102.休むしかない状況
「まだ仕事が残っていました」
不満を隠さず、絨毯の上で胡座をかく。ウルリヒの機嫌の悪さを気にせず、どかっと座ったカミルは甘いお茶を飲み干した。山羊の乳を使った甘いお茶は、一族伝統のもてなしだ。
ルードルフと付き合いのあるウルリヒも、その習慣は理解していた。無理やり連れてきたカミルに思うところがあっても、もてなしのお茶を差し出すカミルの母に罪はない。会釈して受け取り、お茶に口をつけた。中途半端に残すとマナー違反になる。
屋敷など快適な環境で飲むと、お茶の甘さが喉に絡む。だが騎乗後など喉が渇いた状況で、円形のテント内で飲めば美味しいと感じた。こちらが本来の形なのだろう。なるほどと納得しながら、ウルリヒはお茶の杯を空にした。
「悪かったっす。でも、こき使った詫びだと思ってください」
からりと笑い、ごろりとクッションに身を預ける。カミルの寛いだ姿に、ウルリヒは大きく溜め息を吐いた。文句を言ったものの、理解はしている。疲れた顔をしていたので、ついでに休ませようと考えた。
気遣いは彼らしい。普通なら、休むよう口で注意したとしても、上司を実家に誘拐したりしないだろう。簡単に戻れる距離ではない上、馬は厳重に管理される一族だ。馬を奪って逃げても、すぐに追いつかれるのは目に見えていた。
そもそも、この集落にいるのは裸馬ばかり。スマラグドスの血族でもないウルリヒが、操れるはずもなかった。逃走は諦め、ある程度付き合うしかないと腹を括るまでさほど時間はかからない。
「実家に男連れで戻るなど、呆れられたでしょうに」
カミルの母が外へ出たのを見計らい、たっぷりの嫌味を塗した言葉を浴びせる。このくらいの抵抗しか出来ないと知るからか、カミルはからりと明るく笑い飛ばした。
「美人だって、母さんは喜んでたみたいだけど」
元侯爵家の次男であるカミルは、この家の夫婦の実子ではない。ある侯爵に見初められ、無理やり子を産まされた母は、先ほど母さんと呼んだ女性の妹だった。甥と伯母の関係であるが、幼い頃に実母を亡くしたカミルは母と呼んで慕っている。
この話は酔ったカミル自身から聞いたことがあった。他種族の女性を攫って無理強いした侯爵は、すでにこの世にいない。ジャスパー帝国の貴族であったため、ウルリヒ自身が断罪していた。
「美人? 女性ではないと説明したんでしょうね」
「胡座かいて座る女はいないから、理解してると思うぞ」
部屋の片隅にある鍋から、お茶のお代わりを注ぐカミルが首を傾げる。ウルリヒは横に振って、いらないと示した。
「頭の痛い状況です」
「気楽にしてろって。本気で困れば、ボスから連絡入るさ」
いつもより口調が砕けたカミルは、それだけ気持ちが緩んでいるのだろう。ずっと敵国内で正体を隠して働いたのだ。褒美で休暇を与えたら、なぜか巻き込まれたが。休めているならいいか。
ウルリヒは、近くのクッションを二つほど引き寄せ、背中を預けて転がった。長椅子で寝る日々が続いたため、疲れが蓄積している。すぐに瞼が重くなった。
「ゆっくりしたらいい。どうせすぐに忙しくなるんだろうし」
ぼやくようなカミルの声に何か返事をしたような気もするが、思い出せないほど深く眠りに引き込まれた。