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ペットではなく

「……これは、一体、どういう……」

「えっと、説明しますから、とりあえず服を着ますね……」

「……! そうだな、すまない」


 アルヴィンは慌てた様子で、顔を横にそらし、片手で目を覆った。申し訳ない。急いで服に体を通す。

 俺はざっと自分の体を確認した。首輪がついたままだったので外そうとするが、外れない。でも怪我は完治しているし、アルヴィンのもとで良い食事を与えられていた影響か、肌も綺麗な気もする。


 こんなに長く変幻していたのは初めてだった。当然だが、この姿が一番しっくりくる。


 振り返ると、アルヴィンはじっと俺を見ていた。目線が交差する。アルヴィンは距離を詰め、俺の頬に手を当てた。その手は僅かに震えていた。


「本物の、ローランドか?」

「……はい」

「君が無事で、本当に良かった……」


 アルヴィンはぐっと瞳を閉じ、かみしめるように言った。


「ローランド。俺の見間違いでなければ、シトリン……猫のような、額に魔石がある魔物が、君に変化したように見えた」


 俺の首についたままの、シトリンの首輪に目線を配り、彼は言った。これはきっと魔道具なんだろう。自分では外せないし、対象のサイズに合わせて首輪の大きさも勝手に変わるらしい。


「シトリンに付けていた首輪は発信機の機能も付いていて、迷子になってもどこにいるか分かるんだ。シトリンがいなくなって追いかけてきたら……」


 なるほど。そんな便利機能が付いているとは思わなかった。だからアルヴィンはここに来たのか。

 もう言い逃れなど不可能だ。俺は覚悟を決める。


「見間違いではありません。シトリンは俺です。俺は変幻の魔法を使えるのです」

「……」

「魔力がなくて人間に戻れませんでした。ポーションを貰えたことで、ようやく」

「そう、だったのか……」


 アルヴィンの瞳が揺れる。

 数日間だったけど、クラッセン侯爵家で過ごした日々は幸せだった。本当は、もっとこの人の傍にいたいと思ってた。でも、彼が俺を探して悲しむ姿はもう見たくなかった。


「クラッセン様。助けてくださって、ありがとうございました。あの日、あなたに見つけていただかなければ、俺はきっと無事ではなかったはずです」


 俺は深々と頭を下げた。


 本当はもっと、もっとこの人に伝えたいことがあるけれど。

 気にかけてくださって、探してくださって、ずっと見守ってくださって……愛してくださって、ありがとうございます。


 でも俺はシトリンじゃなくてローランド・グラフトンだから。落ちこぼれの魔術師だから。俺は貧乏貴族の四男で、この人は侯爵家の令息だから。

 俺はアルヴィンの顔をまっすぐ見つめる。


「シトリンの間に見聞きしたことは決して口外いたしません。誓約書を書いてもいい」

「何を言っているんだ。ローランド」

「心より感謝しています。今後のことは、団長を通じて……」


 そこで、俺は突然バランスを崩した。アルヴィンが俺の手を引き寄せたからだ。


「ローランド、聞け。君がシトリンだったのなら、俺の気持ちは伝わっているはずだ。その上で、そのような戯言を言うのか」

「クラッセン様……!」

「シトリンが君だと、なぜ気付かなかったのだろう。色合いも、眼差しも、身に纏う空気も、変わらないのに」


 アルヴィンは俺の髪を撫でた。それは俺がシトリンの時と同じ優しい撫で方で、なぜだか俺は泣きたくなった。


「俺のことが気持ち悪いか?」

「い、いいえ!」


 彼に嫌悪感を抱いたことは一度もない。確かに俺を好きだとか、愛していると聞いてすごく驚いたけど。戸惑ったけど。でも気持ち悪いとは思わなかった。

 俺の答えに、アルヴィンは嬉しそうに破顔した。


「君を愛している」

「……っ」


 この人はなんでそんなことを臆面もなく言えるのだろう。俺はたまらず彼から目を背けた。


「ローランド。前に一度、意図せず君と同僚の会話を聞いてしまったことがある」

「え。いつ、ですか」

「一年度ほど前だな」


 たまたまアルヴィンが魔術師団へ仕事で来た帰り、聞こえてしまったのだという。


「君たちは俺のことを話していた。君の同僚は俺のことを気に入らないと言い、君に同意を求めた」


 そんなこともあったかもしれない。

 アルヴィンは目立つ。容姿端麗で、騎士として優秀な上に、どこからどう見ても完璧な貴公子だ。でも、そんな彼を気に入らないという奴もいる。そもそも魔術師は才能の世界だから、騎士を脳筋だと若干見下す傾向もあるし。

 確か、アルヴィンを家の力で成り上がった顔だけの騎士だとか、団長が親戚だから加点があるんだとか、僻み丸出しの話題を振られたような。

 俺はどう答えただろう。あまり覚えていない。


「君は言った。あの人良い人ですよね、と」

「そうでしたっけ……」

「あぁ。けろりとした様子で、全く空気を読まずに。討伐の時に見た斬撃だけで、相当努力してるんだろうなって分かる、それなのに謙虚だから凄いと思うと」


 確かに、そんなことを言ったかもしれない。

 俺は自分が落ちこぼれだからこそ、誰かを貶めることはしないようにしていた。ただでさえ底辺なのに、更に落ちてどうする。これは俺のちっぽけな矜持だ。


「当然、周囲に同調するものだと思っていたから驚いた」

「俺はただ、陰口を言いたくなかっただけで」

「ローランド。君は自分が取るに足らない人間だと思っているのかもしれないが、それは違う。周囲の雰囲気に流されずに自分を保つということは誰にでもできることではない」

「……」

「君がどんな状況でも前を向いて食らいついて行くところを、俺はずっと見ていた」

「全然、気付かなくて、俺……」

「そんなことはいいんだ。あの時、君が俺の外見ではなく、中身や努力を称えてくれたことが、どれだけ嬉しかったか……どうしたら伝わるだろう」


 分かってはいたけど、アルヴィンの気持ちは本物だ。改めて彼の想いの深さを目の当たりにした気持ちになる。


「でも、あなたはクラッセン侯爵家の御令息で、俺は男爵家の四男です。とても釣り合いません」

「随分前に、俺は女性を愛せないと家族に伝えている。話し合いの結果、弟が継子になり、俺は納得の上で騎士団に入った」

「そうだったんですか」

「あぁ。だから、家のことは問題ない。君の気持ちで答えてほしい」


 困った。どうすればいいかさっぱり分からない。

 俺は女の子が好きだ、と思っていた。恋人どころか好きな人もできたことはないけど、そこを疑うことなく生きてきた。


 でもこの感情はなんだ。彼の想いを嬉しいと思うこの気持ちは……。


「俺のことはどう思っている?」


 真剣な顔でアルヴィンが言った。

 俺も恋愛対象としてアルヴィンを見ているのか?

 分からん。全く分からん。


「どう、と言われると難しいですが、好きですよ」


 アルヴィンの目が見開かれた。

 正直な気持ちである。

 彼のペットとして過ごした数日間は幸せで、アルヴィンが嬉しそうに俺を撫でるのが好きだった。彼が悲しむのは嫌だった。


「好き?」

「はい。好きだと思います。元々完璧な人だと尊敬していましたが、シトリンとして過ごしている間、とても幸せでした」

「そ、それはどういう」

「よく分かりません」


 あまりにも彼が俺にまっすぐ誠実に向き合ってくれるので、俺も正直に伝える。


「クラッセン様と同じ気持ちだと断言はできませんけど、あなたを好ましく思ってます」


 これが今の俺にできる最大限の回答である。


 なんというか、もう疲れた。

 朝から色んな感情に振り回された上に、こっそり人間に戻るつもりが速攻バレるし。

 もう何も考えずに寝たい。猫みたいに。


 そう考えたのが伝わったのか、アルヴィンが言った。


「君を送ろう」

「えっ、いや、いいですよ。俺は男ですし、こう見えても一応、一般人よりは強いんで」

「はは。分かってるさ。俺が一緒にいたいだけだ」

「あ、あぁ……なるほど」


 動揺してキョどる俺に、アルヴィンが微笑んだ。

 いや、なるほどってなんだよ。かっこわるいな俺。


 アルヴィンは徒歩で送ってくれるという。

 並んで歩き始めてしばらくすると、彼が遠慮がちに「手をつないでもいいか」と聞いてきた。俺が「どうぞ」と答え、そのまま俺たちは手をつないだ。

 アルヴィンの手は大きく、ゴツゴツと硬く、剣士らしい手だった。


 月夜の下、手をつないで歩く。

 空気は澄んでいて、風が気持ちいい。人気がない道を歩いていると、なんだか二人だけの世界にいるみたいだ。

 だんだんと家に近付いてくる。

 そういえばもう、この人と一緒に寝ないんだよな。自分の家で、一人で寝るんだ。当たりまえだけど。


(なんか、寂しいかも)


 俺はふとアルヴィンの顔を見上げる。ばっちり目が合った。


「ローランド、こうしていて、嫌な気分ではないか?」

「いえ」


 心なしか俺の手を握る力が強くなる。アルヴィンは立ち止まり、俺の髪や頬を触り始めた。


「嫌だったら、言ってくれ」

「はい」


 正直、ぜんぜん嫌ではない。ドキドキしているだけで。

 じっと俺の反応を確かめつつ、彼は俺の顎に手を当て、顔を近づけてきた。


 これって、まさか、アレでは。接吻というやつでは。

 そんなことを考えている間に、もう俺の唇は塞がれていた。何度か角度を変え、だんだん深くなっていく。

 未知の感覚に、俺はなんだか頭がふわふわとしてきて、ぎゅっとアルヴィンの袖を掴んだ。彼はようやく体を離した。


「すまない……つい」

「つい? あ、いえ。初めての口づけで、驚いてしまっただけで」

「初めてだったのか」


 俺にとっては若干恥ずかしい告白なのに、この男は何だか嬉しそうだ。


「はい。あの、クラッセン様こそ、大丈夫でした? やっぱ違ったな、とかなりません?」

「どういう意味だ?」

「その、やっぱ俺相手では気分が乗らないなー、とか」


 一応確認してみる。口づけまでいくと、それはもう完全に恋愛、それもさっきみたいなのは性愛の一部の表現になる。いざやってみて、なんか違ったな、となった可能性だってあるのだ。

 アルヴィンは俺の髪を一筋とった。


「まさか。逆だよ。もっとしたいと思った」

「……!」


 そんな甘い目で見ないで欲しい。もうどうすればいいか分からんし。


「あ、そ、そういえばクラッセン様。この首輪を外してくれませんか」


 何とか空気を変えたくて俺は軽い調子でシトリンの首輪を指さした。自分では外せないので、アルヴィンに外してもらう他ない。


「気持ちとしてはそのままつけてくれていてもいいが、そうだな。外そう。だが……」

「だが?」

「アルヴィンと呼んでくれないか、ローランド」


 また顔を近づけて、耳元で囁く。バリトンの声が耳朶に響いて、俺はぞくっと震えた。

 なんなのこの人。俺をどうしたいの。なんでいちいちこんなにかっこいいの。


「ア、アルヴィン……これを、外して、ください……」

「分かったよ、可愛い人」


 満足そうにアルヴィンは俺の首輪を外した。もう俺は声も出せない。俺たちは手をつなぎなおして歩き始めたのだった。



◇ ◇ ◇



 アルヴィン・クラッセンとローランド・グラフトンが恋仲らしい——。


 そんな話が王宮を駆け巡って、早数か月。最初は好奇の目を向けられることもあったものの、だんだんと俺たちが二人で過ごしている光景が日常のものになると、それも減っていった。次々と出現する目新しい話題に人々の関心は移っていっている。


 今でも俺は相変わらず落ちこぼれ魔術師だけど、変わったことがある。

 毎日毎日褒めちぎられ、愛を囁かれていると、俺にも少しづつ自尊心というものが芽生えてきた。アルヴィンのような人にこれだけ愛されるのだから、俺ってそんなに駄目な奴ではないのでは、と思えるようになったのだ。


 俺の中に生まれたほのかな自信は、普段の立ち振る舞いも変えたらしい。徐々に周りの反応も変わり、魔術師団は前ほど居心地の悪い場所ではなくなった。俺が使えない魔術師であることは変わらないのに、不思議なものだ。

 魔術師としての力量は変わらないのに、同僚から疎んじられていたのは、なぜだったのだろう。


「前のローランドはさ、何を考えているのか分からなかったからな」


 ふと漏らした俺の疑問に、団長が答える。


「そうですか?」

「魔術師団にいる以上、公にできなくても、お前が何らかの突出したものを持っているのは皆分かっている。でもお前、変にへりくだるだろ。そういう態度に苛つかれてたんじゃないか」

「……俺が出来損ないだからだと思っていました」

「魔力が少なかろうが、お前が王宮魔術師であることは確かなんだ。卑屈になるより、自信満々に俺は有能だ、という顔をしていた方がいい」

「そうですか……」

「俺はお前を出来損ないだと思ったことはないぞ。だからこそ、お前が行方不明になったときも、ローランドなら生き延びているだろうと確信していた」

「団長……」

「まぁでも、今はかなり自信がついたみたいじゃないか。アルヴィンのおかげだな」


 団長の若干冷やかすような口調に、俺の顔は赤くなる。


「はは、順調そうで何より」



 アルヴィンとは恋人になろうと言い合った訳じゃない。でも頻繁に会って、何でもないことを話して、触れ合ったりするのだから、恋人なんだろう。


 今日もアルヴィンの家で過ごしていると、ここで初めて目が覚めたときに入れられていた籠が目に入った。あのクッション、寝心地が良かったんだよなぁ。


「俺、アルヴィンのペットでいる間、本当に幸せだった」


 シトリンとして過ごしたアルヴィンの部屋。置いてあるもの全てが懐かしく、どうしてもあの数日間を思い出してそんなことを呟いてしまう。


「そうだったのか」

「うん。ただただアルヴィンに愛でられて、喰って寝て。それだけでいい生活って最高だったなぁ」

「……別に人間のまま、そうしていいけど?」


 そのまま、ぼす、とベッドに沈められる。


「この部屋でずっと、喰って寝て、俺に愛でられて、そうやって過ごすか?」


 アルヴィンの瞳が何だか剣呑な色で光っている。やばい。こいつ、ちょっとマジで言っている。俺は慌てて起き上がった。


「それは人として、ちょっとどうかと思うので、遠慮します」

「ふっ。そうか」


 若干ビビっている俺に、アルヴィンはちょっと噴き出した。そういう分かりにくい冗談はやめてほしい。

 アルヴィンは俺の髪を、シトリンのときと同じように、優しく撫でる。

 いや、同じじゃない。全然同じじゃない。アルヴィンはシトリンをこんな風に見なかった。愛してるなんて、言わなかった。

 俺がローランドだから、そうしてくれるんだ。


「アルヴィン。俺を好きになってくれて、ありがとう」


 意外そうにアルヴィンは俺を見て、心底嬉しそうに笑った。そのままじっと見つめ合って、キスをした。


(やっぱりペットは嫌だな)


 ペットのモフモフでもなく、友人でもなく。今みたいに恋人として、これからもこの人の隣にいたい。


 夢のペット生活を経験してから、こんな風に思うなんて不思議だ。

 こんなこと、照れくさくて言葉にできるのはいつか分からない。


 俺は衝動のまま、猫のように彼の胸に顔を埋めたのだった。




〈了〉

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

初めて挑戦したBL作品でした。


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