表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

君の心と夏の空

 白球が雲ひとつない快晴の空に上がる。

「レフト!長谷川(はせがわ)、走れッ」

 キャッチャーの濱野尊志(はまのたかし)が叫んだときには、長谷川の頭上を軽く越えていた。―――間に合わない。

「いけ、梅」

 ピッチャーの内海雅貴(うつみまさき)がマウンド上で大声を出していた。梅――梅本陽香(うめもとはるか)は、この野球チーム唯一の女子だ。ポジションは、センター。尊志は白球の落下地点を見やる。フェンスぎりぎり。センターの守備位置ですらない。でも。

 パンッ。

 子気味いい音と共に、ボールがグラブの中に吸い込まれた。

「ゲームセット」

 五対三。勝利だ。チームメイトがわらわらと雅貴の周りに駆け寄る。

「ナイスピッチング」

「何がナイスだぁ!」

 一番遠くにいたはずの陽香が、いつの間にか到着していた。

「う、梅本さん……」

 下級生たちが一斉に道を空ける。普段は優しく気も利く、いいお姉さん的存在だが、一度怒り出すと手をつけられるのは同じ最高学年の尊志と雅貴しかいない。

「内海、また最後気ぃ抜いたでしょ。集中力無さ過ぎ」

「梅の見せ場作ってやったんだろー。感謝しろって」

「何―っ!」

 一発叩こうと振り上げた腕をやすやすとキャッチした雅貴は、ぷんすかしている陽香を見て笑った。

「今日が俺らの最後の試合じゃん。俺はピッチャーで大分目立ったし、尊志は七回にホームランかましたし、あとは梅の活躍所欲しいなーって」

 満面の笑みでそう言われてしまい、陽香が納得しかけた時。

「いった!」

 雅貴が頭を抑えてしゃがみこんだ。涙目で振り向いた先には、眉尻を吊り上げた尊志が仁王立ちしていた。ちなみに右手は手刀型。

「お前、これが最後の試合ってわかってたよな?」

「おう」

「さっきの場面、梅本が間に合わなかったら負けたのもわかってるよな?」

「梅なら絶対取れるって、わかってたから」

 にかっと笑った雅貴の脳天に、陽香と尊志の手刀が落ちた。


 三人は大の仲良しだったが、住んでいる地域が異なり小学校が違うため、この野球チーム以外に接点は無かった。

「本当に、今日でお別れなんだね」

 中学では皆部活に入ってしまう。三人は進学する中学も見事にばらばらだった。

「俺たち、中学は違うけどさ。高校、同じとこ行こうぜ」

 尊志の提案に、陽香も雅貴も悲しみで歪んでいた顔を輝かせた。

「いいじゃん、それ」

「俺、勉強頑張るわ。頭良い梅に志望校落とさせるわけにはいかないしな」

「そーだよ内海っ。あんたは野球意外も頑張んなきゃ駄目。高校は・・・…星蓮高校目指そう」

 星蓮高校は、甲子園にも何度か出場している地元の高校だった。

「うげ。あそこ入学条件超難しくなかったっけ」

「雅貴が来られなくても、俺は行くからな」

「私もー」

「~~~っ。わかったよ、勉強するっつーの!」

 頭を抱えながら叫んだ雅貴を見て、勉強が苦手ではない陽香と尊志は大笑いした。

 このご時勢、学校が違うからといって、別に音信不通になったりはしない。雅貴のいる中学の野球部が県大会に出場すると聞けば二人は応援しに行ったし、陽香が英検二級に合格したときも皆でお祝いした。小学生のときから変わらず、夏には花火大会に行った。

 それでも、全員が星蓮高校に進学できるとわかったとき。嬉しくて嬉しすぎて、陽香は号泣し、雅貴は飛び跳ね、尊志はバッティングセンターでホームランを打ちまくった。

 嬉しくて、どうしようもなかった。

 ―――三人でいる時間が一番好きだったから。


 ✻     ✻     ✻


「梅、部員じゃなくてマネージャーなの?」

「当たり前じゃん」

 本気で驚いた顔をしている雅貴に、呆れ果てる。

「えー。俺、また梅と勝負できると思って超楽しみにしてたのに」

 陽香は、奥歯を噛み締めた。勝負したかったのは、陽香だって同じだった。

「雅貴。梅本を困らすな」

 さっきまでいなかったはずの尊志が音もなく現れ、雅貴の脳天に手刀を見舞った。

「いってー…」

「うわああ。濱野の力、洒落になんないから止めて。内海がもっと馬鹿になっちゃう」

「そーだぞ。……ってオイ。俺は馬鹿じゃねー!」

 言い合う二人を見ながら、その変化にいち早く気づいていたのは尊志だった。

「俺も鈍感だったら良かった、かも」

「ん?尊志、なんか言ったか」

「……いーや、別に」

 陽香も雅貴も無意識だったから。

 もう少しこのままでいられたらいい、と尊志は思った。


 ✻     ✻     ✻


 “もう少し”は、高校二年生の夏休みまでだった。

「行けないって、どういうことだよ!」

 待ち合わせ場所には、陽香と雅貴しかいなかった。尊志のケータイに電話してみると、『悪い。行けなくなった』が第一声だった。

『熱あるんだよ。三十八度。お前らにうつすの嫌だし。梅本によろしく』

 それだけ伝えて、電話が切られた。

「濱野、何だって?」

 浴衣姿の陽香が、頭ひとつ分高い雅貴を見上げる。

「熱あるから、今年は来られないらしい」

「そっか……。それは仕方がないね」

 小学生のときから、毎年欠かさず三人で来ている花火大会。揃わなかったのは初めてだ。

「尊志の分まで楽しもうぜ」

「そうだね」

 二人は並んで、人ごみの中を歩き出した。からんころん、と下駄が鳴る。向かい側から人の波が押し寄せる度、陽香は雅貴から引き離されてしまう。抗おうにも、慣れない浴衣のせいでどうにも動きづらい。

 独り。怖い。自然に俯いてしまう。

「何してんだよ。はぐれるぞ」

 ぐい、と手を引かれる。

 それまで離されていたのが嘘のように、直ぐ近くに雅貴がいた。

「戻って、きてくれたの……?」

 雅貴はその問いに答えることなく、前だけを見ていた。

 手を繋いでいるだけなのに、凄く安心する。

「そこのカップルさん。りんご飴はいかが?」

 声のした方に顔を向けると、気のよさそうなおばさんが陽香たちを真っ直ぐ見詰めてにこにこしていた。

「あのっ。私たちカップルじゃ―――」

「小さいの二つください」

 離されかけた右手を陽香が慌てて掴み返すと、雅貴の空いていた方の手がぽんと頭にのった。

「離してくれないと、お金出せないんだけど」

 優しい苦笑を浮かべて、顔を覗き込まれる。

「あ。ご、ごめん」

 羞恥に耳まで赤く染めて、幼子のように握り締めていた大きな手を離す。

「ほい」

 買ったばかりのりんご飴を差し出される。

「あ、お金」

「いらん。ちゃっちゃと歩いてくれたらそれでいい」

 財布を出そうと鞄を探っていた右手を奪って再び握られ、引っ張られてしまう。しぶしぶ従いながら、舌をちょっと出して飴を舐めた。

「甘」

「そりゃ飴だからな」


 ようやく人ごみを抜け、三人の秘密の場所に着いた。

 ここは誰も知らない場所。小学二年生だった雅貴が見つけた、とっておきの場所。

「打ち上げまで、あと三分か」

 雅貴が腕時計を見ながら呟く。

 ドクン。

 陽香の心臓が撥ねる。

 去年までと変わらないはずなのに、今年は何故かどきどきする。何処か変わったのだろうか。何処が。

「今年も綺麗に見えるといいな!」

 変わらぬ笑顔。

 去年までより、近くに感じる。

「梅、どうかしたか?まさか、お前まで熱か」

 額に添えられた左手。

 ピッチャーの手。握ったままの右手。

 手を繋いだのなんて、何時ぶりだろう。

「熱じゃないみたいだな。良かった」

 去年までと違うのは―――。

「ねぇ内海」

「ん?」

「私、内海のことが好きみたいなんだけど」

 雅貴はきょとんとしていた。目を瞬いて。

「付き合って欲しい」

「わかった」

 あまりの呆気なさに、逆にうろたえた。

「え、ちょっと『わかった』って何。付き合ってって、コンビニに付き合ってとか、キャッチボール付き合ってとか、そういう意味じゃないんだよ?本当にわかってる?」

「ぷ」

 雅貴がついに噴出した。

「何が可笑しいの!私は本気なんだからね?」

「いやーごめん。梅にかかると、告白もこんなに面白くなるんだなーって、感心してた」

「……喧嘩売ってます?」

「だから違うって」

 笑顔でひらひら顔の前で手を振る。

 陽香は剥れてそっぽを向いた。

「あれー、梅ちゃん。怒っちゃった?」

 私って今、告白したんじゃなかったけ。

 陽香はこの状況を疑問に思いつつも、むくれるのを止める気にはなれなかった。

 無言の空間に、気が早く目覚めた秋虫の声が響き渡る。

「はぁ」

 雅貴の溜め息。

「実は俺さ、今日梅に大事な話があったんだよね」

 そっぽを向いたままの陽香には、その時の雅貴の表情はわからなかった。

「俺、梅が―――」

 バアァァンッ。

 二人揃って、空を見上げる。

 夜空に、大輪の光の花が咲いていた。

「綺麗……」

「だな」

 ドン。ドン。ドドン。

 腹に響く重低音と、それに似合わぬ華やかさ。

 雅貴がそっと陽香の顔を盗み見、そして見てしまったことをほんの少し後悔した。

 色とりどりの光に照らされる横顔は、あまりにも―――。

「本当に、綺麗だ」

 バアアアァン。シュルルル………。

 最後の一際大きな花火が散ってしまうと、陽香が雅貴に顔を向けた。

 見られていると露とも思っていなかった陽香は、闇色の瞳にどきりとする。

「そう言えば内海、私に話があるとか言ってなかった?」

「……何でもない」

「ふうん」

 陽香にとって十一回目の花火大会が、終わった。


 ✻     ✻     ✻


 新学期、雅貴と一緒にいる陽香を見て、尊志は二人の関係性が変わったことを悟った。

「お前、よく言えたな」

「ちげーよ。告くったのは梅。一応言おうとはしたんだけどさ。結局俺は何も言ってない」

 やはりそんなことかと落胆する。

「じゃあ梅本は、雅貴が自分をずっと前から好きなこと知らないのか」

「うん」

 こんな奴に取られたという事実に、尊志は悲しむより前に自分自身に呆れた。

「いつかちゃんと教えてやれよ」

「そうしたいけどさ、改めて言葉にするの恥ずかしいし。口で言わなくても伝わってるって」

 ―――この時、もっとしつこく説得しなかったことを、後に尊志は悔やむことになる。


 ✻     ✻     ✻


 一年が過ぎ、また花火の季節になった。受験生だろうと、この日だけは欠かせない。

「今年も二人で行けばいいだろう」

 尊志は気を利かせて別の友達と約束しようとしていたのに、他ならぬ陽香が尊志を誘った。

「駄目だよ。花火大会は三人で行くって決まりじゃん」

「そんなの何時、誰が、何処で決めたんだ」

「それは……あれ?」

 尊志は観念して、一緒に行くことにした。

 例年通り、屋台を冷やかしてまわる。人が多すぎて三人並んで歩くのは難しく、必然的に陽香と雅貴の後ろを尊志がついていくような形になってしまった。

「なーんか、違うんだよなぁ」

 前を行く二人の背中を見ながらぼやく。

 二人の距離感は友達の域を出ていないように見えた。

「あら、去年のカップルさん」

 りんご飴の屋台から、おばさんが声をかけた。

「覚えててくれたんですか!」

 陽香が駆け寄る。

「あなたたちは特別にね。とってもお似合いだったから」

 耳まで赤くなる。そんな陽香に未だに鼓動が早くなる尊志は、想いを追い払うように頭を振った。

「実はあの時は別にカップルじゃなくて友達だったんですけど」

「あら、そうなの。でも、友達だったってことは、今は恋人なんでしょ」

 口をぱくぱくさせて何か言おうとしているが、声にならない。

「可愛い彼女さんね」

 雅貴は頭を掻きながら笑顔で頷いた。真っ赤になって俯いている陽香には当然見えていない。

「りんご飴三つ、ください。全部小さいので」

「三つなの?」

「はい。今年はもう一人いるんで」

 雅貴は手を伸ばして、ぐいっと尊志を引っ張った。

「あらあら。彼女の取り合い?」

「違いますッ!」

 即座に否定した尊志に、雅貴は心底意外そうな顔をする。

「何だよ」

「俺はいつ尊志に取られるかひやひやしてんだけど」

「……知らん」

 雅貴に奢られたりんご飴は、とても甘い味がした。


「やっぱここが落ちつくな」

「向こうは人が多すぎるもんね」

 秘密の場所は、不思議と誰もいなかった。

「そーいや皆さ、進路どうするんだ」

 尊志が何気なく問いかけた。

「私は西宮大学に行くつもり」

「うわ、そんな難関狙ってたんだ……」

 雅貴がショックを受けている。

「濱野は?」

「鹿応の医学部」

「お前ら、そろいも揃って難関て」

 やさぐれている雅貴に、視線を向ける。

「あぁ俺?……俺は、大学行かねーよ」

「「はぁ!?」」

 大学には行くだろうと思い込んでいた陽香と尊志は、素っ頓狂な声を上げた。

「俺さ、花火職人になりたいんだよね」

「花火職人?」

「そ。花火見てる人って、超綺麗な顔するじゃん。そういう表情つくれるのって、凄いと思うから」

 夢を語る雅貴は、いつもより格好良くて。

「私、内海のこと応援する」

「おう。サンキュ」

 ドオン。

「花火だ」

 一瞬で色づいた夏の空と、見ている人の心。陽香の顔が輝いて見えるのは、単に光が当たっているからではない。

 尊志はその瞬間を目の当たりにして、雅貴の気持ちを理解した。

「頑張れよ」

 そう言って背中を軽く叩くと、雅貴は嬉しそうに笑った。


 ✻     ✻     ✻


 陽香にとっては十八回目の、尊志にとっては十七回目の花火大会。今年、雅貴はいない。

「早く雅貴の花火見たいね!」

 二十三歳になった陽香は、黒い浴衣を翻した。

「去年より自信あるって言ってたもんな」

 花火職人になった雅貴は昨年見事デビューした。その花火が夜空に咲いた瞬間の、陽香の笑顔。雅貴に見せられないのが本当に惜しかった。

 二年目の今年は、雅貴独自の改良を加えたらしい。

『まだ誰も見たことない、世界一の花火上げるからな!』

 先日会ったとき、雅貴はそう言って二人にブイサインを向けた。

 そして、陽香が帰ったあと、残っていた尊志にだけ言ったことがある。

『この花火が成功したらさ、俺、梅に―――』

 続く言葉を聞いて、尊志は苦笑いした。

『それ、俺に宣言するか?』

『尊志だからだよ。陽香にこれ言うときは、お前に伝えてからにしようって、ずっと前から決めてたから』

『何だよそれ』

『だって、俺以外に梅幸せにできるとしたら、尊志しかいねーもん』

 完全に負けたな、と思った。

『雅貴』

『何?』

『梅本のこと、最高に幸せにできなかったら、そのときは遠慮なく俺がもらうからな』

『おう。頼むわ。……ま、一生やらないけどな!』

 尊志は時々、雅貴よりも自分のほうが陽香を好きなのではないかと考えるときがあった。―――とんでもなかった。

 雅貴以上なんて、有り得ない。

「濱野どうしたの、早く行こう!」

 陽香に呼ばれ、回想から引き戻される。

「走るとこけるぞ」

 横に並ぶ。

「あら、ついに略奪しちゃったの?」

「りんごのおばさん!」

 すっかり顔馴染みになったりんご飴の屋台のおばさんが、にやにやしていた。

「りゃ、略奪って……」

 尊志は通行人からの冷ややかな視線を背中に感じて、慌てて反論した。

「別に、俺たち付き合ってませんから」

「あら?そうなの」

 おばさんの顔に、「つまんないの」と書いてある。

「はい。小さい飴ちゃん二つ」

「ありがとうございます」

 陽香が受け取っている間に、尊志が財布を出す。

「あ、お金はもうもらってあるから」

「え?」

「彼氏君がねぇ。後で新生カップルが来るだろうから、そいつらの分の代金も置いてくねって」

 何、彼氏自ら誤解を生むようなことを。尊志は心中で突っ込む。

 りんご飴を舐めながら、歩き出す。

 やっぱり酷く甘かった。

「雅貴は私のこと……」

 陽香の呟きは雑踏の中に消えた。


「内海の花火、うつみんの花火~~♪」

 尊志以外に誰もいないのをいい事に、訳のわからない歌を歌い出した陽香。

「そういやお前らさ、何時まで苗字呼びなんだ」

 付き合いだしてから、既に七年が経っている。

 夜空から陽香に視線を向けた尊志は、その質問をしてしまったことを後悔した。

 泣きそうな、苦しそうな顔。

「内海はさ、恋人関係とかそういうの、嫌みたいだから」

「それは誤解―――」

 ヒュゥゥゥウ……ドオンッ。

 大きな紅い花火が上がった。

「内海ご自慢の花火は、ラストだって」

 たった一瞬で、陽香の顔から悲しみが拭い去られていた。代わりにそこにあったのは、喜びに満ちた顔。

 ドン。ドドン。

 光の花が咲いては散り、咲いては散る。

 刹那的な輝き。

 その中で。


 バアアアアアアアアァァァァァンンンッッ!!!


 一際大きな、―――爆発音がした。

 天に伸びる一本の橙色の柱。

 人がいないこの場所にさえ届く、人々の悲鳴と嬌声。

 熱に照らされた夏の空を、花火の名残と悪魔の尾ひれが、分厚い雲となって覆い尽くす。


 ナンダコレハ。

 コレハユメカ、マボロシカ?

 ゲンジツハ、ドコダ。


「………み、内海!」

「待て!何処行く気だ!」

 駆け出そうとした陽香の腕を、とっさに掴む。

「だって、内海がっ。きっとまだ……あの中にいるよ!」

 あの中に。

 あの燃える夢の中に。

「だからって、梅本が行って何ができる!お前までいなくなるなよ!」

 いなくなる。

 何処から?何から?

 現実から。陽香から。

「嫌ぁ!私も行く!!」

 言葉とは裏腹に、押し寄せた現実に潰されて、陽香はその場に崩れ落ちた。


 ✻     ✻     ✻


 爆発の原因は、配線ミスだったらしい。

 どんなに説明されようと、納得することはできなかった。納得したところで、雅貴は帰ってこない。

 一生。

 永遠に。

「梅本」

 最後の一人になるまで葬儀場に残っていた陽香は、尊志に肩を叩かれてようやく泣き腫らした顔を上げた。

「もう一回雅貴に挨拶したら、帰ろう」

「うん」

 棺の中に、雅貴はいない。

 爆発で吹き飛んでしまった身体は、見せられたものではなかったらしい。

 誰もいないそこに、小学生の最後の試合、陽香がキャッチしたボールを入れた。

「いいのか、それ。大事にしてただろ」

「いい。内海に持ってて欲しいから」

「……そっか」

 ぽたぽたと、透明な雫が落ちる。

「私さ、内海に愛されていたのかな」

 棺の淵にかけた小さな手が、白くなるほど握られていた。

「何を今更。ちゃんと付き合ってただろう」

「でも、一度も好きって言ってもらえなかったもん」

 尊志ははっとして、陽香を見詰めた。

「でもあいつ、梅本のこと想ってた」

「そんなの、憶測でしかないよ…」

「口では言わなかったかもしれないけどさ、行動では示してたんじゃないの?恋人らしいこと、何かしらしただろ?」

 ふるふると首を横に振る。

「嘘だろ」

「本当」

「キスくらい……」

「一度もない」

「じゃ、じゃあ、手繋いだりとか。それは絶対しただろ」

 これは幼稚園児並みか、と思いつつ、尊志は確認してみる。

「あるよ」

「ほら、」

「でもそれ、付き合う前の話だし」

 あまりの何もなさに、尊志は唖然とした。

「内海にとって私は、親友でしかなかったんだよ」

「違う!」

 違うのに。

 それを証明できない。

『この花火が成功したらさ、俺、梅に―――』

 どうして。

 後数時間生きていていれば。

 そうしたら七年分の想いが、陽香に伝わるはずだったのに。

「最後に雅貴に会ったとき、あいつ俺に宣言したんだ。『この花火が成功したらさ、俺、梅に―――』」

 雅貴が、伝えたかった言葉。

 夢見た未来。

「『俺、梅に、プロポーズしようと思う』って」

 陽香の睫毛が、ぴくりと揺れた。

「『早く言わないと、告白のときみたいに梅に先越されかねないからな』そう言って、笑ってた。なぁ梅本。お前が告白する前から、雅貴は梅本のことが好きだったんだぞ」

「……知らなかったよ、そんなこと」

 くしゃくしゃに歪んだ顔に、新たな涙が流れる。

「知らないんだよ、私は。何も」

 尊志がどんなに言葉を尽くそうと、陽香にとっては無意味なことだった。

 その言葉を伝えて欲しかったのは、たった一人、雅貴だけだったのだから。

 もう二度と、確かめることのできない想い。

 戻らない時。

 帰らない命。

「もう、知ることはできないんだよ」

 雅貴はもう―――何処にもいないのだから。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

この作品には続きがございます。

ぜひ次のお話もお読みいただけますと幸いです。

感想もお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ