アルヴィンのヒーロー
あれから自分の姿を確認して俺は驚いた。自分がまるっきり猫だったからだ。カーバンクルっぽいのは額の魔石ぐらい。あとは何から何まで猫。
だからなのかは分からないが、クラッセン侯爵家の面々からは、俺が魔物であることはさしてつっこまれることもなく、あっさり受け入れられている。アルヴィンのペット、シトリンとして。
◇
アルヴィンのペットとして過ごして数日が経った。
この生活は夢のようだ。何もしなくても勝手に飯が出てきて、眠くなったら寝る。アルヴィンがいないときはメイドたちが遊んでくれたり、世話をしてくれる。
ペットになった翌日に首輪を付けられたけど、基本的に何をしても咎められないし、ただ可愛いがられるだけ。生きていることだけを求められている。
(控えめに言って最高だな……)
この好待遇は間違いなくアルヴィンのおかげだ。
何というか、アルヴィンという人は、ペットを溺愛するタイプだったらしい。常に俺をにこにこして見てるし、ずっと俺に話しかけている。しかも夜にはベッドに迎え入れられ、朝まで離さない。毎晩だ。
(いや、何でだよ)
何でこんな男前がペットを溺愛しているんだ。こういう男が愛でるのは普通、美しい女性だろう。
(でもこの人、結婚してなかったな)
健康そうだし、有能らしいし、顔も良いし……つまり相手は腐るほどいるだろうから、単純に結婚する気がないのだろうか。まぁ、俺には関係のない話だ。
この数日間で、この人に対する俺の印象はまるで変わった。今まで何となくアルヴィンを完璧超人だと思っていたけど、実は辛いものが苦手だったり、意外と手先が不器用だったりして。有能なだけで普通の人間だった。
アルヴィンは騎士なので、いつも部屋にいる訳ではない。仕事から帰ってきても頻繁に外出して、また疲れ切って帰ってくる。その時はしばらく俺を抱いて離さないので困ってしまう。
そして俺を見る目が信じられないぐらい優しくて甘い。
(実は中身が俺だって知ったらショックだろうな)
あと二、三日したら魔力も回復するだろう。魔力が戻ったら、何とかしてこっそり抜け出さなければならない。溺愛しているペットが実は知り合いの男——しかも俺だったなんて知ったら、この人も死にたくなるだろうし。
「シトリン……お前がいてくれて良かった」
「ナー……」
今だって、外から帰ってくるなり俺の体に顔を埋めながら抱いている。俺はもう無抵抗である。逃げようとしたところで、この人は力が信じられないぐらい強くて逃げられないのだ。
しかし日に日に辛そうな顔になっている。大丈夫かな、この人。
「やさしい仔だ。心配してくれているのか?」
「なーお」
いや、別にそんな訳じゃないけど。
「ありがとう。お前のその太陽のような金の毛が、俺の心を落ち着かせてくれる……ローランドと同じその色で」
「ニャッ!?」
自分の名が突然登場して、俺は動揺する。
いやいや、落ち着け。金髪のローランドなんて他にもいる……だろう。多分。
「俺の大切な人が行方不明なんだ。他の者は彼が逃げたと言うが……俺にはそうは思えない。彼は仕事を投げ出して逃げるような人じゃない。真面目で努力家で、生きる力がある人だ」
「ナ……ナォ……」
「魔物討伐の最中にいなくなったらしい。ローランドはあまり魔力が多くないのに、なぜか討伐メンバーに毎回選ばれていた。後方支援だと聞いてはいたが、心配でな。正直、彼はメンバーに入れない方がいいのではと魔術師団長には何回か意見していたんだが……今回ついに、懸念していたことが起きた」
これは勘違いじゃなく、アルヴィンの言う「ローランド」は俺のことでは?
魔術師団長とアルヴィンは親戚らしいと聞いたこともある。まさか俺のことで団長に意見していたとは。驚きの連続で、俺は頭が上手く働かない。
俺が魔物討伐メンバーに選出されるのは、変幻の魔法が使えるから。ただそれだけ。でも俺が変幻の魔法を使えることは機密になっている。変幻の魔法は希少だし、下手に知られたら俺の身が危ういらしい。知っているのは上司と、同僚の一部。そして王様が知っていると聞いている。騎士のアルヴィンは知らないだろう。
「信じられないことに、魔術師団はローランドをまったく心配していないんだ。捜索しようという素振りすらない。だから俺は自分で彼を探すことにした……そして彼がいなくなったという場所にお前がいて、思わず連れ帰ってしまった。阿呆だな。お前はローランドではないというのに」
沈んだ声で独白するアルヴィンを、俺は信じられない思いで見つめていた。
ちょっと待ってほしい。なんでこの人が俺にこんな……ちょっとドロッとした感情を持ってるんだよ。意味が分からん。
「あらゆる場所を探した。今日も討伐地の近くの街へ行ってきた。でもいなかった」
「にゃー……」
「ローランド……君はどこにいるんだ……」
ここにいるけど……。
ていうかこの人、俺の事を心配してくれてるんだよな。
悲壮な顔をして俯くアルヴィンを見ていると、何だかむずむずとした感情が沸いてくる。
家族の中で俺はずっと、「どうでもいい子」だった。
俺の実家は一地方を治める男爵家だったが、貧しかった。目立った産業もないし、領地はほとんど山ばかり。大きな都市と都市を繋ぐ街道の街として旅人が落とす金が主な収入源だ。
一応貴族の端くれとしての教育は受けさせてもらったが、俺は大して期待もされていなかった。三人も兄がいる上に、頭も良くない。身体能力が優れているわけでもない。そして、俺も別に家を継ぎたいなんて思ってない。だから必要以上に、馬鹿な弟を演じていた部分もある。
俺と違って兄たちは家の僅かな財産を自分のものにするために、反目し合っていた。俺はそんな兄たちから馬鹿にされ、いいように使われていた。
親は子どもに関心がなく、兄弟は仲が悪い。
いつか必ず家を出ようと決心する程度には、俺にとって実家は居心地が悪い場所だった。
魔法は誰でも使えるわけじゃない。適性と魔力量がないと発動もしないのだ。
たまたま俺にはその二つが備わっていた。自分に魔法の才があると分かって、俺は正直胸を弾ませた。こんな俺にも取り柄があったんだと。
周囲には俺より魔法を使える奴はいなかったし、魔法による反撃の恐怖を感じてか兄たちは俺を放置するようになった。親だって俺に優しくなった。
でも魔法学園で知った現実——やっぱり俺はぱっとしない。
魔法使いの中での俺は天才でも、凡才ですらなかった。周囲についていくのがやっと。それでも、実家に帰りたくないから。自分の力で生きていきたいから必死でくらいついた。
変幻の魔法が使えることが分かったときだって、嬉しかった。でも、それは公にはできなくて。なんでこんな出来損ないが魔術師団にいるんだって周囲は思っていたはずだ。実際、そう言われたこともあるし。
魔術師の友人なんてほとんどいない。俺みたいな落ちこぼれ、相手にされるはずもない。
家族にも、友人にも俺のことを真剣に心配するやつなんていない。婚約者どころか恋人なんて、そもそもできたこともない。
まさか俺の事をこんな風に心配してくれる人がいるなんて。
俺の身を案じて、こんなに動いてくれる人がいたなんて。
俺は今、確かに喜んでいた。
こうして誰かの中に自分が存在していたことを知って、胸の中が温かいもので満たされていく。猫の姿じゃなかったら、泣いていたかもしれない。
「ローランドは俺のヒーローなんだ」
「ニャ……!」
「初めてローランドを知ったのは彼が魔術師団に入ったときだ。彼は諦めない。何度だって立ち上がり、明らかに自分よりも強い相手でも、立ち向かっていく。その様が何とも痛快でな。俺は彼に憧れを持った……」
俺に憧れ? いや、どう考えてもあなたの方が凄い人だと思うんですけど……。
「それからは、時間が空いたら魔術師団の様子をこっそり見るようになった。いつもローランドは一生懸命だった。たまに甘い果実水を飲んで微笑む顔が可愛い。周囲をよく見ていて、さりげなく同僚を助けるような優しい一面もある。彼を堂々と見たいときは理由を付けて魔術師団に行った。ローランドは俺を前にすると緊張してしまうのが、少し寂しいが……」
果実水は好きだけど。迷惑をかけているから同僚を助けることもあるけど。
うそだろ。そんなにずっと見てたの? 俺を?
「本当はローランドともっと話したいし、彼を助けたい。でも少々怖気づいてしまってな。後悔している。もっと彼と繋がりを持てていれば……」
「ナ、ナァ……」
「いつも俯いているからあまり気付かれていないがローランドは実は整った顔立ちなんだぞ。金の髪も、透き通るようなアメジストの瞳も美しい。シトリン、お前と彼は同じ色をしているんだ」
蕩けるような瞳で俺を見て、頭を撫でる優しい手。
何この人。俺にどういう感情を持ってるんだよ。
そわそわして、むずむずして。もうとても聞いていられなくて、俺はアルヴィンの腕から出ようともがいた。
「シトリン、頼む。今日は俺の話を聞いてくれ……ローランドは」
「ニャー!」
もう勘弁して。
それからも、アルヴィンが俺へ抱く重苦しい思いをひたすら聞かされるという地獄の時間はしばらく続いたのだった。