王子殿下は拗らせている 〜品行方正な殿下の心の声は激重ヤンデレだった〜
生まれた時から、私は他人の心の声が聞こえた。
聖女の特別な力、神聖力によるものらしい。
古くから二柱の太陽と月の女神を信仰するこの国では、それぞれの力を受け継いだ聖女が選ばれる。
私は八歳の時、神殿で月の女神の聖女だと宣言され、そのまま王都の大神殿へと連れてこられた。
以来、人々の為に治癒や祈祷を行っているが、この特殊な体質は聖女として役に立つどころか、あまり好ましいものとは思えなかった。
『なにが聖女様のおかげ、よ。あんたたちのせいで私がどれだけうんざりしてることか。あーあ、早く王子殿下が来てくれないかしら』
大神殿を訪れた国民に対し、にこやかに手を振りながら心の中で悪態をついているのは、太陽の女神の加護を受けた聖女ヘレナ様だ。
平民出身の私と違い公爵家の三女であり、美しい容姿と気品溢れる振る舞いから人々から高い支持を得ている。
私は月の女神の加護を受けているが、見た目も平凡でこれといって突出した能力はなく、心の声が聞こえること以外役に立つものは何も無い。
もっとも、この能力を制御することができないせいで、人の見たくない裏の顔ばかりが見えてしまって、ロクなものではないのだが。
「ねえ、ルーナ。今日は王子殿下がいらっしゃるのよね?」
「はい。本日午後より第二王子殿下が……」
「ええっ、第一王子のアルベルト様ではなくて!?」
「王宮からはそのように伺っておりますが……」
ヘレナ様の表情が少し暗くなる。
『期待して損したじゃない! 最初に言ってくくればいいのに、本当に使えない平民……!』
以前ちゃんと説明したはずだ。
ヘレナ様はお菓子を食べながら聞いていて、私の話は適当に聞き流していたようだったが。
「そうなのね。……ああ、なんだか疲れてしまったようだから少し休んでくるわ。あとはお願いね」
「ですがっ」
「治癒ぐらい簡単でしょう。あなただって、月の女神の加護を受けているんだから」
私たちの治癒の祈りを待つ国民たちはまだまだ並んでいる。
この後だって予定があるはずなのに、ヘレナ様は私が止めるのも聞かず行ってしまった。
残された私は治癒を再会しようとするが、あまり乗り気にはなれそうもなかった。
「聖女様、どうもありがとう」
『なんだ、月の女神の方じゃないか。平民だし美しくもないなんて、本当に聖女の力があるんだかな……』
心の声は酷いものだったが、嬉しそうな表情を見せてくれるだけマシだった。
「聖女様のおかげです!」
『ヘレナ様のお顔が見られるって聞いたのに! 平民の方なんてがっかりだわ』
その後もヘレナ様と私を比べる心の声が立て続けに聞こえてくる。
精一杯尽くしているつもりだったけれど、やはり輝かしいヘレナ様と違って私はどうもイメージが悪い。
ヘレナ様は私のことをちょうどいい引き立て役だと思っているようだが、大神殿の人々からもルーナには華がないとよく言われてしまっていた。
元々明るい性格ではなかったが、自分の人生と引き換えに人々へ奉仕を続けても、返ってくるのは心無い言葉ばかり。
最初の頃は耐えきれずに泣いていたけれど、最近ではもう慣れっこだった。
いつか、きっと伝わるはず……。
そう信じて、耐え忍ぶしかない。
「聖女様! よかった、まだいらしたんですね」
祈りの時間が終わり、人々がいなくなってから引き上げようとしたその時、私を呼ぶ声に振り返る。
「アルベルト殿下!」
第一王子アルベルト殿下が来るなんて聞いておらず、慌てて礼をする。
「そうかしこまらないでください。弟と一緒に時間を合わせようと思ったのですが、少し遅れてしまって。でも、まだ残っていてくれて良かったです」
王子殿下は爽やかに笑うが、次の瞬間に来るものに私は身構える。
『ああ、会えるなんて思わなかった……! やはり聖女様のお姿は麗しい。今日も多くの国民が訪れたそうだが、お疲れではないだろうか。ああ、心配だ。私の知らないところで倒れたりはしないだろうか。聖女様はとても細いのだから、無理はしてはいけない。いっそのこと、いつもそばにいられれば良いのに……』
多い、多すぎる。
王子殿下はいつも心の声が騒々しいのだ。
こんなに澄ました顔をして、心の中では凄まじい長文が羅列されているなんて、誰が思うだろうか。
「ヘ、ヘレナ様はお疲れのようで休憩されているのですが、今からお呼びしましょうか?」
そう、心の声からして王子殿下はヘレナ様に想いを寄せているようなのだ。
ヘレナ様も王子殿下に夢中なご様子だから、二人はすぐに結ばれるものだと思っていたが、やはり立場もあるのかなかなか進まないよう。
しかし、公爵令嬢であり聖女であるヘレナ様は将来の国王である王子殿下にもっとも相応しい地位にいると言っても過言ではない。
王子殿下もこうして忙しい中神殿に通っているのだから、二人の婚約が発表されるのも近いだろうと私は思っている。
「そうなのかですか。いや、それならば結構ですよ」
『休憩しているのか……やはり聖女の仕事は負担が大きいのだろう。心配だな』
だが、その時だ。
ぱたぱたと足音が聞こえてきたと思ったら、部屋に帰ったはずのヘレナ様がこちらへ向かってきているではないか。
なんという絶妙なタイミング。やはり想い合う二人は自然と引き合うものなのだろう。
「アルベルト殿下! 会いに来てくださって嬉しいですわ!」
「いや、私は……」
王子殿下は好きな女性の前では恥じらってしまうタイプなのか、私が見ている限りなかなか素直になれない場面が多い。
『殿下が来て下さるなんて! でも、ルーナがいなければ二人きりになれるのに……』
殿下の心の声よりもヘレナ様の声が先に聞こえ、私はすぐさま行動に移す。
もちろん分かっていますとも。
「私は次の予定がありますから、お二人でごゆっくりどうぞ」
「あっ、聖女様……」
礼をしながら退出し、神殿の廊下を歩く。
王子殿下は王族としてだけでなく個人としても聖女のことを何かと気にかけてくれていて、神殿は助けられていることが多い。
日頃お世話になっている分、殿下の恋路は応援してあげたい。
ヘレナ様も心の中では悪態をついてしまうところがあるが、人間誰しもそういうものだ。
表に出すこともなければ、ヘレナ様自身も未熟さを自覚している部分はある。
きっとあの二人なら良い夫婦になれるだろう。
それに、二人が結ばれることは私が神殿から解放されることも意味するのだ。
王妃になるのであれば、これまで通り聖女は続けられない。
しかし、二人の聖女は必ず対になる存在であると決められている。
ヘレナ様が聖女を辞するのであれば自動的に私も解雇され、新たな次世代の聖女が擁立されるであろう。
聖女に選ばれた時は選択の余地などはなく、命令されるがまま人々に尽くす日々だった。
自分なりの自由な人生を手に入れたい……そう願ってしまうのは贅沢なのだろうか。
聖女をやめて、使い道もないのでたっぷり貯まったお給金を持ってどこか田舎に引っ越す。
そこで、他人の心の声が聞こえない生活を送るのだ。
そのためには殿下とヘレナ様が結ばれなくてはいけないのに、殿下はなぜヘレナ様を前にすると遠慮ばかりしてしまうのだろう……。
あくる日のこと、神殿の薬草畑の世話をしていれば廊下に王子殿下の姿が見えた。
慌ててしゃがみ込み、できるだけ植物の影に隠れる。
『うう、聖女様に会いたい! どうして王族というものはこうも不自由なのだ! 私はただ、聖女様の笑顔が見られればそれで良いと言うのに……!』
何やら今日は荒れているご様子だ。
しかし、殿下の向かう方向にヘレナ様はいない。
ここは声をかけてあげるべきだろうか。
しかし、ヘレナ様は私と殿下が接触するのを過度に嫌がる傾向にある。
それもそうだろう。
好きな相手が嫌いな同僚に優しくしていたらもやもやする気持ちを覚えることだってある。
ここは手早く案内して差し上げよう。
「あ、あの……! 殿下!」
「聖女様……! んんっ、良かった、こちらにいらしたんですね」
殿下はぱあっと明るい笑顔を見せたと思ったら、咳払いをして普段の冷静な表情に戻る。
「ヘレナ様なら、今の時間は書庫室で記録を付けていらっしゃるはずですよ。ご案内しましょうか?」
「いえ、それよりも聖女様は何をされていたのですか?」
「え?」
『そんなに小さい手で庭仕事なんて、肌が荒れてしまう。それに、服だって汚れてしまうだろう。手伝いはいないのか? まさか、いつも一人で働いているのでは……』
なるほど!
殿下は庭仕事をヘレナ様がさせられていないか心配なのだ!
私はすかさず殿下に説明する。
「薬草畑の世話をしていたんです。ここの管理は私の仕事ですから、一人で自主的に行っているだけなんです」
「そうでしたか。良い心がけですが、一人では大変でしょう。私も手伝いますよ」
「そ、そんな! 王子殿下にそのようなこと……」
「良いのです。聖女様のためなら、私はなんでもしますよ」
優雅に微笑んでいるが、心の声は……。
『もっと私を頼って欲しい。本当なら聖女様のそばに常にいたいのに、たまにしか会えないんだ。ああ、本当に自分の立場が恨めしい。あなたのためだけに存在できたら、どれほど良かったことか……』
なかなか重たかった。
そんなに恋しく思うのなら早くヘレナ様の所へ行ったらいいのに、やっぱり恥ずかしいのだろうか。
「で、では殿下は水やりをお願いします。今、水をくんでくるので」
「私がやりましょう。重たいものを運ばせるわけにはいきませんよ」
私の手にあるじょうろがそのまま持っていかれる。
王子殿下にこんなことをさせているなんて神官たちに知られたらとんでもない大目玉を食らうだろう。
しかし、殿下の好意を無下にすることはできない。
頼むから誰も通りが駆らないで欲しいと祈りながら、なぜか私は殿下と庭仕事に勤しむことになってしまった。
「この植物はなんと言うのです?」
「これはヘルベディアですね。小さい実がなるんですけれど、薬効があるんです。この辺りではほとんど植えられていないので、殿下はご存知ないかもしれませんね」
「なるほど、勉強になります」
『ああ、なんて愛らしいんだ……。まるで小動物が草花と戯れているかのようだ。このまま王宮に連れ帰って閉じ込めてしまいたいぐらい……』
おや?
なんだか不穏な声が聞こえた気がする。
辺りを見回すも、目の前にいるのは殿下だけだ。
「どうかされましたか?」
「いえ、なんでもありません」
慌てて誤魔化すも、聞いた事のないようなの声色をしていたのが気がかりだった。
いやいや、まさか殿下の声ではなかろう。
「聖女様は薬草をとても大切にされているんですね」
「はい。治癒の祈りがあるとはいえ、薬は人々にとって重要なものですから。特に神殿で作られた薬は効果が高いと言われていますし、怠るわけにはいきません」
「素晴らしい志だ。やはり聖女様は美しい心の持ち主です」
と、微笑みつつも心の声がまたしても聞こえてくる。
『羨ましい。心が張り裂けそうだ。聖女様にこれほどまでに思われる国民が羨ましくて仕方がない。その顔も、その声も、全て私だけのものだったらどんなに良かったことか。誰にも見せたくない、私だけの愛らしい子兎……』
えっ、うさぎ。
私は衝撃のあまり、何も聞こえないフリをするのを忘れてしまった。
おかしい。絶対におかしい。
目の前にいる他人の心の声が聞こえるのではなくて、うんと遠くに離れた他人の心の声が聞こえる能力になったのだと思いたかった。
「聖女様?」
『急に黙ってしまってどうしたのだろう。でも、私を見上げるその姿も愛おしくてたまらない。なんて小さいのだ……やはりどうしても連れて帰らなければならない。こんなに無防備な姿は他の誰にも見せられない。可愛い、私のルーナ……』
決定的な証拠だった。
今まで王子殿下と二人きりでいた時間はどれも短いものだった。
今日初めてこんなに長い時間を共にして、私は盛大な誤解をしていたことに気付かされた。
「あ、ああ、あ……」
私は恐る恐る後ずさる。
殿下は首を傾げているが、私はもう我慢ならなかった。
「そ、そんなの……ダメぇぇぇっ!」
「聖女様!?」
まずいまずいまずい。
殿下を振り切って私は全速力で神殿の廊下を駆け抜ける。
あまりの衝撃に頭の中は真っ白だった。
こんなこと、ヘレナ様に知られてしまえば私はもう神殿ては生きていけない。
もはやどこだっていい、殿下がいない場所ならどこだっていい。
とにかく、逃げなければ。
「お待ちください聖女様!」
「ひぇっ!?」
しまった、普段走ることなんてないから自分がとてつもない鈍足なのを忘れていた。
振り切ったはずなのに殿下はすぐに追いついてきた。
運動神経が悪いおかげで、振り向きざまに驚いてそのまま体勢を崩してしまう。
「ひゃっ!」
「危ない!」
硬い石の床に頭をぶつけることはなく、私は殿下に抱きとめられていた。
「ご無事ですか、聖女様」
「は、はい。ありがとう、ございます……」
『あああっ! ついに聖女様に触れてしまった! なんと柔らかいのだ! 柔らかすぎて簡単に折れてしまいそうだぞ、本当に聖女様は健康に問題は無いのだろうか。まさか、こんなに柔らかいなんて……!』
いくらなんでも柔らかいを連呼されるのは恥ずかしいからやめて欲しい。
折れないから離して欲しいのに、殿下は私をぎゅっと抱き込んで離さない。
「で、殿下……」
こんなところ、誰かに見られてしまえば大問題だろう。
「聖女様、急にどうされたのですか? もしや私は、聖女様に何か失礼なことをしてしまったのでは……」
「い、いえ! そんなことは……」
『涙目になって、可愛らしい……。そういえば聖女様の涙は見たことがなかった。聖女様には常に笑顔でいて欲しいが、泣き顔もまた格別に愛おしいのだろう。もし、私が王宮に連れて帰って監禁すれば泣いてしまうだろうか。駄目だとわかっているが、聖女様の泣き顔が見てみたい。私の腕の中だけで泣いてくれたら……』
怖すぎる。綺麗な顔をしてなんてことを想像しているのだ。
えげつない言葉の羅列に、私は言葉を失ってしまった。
殿下に悪いことをした覚えは無いのに、どうしてそんなことを思われなければならないのだ。
怯えるあまり涙が出そうになるが、必死に堪えようとする。
『もしや聖女様は私を怖がっているのか……?』
そうです! その通りです!
やっと殿下が気づいてくれたと思ったら、
『聖女様が、私に怯えているとしたら……ああ、なんて甘美な響きなのだろう! 美しく清廉な聖女様の心を汚す唯一の存在が、この私だなんて……!』
いやいやいや、まだ汚されていないです。
なんてことだ、どうして殿下はこのような倒錯的なことを考えるのだ。
いや、そうか分かった。
お疲れのあまり、王子殿下の心は闇に飲まれてしまったのだ。
治癒の祈りで浄化して差しあげて、即刻王宮に帰してあげなければ。
「あ、あの殿下」
ようやく殿下は私を離してくれたが、殿下の左手が私の頬を撫で、そのまま目元の涙を拭う。
「殿下は、今とてもお疲れなのではありませんか? 思考の乱れを放っておくのはよくありません。すぐに治癒の祈りを……」
『思考の乱れ?』
まずい、言葉選びを間違えた。
殿下に私の能力が気づかれてしまう。
『聖女様の前では表情管理は完璧だったはず。いや、待て……神聖力を使うと人の内面が見えるというが、まさか……』
聡明な殿下はすぐに答えにたどり着いたようだ。
「聖女様……もしかして、私が今何を考えているのか、お分かりですか?」
殿下の微笑みが歪んで見える。
殿下の顔が近づいてきた。
紺色の瞳はいつもなら輝いて見えるはずなのに、光のない深い闇が広がっているように思える。
もはや、逃げ場はなかった。
「――――まあ、アルベルト殿下!」
突然、明るい声が割り込んできた。
ハッと殿下はすぐに私から手を離す。
まずい、ヘレナ様に見られてしまった。
「ヘレナ公女」
「もう、神殿では聖女とお呼びくださいと何度も言ってるじゃないですか」
青ざめる私と対称的に、今日のヘレナ様は全く私のことを気にしていない様子だった。
だが、すぐにその理由に気づく。
「こんにちは王子殿下。それと、月の女神の聖女様」
ヘレナ様の隣で、恭しく挨拶をしている男性が。
初めて見る人物だ。
『おお、本当に対になる聖女がいるとは。やはりこの国は神秘的で素晴らしい』
その心の声と共に、殿下が声を上げる。
「大公ではありませんか! 神殿にいらしていたとは知らず、申し訳ない」
先程のは一体なんだったのかと思うほどに、いつもの礼儀正しい殿下に戻っている。
「いえ、予定が変わったので気分転換がてら寄ってみたんですよ。しかし、この国の神殿は素晴らしいですね。病人がたくさん集うというのに、どこも衛生的で管理も行き届いている。人々も熱心に働いていますし、何よりこんなに美しい聖女がいるとは」
大公と呼ばれた男性は、私とヘレナ様を交互に見やる。
「聖女様、こちらはサラレイシアの大公です。少し前から賓客として我が国に滞在されているんですよ」
殿下が紹介してくれた。
サラレイシアは遠く離れた海洋国家だ。
最近は我が国との交易が活発だと聞いている。その影響でこちらに滞在しているのだろう。
「大公様! 次は神殿の東棟をご案内しますわ。あちらのステンドグラスは取り替えたばかりで、とても美しいのですよ」
「そうなのですか。それは楽しみだ」
ヘレナ様は大公様と腕を組んでぴったりと寄り添っている。
大公様が神殿に来るのは今日が初めてのはずなのに、とても親密な様子にも見えた。
そこで、私はあることに気づく。
『なんて魅力的な方なの……! 私をサラレイシアに連れ出して!』
ヘレナ様は殿下を一切見ず、大公に夢中になっている。
「公女、まさかと思うが……」
殿下が不安そうに言えば、ヘレナ様は顔をぽっと赤らめた。
「殿下、どうしましょう。私、大公様に恋をしてしまったのかも……!」
「なっ……!」
「ヘレナ様!?」
ついこの前までアルベルト殿下一筋だったのでは!?
ヘレナ様はきらきらと目を輝かせて、うっとりと大公様を見つめている。
あまりに軽率な行動に、殿下も私も焦る。
「公女、そのようなことを言っては……!」
「殿下のお気持ちは嬉しいですけれど、やっぱり私にこの国は狭すぎたのかも……」
「そうではない!」
殿下が怒っているのは、自分にフラれたからだとすっかり思い込んでしまっているらしい。
先程からヘレナ様の大公への思いが心の声となって溢れ出している。
だが、大公様は気を悪くした素振りは見せなかった。
それどころか、さらにとんでもない発言を投下した。
「いいですよ。ただし、僕は妻が五人いるのであなたは六番目の妻となりますがそれでもよろしいですか?」
「……え?」
ヘレナ様は呆然としてしまった。
「ろ、六番目?」
「はい。我が国は一夫多妻制ですので」
大公は平然としたまま、にっこりと笑っていた。
聞くに耐えない悲痛な心の声が、叫びとなって私に伝わってくる。
「ヘ、ヘレナ様……」
「なんでもありませんわ……大公様……行きましょう」
それでもヘレナ様は笑みを取り繕いながら大公の手を引いて去っていった。
なんということだ。
あれほどアルベルト殿下に執心していたというのに、こんなにあっさり他の人へ乗り換えるなんて。
しかし、大公様は奥方がたくさんいるようだが、それを知ってもヘレナ様はサラレイシアに行くことを望むだろうか。
またアルベルト様に戻ってきたら、私は一体どうなるのだろう。
「とんでもないことを仕出かしてくれたと思ったが……実に好都合だな」
今度は心の声ではなかった。
殿下は私の能力に確信を得たらしい。
もはや、品行方正な表の顔は捨ててしまったようだ。
「もし、公女が大公と結ばれれば、聖女様は引退ですね」
「そ、そうですね」
「聖女様の故郷は、王都からは遠いのだとか。私の離宮には空きがあるので、良ければどうです?」
「え、遠慮しておきます……」
先程の続きとばかりに、殿下が笑顔で迫ってくる。
「で、殿下は、ヘレナ様が好きなのではなかったのですか?」
「いいえ。どうして私があんなワガママ娘を」
一縷の望みをかけて聞いたものの、あっさり終わってしまった。
殿下が好きだったのは、最初から私だった。
ずっと、私だけが勘違いをしていたのだ。
「やけに公女と私を近づけさせると思っていましたが、なるほど……」
誤解が解け、ヘレナ様の恋心も移り変わり、私の能力も知られてしまった。
今の殿下には、思いとどまる理由なんて無いだろう。
「皆、どうして分からないのでしょうね。月の光があるからこそ、昼の太陽が輝けるというのに」
殿下の手が私の頬に添えられる。
「私が愛しているのは、あなたただ一人ですよ」
『愛しい、愛しい、私だけのルーナ。愛している。あなたの全てを私のモノにしてしまいたい』
美しい笑みとともに、私に這い寄るかのような心の声が聞こえてくる。
「あなたが愛しくて心が苦しいんです。どうか、治癒の祈りをしていただけませんか?」
その後のことは、言うまでもない。
それからあっという間に私は王子殿下の婚約者となり、殿下の望み通りに離宮へと住まいを移すことになった。
ヘレナ様は結局大公様は諦めたようだったが、私と殿下の婚約を受けてか、国内の他の貴族と婚約を結び、今代の月と太陽の聖女は引退となった。
今は後任の新たな聖女が育成されているが、聖女でなくなったはずなのに、私の能力は失われないままだった。
今日もまた私は離宮で殿下の帰りを待つ。
足音と共に、愛の言葉が私に重くのしかかる。
「ただいま、ルーナ」
『絶対に離さない……私だけの愛しい聖女様……』
婚約したはずなのに、殿下はまだまだ拗らせているようだった。
お読みいただきありがとうございます!
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