは立ち上がり、ダイニングキッチンの隅にある、木製の棚に歩み寄る。棚の上に載っている新聞を手に取り、テーブルに戻る。新聞を開いて、文化面に相当する紙面を、ティナヤは読み始める。
書評や舞台の批評などに混ざり、新作映画の批評や宣伝も載っている。天橋市や近辺の街などでの、上映スケジュールなども。
「デートなんだから、やっぱりロマンチックなのがいいよね」
紙面の記事や広告に目を通し、デートに似合いの映画を物色し始めたティナヤの表情に、既に曇りは無い。近い未来に訪れる筈の、デートへの期待に、既にティナヤの思考は切り替えられていた。
そんなティナヤの近くに置かれたままの、魂の螺旋版の針は、目で確認出来ぬ程に少しずつ、今でも動き続けている。朝霞達は移動し続けているのだ、温州市から瑞安市に向って……。




