ギルカの街に雨が降る
「見つけたぜ」
ギルカの街、第五階層の墓地で男が一人呟く。深々と降る重たい雨の中、傍目から見れば精神異常者と間違うかもしれない。いくら世界が荒廃したと言えど、いくら世界が向上したと言えど、墓標に向かって話しかける人間はやはり少ない。家族を失った者、恋人を失った者というのなら話は判るが、果たして彼の目は曇る事なく墓標を見つめていた。
男の年齢は三十前だろうか、それなりに整った顔立ちをしているが無精髭がそれを台無しにしている。小ざっぱりと身だしなみを整えればハンサムの類にはギリギリで含まれるだろう。少し長めに伸びた黒髪を首の辺りで結い、それが風でユラユラと首を叩く。灰色の背広に濃い青のネクタイ。それを覆うようにトレンチコートを着込んでいた。足元の革靴は決して新しいわけでもなく少しくたびれた感が見える。
それなりの若さが垣間見えるのだが、今はその全てが雨の犠牲となり、男のイメージはグッショリと重いものとなっていた。
墓地には当たり前の様に墓標がある。国や宗教によって形は様々なのだが、この墓地にはたった一つ、大きな直方体の石像が立つだけだった。その巨大な墓標には幾つもの名前が刻んである。人で溢れるこのギルカの街には、人が眠る場所には決して向いていない場所。彼岸へ旅立った者の肉体は全て焼かれて共同墓地に名前が刻まれるだけという扱いだ。上層の例外を除いては。
「ルーイ・カーツクリア。お前のご主人だ」
男がコートから一枚のチップを取り出す。厚さ2センチ程のチップには、細かい部品が実装されており、幾つかの発光素子が鈍く明暗していた。素人でもそれが、年代の古い物だと見て取れた。わざわざ自己主張するかの様な部品は全時代の物だ。今はもっとスマートになっている。
『……お亡くなりになられたのですか』
チップが、そう呟く。男の声で、酷く悲しそうな声で、実装されたスピーカから呟いた。
「あぁ。ちょうど半年前に亡くなったらしい。死因は……恐らく老衰だろうな。享年92歳、充分だろう」
『……はい』
「お前は……どうする?」
『私を、ここで壊してもらえませんか?』
チップの言葉に、男は答える事無くコートからタバコを取り出し、火を灯した。灰色の天井から滴る雨を見上げて、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
『私には、もう目的が無くなりました。目的のない機械など不必要な物です』
「……分かった。さよならだ、ロイ」
『えぇ、ありがとう、ジェス・カート。依頼代金は約束通り。私の体を売ってください』
男……ジェス・カートは高く高くロイと名付けられていたチップを放り投げた。最後の瞬間、機械も死を覚悟するのだろうか、明暗していた発光素子が一瞬灯り、全て暗くなる。
ジェスは腰のホルスターからベレッタM84を引き抜き……そして、依頼人ロイ・カーツクリアを一発の弾丸で撃ち抜いた。
ギルカの街には雨が降る。
それは、誰しも平等に。
~☆~
ジェス・カートは『探偵』ではない。
ジェス・カートは『何でも屋』でもない。
ジェス・カートは『探し屋』である。
頼まれればペットを探すこともあるし、落し物を探しもする。特殊な物になれば『情報』だって探す。もちろん人間だって探すし、半世紀あってない友人を探しにギルカの街を出ることもしばしばあった。
ジェスは『探す』という行為に特化した人間と言えた。開業当初こそ食べていくのに困る毎日だったが、今では「探し物ならジェスに頼め」という言葉がある位に有名はになっている。かと言って依頼料を増やす事無く、探し物に見合った代金を貰い、その日その日を生きてきた。
ジェスの事務所兼住居はギルカの街の第7階層の小さなアパートの一角だった。十階層からなるギルカの街において治安は上から順番に悪くなる。十階層は犯罪者の溜まり場、九階層は犯罪者予備軍……と判りやすい治安の良さがある。もちろん、第一階層に住むのは金持ちや人生の成功者と呼ばれる者達ばかりだった。
街のジャンクショップから戻ったジェスはソファに転げるように座った。モソモソとコートを脱ぎ、ネクタイを緩める。コートのポケットから煙草を取り出し、火をつけて煙を吸い込んだ。ゆっくりと吐き出した煙はのろのろと天井へと昇っていく。それを見て、また一つ安堵の息を煙として吐き出した。
ロイのボディは、必要以上に高く売れた。どうやら相当の骨董品だったようで、その手のマニアには高く売れるとジャンクショップの主人が喜んでいた。今頃、店の奥で下品な笑みを浮かべている頃だろう。ジャンクショップの主人事態がマニアなのは言うまでもない。
「まったく、趣味だねぇ……」
ジェスが煙草の灰を灰皿代わりの空き缶へ落とした時、入り口のドアが来客を告げた。千客万来だ、と呟きながらソファに座りなおす。心なしか、ノック音が低い位置から聞こえてきた気がしながらもジェスは、
「どうぞ」
と、声をかけた。
果たして部屋に入ってきたのは、薄汚れた少女だった。長いブロンドの髪はくすみ、汚れていた。顔も水で洗ったのではなく泥で洗ったかのような汚れよう。着ている服に至っては身体を隠すのみに着ている下着だけという感じだった。人は見かけで判断してはならない、という言葉があるが、それは子供には当てはまらない。どう考えても、どう見ても、この少女は幸せではない。生まれながらにして、もしくはこの年齢にして、すでに人生を失敗した者だ。地べたを這いずり回る者は、地べたを這いずってしか生きてはいけない。
少女は似合わないカバンを一つ持っていた。それも少女の服装と同じく汚れてボロボロの黒いカバンだ。
「あ、あの、ここ、探し屋?」
おずおずとあげた少女の声に、ジェスは頷いた。子供だからと言って追い返しはしない。
「あぁ、探し屋だ」
だが、子供は子供でも、ここまで明らかに問題を抱えているであろう子供の客は初めてだった。ジェスは不振に思いながらも、少女を迎え入れた。
向かいのソファに座らせたジェスは少女を観察する。とりあえず武器らしい物は持っていない。怪しいのはカバンだけだった。どうやらそれなりに重量がある様で、少女は重そうに運んでいる。それ以外は、どこにでもいる少女だった。
もちろん上の階層にこのような少女がいれば怪しまれるが、第七階層では珍しくもない。犬や猫に混じって少年や少女の死体が転がっている事もよくある話なのだ。だから、少女がこんな出で立ちであっても、誰も声をかけないし、誰も同情しない。それがギルカの街の常識だった。
「それで、嬢ちゃん。探して欲しいものがあるのかい」
来客用の質の良いソファの感触を楽しんでいた少女はその言葉に表情を硬くする。
「あたしは、アンジェリカ・パウダーフィールドです」
先程聞いた弱々しい声ではなく、凛とした声。ジェスは肩眉をあげて言い直した。
「ふむ。ではアンジェリカ、君は仕事を依頼しに来たのかい?」
ジェスは態度を改めてアンジェリカを見た。見た目では十歳から十二歳の様だが、どうやら成熟した大人の雰囲気を内包しているらしい。それは可愛げではない。この年齢で、すでに大人と変わらないという現実は悲劇だ。
「はい。あなたが探し物のエキスパートと聞きました。ジェス・カートさん」
「エキスパート、ね。確かに得意だが」
「私の依頼は、両親を――」
その時、アンジェリカの言葉を遮るように、彼女の言葉を邪魔するように、彼女の胃袋が悲鳴をあげた。さすがに内臓は淑女になれなかったらしい。ぐぅ、という可愛らしい悲鳴は二人の話を中断させるのに充分だった。
「く、くく……」
その真面目な表情と大人の雰囲気と正反対に位置するほどの子供じみた胃のぐるるるるる~という音に堪えきれず、ジェスは笑い声を漏らす。
「あぅ……そ、そこで笑うなんてレディに対して失礼ではありませんか?」
「いやいや、これは失礼したお嬢さん。良ければこの失礼な男に食事を奢らせてもらえないだろうか?」
その言葉に、アンジェリカの表情が緩んだ。
「そ、それならば許しますよ、カートさん」
「ジェスでいいよ、アンジェリカ」
「はい、ジェス」
彼女はにっこりと年相応の笑みを浮かべた。
~☆~
アンジェリカ・パウダーフィールドは少女である。それは見た目からも判断できるし、実際に彼女は少女なのだ。決して大人ではない。
「もっと落ち着いて食え」
ジェスはアンジェリカの食べ方を見て、それとなく注意を促すが、それは届いていないらしい。大皿に用意したジェス手作りのぺペロンチーノは、すでに七割を失っていた。もちろん彼女の様子から満足に食事が出来てないのを見越して用意したつもりだったが、それでも明らかに足りていない様だった。
アンジェリカは欠食児童さながら、詰め込むようにパスタをほうばっていく。
「レディが聞いて呆れるぜ」
ジェスは呟き、ブラックコーヒーをゆっくりと楽しんだ。
やがてグラス一杯の水を飲み干して、アンジェリカの食事は終わった。もちろん皿の上にはパスタの一本も残ってない。
「ごちそうさま」
「ついでだ、シャワーも浴びて来い」
「え、いいの?」
「臨時収入があったんだ。今日は気分がいい」
「覗かないでよ」
「もう少し魅力的な身体になったら覗いてやるさ」
シャワー室の場所を教えてやると、心なしかウキウキした様子で、しかし、舌を出してからアンジェリカは歩いていった。
ジェスはそれを見届けると、ぺペロンチーノの皿とフォークをキッチンの流しに放り込み、再びどっかりとソファに腰を落とした。煙草に火を付け、一度大きく吸い込んだ時にはシャワーが床を叩く音が聞こえてくる。
そこで、ジェスは少女のカバンを机の上にあげる。少女には似合わないカバンを少しだけ眺めたあと、ジッパーを躊躇なく開けた。
「…………」
中には、大量のお金が入っていた。きちんと折り畳まれており、小銭から紙幣までがギッシリと底を埋めていた。
ジェスはゆっくりと紫煙を吐いて、さらにカバンの中身を調べる。しかし、お金以外は何も入っていなかった。予想してみる限り、このお金は依頼料のつもりだろう。何を頼むつもりかは知らないが、多すぎる金額にジェスは大きく息を吐いた。
「問題は、このお金を手に入れる方法か……」
呟いた時には、すでに答えが出ていた。ギルカの下層地域で、少女にお金を盗まれるようなマヌケはすでに死んでいる。ならば、少女がお金を稼ぐ方法はおのずと限定されていく。
「アンジェリカ……パウダーフィールドね」
ジェスが呟く言葉は、シャワーの音に掻き消されて彼女に届くことは無かった。
三十分程してから何も着ずに出てきたアンジェリカに大きめのバスタオルを渡した。どうやら顔立ちは美少女だったしい。泥の化粧を落とせば、アンジェリカはそれなりに美人だという事がわかる。恐らく、将来は相当なものだろう。将来があれば、の話だが。
彼女が来ていた肌着と下着を洗濯機に放り込んで、ようやく仕事の話となった。
「探して欲しいのは……一年前にあたしの両親を殺した人」
「……なるほどね。で、探してどうするんだ?」
「……殺す」
伏し目がちにアンジェリカは答える。
それを聞いて、ジェスは吸っていた煙草を空き缶に押し付けて揉み消した。
「お金はここにあるだけで、全部なの。足りる?」
「あぁ、悪いが見させてもらった。充分に足りてるぜ」
「あと、それと……」
再びアンジェリカは顔を伏せる。殺すと言ったことよりも後ろめたいことなのか、中々言葉が出てくることは無かった。
「なんだ?」
それを見かねてか、ジェスが促す。
「……しばらく、ここに置いて欲しいの」
なるほど、とジェスは小さく呟く。コートから新しい煙草を取り出して、ゆっくりと吸ってから心配そうにこちらを見てくるアンジェリカに答えてやった。
「その依頼料にはホテル代も含まれてるんじゃないのかい?」
その言葉にアンジェリカの表情が輝く。身体に纏っていたバスタオルを投げ出し駆け寄ってきた。
「ありがとうジェス! 掃除は出来るし、料理も覚えればきっと出来る! 夜の相手だって!」
最後の言葉を、ジェスは人差し指をアンジェリカの唇に当てて遮った。
「ここにいる間は、そんな事しなくていい」
きょとんとしたアンジェリカは、やがて表情を崩し、そして涙を零した。
「……うん、もうしたくない………」
ジェスはアパートの窓から外を見る。
人口の光と共に、雨が深々と降っていた。
~☆~
「ふかふかのベッドだ~」
ベッドの上ではしゃぐアンジェリカを横目で見ながらジェスは苦笑する。
そのベッドに敷いてある布団は決して『ふかふか』と形容できる物ではないが、彼女には王室のベッドにも似た心地なのだろう。本当にふかふかなベッドに出会った彼女は泣き出すんじゃないか、そう思ってジェスは笑う。
人口の光が夜を告げる様に照度を落としてくると、第七階層は静かになってくる。第七階層の夜は静かなのが特徴であり、ジェスが住んでいる理由の一つにもなっていた。
寝息を立て始めたアンジェリカの横で、ジェスは明日の予定を考える。
現在請け負っているのは、アンジェリカの件だけだ。他の仕事は全て終わらせてある。そして、ロイのボディの売値にアンジェリカの依頼料。節制すれば半年は暮らしていけそうな位に一気にお金が転がり込んできた。
「……そろそろ死ぬかな?」
上手い話に手を出すな。ではないが、こう調子が良いと何か裏を疑ってしまう。
ジェスはロイとアンジェリカを疑うのでは無く、神様を疑って静かに呟いた。
「そろそろ殺すのかい?」
しかし、誰も答えない。
アンジェリカのような依頼は何回も受けたことがある。関わりあうのは、ほんの刹那でしかない。目的の人物の場所を教えてさよならだ。依頼者が生きようが死のうがジェスには関係がない。それでも、危ない目には何回もあっている。
ジェスはベレッタを取り出した。そして、ゆっくりとバラバラに分解して整備をする。
「……いざとなったら頼むぜ」
長年の相棒をを元の形に組み上げると、ホルスターに戻した。
戸棚からウィスキーの瓶を取り出す。中身は半分程に減っていた。第七階層でも手には入る安物のウィスキーだが、ジェスはこれが気に入っていた。冷凍庫から氷のブロックを取り出し、グラスに入れてからウィスキーを注ぐ。一口、口を潤してから、来客用のソファに寝転がった。
さてさて、と明日からの計画を練り込みながらジェスは酒の味と、眠りへと誘う睡魔を楽しむのだった。
~☆~
「服っ?」
何となく変な感じの素っ頓狂な声、という具合に形容するのが一番妥当な声を、目玉焼きを乗せたトースト口に運ぶ寸前でアンジェリカがあげた。
一足先に食事を終えたジェスはブラックコーヒーの味を楽しみながら携帯端末で今日の新聞を読む。ちなみにアンジェリカは二枚目のトーストである。
「下着だけでは、動きが取りにくい」
「か、買ってくれるの!?」
バン、と思い切りテーブルを叩いて訴えた拍子に、アンジェリカのミルクが少し跳ねる。
「俺の金じゃない。アンジェリカ、君のお金だ」
「でも、だって、あのお金はジェスに全部あげたから!」
「あぁあぁ、分かった分かった。買ってやるって事にしておくよ。どうぞ私に服をプレゼントさせてもらえないでしょうか、お嬢様?」
明らかに輝いている瞳を見ながらジェスは投げやりに答えてやる。
「うふふ、よろしくってよ、ジェス・カートさん」
それでも嬉しかったのか、アンジェリカはトーストをさっきの二倍の速度で食べていった。
「さぁ、行くわよ」
「……少し落ち着け」
今にも走り出しそうなアンジェリカをなだめ、ジェスはゆっくりとブラックコーヒーと煙草の味を楽しんだ。そのうち焦れてバタバタと部屋の中を走り回るアンジェリカに根をあげるジェスは、降参する様にコーヒーを流し込み、住居兼事務所の扉を施錠した。
十階層から成るギルカの街の上下移動は『センタータワー』を利用する。上に昇るにも下に降りるにもセンタータワーを使う以外に方法はない。街の端は、見事に壁で覆われており、そこから登っても天井で頭を打つだけで、上の階層には行けない。
タワーの中は数十基のエレベーターと非常階段で出来ている。その外見は巨大な円柱だろうか、良く言えばギルカの大黒柱。悪く言えば『空を阻む壁』だろうか。
ギルカの街の防犯上、第五階層より上は自由に行く事が出来ない。もちろんの如く第五階層より上に住む人物とはそれなりの金持ちや権力者である。それなりの地位と証明がなければ、上へは昇る事すら出来ないのだ。本物の空を見たことがある人物は、ギルカの街では、ほんの一握りしかいない。
「……第五階層だ。懐かしいな」
タワーから出たアンジェリカは思わず呟く。今は着ていた下着の上からジェスの大きいカッターシャツを着ている。幾分マシになった程度だが、下着だけより怪しまれることはないだろう。
「よく、来てたのか?」
ジェスの問いに、アンジェリカは頷いた。
第五階層は主にショッピング街になっていた。機械の類から食料品屋、服から装飾の類に至るまで、第五階層で買えない物はなかった。街の端に行けばそれなりに非合法な物でさえも手に入る。
「さて、手早く終わらせるぞ」
ジェスはアンジェリカに言い、手近な店に入った。何の変哲も無い服屋である。それでも、アンジェリカの瞳は輝いた。
それを見て、ジェスは苦笑する。少なからずとも女性の買い物は長く時間が掛かるもの。手早く終わらせる方法など無いのかもしれない。
「お客様……」
店に備えてあるベンチに座ろうとした時、店員の女性に呼び止められる。見れば少々眉根が寄っていた。
「大丈夫だ、金なら俺が払う。それより灰皿あるかな?」
「えぇ、ここにありますわ」
店員がその場から横に一歩だけ移動すると、隠れていた備え付けの灰皿が現われた。恐らくジェスのような男の客用なのだろう。それなりに煙草の吸い殻が溜まっていた。恐らく、待った時間の長さと吸い殻の量は比例するはず。そう思い至って、ジェスは煙ではない重苦しい息を吐き出した。
「ねぇねぇ、ジェス! これなんかどう?」
しばらくしてから、アンジェリカが嬉しそうに服を持ってくる。しかし、それは胸元が大きく開いたドレスだった。
「……本気で言ってるなら、パーティ会場に放り込むぞ」
「それもいいかもね」
かなり舞い上がっているのか、終始笑みを浮かべっぱなしで再び服の群れへと戻っていく。
「……はぁ~」
ジェスは煙草の煙と共に重いため息を吐き出した。
結局一時間ぐらい悩みに悩んでアンジェリカが決定したのはTシャツに黒のジップアップパーカー、下はジーンズにスニーカーという服装だった。値段も高いわけでもなく、妥当と言ったところ。
「どう、似合ってる?」
薄汚れた少女から、ただの少女になった。というくらいだろうか。それでも、少女特有の柔らかい雰囲気にはなった。
「ま、それなりだな。ついでだ、髪も短くするか?」
「え~、ロングは嫌い?」
「俺の好みはセミロングなんだ」
「む~、じゃ切る」
しばらく腕を組んだまま悩んでいたアンジェリカだったが、髪を切ることにした。
幸いな事に美容院は見た範囲に三軒程ある。そのうちの一軒に入り、順番待ちの待合室に通された。
「ふむ、丁度いい。アンジェリカ、君の探している人物の特徴を教えてくれないか?」
通された待合室には人がおらず、仕事の話をするには丁度良い。
「……ひょろりと背が高い男だったわ。蛇みたいな、嫌な目をしてた……」
「それは、何処でだ?」
「家……部屋に突然入ってきた。それで、パパを銃で撃った。ママも撃たれた。二人が倒れたのを見て、それからまた二人を撃ってた。それから、私の方を見て、笑って逃げていったわ」
「君の両親の名前は?」
「……グリヤード・パウダーフェールド、セリル・パウダーフェールド」
呟くようにアンジェリカは答えた。
その名前を聞き、しばらく考えを巡らせたジェスはアンジェリカに不必要な位の金額を渡す。
「他に必要な物があればそれで買うといい。無駄遣いをしたら、後で叱ってやる。一人でも帰ってこれるな?」
「何処に行くの?」
アンジェリカの問いにジェスは振り返って答えた。
「もちろん、仕事さ」
少しだけ苦笑してアンジェリカは、頑張って、と手を振ってジェスを見送った。
~☆~
ギギィ、と音を鳴らして比較的大きな木で造られた扉は開いた。造りが悪かったのか、立て付けが悪くなっているのか。そんな事を思ってみるが、どうでもいい事だと思い、ジェス頭の隅に追いやる。
扉の中からは少しだけカビとインクの匂いが流れてきた。それを感じながらジェスは中へと進入する。
そこは三階分ある高さの円形の建物だが、中は吹き抜けになっていた。壁は一面が棚になっており、それが天井近くまで続いている。もちろんその棚にはびっしりと本が敷き詰められていた。二階や三階にあたる部分には二人分程の足場があり、そこから出鱈目に一階へ向けての階段が設置されていた。真下から見ると複雑に絡み合う騙し絵にも見え、建物の不気味さと異常さを強調させていた。
「あ、ジェスさん、いらっしゃいです~」
頭上から聞こえてきた声に、ジェスは見上げる。
階段の一つが音も無くジェスの側へと降りてきた。ここにある階段は全て機械仕掛けになっており、自在に操作できる様になっていた。
「お邪魔するぜ、エララ」
ジェスの目の前に階段で降りてきた少女はエララ・スティングル。年齢は十五歳くらいだろうか、大きな眼鏡が特徴で、ロングスカートのシックなメイド衣装を着ている。おっとりとした彼女のイメージはそのままであり、年齢以上に落ち着いた雰囲気を持っていた。といえば聞こえは良いが、実際は急ぐ事をしないという彼女の悪い癖だ。そんな理由からか、髪は肩口で揃えたセミロングであり、黒くシックな『古風なメイド』のイメージをエララに持ってしまう。
彼女は《活字中毒者》や《本狂い》と異名を持つクラリヤッカ・モーフィスに仕えるメイドである。以前にとある希少本の所在を探すという仕事を請け負ってから、ジェスはここへの出入りを自由に許可してもらったのだ。
クラリヤッカは週末になるとこの館に来て読書を楽しむ。その時の世話役としてエララはいるのだが、彼女も負けず劣らずの本好き。最近は小説の批評や感想などの話をクラリヤッカと楽しんでいるそうだ。
「ジェスさん、紅茶飲みます?」
「あぁ、頼む」
エララはにこりと微笑み、唯一ある部屋へと向かった。
ジェスはそれを見届けると本棚の隙間を縫って、部屋の隅に設置されている端末機に向かう。ディスプレイには検索画面が用意されており、ここにある蔵書が確認できる様になっていた。
ジェスは著者検索項に『クラリヤッカ・モーフィス』、蔵書名検索項に『エララ・スティングル』と入力し、エンターキーを叩く。すると、画面が切り替わり『日付検索項』ともう一つ検索項が現われた。
「グリヤード・パウダーフィールド……っと」
何も書いていない検索項にアンジェリカの父の名前を入力し再びエンターキーを押す。画面には文字列が重なるように三次元表示されていった。
これはクラリヤッカがデジタル化した新聞のデータベースである。活字中毒者である彼は律儀にも新聞を紙媒体で読むというこだわりがあり、その新聞もデータ化してここに収められている。図書館がないこの街において、ジェスや警察関係には非常にありがたい物であった。
擬似的に三次元表示されている新聞の一つ一つを見ていく。そこに出てくるのはグリヤード・パウダーフィールドの名前とフェルド社という企業名。
ジェスは自分の携帯端末機を取り出しネット検索画面を呼び出す。検索する文字列にグリヤードの名前とフェルドと入力し検索をかけた。
しかし、古い情報なのだろうか、すでにネット上には有益なものは残っていない。もしかすると消された可能性もある。
「お仕事ですか、ジェスさん」
ジェスが悪態をついていると、後ろからエララが話しかけてきた。彼女が持つお盆には、ティーポッドとティーカップ二つが乗っていた。
「まぁな。エララ、フェルド社って聞いたことあるか?」
「フェルド社、ですか~……」
ティーカップに紅茶を注ぎながら、湯気で眼鏡が曇るが気にせずに、エララは考えを巡らす。紅茶が注ぎ終わると、メイド服のポケットからスティックシュガーを二本取り出して自分のカップに入れた。
「相変わらず二本も入れるのか……その糖分は全部胸にいってるのか?」
ジェスはエララのふくよかな胸元へと視線を送る。
「そんなこと言ってたら、触らせてあげませんからね」
「そいつはもったいない。女性は恋をしてこそ美しくなるというのに……」
「そんなシミジミ言ってもダメなのです。そんな事ばっかり言ってると、スペシャルブレンドの紅茶もフェルド社の情報もあげないですよ」
「思い出したのか?」
カップの紅茶を一気に半分程あおって、携帯端末のメモを立ち上げる。
「フェルド社は、確か家庭用のお手伝いロボットを作っている会社でしたよ」
「お手伝いロボット?」
「はい、今はもう殆ど見かけませんけど、一年ほど前までは第一階層の人間は皆使っていたらしいです。でも、フェルド社が潰れちゃって、メンテナンスが出来なくなってから次々に捨てられていったらしいですね」
「マリオネットとは違うのか?」
マリオネットとは、いわゆるアンドロイドである。アイザック・アシモフの小説が謳うロボット三原則を守った存在であり、今や人間とも区別つかないところまで来ていた。とある団体には神への冒涜などと騒がれているが、無限の労働力や危険な作業、息子の代わり、死んだ恋人の模写、などと需要は溢れるばかりの市場である。
「はい、マリオネットと違って家庭の仕事のみ造られているみたいです。女性型はメイドロボって呼ばれていたくらいですから」
「なるほどね。メイドの人件費やマリオネットの維持費よりも安価で済む、というわけか」
「はい。ちょっと前までは第一階層にはメイドさんがいませんでしたよ。あ、中にはセクサロイド代わりにメイドを雇ってった人もいるみたいですけど、それはメイドじゃないです」
ちょっと怒った感じでエララは言う。セクサロイドとは、一種の抱き人形である。お手伝いロボットのようにセックス専門のロボットであり、歪んだ性交にも耐える様に設計されている。これもまた、とある団体から騒がれている。曰く、人工知能も一つの命だ、と。
「そのフェルド社はどうして潰れたんだ? 聞いた感じだと儲かってそうじゃないか」
「ん~、そこは私も分からないです」
ごめんなさい、とエララは謝る。
「ふむ。そろそろ行くとするよ」
ジェスは残りの紅茶を一気に飲んで出口へと向かった。
「あ、そうだ。面白い小説が手に入ったんですけど、読みますか~?」
エララがジェスの背中に問いかけるが、ジェスは携帯端末をヒラヒラと掲げながら、
「タイトルをメールで送ってくれ。俺はこいつで読むよ」
と、答えて出て行った。
「もぅ、紙で読んでこそ読書の楽しみなのにな~」
エララはジェスが覗いていたディスプレイを見る。そこには『フェルド社長グリヤード・パウダーフィールドは暗殺されたのか!?』というゴシップ記事が並んでいた。
~☆~
ジェスがアパートに戻った時、アンジェリカはまだ帰ってきていなかった。
「……そういや、鍵渡してなかったな」
そう呟いてからコートを脱ぎ、ソファに座る。モソモソと煙草を取り出し、ゆっくりと味を楽しむ事にした。昼食を食べてはいないが、胃袋はそんなにも栄養を必要としていなかったので何も用意することなく、窓の外を眺めた。
それから一時間ぐらい依頼の事に考えを巡らせていると、アンジェリカが帰ってきた。両手で大きな紙袋を抱えており、そこからはフランスパンがのぞいていた。
「ただいま」
「おう」
彼女は少し緊張の面持ちで、紙袋をテーブルに置いた。
「髪、本当にセミロングにしたんだな」
アンジェリカの長くウェーブがかった髪はすっかり短くなっていた。その容姿に似合わず活発な彼女には、こっちの方が似合っているのかもしれない。
「え、えぇ。……それより、あの……」
彼女は言い難そうに紙袋からフランスパンを取り出して、テーブルに置く。紙袋には、まだ何かが入っているようだった。
「どうした」
アンジェリカの表情を見ながら、ジェスは煙草を押し消した。
彼女は、紙袋から重そうに煙草の箱を五個と布で包まれた物を取り出した。
「……買ったのか?」
「……撃ち方を、教えて欲しいの」
ジェスは布で包まれた物を手にとって、布を丁寧に剥いでいった。やがて現われたのはポリマーフレームの玩具みたいな拳銃だった。
「グロック26か」
全長182mmのコンパクトさに重量も560gと軽量であるグロック26。10+1発の弾丸を込めることができ、そのコンパクトさから身に着けても外見上の違和感がないという代物である。身体の小さいアンジェリカにも恐らく扱えるだろう。
次に煙草の箱を開けてみる。中にはびっしりと銃弾が込められていた。さらに別の箱には予備の弾倉が入っていた。
「分かった。着いて来い」
ジェスは銃弾が詰まった箱を持つと、そのまま部屋から出る。アンジェリカはグロックと予備弾倉を抱えると慌ててその後を追って部屋を出た。
階段をズンズンと降りていくジェスについて行くと、やがて地下三階の部屋に着いた。防音の壁で覆われたそこは、シューティングレンジだった。カウンターのような個別のスペースが十人分ほど並んでおり、一つ一つが仕切られていた。奥には人型が描いてある紙がぶらさがっていて、所々に穴だらけになった物が静かにこちらを眺めている。
ジェスは一番奥まで行くと、そこに弾丸を置いた。アンジェリカもそこまでついて行く。
「今まで銃を撃った事は?」
「ううん、これが初めて」
OK、と呟いてジェスはオートマチックの簡単な説明をしてから、弾倉への弾の込め方を丁寧に教えてやる。
「いいか、撃つ時以外は絶対にトリガーに指をかけるな」
「はいっ」
アンジェリカは酷く真面目に話を聞いていく。銃が危険な物だと重々知っているのも含まれるが、彼女が持てる唯一の暴力でもあるからだろう。
「まず、スライドを引いてチャンバーに初弾を送り込む。この状態で弾倉を取り出し、一発追加すると10+1発になるわけだ。そして、照門と照星を目標に合わせてトリガーを引く。弾が無くなるとスライドが後端で止まったままになる。その状態で弾倉を入れ替えればそのまま初弾がチャンバーに送り込まれるという仕組みだ」
「は、はい」
少し眉根を寄せながらアンジェリカは答えた。流石に一気には無理か、と呟きながらジェスはグロックをアンジェリカに渡す。軽量と言えど、その暴力の塊はズッシリとアンジェリカの腕に響いた。
「とりあえず、撃ってみろ。銃口を人に向けなければ、とりあえずは安全だ」
ジェスの言葉に、とりあえずは頷く。
アンジェリカは緊張で揺れ動く腕を精一杯押さえ込んで、グロック26を構えた。一度大きく息を吸い込んで――トリガーを引いた。
バン! という軽い衝撃音。
マズルフラッシュと音、そして発射の衝撃がアンジェリカに一瞬の恐怖を与えた。銃身は跳ね上がり、目標よりかは遥か上に命中し、アンジェリカの腕は頭まで上がってしまっていた。
「ま、そんなもんだろう」
アンジェリカの後ろでジェスはゆっくりと煙草に火を点けて、紫煙を天井に向かって吐き出した。
「あとは練習だ。構えにも問題はない。すぐに当たるようになるさ」
「は、はい」
アンジェリカは再び構える。緊張しているのだろう、後ろに立つジェスにもその気配が伝わってくる。破裂音と共に一瞬の光が薄暗い地下の部屋を照らしだす。今度の銃弾はさっきよりも目標に近づいたが、まだ上に反れていた。
それを見て、苦笑しながらもジェスはアンジェリカの後ろに……彼女が疲れ果てるまでずっと立っていた。
~☆~
翌朝、ジェスより先に起きたアンジェリカは昨日の偽装の為に買ったフランスパンを適当に切ってトースターで焼いた。一人バターをつけて食べていると、その匂いに反応してかソファに寝ていたジェスが目を覚ました。
「おはよう、ジェス」
「……あぁ、おはよう」
ジェスはソファに座りなおすと、まだ眠たそうに頭をガシガシと掻いた。続けて欠伸を噛み殺しながら窓の外を眺める。どうやら、今日も雨のようだ。
「酷い顔よ。顔を洗って、髭でも剃ったら?」
ジェスの顔には寝不足という文字がべったりと張り付いており、それを増長させるように無精髭が覆っていた。
「どうにもソファで寝るという行為が慣れない。部屋の隅で座ったまま寝る方が楽かもしれん」
「あ、ごめん。あたしがベッド取っちゃったから……」
「いや、気にしなくていい。いざとなったら君の金でソファ兼ベッドでも買うさ。客には失礼だろうがな」
ジェスの言葉に、アンジェリカは苦笑する。
「シャワーを浴びてくる。俺の分も焼いといてくれ」
そのままジェスは欠伸をしながら浴室へと消えていった。アンジェリカはそれを見ながら少しだけ微笑み、フランスパンを焼きにキッチンへと向かった。
「仕事に行ってくる。鍵は置いていくから自由にしてくれたらいい。客は来ないと思うが……もし誰か来たら、留守だと言ってくれ」
朝食を食べ終え、それだけをアンジェリカに伝えたジェスは雨の振る街へと消えていく。アパートの窓からジェスの後姿を眺めたアンジェリカは、一つため息を吐いてキッチンへと向かった。ここしばらくの洗い物が溜まっているのだ。
鼻歌交じりで洗い物を済ませると、今度は洗濯物に取りかかる。自分の服は今着ている物だけなので、ジェスの物ばかり。適当に洗濯機に放り込んで、洗剤を入れる。重低音の洗濯機の音をしばらく聞いていたアンジェリカだが、ふと思いたって掃除を始める。まずは玄関からソファの置いてある一続きの部屋。続けてアンジェリカが占領してしまった寝室。床を掃除機で適当に綺麗にしていく。
一通り終わったところで洗濯機が終了したことを告げた。洗濯物を取り出し、そこで一瞬立ち止まる。よくよく考えれば干す場所がない。しかし、寝室の天井近くに紐が張ってあったのを思い出す。寝室にカーテンのように洗濯物がぶら下がり、一通りの家事が終わった。
「ふ~」
額の汗を拭くジェスチャーをして、アンジェリカはため息を一つ。充実した疲れが全身を巡っていた。
一仕事終えたご褒美として紅茶でも飲もうとキッチンへと向かう。
「……コーヒーか」
そこで、ジェスがいつも飲んでいるインスタントコーヒーを見つけた。少しだけにやりと笑うと、紅茶ではなくコーヒーを淹れることにした。
カップに注いだ黒の液体と黒の拳銃をテーブルに置いて、アンジェリカはソファに座る。腕を組んで少しだけ笑った。
「ブラックコーヒーと拳銃、そしてブロンドの美人。大人の雰囲気って感じかしら」
自分で言ってニヤニヤしながらコーヒーを一口すする。次の瞬間には笑顔がしかめっ面に早変わりする事になった。
「にが。何これ、信じらんない」
慌ててキッチンに駆け込みスティックシュガー二本とクリームを持ってきてブラックコーヒーにためらいもなくぶち込んだ。
「うん、やっぱりこれ位の苦さが普通なのよ、うんうん」
コーヒーを飲み終わったアンジェリカはとりあえずカップを流し台に置き、再びソファへと座る。そして、今度はグロックへと向き直った。
さっきとは違い表情を真剣なものへと変える。昨日の夜にジェスに叩き込まれた銃の分解整備の実践を行うからだ。呼吸をするのを忘れているかのように静かにアンジェリカは作業を進めていく。
解体し整備を終わらせ、無事に元に戻せた時にはすでに時間は正午を大きく過ぎていた。アンジェリカは短くため息を吐くと、キッチンへと向かう。冷蔵庫から玉子とウィンナーを取り出し、フライパンで焼く。ちょっとだけ焦がしてしまったのはご愛嬌として、お皿に入れてテーブルで食事を手早く済ませた。先ほどのカップと一緒にお皿を洗うと、グロックと弾を両手に抱えて地下へと降りた。もちろん部屋には鍵をかけて。
地下のシューティングレンジには先日と同様に人の姿はなく薄暗い空間が広がっていた。アンジェリカは一番奥に着くと、弾倉に弾を込め、ジェスの言葉を思い出しながらゆっくりと銃を構える。セーフティを外しチャンバーに弾を送り込み、トリガーを引く。その単純作業を何回か繰り返したとき、ふと階段を降りてくる音が聞こえた。
少し緊張の面持ちで入り口を見ていると、一人の男が入ってきた。ジェスと同じく背広に身を包んでおり、少し曲がった煙草を咥えていた。髪は短く整っているが、無精髭がマイナスイメージとして少々の不潔感を漂わせていた。
「おやおや、これは小さなスナイパーだ」
男はアンジェリカの姿を見るとおどけた感じで言った。
「あなた、誰!?」
アンジェリカは強い調子で言うと、グロックを男の眉間へ向けて構える。男は明らかにアンジェリカに絡みにきている。今までの経験か、それとも必要以上の警戒心だったのか、彼女は男へと銃口を向け続けた。だが、男は臆する事なく煙草の煙を吐きながら近づいてきた。
「止まれ! 撃つぞ!」
しかし、男は止まらずにニヤニヤとした表情のままアンジェリカの元まで歩いてくる。
「失礼、レディ・ガンナー。撃つ気がなくてもトリガーに指はかけるもんだぜ」
「あっ……」
アンジェリカは慌てて伸ばしていた人差し指をトリガーにかける。
「くくく……嬢ちゃんに教えたのはジェスだな」
「なっ……ジェスの知り合い?」
「そういう君はジェスのなんだい?」
男はおどけた調子で首を傾げた。どうやら名乗る気はないらしい。
「……あたしは、ジェスに仕事を頼んだだけよ」
しばらくの沈黙に耐え切れなかったように、アンジェリカは言った。男の眉間を狙いっぱなしになっている腕は疲れの為か、少しづつ震えてくる。
「ふ~ん、なるほどね」
男はそれ以上に何も語ろうとせず、まっすぐにアンジェリカを見た。
「何よ、こっちが言ったんだからあなたも言いなさいよ」
アンジェリカは口を尖らせて言った。
「OK、レディ。俺はジェスの友人さ」
少しだけ不信感を抱きながらも、疲れた腕を誤魔化す為に信用したふりをして銃を下ろす。小さくため息をついて、そっぽを向いた。
「ジェスなら留守よ」
「そのようだ」
「……なら、帰ったらどう?」
「いや、ここに面白そうなのを見つけたからね」
男の言葉を聞いた瞬間、アンジェリカは素早く男に向けてグロックを突き出す。今度はしっかりトリガーに指をかけて。
その流れるような動きに男は口笛を吹いた。
「やるね、レディ・スナイパー」
「私はそんな名前じゃない」
「ふむ、では勝負でもしようじゃないか。負けたほうが名前を言う」
「勝負?」
アンジェリカは腕を下ろす。頭の中で、疑問は憎たらしさを上回ったのだ。
「勝負は簡単。十発撃って、より中心近くに何発当たっているか」
「中心に近い方が勝ち、じゃないの?」
アンジェリカの疑問に男はチチチとキザったらしく指を振った。
「二人とも中心に当てたら勝負がつかないじゃないか」
「なるほどね。了解したわ」
お互い不敵ににやりと笑って、勝負を行う事が決まった。
とりあえず、目標となる人型の紙を新しい物へと交換する。
「どっちから始める?」
アンジェリカの質問に男は慇懃に礼をしながら、
「レディファースト、ですよ」
と答えた。
ふん、と鼻で答えてからアンジェリカは目標に向かって真っ直ぐに立つ。少なからずとも昨日よりかは当たるようになっていたし、狙ったところにもある程度撃てるようになっていた。アンジェリカは自身があった。黒い人型の腹にある円に照星と照門を重ね、呼吸を止める。心の中でカウントダウンをし、ゼロと同時にトリガーを引いた。乾いた破裂音と共にマズルフラッシュが部屋を満たす。銃弾は中心より二つ目の円の中に当たった。
「次はあなたよ」
アンジェリカが振り返って言った時、男は煙草を壁で揉み消し、懐のホルスターから銃を取り出す。
インフィニティと呼ばれる大きい銃に、アンジェリカは一瞬だけ息を呑んだ。男は片手だけで、半身で銃を構えると一呼吸だけ置いてトリガーを引いた。流れるような動作からいきなり響く轟音に、アンジェリカは思わず目を閉じ、身体を縮ませた。
ゆっくりと目を開けて、結果を見る。人型の中心に、見事に穴が開いていた。
「……嘘」
「ホント」
思わず呟いたアンジェリカの言葉に男はにやりと笑って答えた。
続けてアンジェリカが撃つが、さっきより悪く三つ目の円に命中。男は相変わらずの調子で中心に少し反れた所に命中させた。腕の違いを思い知ったアンジェリカだが、諦めずに全力をもって狙い撃つ。男は飄々と命中させ続けた。
果たして結果は男の圧勝といっても過言ではない結果。アンジェリカは男を睨みながら言った。
「アンジェリカ。アンジェリカ・パウダーフィールド」
「ふっ、美しい名だ、レディ・アンジェリカ。今度は硝煙の香りではなく香水の香りを嗅がせて頂きたいものです」
男はまた慇懃に礼をして、インフィニティを懐にしまう。
「今度はお食事でもいかがです?」
「その時は是非、名札を付けてくださるかしら」
男は笑うと、煙草に火を点けてそのまま階段へと向かった。少しだけ猫背になった背中にアンジェリカはため息をついて見送った。
~☆~
「キザったらしい男?」
すっかり街の人工的な光が消え、街灯が煌きだした頃にジェスは帰ってきた。それからジェスが素早くスパニッシュオムレツとナポリタンを作り、テーブルに着いた時にアンジェリカは勝負の事を言った。
「そいつは、アル――」
「あ、待って! 名前は自力で聞き出す!」
ジェスの言葉を慌ててアンジェリカは遮った。それからすぐにナポリタンに噛り付く彼女を見て、ジェスは苦笑する。
「とにかく、その男は俺の友人だ」
「ふ~ん」
今は男より食事と言ったところだろうか、アンジェリカは相変わらず欠食児童の様に頬張っていく。
「太るぞ」
「いい。幸せだから」
ジェスは小さくため息をつき、自分も食事に専念することにした。
程なくしてお皿が空っぽになると、ジェスは表情を固めてアンジェリカを呼んだ。その様子を見て、アンジェリカも真剣にソファに座りなおす。
「アンジェリカ、君の依頼だが酷く簡単に見つける事が出来た」
「ホント!?」
「あぁ。君の両親が経営していたフェルド社を調べて行くとすぐに行き当たったのさ。フェルドが造るお手伝いロボットを邪魔に思っていた人間、それはマリオネットを造るギーク社だ。ギーク社のトップ、マギノ・ギークの側近に蛇みたいな男がいる。すぐに手に入った情報さ」
「待って、それじゃお父さんとお母さんが殺されたのは……」
「殺したのは蛇だが、命令したのはマギノ・ギークだ」
アンジェリカの言葉をジェスが繋いでやった。
「…………」
アンジェリカはそのまま沈黙する。ジェスも、真剣な眼差しでアンジェリカを見つめ続けた。
「……一晩、考えさせて」
やがてアンジェリカはそう言って寝室へと向かった。ジェスはアンジェリカの背中を見送る。アンジェリカが寝室へと消えたのを確認して、煙草を取り出し、大きく紫煙を吐いた。
翌朝、アンジェリカは挨拶よりも先に答えた。
「蛇もマギノも殺す」
その言葉に、ジェスはにやりと笑って言った。
「オプション料金も貰ったからな。手伝ってやる」
~☆~
暗くて狭くて息苦しくて、何も着ていないから肌寒くて、ゴトゴト動いて不安定で、そしてジェスにちょっとしか生えてないあそこの毛を剃られたという羞恥にまみれた出来事のせいでイライラしているかと思えば、これからの事に対して緊張しまくっているアンジェリカは大きなトランクの中にいた。
あれから二日後、準備が整ったジェスが言った作戦は突拍子の無い物だとアンジェリカは思った。何よりすぐにバレると言ったがジェスはこの方法しかないと答えた。
まず、問題の一つとしてマギノ・ギークが住む第一階層へ行く方法。限られた人間しか第一階層へ行く事が不可能となっているギルカの街は、ある意味牢獄と変わらない物だ。
次の問題として、マギノ・ギークに近づく方法である。一流企業の先頭と言っても過言ではないギーク社へはそう簡単には侵入できないし、例え忍び込んでもマギノに近づく前に殺されるだろう。
その二つの問題を解決する方法を、ジェスは元から持っていた。
一つ目の問題は、ジェスは元々第一階層に行ける事。そして、その時に行われる荷物チェックは随分適当になっている事を知っていた。例え麻薬をそのままポケットに入れていたとしても見つからないだろう、それ位なので荷物チェックは無事に通過出来る。
二つ目の問題もジェスだからこそ可能だと言えた。ジェスはマギノ・ギークと顔見知りであった。とある探し物をマギノに頼まれたのである。その探し物とは少女型のセクサロイドである。本来、セクサロイドは成熟した大人を模した物しか造られない。しかし、どうしてかこの世には特注のセクサロイドという物があるのである。ペドフィリアでセクサロイド・コンプレックスというマギノの特殊な趣向を知っているが故の解決方法があった。
それを実行する為に、ジェスはひたすらに大きな旅行用トランクを調達してきた。中に衝撃吸収用のスポンジを敷き詰める。そして一角だけ正方形に切り取ると中にグロックを収め蓋をした。
次にアンジェリカの身体である。とりあえず裸になってもらい身体を調べる。見たところ目立った傷もなく誤魔化せるだろう。問題としたら陰毛だろうが、剃ってしまえばどうということはなかった。アンジェリカはひたすら嫌がったが。これでマギノ好みの少女型セクサロイドが出来上がった。
そして、トランクの中に収まったアンジェリカは複雑な気持ちでため息を吐いた。
作戦決行のこの日、ギルカの街には雨が降っていなかった。これが何の前兆なのかは知らないが、アンジェリカは決心を固めたのは事実である。
アパートを出てからアンジェリカはトランクの中で時間の感覚が全く分からなくなった。もう一時間くらいこの中にいるような錯覚を起こし始めた頃に、コンコンとトランクを二回叩く音が聞こえた。タワーに着いたという合図である。少しだけヘバっていた心が急速に緊張を取り戻し、心臓が血液を勢い良く送り出す。
タワーで第五階層まで上がると、ジェスは再びトランクを二回叩く。これからが本番なのである。第五階層から上へ行く為のエレベータへと移動する。自動ドアを潜り、最初のゲートで機械に携帯端末をかざす。それだけでゲートが開き、ジェスはトランクを押しながら中に入り、エレベータへと進入する。中に入ると『1』というボタンを押して扉を閉じた。そこで大きく息を吐き出す。
やがて少しの浮遊感と共にエレベータが停止し、扉がゆっくりと開く。トランクを押し出しゲートを潜ると、太陽の光に思わず手をかざした。やはり人口の光と違い温かく眩しい刺激に、ジェスは思わず苦笑する。
そこでジェスはトランクを三回叩いた。第一の問題への合図である。
外への自動ドアの前に細く区切られた通路へ通らなければならない。その際、警備員が一応のチェックをするのである。
「こんにちは、今日は天気が珍しくいいですよ」
通路を進んできたジェスに人の良さそうな警備員は微笑みながら声をかけてきた。
「そのようだ。久しぶりの太陽は眩しいよ」
「ははは。ところでその大荷物、どこかへ旅行ですか?」
「いや、特注マリオネットが壊れてしまってね。修理を頼みにきたんだ」
ジェスは元から用意していた嘘を淀みなく警備員に答えた。
「ほほう。それは大変ですね」
素直に頷く警備員に軽く手を振って、ジェスは外へと出た。
そこで思わず上空を見上げる。見える物は高層ビルの集まりだったが、ほんの少しの青い空が見えた。何層にも重なる道路は車が耐える事無く走り去り、歩行路はまばらに背広を着込んだ男達が忙しそうに歩み去って行く。
ジェスはそれらを不満げに見つめた後、ゆっくりとトランクを押して歩き出した。
ほんの五分歩いた所にギーク社はあった。周りのどのビルにも見劣りする事はなく、また勝ることもなく無機質にそこに建っていた。全面ガラス張りのデザインで、下界からでも十数階までは中を見ることは出来た。流石にマギノがいると思われる百五十階は肉眼では見る事が出来ない。
ビルの入り口は自動ドアになっており、人々が忙しなく出入りを繰り返している。そのほとんどの人間が第六階層より下の現状を知ることなく毎日幸せに暮らしているのである。そんな人間を見ながらジェスは入り口を潜り中に入った。
一階のロビーはとてつもなく広く、十階くらいが吹き抜けになっており上の様子が少しだけ見えた。奥には何故か噴水があり不死鳥のような金メッキされた鳥が悪趣味にクチバシから水を垂れ流していた。
「こんにちは。ご用件は?」
カウンターへ来たジェスに受付嬢はマニュアル通りの言葉を放った。
「マギノ・ギークにジェス・カートが来たと伝えてくれ」
「ただいま社長は――」
「伝えてくれて大丈夫だ」
大会社ともなると少なからずは変な輩も来るのだろう。あらかじめ決まっている人間しか通さないように教育されているようだ。
戸惑いながら受付嬢は受話器を取り誰かと連絡を取り始める。それから五分間くらい待たされて、ようやく許しが出た。
「あちらのエレベータから――」
「知ってる」
ジェスは適当に答えて、受付嬢が示したエレベータに乗り込み、『100』のボタンを押す。その際に数人の男が入ってきてそれぞれの階のボタンを押してから、エレベータは動き始めた。
男達を全て下ろした後、エレベータは百階に到達する。それから少し通路を移動し別のエレベータに乗り込んだ。次は『150』を押し込み、上昇していく。
程なくして到着を告げる音と共にエレベータは扉を開ける。ジェスはトランクを四回叩いてから異常に柔らかい絨毯の上を歩いていく。そして観音開きのドアの前で一つ大きく呼吸をしてから躊躇無く部屋へと入った。
「久しぶりだね《探し屋》ジェス・カート」
野太い声で椅子に座る男が言った。ただただ広い部屋の一番奥に一つの机と椅子、そこに二人の人物がいた。
一人は脂が乗った牛の様な太った男で、生意気にも太い葉巻を嫌味たらしく咥えていた。
もう一人は対照的に細く痩せた男で、冷たい瞳でこちらを睨みつけてきた。
前者がマギノ・ギークで後者が恐らくアンジェリカの言う蛇みたいな男だろう。ジェスも彼の顔を見て同じ感想を持った。
「ヒュラク、外してくれ」
マギノが横に控える蛇に向かって言う。どうやらヒュラクという名前らしい。ヒュラクはジェスの横を通りすぎ、そして扉の向こうへと出て行った。
「二年ぶりか、カート君」
「そうです。それにしても相変わらずの秘密主義ですか?」
「ふはは、そうなのだよ」
ペドフィリアのセクサロイド・コンプレックス。マギノの趣向を知る者はもしかしたらジェスだけなのかも知らない。
「さっきのヒュラクって人も知らないと……?」
「まぁ、そういうわけだよ」
マギノは灰皿に葉巻を置くとゆっくりと立ち上がった。それを見て、ジェスはトランクを横に倒し、開けた。開けた方はマギノ側になっており、今はマギノからは中が見えない。中にいるアンジェリカと目があい、ジェスは小さく頷いた。
「知り合いのジャンクショップに転がってましてね。修理してもらって買い取ってきましたよ」
ジェスはそう言って、アンジェリカの身体を触っているフリをする。やがてジェスは離れて立つと、アンジェリカはゆっくりと身体を起こした。
羞恥心を忘れて、一時の怒りの感情も捨てて、ただ無表情にアンジェリカはトランクの中で立ち上がる。
「おほっほっは! 素晴らしい、実に素晴らしいよ!」
マギノは一糸纏わぬブロンドの少女にいやらしい笑みと賞賛の声をあげた。近づき、アンジェリカの全てを見渡す。
「気に入りましたか」
「あぁ、気に入った。金は前に指定した口座でいいかね?」
マギノはそう言って、机へと向かう。その瞬間にアンジェリカはトランクの衝撃吸収用のスポンジの一角を剥ぎ取り、グロック26を取り出した。
「マギノ・ギーク」
アンジェリカは呟く。その声にマギノは振り返り、思わず息を呑んだ。
裸体の少女が拳銃を構えているのである。
「マギノ・ギーク……死んじゃえ! このエロ野郎!!!」
アンジェリカの叫びと共に、両手でしっかりと構えたグロックから銃弾が飛び出す。それは狂うことなくマギノ・ギークの額へと突き刺さり、頭蓋骨を破壊し、脳を貫いた。
崩れ落ちるようにマギノは倒れる。それでも尚、アンジェリカはマギノの顔面に三発の銃弾を撃ち込んだ。
「はぁはぁはぁ……」
荒い息を吐き、ジェスへと振り返る。
両親の仇をとれた事への開放感か、人を殺した事への罪悪感か、アンジェリカの瞳から涙が零れる。カタカタと震える右手を左手で掴むが、収まりそうにない。まだ、目標は半分だけしか達成していないというのに。
その時、観音開きのドアが勢いよく開く。銃声を聞いたヒュラクが飛び込んできたのだ。ヒュラクは瞬時に状況を確認するとアンジェリカへ向けて銃を構え、トリガーを引いた。
「!?」
しかしアンジェリカへは命中せず覆いかぶさるジェスの右腕に当たった。
少し躊躇するヒュラクへジェスの脇からアンジェリカがグロックを撃つ。弾は太ももに当たりヒュラクは膝を付いた。その隙を狙い、ジェスは走りヒュラクの拳銃を蹴り飛ばした。
「お母さんとお父さんの恨み、知れ、蛇野郎!」
アンジェリカはゆっくりと近づき、恐怖に駆られるヒュラクの顔面に残り全弾を叩き込んだ。震える腕でも、唖然としてこちらを向く男を撃ち外す事はなかった。音をたてて倒れる蛇から、黒い血が流れていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……やったよ、お父さん、お母さん」
呟き、アンジェリカはグロックを額に押し付け涙を零す。耐えてきた色々な思いを涙として溢れさせて、アンジェリカは泣いた。
泣きじゃくるアンジェリカへジェスはコートをかけてやる。
「さ、帰ろうぜ」
泣きながらもジェスの言葉にアンジェリカは頷いた。
~☆~
エレベータ横の非常口を開け、階段を登る。そして登りきった先の扉を開けたそこはビルの屋上だった。貯水のタンクやパイプが複雑に配置されている。
「こんなとこに来てどうするの?」
「迎えが来るのさ」
ジェスが指差す先には一機のヘリコプター。そこに記されているのはギルカ警察の文字である。
「え……私、捕まっちゃうの?」
不安そうに聞くアンジェリカにジェスは優しく答えた。
「その反対、助けられるのさ」
ヘリコプターは屋上に近づき、地面すれすれでホバリングする。ジェスは素早くドアを開けて中に乗り込み、アンジェリカを引っ張り上げた。
二人が乗り込んだのを確認するとヘリコプターは上昇し、みるみるビルから離れていった。
「いったいどうなってるの……?」
アンジェリカが不安げにジェスに聞く。その時、操縦士が振り返り答えた。
「つまりはこういうことさ。レディ・アンジェリカ」
「あっ! キザな男!」
地下のシューティングレンジで出会った男がヘリコプターを操縦していた。
「つまり、彼は第一階層の刑事なんだ」
ジェスが付け加えるように、にやりと笑いながら言う。
つまりは、この殺人事件を揉み消す事が出来るという訳である。ジェスの友人である彼はギルカの警察署長の息子であり、第一階層の事件ではほぼ首を突っ込む事が可能である。それが凶悪犯罪だろうが犯人を特定の人物にする事も出来るし、迷宮入りにする事も出来るのだ。逆にいうと、警察機構が腐りきっているとも言えるのだが、今はその腐敗具合が丁度良かった。
「つまり、そういうこと」
キザったらしく説明した男はそのまま空の散歩と言ってヘリコプターの操縦へと戻る。
「……ジェス」
「ん?」
アンジェリカは外を見ながら、ジェスを呼んだ。
「これから、私、どうしたらいいのかな?」
「あぁ、そのことだが……俺の助手になってみないか?」
「助手?」
「つまり、探し屋ってことさ」
その言葉に、アンジェリカはしらばく考える。そして、答えを出した。
「それも、いいかもね」
「あぁ」
「掃除と洗濯は私がするからジェスは料理ね」
「あぁ」
「お給料はいらないから、ちゃんと食べさせてね」
「あぁ」
「あと、夜の相手もしてあげる」
「……もっとデカイ胸になったら相手してやる」
「むぅ~、私はもう大人だ」
アンジェリカは着ていたコートを艶かしく脱いでいく。
「ははは、レディに失礼だぞジェス」
彼が笑いジェスが笑い、そしてアンジェリカも笑った。
そして、ギルカの街に雨が降り始める。
いつもと同じ様に、深々と雨がギルカの街を濡らしていった。
旧WEBページに掲載していたオリジナルの短編。 掲載日は2004年10月23日。2011年にPIXIVに掲載するにあたって推敲と改行作業。それをまるまる転載しました。