ピンチに現れたのはヒロインではなくてお爺さんでした。
「もしかしてこれって、凄いピンチなのか?」
俺の周囲に壁のように並ぶプルプルした謎の生物の群れ。最初の一匹と同様に奴らは大挙して、俺に襲い掛かってきた。
一匹一匹の動きは脅威ではないのだが、集団で来られると逃げることすら難しい。俺は瞬く間に取り囲まれてしまっていたのだ。
見た目がどこかユーモラスな為にイマイチ危機感が湧かないが、この状況は間違いなく命の危機と言えるだろう。
こうなったら一縷の望みを胸に、特攻でも仕掛けるかと玉砕覚悟の提案が俺の脳裏を過ぎったその時。
『ピヨー!?』
俺の周囲を囲むプルプル達の犇く地面から、幾つもの火柱が上がり、最後までユーモラスな断末魔を上げる。
「……どうなってるんだよこれは?」
断末魔と共に火柱の中へ飲み込まれたプルプル達は、消し炭にはならず細かい光の粒子となって消えていく。
まるでその光が粉雪のように舞い降りる様は、何処か幻想的な光景にも見えた。俺は自身の現状を忘れて、この光景に見惚れる。
「大丈夫かの?」
でもそんな時間は、数秒と続かなかった。
火柱が上がった奥から聞こえる人の声。俺の幻聴で無ければその声は日本語に聞こえた。先程の未知の生命体との遭遇で、ここが日本なのか疑わしく思っていたのだが、日本語を喋る人が居るというのであれば、やっぱりこの森は日本に属する何処かなのだろうか。
「あの、ありが……とう……ございま……す」
どういった経緯かは分からないが、さっきの火柱を起こして俺を助けてくれたのは先程の声の主と考えて、まず間違いないだろう。俺は御礼の言葉を言いながら、声の聞こえた方向に振り向くが、声の主を視界に捉えた俺は予想外の見た目だったため、途中から御礼の言葉が途切れ途切れになっていく。
俺を助けてくれた人は一言で現すのであれば、御老人だった。腰が悪いのか木製の杖をつき、サンタクロースを連想させる長い髭。
ただしその髭は見事な程に、鮮やかな緑色をしていた。
頭部の髪の毛は完璧に死滅しており、肌色の太陽が眩い光を放っているので、髭だけ染めているという可能性も存在しているが、態々お爺さんが髭だけをそんな風に染めるだろうかという疑問が残る。
少なくとも地毛が鮮やかな緑色をした日本人を、俺は見たことが無い。
「ふむ。その黒髪に黒い瞳……もしかしておぬしは日本人かの?」
予想外なお爺さんの言葉。
「あの、ここは日本なんですか?それにお爺さんは……」
「そう慌てるでないさ。この森を抜けた先に、ワシの家がある。詳しい話はそこでしてやるさね」
俺はその提案に頷き、歩き出したお爺さんの後を付いて行く。
何もかもが分からない状況の中で、このお爺さんは現状で唯一、俺に情報を提供してくれる貴重な存在だ。
無条件で信用して良いべきかは判断しかねるが、どちらに転ぶとしても、話が通じる相手が居るに越したことは無い。
それに曲りなりにも、命の危機を救ってくれた恩人を疑うというのは、あまりしたくは無いことだった。
暫くの間、お爺さんの後を付いて行くと、薄暗い森を抜け出て、大きな湖へと辿り着いた。
その湖のすぐ近くには、一軒の小屋。木製の西洋の昔話にでも出て来そうな外観をしており、その小屋の脇の地面は耕されて丸みを帯びた葉っぱが、何本もニョキっと生えていた。
多分あそこは畑なのだろう。
「さあ着いたぞ。ここがワシの家じゃ。遠慮せずに入りなさい」
「は、はい」
俺は促されるままにお爺さんに招かれて、家の中に遠慮がちに入る。
家の中はこじんまりとした作りとなっていた。木製のテーブルと椅子。右の壁際には小屋に入れるにはギリギリの大きさの棚。その奥には扉が一つ。小屋の大きさ的に寝室が一つあるといったところだろうか。
少なくとも、俺の知る現代的な生活をしているとは思えない内装の部屋だった。
「まあ、適当に座りなさい。今から長話をするのだから茶ぐらいは準備してやるさ」
「はぁ……え!?」
お爺さんに言われるままに、こんな小屋の何処でお茶の準備なんてする気なのだろうと思いつつ、椅子に座った直後。俺は突然の出来事に我が目を疑った。
さっきまでは何も無かったはずなのに、テーブルの上には暖かそうな湯気を上げる紅茶の入ったティーカップが二つ。確かに目の前にあったのだ。
「えっ?これってどうなって……」
「慌てずとも順を追って話すから、まずは落ち着きなさい」
そう言って俺が座る向かい側の椅子に座るお爺さん。
俺は動揺しながらも、何とかお爺さんの言葉に頷き、次の言葉を待つ。
緑の髭を二回ほど撫でてから、お爺さんはゆっくりと口を開く。
「そう言えば自己紹介がまだじゃったな。ワシの名はヤンバル。この森で静かに隠居しとる者さ」
「えっと、俺は空野 翔太です。あの、不躾な質問なんですけどここは何処なんですか?それにさっきのプルプルした生き物は……」
「取り敢えず落ち着きなさい。確か翔太殿といったかの」
「は、はい」
「最初にこれだけは言っておくことにしよう。この世界は翔太殿の知っている世界ではない」
「それって、どういう意味なんですか?」
「どういう意味も、言葉通りの意味じゃよ。この世界の名はエッグワールド。翔太殿の居る世界から言うのであれば、異世界という奴じゃな」
もしかして、という考えは森の中に居た時点であった。だけど他人からその考えを言葉にされて耳にしても、何処か現実味が無くて、今でもこれは夢なんですよと言われてしまえば、そっちの方がよっぽど現実的だと思う。
試しに自らの頬を抓ってみるという古典的な方法を実践するが、抓る指に力を込めれば込めるほどに頬の痛みが増していき、これが夢ではなくて現実だということを否応無しに主張する。
「異世界って……だってヤンバルさんは日本語を喋ってるじゃないですか。それに俺のことを日本人って言っていたし……」
これが夢でないというのであれば、まだ手の込んだドッキリだという可能性もある。
一般人の俺にこんなドッキリを仕掛けるというのは、あまり現実的ではないが、過去にそういった趣旨の番組が無かった訳ではない。
俺の記憶が確かであれば、色々と言われがちなこの御時世の日本で、一般人にそんな無茶を強いる番組は無かったと思うが、俺が知らないだけで、どこかのローカル番組で細々とやっているのかもしれない。そうでなければ海外の番組という可能性もある。もしかしたらまだ放送前の段階で、俺がその新番組の栄えある第一号のドッキリのターゲットなのかも……。
「この世界に飛ばされた日本人は、翔太殿だけではないのじゃよ。それこそ遡れば歴史に残っているだけでも、500年以上前から、この世界には日本人が来ておる」
「え?」
「そもそもこの世界の近年の文化には日本人が深く関わっておる。じゃからワシを始めこの世界の殆どの者が日本語を習得しておるのじゃよ」
「ちょっと待ってください。じゃあここが仮に異世界だとして、俺と同じ様な境遇の人が何人も居るってことなんですか?」
「勿論居る……いや、正確に言うのであれば居たと言う方が的確じゃな」
ヤンバルさんは、俺の質問に若干ながら眉を寄せつつ、紅茶を一口啜ると、再び話し始めた。
「翔太殿は、元居た世界におる時に、青い鳥と出会いませんでしたかな?」
青い鳥とは、もしかしなくても出会い頭に俺に体当たりをしてきた。あの憎い面構えをした鶏のことだろうか。
「確かに森に入る直前に俺は青い鶏に遭遇しましたけど」
「このエッグワールドでは、その青い鳥は異なる世界を行き交う聖鳥として崇められております。古来より聖鳥は自由奔放で、稀に異界の者をこの世界に連れてきてしまうのじゃよ」
「何て傍迷惑な鳥だよ」
「ただ、その聖鳥が異世界を行き交う頻度がこのところ減ってしまいましてな。100年も前は毎年10人はこの世界に来ていたらしいのですが、今では殆ど……ワシの知る限りでは翔太殿は、40年振りにエッグワールドを訪れた日本人になると思いますぞ」
ヤンバルさんの追い討ちとも言える発言に、俺は色んな意味で頭痛を覚えた。