偽聖女と言われて逃げたけど、幸福になりました
「わたくしが本当の聖女よ!」
「そうだ、この偽聖女め!」
二人の声が講堂に響き渡る。
私は呆気に取られて、その声に振り向いた。
今日は学園の祭祀の為に、普段とは違い、儀式用の聖女の衣服をまとっていた私は、この国の聖女とされている。
叫んだ男女の一人は、公爵令嬢。
もう一人は王子。
ふうん。
なるほどなるほど。
まだ何か言おうとする二人を手で制した事で、駆け付けようとする教師も足を止めた。
「で、あれば、公爵家が賠償金をお支払いしてくださるのですね?」
「何の事ですの?何故わたくしの家が貴女に賠償など。嘘を吐いていた貴女が払うべきものでしょう!?」
「私は教会に聖女だと言われて、両親から引き離されて此処にいるのですよ。一度たりとも自分が聖女などと名乗った事はございません。故に!」
大声を出せば、二人はびくりとして目を見開いた。
「今まで、奉仕をさせ続けて来た真なる聖女の貴女が、その費用を負担すべきでは?何故今まで放置されておいでだったのです?早く名乗り出て下されば良かったものを!」
全ての怒りをぶつけるかのように言えば、彼女は戸惑った顔をした後で、ニヤリと笑った。
どうやら打算が勝ったようだ。
「そうね。真なる聖女のわたくしの代わりをなさってくださったのですから、報酬は支払わなくてはね。確かに、金に汚い貴女は聖女ではないようね」
ほう、そうきたか。
ならばそれでいい。
別に莫大なお金が欲しかった訳ではないので、私はにっこり微笑んだ。
「ええ、真なる聖女様。貴方の慈悲に感謝いたします。本日即刻お支払いくださいませ」
「分かりましたわ」
満足げに頷いた彼女は傍らに控える従者に命じる。
私はそっと、金額と口座を書き入れて、従者に手渡した。
従者はそれを、公爵令嬢に見せると、彼女はふっと微笑んだ。
「あら、わたくしのドレス一着分にも満たないじゃない。これでは可哀想だわ」
そう言って、彼女はさらさらと従者の差し出したペンで金額を直した。
従者はそれに目を瞠ったが、静かに頭を下げて足早に立ち去っていく。
私は満足そうな真なる聖女の隣で、同じく満足そうにしている王子に向き直った。
「王子殿下も、誓約をなさってくださいませ」
「誓約?何の誓約だ」
「わたくしは偽聖女だと先程貴方が言ったのです。教会や周囲がどれだけ私を聖女と言い張り、その座に据えようとしても、殿下がそれを阻止してくださいますね?」
「ああ……?それは、そうだ、が……」
困った様に王子は私と公爵令嬢を見比べる。
婚約者である公爵令嬢がにっこりと微笑んだ。
「我が公爵家も後押し致しますわ」
「そうか、ならば、問題ない」
ああ、この王子、一応権力は大事にしているのね。
ならば、よし!
「では王権を振り翳してでも、教会と事を構えてくださいね!此処にいる皆様がお言葉を聞いておりますので、最早無かったことには出来ません。教会が定めた聖女を、王族が否定し、その任から解放するのですから」
「ああ、わ、分かった」
そこまで大事と捉えてなかったのか、歯切れは悪いが別に良い。
だってもう、教会とは縁が切れるんだし。
教会は嫌いではないけれど、特に思い入れもないのよね。
別に、変な物語みたいに虐げられていた訳じゃないけれど、快適かと言われれば首を傾げる。
質素だけど皆と同じ食事だし、掃除だって一緒にやってたし、働いている修道女や神官とは仲も良かった。
彼らは役目に忠実で、礼儀正しく接してくれたから。
けれど、昼夜問わずに癒しの力を使わされるのだけは本当にしんどかった。
毎日ではないけれど、お貴族様がやれ喉を詰まらせて昏倒しただの、酔って階段から転落して腰をやっちまっただの。
くだらない事で呼びつけられて、私の睡眠時間がお亡くなりになる。
皆と同じ生活だからこそ、睡眠時間も最低限欲しかった。
陽も登りきらない暗い内から起こされるんだよ?
それから夜の祈りまで、ずっと働きっぱなし。
なのに、たった五時間程度の睡眠が、三時間や二時間にされてみて?
理由が理由だけに、殺意すら湧いた。
私は惰眠を貪りたいんです。
「では、真なる聖女様、この衣服に着替えましょう。あちらで」
「え、ええ」
私はさっさと逃げたくて、公爵令嬢と衣服を取り換えた。
というか、私は普通の使用人の服をお借りして、衣装は着ていない。
逃げるのに不便だから。
「あら、餞別にそのドレスもお持ちになって。高く売れる筈よ?」
「いいんですか?ありがとうございます!流石聖女さま!」
よっ聖女!
そう持ち上げれば、公爵令嬢はふふん、と満足げに鼻を鳴らす。
私もにっこり笑顔である。
かさばる衣装もお金だと思えば愛しいものだ。
私は大事に畳んで、その部屋を後にした。
さあ、急いで逃げないと!
衣装を売って、銀行からお金を下ろして、旅支度をして、さっさと馬車に乗って王都から出る。
教会は頼れないから、当面必要にはならない大金を幾つかの商会で発行される証書に換えた。
これで何処ででも換金出来るから、ほとぼりが冷めたら換金しよう。
身分証は聖女の時の物だけど、怪訝な顔をしていた兵士に問題があるなら王子に言って、で黙らせた。
この先も逃げるのだから、いつまでも身分証は使えない。
売ろうかとも思ったけど、そんな伝手もないから難しいかな。
大体この身分証を使って悪事を働かれたら、それこそ次は牢にぶち込まれてしまう。
ああ、それに。
きっと数日位で色々と不都合が発覚して、呼び戻そうとしてくるだろう。
多分、国境に辿り着くまで持たないと思う。
だって、教会は怒るだろうし、聖女の役割をちゃんと分かっていたら、公爵令嬢だってやりたいと思わないでしょ。
名前と権威だけ欲しかったのだとしても、実務を熟さなければ意味はないもの。
だから、きっとその実務だけ私に負担させようとしてくるに違いない。
国外に出られないように手を回されてしまうだろうな。
だったら、無理して国を出る事はない。
私は一つだけ思い当たる場所があった。
お金で私を売った両親の所ではない。
令嬢と王子の前ではあんな風に言ったけど、教会も教会なら親も親だったのだ。
かと言って別に恨んでいる訳でもない。
気持ちは解る。
そこまで裕福じゃない村で暮らす二人にとって、中央の権力なんて逆らえないだろうし。
逆らえないならそれなりに、良い目を見たいというのも理解できる。
だから、そこで親子の縁は切れたのだ。
その後訪ねて来たり、手紙をくれたりすれば話は別だったけど、そういう事もなかった。
連絡あったのに隠してるんじゃない?と小さい頃は疑ったけれど、何も連絡なんてなかったのだ。
残念ながら。
私が住みたいと思ったのは辺境の山間部の小さな寒村だ。
何故そんな場所を知っているかと言えば、聖務で訪れた事があったから。
と言ってもわざわざそんな辺鄙な村に行く用事は無い。
隣国と辺境の近くにあるその村の近くで、馬車が壊れてしまったから仕方なく立ち寄ったのだ。
特に頼まれはしなかったけど、私は怪我人や病人の治療をした。
お金はない、と恐縮されたが、いつも使いまくって底をついている魔力が余っていたのだ。
何だか使わないとむずむずするし、修理と宿の謝礼にお金だけ渡すというのも味気ない。
村の人たちは大いに喜んだ。
子供達は可愛い花輪を編んでくれたし、首飾りだって作ってくれた。
脚を折ったばかりの村の青年は涙を流して感謝する。
妹と弟をこれで今まで通り養える、と。
今まで治療で感謝された事は沢山あるけれど、一番印象に残ったのはその村の人々だった。
温かくて優しい、村全体が家族のような明るい人々。
住むならこういう場所がいいな、と朧気ながら思っていたのだ。
村に辿り着くと、村人達は驚いて喜んで迎えてくれた。
王都から逃げて来た顛末を話せば、怒るやら呆れるやら。
そして、好きなだけ居ていいよと村のはじっこの小さな家を与えてくれた。
私だけの家。
ほんの少しだけ他人の音がしないという事に寂しさは感じるけれど、自由だ。
何より朝までぐっすり、望めば昼まで寝れるのだから!
私はぐっすり寝た。
寝すぎて頭が痛くなるほど、寝た。
村人は朝から様子を窺っていて、起きたと分かると食事を差し入れてくれた。
質素な食事は教会で慣れていたからか、具沢山の村の食事がとても美味しく感じる。
寒村と言っても、教会の人達がそう言っていただけで、畑や作物は問題なく採れるようだった。
ただ、ものすごく交通の便が悪いから、どんどん人が出て行ってしまうのだという。
怪我や病気がそのまま死に直結してしまうのも大きな理由の1つ。
だから私は、堂々とこの村に居座ることにした。
まずは、公爵令嬢の餞別のお金と賠償金を大いに役立てる事に決めて、買い物を敢行する。
私が居なくなっても村人たちが困らないようにするために。
幸い村の土地は痩せている訳ではない。
気候も考えて育てやすい薬草の種と苗を買い付けて、専門書も沢山仕入れた。
万が一やばい薬が出来上がっても、自分で解毒や中和が出来るから、自分を使って人体実験も可能である。
買出しに付き合ってくれた青年と何とはなしに、そんな事を話していると彼が大声で阻止してきた。
「そんな、君に万一の事があったらどうするんだ、実験台には俺がなるよ!」
大きな身体で泣きそうな顔をしているのは、以前足を折って私が治癒魔法で治した青年だ。
あの頃はまだ少年らしさが残っていたが、もう今は熊のように大きい。
それなのに、泣きそう。
「それこそ、駄目でしょ。弟と妹がいるんだから。私は天涯孤独だもの」
「じゃあ、結婚しよう!そうしたら君にも家族が出来て、天涯孤独じゃなくなる!」
力強く手を握られて、私はぽかんと熊を見上げる。
熊は自分が言った事に今気づいたかのように、真っ赤に染まった。
「いや、あの、ごめん!君の気持ちも考えず、その、あの……」
でも取り消すとは言わないところがおかしくて、私はあはは、と笑い声をあげた。
こんなに大きな声で笑ったのは初めてかもしれない。
困った様に、返事を待つ彼に、私は抱きつく。
「一生大事にしてくれるなら」
「勿論!何よりも大切にする!」
大きな身体に抱きすくめられ、熱に包まれて私は幸福というものを初めて味わった。
村人たちも喜んでくれて、私は正式に村の一員となれたのだ。
日々が過ぎ、薬草も根付いたころに、遠い王都の噂話が行商人によってもたらされた。
聖女を勝手に解任した王家と、教会の仲が険悪になっているらしい。
それだけでなく、新しい聖女様は奉仕活動などもせず、癒しの魔法も最低限の為、偽聖女と揶揄されているとか。
治療のために訪れても、治療して貰えなければ、まあそうなるね。
更に、便利に治療道具として使っていた貴族達からも突き上げを食らった王家は、どうやら追い出した聖女を探しているのだとか。
だが残念。
結婚して、名前も変わって、子供も産んで、良く食べて良く寝てふっくらした私にはたどりつけまい。
「あら、大変なのねぇ」
相槌を打って、その話は終わり。
別に神様に愛されているとか、いないと滅びるといった大それた影響はないから、王家もその内諦めるでしょう。
癒しの力がなくても、医者や薬に頼ればいいのだ。
即効性はないけど、ただそれだけだもの。
「じゃあ、今度来るときはこの本と、苗と種をお願いしますね」
行商人に頼めば、快く承知してくれた。
町まで下りれば買える物は、夫と一緒に買いに行く。
ついでに村人達の分まで買い出しをして。
帰りの荷馬車でふわあと欠伸をすれば、夫が座席の後ろの寝床を指さした。
私が何時でも眠れるように、彼が作ってくれた寝床だ。
ガタゴトと悪路に揺れる荷馬車でも身体が痛くならないように、柔らかい毛布とふかふかの枕が敷き詰めてある。
「寝てていいよ。寝てる内に村に着くから」
「うん。じゃあお言葉に甘えて」
御者台から寝床にごろんと転がって、幌の向こうに見え隠れする木々と青空を見上げて。
夫の広い広い背中を見て、心が安らぐ。
ああ、やっぱり幸せ。
私はこれ以上ない幸せに包まれて、眠りに引き込まれていった。
ひよこは良く寝るのでゲーム仲間に眠り姫とかねぼすけと言われております。
でも寝るのって、寝れるのってすごく幸せじゃないですか?
爵位とか容姿とか財産とかなくても、幸せって感じられるよね…というおはなし。
あと美味しいごはん!皆さんが書いてくれるレシピが大好きです。いつか作品にも登場させたい…!
鮭のホイル焼きに相変わらずハマってますが、大好きなナスもたっぷりINして一緒にバター醤油味で食べてます。ご飯がすすみすぎてヤバいです。