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緑の章 変わらない僕でいて

 そもそも。

そもそもの話、精神感応系能力とは、崩壊種(フォールワン )の中でも特に珍しく、崩壊種( フォールワン)が他国と比べても多いこの国の崩壊種総人口――百九十七万人の内、たったの六十八人しか居ないレアなものだった。


 また、崩壊種(フォールワン )の間で言われている通説――『自身の能力を漏らす事は、死に値する』というのも、彼らの存在に起因する。


 崩壊種(フォールワン )は、異能発現時に、ある粒子状物質――通称『D粒子』を体外に放出する。

これは、全ての崩壊種(フォールワン )の共通項である、唯の一つの例外のない絶対項である。


 それを観測し、自身の異能発現の鍵とするのが、精神感応系能力者の特徴だ。


 一度でも自身特有の、他に類似品すら存在しない『D粒子』を捉えられたらもうお終い。

精神に入りこまれ、時には自身の意志とは無関係の行動を取らされる――いわば、操り人形とされてしまう。


 故に精神感応系能力者は、どの国のどの隔離区においても通常の崩壊種(フォールワン )とは比べ物にならない程に厳しい処置を取られる事が多い。


 それは、この凪帆第一都市においても同様で、精神感応系能力者と判明した時点でとある施設に何年間も入れられ、投薬など、とても人に行うとは思えない行為の元、良からぬ事を考えぬよう『教育』される。


 それでも尚、真実とは言えあのような通説が崩壊種(フォールワン )という生態系全体に広まってしまうのだから、崩壊種(フォールワン )が精神感応系能力者に対して感じている恐怖感というのは、計り知れないものがある。


 だからこそ。

だからこそ、彼女の存在は衝撃であり、あの傲岸不遜で自由人な人類愛の刺青師(シールスター )にすら、言葉を失わせる爆弾となったのだった。





◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆





「え? 私、何か変な事言いました?」


 チアキ君は説明を終えた僕を恐ろしいスピードで捕まえると、心底不思議そうな声色で小首を傾げる。

どうやら、自分の言った事がどれだけ僕らの常識を崩すものだったのか、気付いていないらしい。


「ライよ、私がこんな言葉を口にするのは、生まれてこの方初めてなのだけれど……ご愁傷様」


「縁起でもない事を言うな。この状況では、洒落にならないだろう」


「誰が洒落など言うものか。そこまで親しそうにしているんだ。『D粒子』を観測されていなくとも、精神への干渉はもう手遅れになっているだろう」


 男の割に細く手入れの行き届いた髪を手で弄りながら、人類愛の刺青師(シールスター )は少々青くなった顔色のまま苦笑した。


 しかし……確かに、人類愛の刺青師(シールスター )の言う通りなのだ。

精神感応系能力を発現する為には、他の能力者の『D粒子』を観測する事だけが術でない。


 他の能力者との精神的な触れ合い――いわゆる、コミュニケーションをある程度の期間、ある程度の親密さをもって、行う事もまた、発現の鍵の一つである。


 その『ある程度』が、一体どれ位のものなのか、僕には分からない。

もしかしたら、僕はもう……。

そう考えると、恐怖せずにはいられなかった。


 毛が逆立つのを感じる。背に回された手が、人のものではなく悪魔のもののように感じられる。彼女が纏う甘い香りが、食虫花のそれのように思われる。


「ライさん、どうしました? 急に毛並みが堅くなりましたけど」


「どうしたって……精神感応系、だよね?」


「そうですけど。――あ、もしかしてライさん、あの都市伝説信じてるんですか?」


 そう言って、チアキ君は小悪魔的な笑みを浮かべる。

それは本当に楽しそうな笑顔で、どうしてか、温かい気持ちになれるものだった。


「都市伝説?」


「はい。精神感応系能力者の中には、人の記憶を見たり、意識を操る事が出来る者達が居るって話です。失礼な話ですよね。人を怪物か何かだと思って」


「……それこそが、精神感応系だろう?」


 チアキ君がにこやかに言った言葉の意図が読み取れず、心のままに声を紡ぐ。


「あ、ライさん。それ酷いです。差別です。能力差別です。訴えられたら負けますよ?」


 僕の横腹をつんつんとつつきながら不満そうに言う彼女の声には、何かを誤魔化しているような後ろめたさなど微塵もない。


 つまりこれは……どういう事だ?

僕はチアキ君の肩に顔を置いたまま、人類愛の刺青師(シールスター )の方に眼を向ける。


「……あぁ、思い出した」


 そのまま少しすると、人類愛の刺青師(シールスター )がそうだったそうだったと、一人合点がいった様子で頷いた。


「何を思い出したんだ?」


「随分前に、精神感応系に対する扱いは余りにも酷過ぎるのではと言う事が、問題になった時期があったんだ。それで、教科書や政府発行の印刷物はほとんど手を加えられて、今では予知系などが精神感応系にカテゴライズされていて、元の精神感応系については、口外しないようにとの改正がなされたんだ」


「じゃあ、チアキ君の言った、観れるっていうのは?」


「私の異能は少し特殊でして。他人が見た、聞いたものを、リアルタイムで自分も知覚出来る『神経同調』ってタイプなんです。それを『観る』と、仲間内では呼んでいて……って、自分の異能って、あんまり人に話しちゃダメなんですよね。どうして何ですかね?」


 神経同調。

それは確か、『知覚反応系』に属する能力。いや、正確には、改正がなされるまで知覚反応系だった能力。


つまり。

つまりチアキ君は、精神感応系ではない?


………………良かった。本当に良かった。


「元々は、『異能発現を確認されてはいけない』という事だった筈なんだがね。いつのまにか、そんな風に曲解されたようだ」


「……何で異能発現を見られちゃいけないんですか?」


「今までの会話で気付かなかったのか。いやはや、シアワセなものだね」


 二人の会話が全く気にならない位に、心に安堵が生まれ、恐怖が霧散する。

先程までの感覚が嘘だったかのように、気持ちが安定してきた。


「何です、そのバカにしたような言い方は」


「そんなつもりはない。ただ、私に比べれば知能は劣るとは思っているがね」


「やっぱり馬鹿にしてるじゃないですか!」


 全裸の男とそれに背を向けた女が繰り広げる有り得ない情景も、今では日常のものだったかのように感じられる。

どうしてか、微笑ましいもののように思えた。


「さて、ここで話していても仕方がない。どうも、君達は美を理解しようという気持ちに欠けるみたいだしね」


 人類愛の刺青師(シールスター )はそう言って立ち上がると、良く鍛えられた体を反らし大きく伸びをする。


「依頼の件については、これを見てくれれば分かる」


 足元のスーツケースを指す。

それから人類愛の刺青師(シールスター )は、入ってきた窓ではなく、今度はキチンとドアの方へと向かって行く。


「ライ」


 その途中、彼は立ち止まり、背を向けたままこちらに呼びかける。


「何だい?」


「君、そこの女性が『精神感応系』だと思った時、どうだった?」


「……言い辛い事を訊くんだね」


 あの時、僕が感じ、思った事。

それは、絶対的な恐怖だった。

目の前に居るチアキ君が、おぞましい存在のように思え、その何もかもが恐怖と嫌悪に通じていた。


それこそが、あの時の僕の全てだった。


「怖かったよ。凄くね」


「そうか。……ライ、君は少し、防衛本能が強すぎる。異常、と言っても良い位にね」


 背を向けたまま語る彼の声は、何処か哀愁に満ちていて……。

それが、僕の心を強く惹きつけた。


「それはいつか、君を壊すぞ。遅かれ早かれ、きっと」


「……どういう、事だい?」


 確かに、先程のチアキ君に対する反応は失礼だったと思うし、異常性を孕んでいたと認められる。


 しかしそれは、人類愛の刺青師(シールスター )との生活の中で身に付いたものであり、それを推奨したのも、彼なのだ。


「私にもまだ良心が残っている、と言う事だよ」


 乳母心と呼ぶのかもしれないがね、と彼は付け加える。


「まぁ、君に常識や、その他の知恵を教えた私としては、君のその素直さは嬉しい限りなのだけどね。このままではいけない状況に変容し始めてしまったのだから、そうも言ってはいられない」


「変容?」


 僕の代わりにチアキ君の口から発せられた言葉に、人類愛の刺青師(シールスター )は笑みを浮かべる。

しかしそれは、いつもの超然とした余裕のあるものではなく、何処か苦々しげなものだった。


「そう、変容。思えば、あの時……。青年屋(メメント・モリ)死にたがりの兵隊(ネヴァーモア)が引き起こした『六月の夜』事件の時にはもう、始まっていたのだろうね。今となっては、何もかもが手遅れだけれど」


人類愛の刺青師(シールスター )の、普段とはかけ離れた雰囲気に、僕は何も言えなくなる。

それは、会話をしただけで顔も合わせていないチアキ君も同様で、小ぶりな桜色の唇を閉じて、僕の背を撫で続けていた。


「……それじゃあ、私はここで。幸運を祈っているよ」


 その言葉を最後に、人類愛の刺青師(シールスター )は姿を消した。

僕の目の前には、いつの間にか開け放たれていた扉があるだけだった。


「――あの、ライ隊長」


 何時の間に近付いてきたのか、僕が率いる部隊の一員であるムラヤマ君が、恐る恐るといった様子で声を掛けてきた。


「なんだい?」


 チアキ君の腕から抜け出て、ムラヤマ君の方へ向き直る。

流石に、上司が部下の女性に抱かれている姿など、見たくはないだろう。


「あの、さっき来ていたのって、人類愛の刺青師(シールスター )ですよね?」


「そうだけど。何か用事でもあったのかな?」


 ここの部署の人間は、人類愛の刺青師(シールスター )が全裸で現れても何も言えず、ただ黙ってしまってしまう位に、関わりを持ちたくない筈だけど。


「いや、用事って言うか、その……」


「ムラヤマさん、もっと、ハキハキと!」


 口ごもっているムラヤマ君に、チアキ君が喝を入れる。

いつの間に、こんなパワーバランスが出来あがっていたのだろう。


「はい、その、さっき、人類愛の刺青師(シールスター )が出て行った時の話なんですけど……」


 そこで言葉を切ると、ムラヤマ君は不安そうにチアキ君の方をみる。


「オッケー。良い感じだよ、ムラヤマさん!」


 満面の笑顔で白い歯を零しながら、チアキ君はサムズアップをムラヤマ君に向ける。


 それにムラヤマ君も、安心したかのような柔らかな笑顔を浮かべて、言葉の続きを語った。


「は、はい! それでですね。さっき、またいつものように姿なく出て行った時、俺の耳元で『渡しそびれた。後は頼む』って、人類愛の刺青師(シールスター )の声で囁かれたかと思ったら、いつの間にか手に握らされてて……」


 ムラヤマ君は握られた手のひらを僕の目の前まで持ってきて、それを開いた。


「……これは?」


 それは、体に悪そうなドギツイ緑色をした、謎の物体だった。


「俺にも分からないんです。石かと思ったらブヨブヨしてるし、それにしては触ってもベタつかないし」


 受け取ってみると、確かに、ムラヤマ君の形容した通り、弾力があり、それでいて肉球には何も付かず、不思議な物体だった。


「私にも触らせてもらえますか?」


 興味があるのだろう。

瞳を爛々に輝かせながら、チアキ君は謎の物体を要求した。


「わ、本当にブヨブヨしてる。こんなの、昔流行りましたよね? 親にねだって買ってもらった事を覚えてます」


「スライム、ですよね。俺も持ってました」


 年下であり、部下でもあるチアキ君に敬語で返答しながら、ムラヤマ君は、懐かしいなぁ、と目尻を綻ばせた。


「そう、確かそんな名前でした。でも、アレって遊んだ後に手を洗わなきゃいけないのが面倒でしたよね」


「そうそう。それで、洗わないでお菓子食べて怒られたりするんですよね」


「あるある! でも、不思議とお腹は壊さないんですよ」


「そう! だから、後の方になってくるとあんまり関係なくなっちゃう感じになって」


「それで、結局体こわしちゃうんですよね」


 そこまで言うと、二人は顔を見合わせて笑い出す。

何がそんなに面白いのかは分からないが、とにかく面白いのだろう。そういう年頃なのだろう。


「チアキ君。それ、貸してくれないか? 一応、ラボに運んでおくから」


 まぁ、二人は仲好くやっている様だし、ここで何か言って水を差すのも悪い筈だ。

それに、人類愛の刺青師(シールスター )が危険なものを渡すとは思えないが、気まぐれな奴だ。もしもという事も有り得る。


「あ、それなら俺が……」


「いや、僕が行くよ。なんせ猫だからね。一日に何回かは歩き回りたくなるのさ」


 これは言い訳でもなく、本当の事だった。

特に長時間誰かに抱かれていた日などは、この欲求が強まる。


「で、でも……」


「あー、ダメですよ、ムラヤマさん。猫ちゃんって言うのは、ある程度自由させておかないと」


 ね? ライさん、とチアキ君は僕の方に笑顔を向ける。

……キミが言うな、の言葉は呑み込んでおこう。


「まぁ、そう言う事だよ。ムラヤマ君は、チアキ君にデスクワークの指導をお願い出来るかな? まだ途中なんだ」


 それでもまだ納得のいっていない顔をしているムラヤマ君に、僕はそう提案する。

ムラヤマ君がチアキ君にある程度の好意を持っているのは見て判る。

悪く思いはしないだろう。


「ち、チアキさんは、迷惑じゃないんですか?」


「え? なんでです? 実習の担当教官だったムラヤマさん、堂に入っていて教えるの上手でしたよ?」


 クリクリとした茶色の瞳をムラヤマ君に向け、チアキ君はふわりと笑った。


「チアキ君もこう言っている事だし、お願い出来るかな?」


「…………よろしくお願いします」


 顔を真っ赤にしながら、ムラヤマ君が頭を下げる。


「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」


 こういう笑顔を、向日葵の様な、と表現するのだっただろうか。

チアキ君の笑顔を見ながら、かつて何処かで、そんな形容を聞いたのを思い出す。


「それじゃ、後はよろしく」


「はい。また後で」


「車には気をつけて下さいね!」


 その言葉に、外には出ないよ、と返そうかと思ったが、これ以上ムラヤマ君の

恋路の邪魔をするわけにもいかない。


 僕は二人に背を向け、研究所(ラボ )へと、靴をむけた。

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