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紅蓮ノ円舞曲

作者: まっちゃ
掲載日:2026/08/08

【炎舞ノ交響曲(オーケストラ)

 今日もこの街は、燃えるような夕日に染まっていた。――それでも、何とも思えなかった。

 視界の端で、橙と紅が溶け合う。空も、建物も、人の影さえも、その色に呑み込まれていく。けれど、それを“綺麗だ”と感じたことは一度もない。そういう感情が、自分の中に存在しているのかどうかすら、よく分からなかった。

 白衣の袖を払う。微かに付着していた煤が、風に乗って消えた。

「相変わらずだね。少しくらい見惚れてもいい景色だと思うけど」

 背後から、軽い声が落ちてくる。振り返るまでもなく、誰かは分かっていた。

「興味ないから」

 短く返す。会話を続ける気はなかったが、足音は隣に並んできた。

「冷たいなぁ。ほら、今日の夕焼け、いつもより色が濃い。まるで――」

「例え話、嫌いなの。無駄だから」

 言葉を遮ると、相手は一瞬だけ言葉を止め、それから小さく笑った。

「はいはい、研究者様はお忙しいことで」

 視線を横に流す。軽薄そうな態度とは裏腹に、その瞳は妙に静かだった。

 術師。名前よりも、その呼び名の方が馴染んでいる。どこから来たのかも、何をしてきたのかも知らない。ただ、いつの間にか隣にいて、今もこうして並んで歩いている。

「例の件、進んでる?」

 何気ない調子で問われる。

「……あなたには関係ないでしょ」

「相棒に対してそれはひどいなぁ」

「勝手に名乗ってるだけでしょ」

 吐き捨てるように言いながらも、足は止めなかった。止める理由も、なかった。

 夕日が、やけに目に入る。鬱陶しいほどに赤い。

「でもさ、その“関係ないもの”に命かけてるのは君だろ?」

 軽い声のまま、核心に触れてくる。

 ほんの一瞬だけ、思考が止まる。

「……別に」

 短く返して、視線を逸らした。

 街の奥で、何かが燃えているように見えた。

 ――いや、ずっと燃えているのかもしれない。この街は、いつだってこんな色をしている。

 だから――

「それがどうしたの」

 そう言い切った。

 術師は何も返さなかった。ただ、少しだけ細めていた。

 鬱陶しいほどに明るい夕日を背に、私たちは”家”へと歩いた。

 ”家”――もとい、研究室。

「今日は大人しくしてるといいけどね」

 術師が軽く言う。

「黙ってて」

 そう返しながら、私は扉に手をかけた。

 数秒前の眩しさとは一転、僅かな蛍光灯が、白く濁った光で私の髪を照らす。

 静かな、機械音の反響。一定のリズムを刻む電子音。プロジェクターの排熱。

 廊下の奥で、何かが軋んだ。それが何なのか、考える気にはならなかった。

「じゃあ俺、餌をあげてくるよ」

「気をつけなさいよ、貴重な被検体なんだから…」

「わかってるって」

 直後、彼は既に部屋を飛び出していた。

「はぁ…」

 椅子に腰を掛け、今朝の新聞に目を通す。

『A州、憲法18条の廃止――』

『R沖にて正体不明の魚影――?』

『U町にて発――』

「やめろ!!おい!やめてくれ!!!」

 ――今の、声…

 …術師?

 椅子を蹴るようにして部屋を出る。廊下には低く唸る()の声が響いていた。

 震える足を無理やり動かし、()の部屋の前に着く。深呼吸。よし。

「術師、大丈―――」

「あっ、セレナ」

 そこには()と戯れる彼の姿があった。

――拍子抜け、という言葉が最も近いのかもしれない。

 白い、小さな影。

 床に落ちた光の中で、それは気まぐれに尾を揺らしていた。

「……これが、“奴”?」

 思わず零れた声に、術師は肩を竦める。

「そうだけど?」

 軽い調子。緊張感の欠片もない。

 視線を落とす。改めて、その姿を確かめる。

 ――白い、猫だった。

 どこにでもいそうな、ありふれた姿。

 柔らかな毛並み。小さな身体。警戒心の欠片もない仕草で、術師の指先にじゃれついている。

 ……それなのに。

 違和感が、拭えなかった。

 毛並みの一部だけが、不自然に黒く染まっている。

 まるで、そこだけ“別の何か”が混ざり込んだように。

 さらに視線を落とす。前足。

 その爪は、僅かに――ひび割れていた。

 鋭さとは別の、不自然な欠損。何かに削られたような、歪な形。

「なぁ、セレナ。ほら、懐いてるだろ?」

 術師が笑う。

 猫はその声に応えるように、喉を鳴らした。

 ――その音が、やけに耳に残る。

 私は一歩、距離を詰めた。

 その瞬間。猫が、こちらを見た。

 たった、それだけのこと。

 それなのに。

 視線が合った、ただそれだけで――

 “覗かれた”気がした。

 息が、僅かに詰まる。

 何を見られたのかも分からない。

 だが、確かに、何かが“触れた”。

 ――気のせいだ。

 そう思い込むように、私は目を逸らした。

「……ちゃんと管理して」

 声が、少しだけ低くなる。

「暴れたら困るのはこっちなんだから」

「大丈夫だって。こいつ、見た目通り大人しいよ」

 彼はそう言って、何の躊躇いもなくその頭を撫でた。

 猫は目を細める。その仕草は、あまりにも“普通”で――

 だからこそ、余計に。

 違和感が、消えなかった。

 その眼は、限りなく碧かった。


【呪縛ノ協奏曲(コンチェルト)

 規則的な機械音が、鼓動のように響いていた。

 いつもと変わらないはずの朝。

 白く濁った光が、研究室の床を淡く照らしている。

 ――それでも。

 どこか、何かが噛み合っていない気がした。

 理由は、分かっている。

 視線を落とす。

 机の下。そこに、丸くなって眠る白い影。

 昨夜と同じ場所で、同じように。

 何事もなかったかのように呼吸を繰り返している。

 ……ただの猫。

 そう思おうとするほどに、違和感は増していった。

 毛並みの一部に混ざる黒。ひび割れた爪。

 そして――

 ――片方だけ、碧に光る眼。

「おはよ、セレナ」

 背後から、間延びした声。

「……遅い」

 振り返らずに答える。

「いやいや、ちゃんと起きてたって。ただちょっと、“様子”見てただけ」

 様子。その言葉に、指先が僅かに止まる。

「何の?」

 問いかける。わかっているくせに。

 それでも、聞かずにはいられなかった。

「そりゃあ――あいつの、だよ」

 軽い口調のまま、彼は笑う。

 その視線の先。


 ――眠っていたはずの猫が、ゆっくりと目を開けた。

 猫は、ゆっくりと瞬きをした。

 その視線が、こちらへ向く。

 眠りの名残を引きずるような、それでいて、私を観察するような、緩慢な動き。

 ――ドクン、と。

 胸の奥が、僅かに、確かに毒された。

 理由はわからない。ただ、視線が合うたびに、どこか落ち着かない感覚だけが残る。

「ほら、な。言っただろ?」

 背後から彼の声。足音が近づき、そのまま迷いなく猫の隣へしゃがみ込む。

「大人しいだろ」

差し出された手に、猫は一瞬だけ視線を落とし――次の瞬間には、何事もなかったかのように擦り寄った。

喉を鳴らす音。規則的で、穏やかな音。

その仕草は、限りなく”普通”だった。

…限りなく、”普通”すぎる。

私は無意識に眉を顰める。

「触ってみる?」

軽い調子で言う。

「遠慮する」

即答。きっと、今の私は苦い顔をしていただろう。

「え~、折角懐いてるのに…」

「あなたに、でしょ」

そう返すと、彼は少しだけ肩を竦めた。

猫は変わらず彼に身体を預けている。

――そのくせ。

ちらり、と、こちらを見た。

碧い眼が、細かく歪む。――まるで、私を試すように。

 その視線が、離れない。


 ほんの一瞬のはずなのに、やけに長く感じた。


 ――試されている。


 そんな錯覚すら覚える。

「……」

 気づけば、私は一歩、距離を詰めていた。

「お?」

 術師が面白そうに声を漏らす。

「触らないんじゃなかったの?」

「……観察よ」

 短く返す。言い訳じみている自覚はあった。

 しゃがみ込み、ゆっくりと手を伸ばす。

 白い毛並み。

 ほんのわずかに混ざる黒。


 指先が、触れる。


 ――温かい。


 拍子抜けするほど、普通の温度。

 猫は抵抗しなかった。

 それどころか、むしろ自分から、私の手に頭を押し付けてくる。

 喉を鳴らす音が、少しだけ強くなる。

「ほら、やっぱり大人しいだろ?」

 術師の声が、どこか遠くに聞こえた。

 視線が、離せない。


 指先に伝わる感触。

 柔らかく、確かな“生”の感覚。


 ――なのに。


 違う。


 何かが、決定的に。


「……ねえ」


 気づけば、声が漏れていた。

「こいつ、いつからいたの」

 術師が、わずかに首を傾げる。

「昨日拾ったって言っただろ?」

「違う」

 言葉を遮る。

 猫の頭を撫でたまま、私は呟いた。

「そういう意味じゃない」

 指先が、止まる。

 猫の身体も、ぴたりと動きを止めた。

 喉の音が、途切れる。

 静寂。

 規則的だった機械音だけが、やけに大きく響いた。

 そして――

 猫は、ゆっくりと顔を上げる。

 碧い眼が、真正面からこちらを捉えた。

 その奥で、何かが――ほんの一瞬だけ、

 “ズレた”。


 ――“ズレた”。


 その感覚だけが、指先に残った。

 何がどうおかしいのか、説明はできない。

 ただ、確かに。

 今、何かが合わなかった。

「……セレナ?」

 術師の声が、やけに遠い。

 猫は変わらず、こちらを見ている。

 何もなかったかのように。

 碧い眼。

 静かで、揺れない。


 ――さっきのは、何だった?


 指先に、もう一度だけ力を込める。

 撫でる。

 毛並みは柔らかく、温度も変わらない。

 正常。

 どこまでも、正常。


 ……だからこそ。


「気持ち悪い」


 思わず、零れた。


「え、ひどくない?」


 術師が笑う。

 いつも通りの、軽い調子。


 けれど。


 その笑い方が、ほんの少しだけ。

 ――遅れていた。


「……何でもない」


 短く返して、手を離す。

 猫は一瞬だけ名残惜しそうに目を細め、それから再び身体を丸めた。

 最初から、そこにいたみたいに。

 何も変わっていない。何も、起きていない。

 ――なのに。

 胸の奥に残った違和感だけが、消えなかった。

 私は無言で立ち上がる。

 白く濁った光が、やけに強く目に刺さった。


【微睡ノ夜想曲(ノクターン)

 正しい朝は、嫌いだった。


 理由はない。

 ただ、すべてが予定通りに動いているときほど、気味が悪いものはない。


 白く濁った光が、研究室の床を均一に照らしていた。昨日と同じ角度で、同じ強さで、同じ場所に影を落としている。

 机の上。コップの位置。積み上げられた資料の順番。

 どれも一つもズレていない。

 ――ずれていないはずなのに、落ち着かない。

 視線を落とすと、机の下には白い影が丸くなっていた。

 昨日と同じ場所。

 昨日と同じ形。

 呼吸のリズムさえ、計算されたみたいに規則的だ。

 ただの猫。

 

 そう思えばいいはずなのに、その単語がしっくりこない。

 毛並みの一部に混ざる黒は、昨日よりも薄く見えた。ひび割れた爪も、まるで最初からそうだったかのように馴染んでいる。

 

 変わっていない。

 なのに、何かが違う。

 時計の針が、わずかに音を立てた。


 カチリ、と。

 その音だけが、やけに大きく響いた。

皆様、ご機嫌用。

4月に告知を出して早4か月。文章自体はほぼ完成していたのですが、そのほかの要因…例えば、私のリアルでの事情とか、他の小説とか、ゲーム制作とか。そういったものがあってなかなか最後の一手を決めきれなくてですね。

さてさて、物語のほうへ話を戻しましょうか。

今作は明確なオチのない作品に仕立ててあります。各章も、だんだんと短くなっています。

皆様で、この円舞曲を…どうか、白い悪魔と夢を見てください。

長くなりました。それではまた、どこかで。

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