覚悟と壁の向こう側 11
「――手首とか、大丈夫か?」
朝霞の痣を見て、すまなそうに神流が問いかける。
「問題無い、痛みも残ってないし……この程度のは、すぐ治る」
強がりではあるのだが、実際に聖盗になってからの朝霞にとって、この程度の打ち身は、気にする程のものでもないのだ。朝霞は痣が残る手首を振って見せて、神流を安心させる。
「壁を越えた後の仮面者のデザインに、結構変わってた部分があったから、ちゃんと調べてみたかったんだけど」
残念そうな幸手の言葉に驚き、朝霞は問いかける。自分では自分の見た目の変化に、気付かなかったのだ。
「え、変わってた? どの辺が?」
「主に後ろの方。今まではなかった、小さい翼みたいなのが付いてたり、その下に袋みたいなの付いてたよ。ほら、泥棒神社の透破猫之神像が腰に提げてた、忍合切みたいな……」
答えの途中で、しまったと言わんばかりの表情を浮かべ、幸手は言葉を途切れさせる。口にするつもりが無かった言葉を、うっかり口にしてしまったのに、気付いた風に。
「――泥棒神社と言えば、負荷が軽くなる少し前に、昔……泥棒神社で遊んでた時の記憶が、頭の中に浮かんで来たんだ。小六の時だったかな、俺……良く一人で遊んでたんだよ、泥棒神社の境内で」
気まずそうな幸手の表情には気付かず、朝霞は懐かしげな表情で、言葉を続ける。
「不登校で友達とかも居なかったらしくて。何で不登校になったかは覚えてないから、たぶん友達が関係してる事なんだろうな。友達に関する記憶、失くしちゃってるから」
不登校の経験がある過去について話すのは、多少は恥ずかしいのだろう。右手で頭を搔きつつ、朝霞は目線を泳がせている。そのせいで、幸手と……幸手以上に気まずそうな表情を浮かべている神流に、朝霞は気付かない。
「泥棒神社で……透破猫之神の石像を見てた時、あの頃……透破猫之神みたいになりたいって思ってたのを、思い出したんだ。そうしたら、九分台がこれまでと違って、負荷が妙に軽くなって……」
話題を切り替えるのには幸いとばかりに、その話に幸手が応じる。
「負荷が急に軽くなると、精神集中がし難くなるから、咄嗟に負荷を加えればいいんじゃないかと思って、神流っちに戦ってくれと頼んだ訳?」
幸手の問いに、朝霞は頷く。
「だったら私達も、自分の仮面者の元になっている神像の事を思い出したら、朝霞っちみたいに、これまでより負荷が軽くなるのかな?」
「――で、負荷が軽くなった状態で、変身してない誰かと戦い、負荷をかけ続けて精神集中を保てば、壁を越えられる……いや、ぶち壊せるという訳か」
それぞれの記憶に深く刻まれた、神像の姿を思い出しながらの、幸手と神流の言葉に、朝霞は頷いて同意する。朝霞の透破猫之神が、子供時代に良く遊んでいた、泥棒神社と呼ばれる神社の祭神、透破猫之神である様に、幸手と神流の仮面者も、川神市に存在し、二人と関わる神社の祭神なのだ。
幸手の家の近所には、川神八幡宮という八幡宮が存在する。普通の八幡宮は、八幡神を祭る神社なのだが、この川神八幡宮が八幡神以外に祭っていたのが、天久米八幡女である。
戦国時代、現在の川神市がある辺りに存在した里の八幡宮には、弓の名手にして軍神と言われる八幡神の加護を受けたのか、弓の名手だった天女という名の巫女がいて、魔を打ち払う矢を放ち、魔物や盗賊などから里を守っていたらしい。この天女が死後……八幡神社に、八幡神と共に祭神として祭られ、天久米八幡女となった。
天久米八幡女の八幡は、言うまでも無く八幡神から。天久米は天久米命という、これまた弓の名手として伝えられる神の名が、天女という名に似ていた事から、それぞれ引用され、最期に女が付け加えられる形で、命名されたらしい。
名を天久米命からも引用しているせいか、天久米八幡女が持つ弓と矢の名は、日本の神話で語られる、天久米命が持つ物と、同じになっている。つまり、弓の名は天の波士弓、矢の名は天の真鹿児矢と、それぞれ命名されているのだ。
この天久米八幡女を祭る八幡宮こそが、現在の川神八幡宮。弓に所縁があるせいか、弓道場が併設されていて、幸手は小学生時代に親に通わされていた。
運動神経に恵まれず、身体を動かすのが嫌いになった事もあり、中学に上がる前には道場も辞めていたのだが、弓道……というより弓矢自体は気に入っていた。故に、中学からはまってしまったオンラインゲームでは、弓矢を使うキャラを愛用し、天久米八幡女と名付けたり、川神八幡宮にあった天久米八幡女の神像風に、キャラクターメイキングして楽しんだりしていたのである。
天久米八幡女は、その程度には幸手にとって、思い入れのある神だった。その影響を受けたせいで、仮面者が天久米八幡女になったのだろうと、幸手は思っている。