越南州へ 02
フロントガラスの向こうに見える、縮地橋の先端は、青空に突き刺さっているかの様に、消え失せている。そして、その消え失せた辺りの空は、明らかに色合いが違う。
別の何処かの空を、円形に切り取り、橋の先端の周りに貼り付けたみたいに、朝霞には見えた。橋の頂点の先にある、浦塩斯徳の空の色は、千波の空よりもくすんで見える。
海の上のクリアな空である、こちら側の空とは違い、浦塩斯徳側は周囲に大きな街が広がっている。そのせいで、街で使われる魔術機構が吐き出す煙が、空に灰色のフィルターをかけているのだ。
イダテンが坂を上り続けるにつれて、直系100メートル程の円形に見える、色の違う空が近付いて来る。先行する車が、橋の頂点を越え、灰がかった空の向こうに姿を消して行く。イダテンも程無く、その仲間入りをする。
勾配が緩やかになって行く、橋の頂点に近付いているのだ。そして、その勾配が殆どなくなった時に、窓から見える空の色が、薄く透き通った青から、青に灰色のフィルターをかけた感じの色に切り替わる。
空間に穿たれた穴を、イダテンが通り抜けたのだ。開け放たれたままの車窓から流れ込んで来る風は、肌寒い。かなり北にある浦塩斯徳の気温は、瀛州より数度低く、朝霞達は身を震わせる。
「――やっぱ寒いね、浦塩斯徳は」
もうすぐ下り坂に入るので、スピードに気を使いながら、幸手が呟く。穴を通った先が肌寒いのは、過去の経験から三人共知っている。縮地橋で別の場所に移動する際、変わる気温や景色を楽しむのは、何時もの事だ。
「まぁ、すぐに温州市に行くんだし。あそこは瀛州より暖かい筈だ」
煙にくすんだ浦塩斯徳の空を見上げつつ、朝霞は続ける。
「目的地のハノイの場合、暖かいどころか暑いんだし。五月の平均気温、三十度近いらしいから」
「温州から先は、これじゃ暑いかな?」
ジャケットの裾を掴み、布地の厚さを確かめつつ、神流は続ける。
「温州着いたら、どこかで夏服に着替えた方がいいのかも」
「着替え……覗きたかったら、覗いていいんだよー。覗く以上の事しても、私としては構わないし」
朝霞に目線を送りながら、幸手は誘いの言葉をかける。無論、からかい半分という感じで。
「バカ言ってないで、ちゃんと前見て運転しろって。下り坂入るんだし」
素っ気無い口調で、朝霞が言葉を返した後、イダテンの先頭が……明らかに下を向き始める。下り坂に入ったのだ。窓の外に、彩りに乏しい浦塩斯徳の街並が見えて来る。高い建物が多く、数も多い大都市なのだが、不思議と地味な色合いの建物が多い。
下り坂は、上り坂程に長くは無い。千波側の穴の高度は二百メートル程の所に開いているのだが、浦塩斯徳側の穴は、高度百メートル辺りに開いているからだ。
ふと、朝霞は身体を捻り、後ろの景色に目をやる。縮地橋の先端の周りには、円形に切り取られ、灰がかった空に貼られたかの様な、澄んだ青空が見える。
上がりとは逆に、千波の青空の方が、円形の穴の向こう側に見えるのだ。円形の青空は、次第に遠ざかって行く。坂を下りて行くイダテンが、穴から遠ざかって行くからだ。
懐かしむ様に、小さくなっていく千波の空を見詰める朝霞を乗せ、イダテンは坂を下り続ける。空も街並も、灰色のフィルターがかけられたかの様な色合いの、浦塩斯徳の景色の中に、程無くイダテンも溶け込んでしまう。




