6話
「ふぅ、怖ぁ……」
教会を出てから、こそこそと人目を避けて移動を続けた。
いくら朝といえど、スラムなんて地球の都会なんかと違って人通りは極めて少ない。人口そのものもそうだし、危ないから不必要に出歩く人もいないからだ。
たまに見かける人も貧相なおっさんや子供がメインで、たまにいかにも裏組織所属っぽい危なそうなのが歩いてるくらい。
ちなみに教会にいない子供は大抵犯罪を犯した子らしい。犯罪者は星聖教会からの庇護を受けられないそうだ。
当然というべきか、俺も庇護は受けられない。ヤンチャっ子すぎる。
そんなスラムの道を進む事しばし。
ようやく目的の場所に辿り着いた。
「マジであるのな。こんな迷宮ゲームにはなかっただろ」
目の前には光の反射すらない真っ黒な鏡、にしか見えない迷宮の顎がある。
これは昨晩(今朝?)の迷宮とは違う迷宮で、危険値も11という初心者向けの迷宮だ。
周りに気をつけながらそろりと近付いて触れると、手が飲み込まれたように見えなくなる。
前回は触れた瞬間に暗転、からの転生責任者とお話イベントだったが、本来はこうしてくぐる事で迷宮に移動するるしい。
そして暗闇をくぐると、見えたのはコテコテのダンジョンといった景色だ。
そう、洞窟である。
高さ横幅ともに3メートルくらいの大人が戦うには狭いが歩くには十分すぎるスペースがあり、所々壁の奥からじわりと漏れ出す光が光源となっている。
ちなみに光る壁を壊せば奥に発光石という素材があるのだが、魔力をたっぷり含んだ迷宮の壁は非常に硬いので俺には不可能である。
「よし、人がいないうちに潜るか」
ここは初心者向けの迷宮だ。
だから人が多い……とはならず、出てくる魔物がスライムばかりだからほとんど人はいないらしい。
理由?食べれないから。
昨日の俺と同じく、貧困極まるスラムの住人からすれば食えない魔物に用はないのだ。
だったらせめて冒険者として潜って稼げばいいと思うかも知れないが、冒険者とてそれなりのランクにならないと赤字なんてザラだったりする。
装備代、メンテナンス代、怪我をした際の治療にかかる金など、初期投資からランニングコストまで意外と金がかかる。
そしてスラム住民にはまず初期投資の金すらない。その身ひとつで潜る危険を犯した上で、更に赤字とのバランスを考えながら冒険者をする程の気力もない、という訳だ。
じゃあ俺が何しにここに来たかと言うと。
「えーっと、まずは身体強化だっけ?」
俺の性能確認である。
シスターから見たニクスが使っていたであろう魔術を試す。それを俺が使えると分かれば少しは本来のニクスに近付けるはずだ。
そしてシスターいわく、ニクスが使えていたと思われるのが『身体魔術』だそう。
まぁ身体〝魔術〟と言ってはいるが、実際はその手前。魔力を身体に送り込んだ〝肉体活性〟のレベルらしいが。
本当の身体魔術と肉体活性ではその効果に雲泥の差があるのだが、それでも何もしないよりは格段に強くなる。
「えーっと、『魔力を筋肉にぶち込むんだよ』だったか」
身体の火照りにも似た感覚のこれを、筋肉に染み渡らせていく。
するとじわりと身体の筋肉が熱を持ち、ポカポカとした感覚になる。
「……成功か?」
とりあえず走ってみると、明らかに速度が増していた。
びっくりして思わず立ち止まったくらいには速くなってる。
「すご……異世界やば……」
こんなあっさり強くなるなら、スポーツ選手も舌打ち待ったなしだな。
まぁとりあえず成功はしたので、細かい確認は後回しにして次。
「あー、『身体硬化』か」
『魔力を皮膚に込めな!肌のハリもよくなるさね!』とか言ってたな。
先程の筋肉に込めた要領で皮膚に魔力を込める。
すると、先程のように肌が熱を持った感覚になる。冬にカイロを握った後みたいな感じだ。
「……試す方法はどうしよ」
失敗してたら痛いだろうし、それは嫌だな。
……軽く壁殴るくらいにしとこ。
べしっ、と素の状態でもちょっと痛いくらいで壁を殴ったところ、全く痛くない。
音もごすっと少し硬質な音になってるし……マジで硬くなってるらしい。これでも身体強化と同じく〝なんちゃって版〟なのが恐ろしい。
「はー……驚いたな。てか思ったより簡単で良かった」
まぁシスターいわく魔力に敏感な転生者だからこそスタートしてから一定のレベルまでは早いのだとは言ってたが。
この魔力を知覚する力があれば中級者くらいに至るまでは早いんだって。そこからは人並みに苦労するらしいけど。
「っと、それより最後の『感覚強化』だな」
これは耳や目など、器官に魔力を込める事でその感覚を強化させる魔術……の、なんちゃって版だ。
シスターいわく、ニクスはこれはほぼ確実に扱っていたらしい。
というのも、胃袋を強化して消化を助けていたのではと睨んでるそうだ。
まぁ普通はそんな使い方はしないそうだが、そうでもないと説明がつかないと言っていた。
「とりあえず目から」
魔力を込める。
……うん、すっげぇ見えるなこれ。
遠くまで鮮明に見える。ならばと耳に切り替えると先程まで拾えなかった遠くで歩く魔物の足音が聞こえてきた。
便利ぃ〜。索敵に持ってこいじゃん。
「はー……シスターと話せて良かったぁ」
本当に大収穫である。
なんせ知識のあるプレイヤーとはいえ、魔法なんてボタンひとつで発動するものでしかない。
いざ現地でやろうとしてもやり方なんて知らなかったし。
ちなみに『身体強化』『身体硬化』『感覚強化』はゲームにも出てきた。
それぞれ〝攻撃力と速度強化〟〝防御力強化〟〝回避率向上〟のパッシブスキル(常に発動するスキル)だった。
「これなら少しは奥まで潜れるんじゃないか?」
なんせ危険値11だし。ゲームのチュートリアルの迷宮が確か10だし、流石にいけるはず。
ちなみに危険値とは迷宮の難易度を表す数字だ。
数字が多いほど高難度だと思えばいい。
といっても、実は単に最奥ボスの危険値がそのままついているだけだが。
各魔物にも危険値があり、人間でいうレベルみたいなものだ。
当然個体差だってある。同じスライムでも1〜3くらいはブレる。
ただ最奥ボスの危険値は固定で、そのボスの危険値がそのまま迷宮の危険値になってる訳だ。
ちなみに道中の雑魚は大体最奥ボスの危険値からマイナス10の範囲に設定されている。
つまり危険値10程の迷宮なら、危険値1〜9といった最弱の雑魚が出てくる。だからほぼ負けないので初心者向けな訳だ。
「……そういえば人間のレベルは見れるのか?」
ゲームでは存在した。
レベルに伴ってステータスが向上する。レベルアップで技は覚えなかったけど、覚えた技を使う為には一定のステータスが必要だったりしたな。
例えば『ファイヤーボール』を使うには魔力20以上必要、みたいな感じで。
ちなみにステータスは出ない。
そりゃね、とっくに試したって。うんともすんとも言わなかったよ。
シスターに聞いても何言ってんだって顔されたし。
「っと、出てきたか」
スライムである。
向こうも俺を見つけたのか、うねうねと人間が歩くくらいの速度で向かってくる。こう聞くと遅く聞こえるだろうが、いざ見てると地味に速いな。
見た目はまんま半透明のどろりとしたバケツいっぱいくらいの半液体みたいな形状。某ゲームのぷるんとした形ではない。
体内にはBB弾くらいの小石があり、あれが核だそうだ。あれを壊すと即死するし、そうでなくても一定以上体を散らせば維持出来なくて行動停止に陥るそうだ。
ゲームじゃそんなの関係なく殴れば死んだんだけどな。
「とりあえず、くたばれッ!」
早速『天喰』を出して走り、ゴルフのような軌道でスライムを叩く。
核あたりを狙ったが、小さすぎるし「多分このへん」くらいでしかない。が、柔らかい体のスライムは殴った場所がびちゃっと飛び散って容量の3分の1くらい吹き飛んでいる。
それだけ吹き飛べば核も飛んでったろ、と思って見てると、やはりそうだったらしく残る体もでろんと力なく溶けるように停止した。
「……弱っ」
感想はこれに尽きる。
ゲームが進むと強いスライムや厄介なスライムとかも出てきたが、危険値1のスライムだとこんなものか。
ちなみにゲームでは魔物を倒してレベルアップするのだが、シスターいわくこの世界ではそんな現象はないらしい。
これを聞いて俺はてっきりゲームの世界かと思っていたが、〝ゲームに似た世界〟なのかも知れないと考え直したりしてる。
「……まぁいいや。とりあえず核を探さないと」
ここに来たもう一つの目的がこれだ。
スライムの核は錬金術、魔術道具、調薬等で使う素材になるらしい。
まぁ危険値1の核なんてたかが知れた額にしかならないが、それでも金にはなる。
しかしスラム住民が売ろうとしても買い叩かれる、または買ってくれないそうだ。
だがシスターは歴とした星聖教会に所属する者であり、当然適正価格で買い取ってくれる。
大した金額じゃなくても孤児院にとっては役立つので、どうせニクスの性能確認をするならとってこいと言われた訳だ。
まぁ核が小さすぎる上にぶっ飛ばしすぎて見つけるのは諦めたけど。
二匹目からは上から叩き潰すようにして倒したら無事ゲットできた。
そして最奥、といっても階層でいうと2階層に到着。
時間でいうと2時間弱。それも執拗にスライムを叩いて回っての時間だ。実に短い探索である。
分かれ道すら少ない洞窟を歩いていくと、一際広いスペースに到着。
半径や天井までが10メートル以上ありそうな半球状のドームっぽい広間だ。
そこにぽつんと居座るのは、赤色のスライムである。
名前はレッドスライムといい、危険値11の魔物だ。
「まぁ雑魚なんだけど」
残念ながらレッドスライムも通常のスライムとあまり変わらない。単に速度が増して、触れると焼けるくらい熱いというだけ。
誤解がないように言うと、集まると非常に厄介なんだよ。スライムは数が多いし、触れると焼けるレッドスライムが物量攻めしてくると倒すよりもHPがジリジリと削られる。
ただまぁ群れならの話で、単体だと雑魚なんだが。
という訳で飛びかかってくるレッドスライムを回避しながら『天喰』で迎え撃つ。気分はホームランだ。
身体機能が上がったフルスイングはしっかり核を捉え、ビー玉大のそれを赤い粘性の液体ごと吹き飛ばした。
「よし、攻略完了」
ボスは倒せば丸一日は再出現しない。
加えてその間は他の通常魔物も出現速度が落ちる。
なのでボス討伐後のボス部屋は休憩するにはもってこいだとシスターが言ってた。
まぁゲームなら画面に『迷宮の外に出ますか?』って出るからね。『はい』って答えたら一瞬で外だよ。
ただ現実は歩いて帰らないといけない。
ちなみにボスを倒しても壊れない迷宮だが、完全に崩壊させるには『聖女』の力が必要だ。
『聖女』とは一定以上の魔力を宿す神聖魔術に適正がある者へ送られる称号で、男性なら『聖人』となる。
ただ設定なのか神の好みなのか、男性で神聖魔術適正を持つ人は少なく、『聖人』は極めて稀なのだ。
閑話休題、ボスを倒した迷宮の最奥で神聖魔術の『迷宮浄化』を使うと破壊出来る。
まぁここからはシスターから聞いたのだが、経済的に必要がなかったり、管理するには危険すぎる迷宮でない限り破壊はしないらしい。
迷宮から産出される宝具は非常に重宝されてるし、魔物の素材も経済を回す重要な資源だからだ。
「……さて、帰るか」
まぁどちらにせよ今の俺には関係ない事だ。
ニクスの性能確認と、それを体感・実践できた。
調子に乗らせてもらうなら、多分今ならボアとも良い勝負が出来る気がする。
という訳で、また昨晩のダンジョンに移動して肉をゲットしてから教会に戻るとしよう。