結衣 1
――サンタクロース商会。それが祖父が営む小さな事務所の名前。
私が生まれたことをきっかけに、祖父がサンタのボランティアを始めてもう15回目の冬が来る。少し胴周りが本物には及ばないけれど、もう何年も伸ばしている真っ白な髭はどう見てもサンタクロースだ。
始めは祖父が一人で病院や施設でクリスマスを過ごす子どもたちを慰問していたのだけれど、その出で立ちが評判を呼び、いつしかショッピングモールやイベント、果ては個人のお宅のクリスマスパーティーにまで請われて出かけるようになった。
結果――人が一人増え、二人増え、大所帯になればなるほど先立つものも必要になり。祖父はサンタクロースを派遣する事務所を構えてしまった。そして増えた人間を食わせるために繁忙期の12月以外は、あまった人手を頼んで何でも屋を始めたというわけだ。
事務所は家族と数人の社員、それとアルバイトが数人でやっているけれど、12月のこの時期は一年で一番忙しい書き入れ時だった。だから私にはクリスマスに楽しい思い出が、ない。
今年のクリスマスイブは珍しく雪が降っていた。どのくらい珍しいかといえば、『生まれて初めて』の出来事だ。
思春期の女子としてはホワイトクリスマスという単語にときめかないでもないけれど、大人が出払った家に弟と二人寂しく取り残される身としては「だから何?」としか言えない。中学2年生はまだまだ子供だから、デートだとか、パーティなんてイベントはなかなか起こらない。
「夕飯はシチューだから」
昼過ぎに母親はそう言い残して家を出た。例年通りなら帰るのは真夜中を過ぎてからだろう。母親は裏方専門だけど、疲れて帰ってくるサンタの皆さん全員が仕事を終えて戻ってくるのを見届けてからじゃないと帰ってこないから。
「今年もクリスマスパーティはナシかぁ」
弟の大和がおもしろくなさそうにシチューのナベを覗き込んでいる。
弟もよく考えれば不憫だ。他の友達がみんなサンタを信じてる幼稚園生の頃から『サンタクロースはおじいちゃんです』という現実をまざまざと見せつけられているのだから。私にとっても大和にとってもクリスマスは楽しいイベントではなくただの祝日の次の日、もしくは冬休みの一日だった。
「ケーキもないのかよ」
続いて冷蔵庫を開けて再び嘆息する。
ケーキはね。毎年ケーキ屋さんに派遣されたサンタさんが持ち帰るケーキを25日に食べる予定だよ――と、わかりきってることを答えようとして、思いついた。
「コンビニでケーキでも買ってこよっか」
「……ないよりましかぁ」
上着を着込んでポケットに財布だけを突っ込む。
そう言えば先週新しく買ったブーツを、まだはいてなかったっけ。そんなことを考えながらやっぱりいつものようにスニーカーをはく。こんな日に新しいブーツを履いたら、汚れちゃうもんね。
陽が落ちて気温もぐっと下がったのか、ぐるぐるに巻いたマフラーから半分はみ出したほっぺが痛い。さっきは上等だと思った思いつきも、外に出てみるとアサハカだったかと後悔しきり。けれどとりあえずはコンビニに向かって歩き始めた。
水分を多く含んだ雪は重たく、道に積もった雪はべちょべちょに融けていて歩きづらい。傘に積もった雪の重みで骨が大きくたわむ。普段ならわずか十分程度の道のりが、果てしなく遠い――気がする。
雪のせいか人も車も少なく、灯りと言えば薄暗い街灯と、カーテンの隙間から洩れる家々の明かりだけ。
――寂しいなぁ。
クリスマスなんて好きじゃない。あのカーテンの隙間から漏れる光の下で、みんなが温かい食卓を囲んでいるのかと思うと、どうしようもなくうらやましい。
「……アホらし」
15回目のクリスマスイブにはすっかり諦めることを身につけてしまっているのも、なんだかさみしかった。
目指すは3ブロック先のコンビニ。指先に息を吹きかけるとポケットに突っ込みのろのろと歩き始めた。
数歩も行かないうちに、人影を見つけた。さほど大きな人影ではなかったけれど、電柱に寄り添うようにじっと動かないところが気味が悪い。――そういえば学校から変質者に注意しましょうなんてプリントが配られてたっけ……
――なんかやだなぁ。けど、今更来た道を戻るなんて不自然で逆に目をつけられたりしない?大体こんな寒い日に余計な遠回りなんてしたくないしなぁ――なんて考えてるうちに人影はもうすぐそこだ。
薄暗い街灯がスポットライトみたいに人影を照らしてる。空を見上げるのに夢中で、私になんてきっと気付いていないだろう。ここは私も知らんぷりして通り過ぎちゃった方がいいよね。
通り過ぎる前にちらっと人影を確かめようとしてやっと顔が見えた。
「村上……」
そこにいたのは、クラスメイトの男の子。
振り返った村上を見て、私はギョッとした。だって、泣いてるのかと思ったから。
村上は無防備に、ぽかんとした顔で私を見返す。
「松本……さん……」
クラスメイトなのに、会話をするのは初めてだった。声を聞くのも初めてだったかもしれない。彼はいつも地味に、静かに、目立たないように教室で座っている男の子だったから。
「やっだ、もう!!」
改めてみれば、彼は頭からつま先まで雪で濡れてびしょびしょだった。少し、震えているような気がする。びっくりして自分が濡れてしまうのも気にせずに傘をさしかける。
「あたし、今からコンビニに行くの!その後タオルくらいは貸してあげるからついてきなよ」
「や、俺……」
村上は右足を一歩引いた。その腕を、私はつかんだ。
「こんなとこに立ってるよりもずっといいよ。」
なぜか、助けてあげなきゃと、強く思った。
こんな雪の中に一人置き去りにしたら、そのまま死んでしまうような気がして。
無防備に助けを求める捨てられた子犬のように、悲しそうな眼をしていたから。
「ごめん、俺。……もう、帰……」
「家すぐそこだから!タオルなら持って帰っていいから寄ってきなよ」
もう帰ると言うならこんなところで何をしていたんだか。――私はつかんだ腕を放さなかった。
しばらく睨み合っていたけれど、村上はふと表情を緩めた。
「降参」
袖を掴まれたままおどけて両腕を上げる。
「ごめん、実は行くとこがないんだ。お言葉に甘えさせてもらっていいかな」
手を離して少し大げさに腕を組む。
「お茶くらいは出してあげる」
「かたじけない」
村上が背中をぴんと伸ばしてお辞儀をする。それがおかしくて吹き出すと、村上は安心したようにほうっと深く息を吐いた。
「実はもうそろそろ寒くて死ぬかと思っててさ」
頬と、鼻の頭が赤い。泣いていたように見えたのは、きっとそのせいだ。
私は厳重にぐるぐる巻きにしていたマフラーをほどくと村上の首にかけた。
「ないよりはましだと思うよ」
村上はほっぺを掻いて真っ赤な鼻の頭を隠すようにマフラーを巻いた。