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旅立ちの朝 01

 陽が昇り始めてはいるのだが、まだ街は眠りについたまま。殆どの魔術機構が動き出す前、天橋市の空気は澄み切っている。

 五月とはいえ、まだ肌寒い早朝の倉庫街は、小鳥のさえずりが良く響く。他の音が、余りしないせいだろう。

 普段なら、人の気配などしない時間帯なのだが、今朝は違う。見た目は倉庫だが、実際は住居としても使われている、二階建てにしては高い煉瓦造りの建物の前に停車している、甲虫を思わせる黒い小型自動車の周りに、人がいるのだ。

 黒猫団の三人が、交魔法を習得した二日後の朝、黒い小型自動車……イダテンで、越南州のハノイに旅立とうとしているのである。

「――忘れ物は、無いみたいだな」

 イダテンのトランクの中を、忘れ物が無いかどうか、ダークスーツ姿の朝霞が確認している。助手席に置いてあるので、黒いキャスケットはかぶっていない。

「あたしも確認したから、大丈夫だよ」

 既に後部座席に乗り込み、地図を見ていた神流が、窓から顔を出して、朝霞に声をかける。神流もダークスーツ姿で、ソフト帽をかぶっている。

「初めて行く州だし、遠いから……念には念をって奴でね」

 神流だけでなく、幸手も確認していたのを、朝霞は知っている。その上で、念の為に自分でも、荷物を確認したのだ。

 確認を終えた朝霞は、ばん……という音を立てて、トランクを閉める。鍵は運転席から、幸手がかけるので、朝霞は何もしない。

「朝霞!」

 上の方から、ティナヤの声が響いて来る。アジトである建物の階段を、駆け下りて来ながら、ティナヤが朝霞に声をかけたのだ。

 階段を下り終えたティナヤは、朝霞の方に駆け寄って来る。そして、朝霞の前で立ち止まると、抱えていた茶色い紙袋を、朝霞に差し出す。

「――お弁当と、飲み物。お菓子も入れてあるから、お腹が減ったら食べてね」

 早朝に出発する予定だった、朝霞達の為に、ティナヤも早起きして、キッチンで弁当を作っていたのだ。

「ありがとう! 朝食、軽く食べただけだから、助かるよ!」

 朝霞は嬉しそうに微笑みながら、紙袋を受け取る。出来立ての弁当が入った紙袋は、肌寒い中では嬉しい温かさだ。

「――じゃあ、行ってくるから」

 心配をかけぬ様に、努めて気楽な口調で、朝霞はティナヤに声をかける。

「行ってらっしゃい」

 八部衆の事もあるので、本当は心配しているのだが、ティナヤも不安は表さず、笑顔で朝霞に身を寄せる。そして、顔を近付けると……軽く唇を重ねる。

 何日も会えなくなる、長めの遠征に出る際の見送りの時、ティナヤにキスされるのは、朝霞にとっては毎度の事。だが、今回のキスは、何時もより名残惜しげに思えて、何時もより少しだけ、長く……深い。

 唇を離してから、ティナヤは朝霞の耳元で囁く。隠し通すつもりだった不安が、唇から零れてしまう。

「――無理は、しないでね」

「分かってるって!」

 朝霞はティナヤから離れて踵を返し、イダテンに向って歩き出す。そして、助手席のドアを開くと、キャスケットを手に取ってかぶり、助手席に座る。

 弁当の入った紙袋は、後部座席の神流に渡し、空いている座席の上に乗せてもらう。

「神流と幸手も、気をつけなよ!」

 ティナヤは後部座席に座っている神流や、運転席の幸手にも、声をかける。

「分かってるって、弁当ありがと!」

 後部座席から顔を出し、神流はティナヤの声に応える。

「ティナヤっちも、一人なんだから、戸締りとか色々……気をつけなよ!」

 窓から顔を出して、後方にいるティナヤの方を向き、言葉を返してから、幸手は前を向く。既に挿し込んであるキーを回し、幸手は魔動エンジンを起動する。

 低い唸り声を上げ、動き始めた魔動エンジンは、車体を震わせ、後部の排気口から灰色の煙を吐き出し始める。イダテンとティナヤの間に、灰色の煙が広がる。

 朝霞が見ていた、サイドミラーに写っていたティナヤの姿が、灰色の煙にかき消される。だが、煙はすぐに空気に溶けて消える。自動車用の魔動エンジンは、始動時には大量の煙が出るが、作動が安定すれば、後方の視界を悪くする程の煙は出ない。

 イダテンが、ゆっくりと走り出すにつれ、再び姿を現したティナヤの姿が、サイドミラーの中で小さくなっていく。イダテンとティナヤの距離が、遠ざかっているからだ。

 大きく手を振っているティナヤの姿が見えなくなるまで、朝霞はサイドミラーの中にいるティナヤの姿を、見詰め続ける。そして、程無く……その姿は見えなくなる。

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