*第3夜*
俺は冬が...
3.真夜中の風
午前中はもうやる気もおきずに寝て過ごした。
度々コールが掛かったが全部無視。
終いにはメールと思いきや、家に押しかけて来た。
数時間、俺の部屋で今日あった事を愚痴り帰って行った。
嵐のような奴...。
窓の外は真っ暗。もう夜。見れば判る。
何時もの様にギターを片手に他の荷物も持ち、家の庭を潜り抜ける。
来ているか、来ていないか。
例の昨日の彼女は...。少しだけ期待している。
紀平...翠...だっけ。
忘れるなよ。記憶力悪いな、俺。
急ぎ足で公園に向かう。
小走りで、最後は全力で走って行く。
白い息をハァハァと吐きながら噴水に近付いて行く。
水飛沫が外灯の明りに照らされて宝石のように光り輝く。
「やっと来た...」
彼女は俺の後に立っていた。
頬は真っ赤に染まり上がっている。息も白い。
手を擦り合わせながら微笑んでいる。
俺は自分が羽織っていたパーカーを彼女に被せた。
「ずっと待ってたのかよ」
「うん...少し心配掛けちゃったね」
「別に...」
何だか照れくさくなって、鞄から譜面台を取り出して組み立てる。
そっとブロックの上に腰を下ろしてギターを取り出す。
俺の隣に腰を下ろして、鞄の中から譜面を取り出して眺めている。
何も思わずに歌う準備完了。
マフラーを取って、ギターを抱える。
「どれか一枚貸して...」
「どれでもいいの?」
「うん、どれでもいい...えぇ...と」
「翠でいいからね、名前呼ぶ時は。ね羽悠」
覚えてたんだぁ...みたいな。
ヤバイ。マジで忘れてた。さっきまで覚えてたのに。
翠は一枚楽譜を俺に渡す。
弦を弾いて少し音出し。
悴んだ指先で弦を弾き、冷たくなった唇で詩を綴る。
白い吐息が俺の目の前を揺れた。
まだ冬になりかけた頃とは大違いの寒さ。
12月の上旬と中旬ではこんなにも温度差があるとは思ってもみなかった。
まぁ...去年、経験済みだけど...。
1曲歌い切ると昨日のように小さな拍手が耳元に届く。
優しく優しく聞こえる。
ギターを下ろして、翠の横に座る。
「寒いだろ?」
「うん、でも家にいるより羽悠の歌聴いてる方がいい」
「...ありがト...」
にこっと微笑んで俺に言った。
照れくさくて嬉しくて...昨日からずっとずっと。
嬉し過ぎで調子に乗りそうで恐い。
首にグルグルにマフラーを巻きつけバッチリ手袋までして...。
相当寒がり?と言うか寒いのだろう。
俺なんてマフラーもしていなければ手袋もしていない、ギター弾くから勿論素手だ。
パーカーは...貸してしまって着ていない。
つまり単純に言ってしまえばこのクソ寒い中薄着でいる俺は確実に馬鹿と言うか何と言うか。
お人よしでもない...単純なる馬鹿。
麻痺状態に近くなって来た手をズボンのポケットに突っ込む。
ほんの少しの寒さ紛れにしかならない...。
別に俺は寒がり、冷え性とか言う訳じゃないからいいんだけど。
ポケットに真っ赤に染まった手を突っ込んだ俺を見て、翠は...。
「冷たいね...これじゃギター弾けなくなっちゃうよ」
そっと俺の片方のポケットに自分の手を入れてそう言う。
暖かい小さな手が俺の掌に触れる。
手じゃなくて顔が熱くなってくるのを感じた。
バッと立ち上がり『飲み物買って来るっ!!』と告げて全力で彼女の元を離れる。
ハァハァと自動販売機の前で口に手を当てて荒い息を必死に押えようと努力する。
それでも鼓動と呼吸のスピードはどんどん上昇するばかり。
『落ち着け...落ち着け...俺...』と心の中で何度も何度も唱える。
段々と落ち着いて来て、自動販売機でホットコーヒーを2本。
小走りで彼女の元に戻って行く。
「ハイ...コーヒーでよかったか?」
「何でもいいよ、ありがとう」
「ん...」
差し出した缶コーヒーを受け取って翠は『暖かい』と一言。
それを横目に缶を開けて熱いコーヒーを半分一気飲み。
猫舌じゃないからこれくらいの温度は平気だと。
彼女は手袋を外して掌でころころと熱くなった缶を転がす。
残りのもう半分をぐいっと飲み干し近くにあるゴミ箱にナイスシュート。
カランカンラッと音を立てて見事に入った。
ハァと空に向かって白い吐息を吐き捨てる。
コーヒーの香ばしくほのかに甘い香りが鼻先を擽る。
空には星が1つ...2つ...ぐらい。
藍色に黒がほんのりかかり濃い灰色の雲がまだ空を覆う。
「羽悠って冬は好き?」
「...微妙かな...翠は」
「私は雪が好きだから、冬も好きかな...寒いのは苦手だけど」
「俺も雪は好き。見てて癒される」
「判る」
冬は好きと言えば好き。嫌いと言えば嫌い。
どちらでもない微妙な位置な季節。
でも俺は小さい頃から雪は大好きだった。
毎日毎日見ていても飽きないぐらいに。
翠は軽く微笑んで『雪、降らないかなぁ...』と呟く。
氷のように冷たい風が俺達の髪を揺らして弄ぶ。
でも感じた温度は最高に暖かい真夜中の風。