101.宰相閣下誘拐事件
苦労を労う言葉を放つ美貌の男を、カミルは胡散臭そうに眺めた。いい加減理解している。うっかり相槌を打てば言質を取られ、とんでもない貧乏くじを引かされる。
距離を置いて見据えるカミルの用心深さに、苦笑したウルリヒは金貨の入った革袋を差し出した。すぐ手に取らないのは、前回それを受け取ったら仕事を言いつけられたから。簡単な出張だと言われ、アメシス王国の各地を回らされた。噂を広めて回収し、また新しくばら撒く。
簡単そうで難しい仕事を終えた彼は、いい加減休みが欲しかった。睨んで距離を詰めないカミルへ、ウルリヒは金貨の袋を押しやった。
「スマラグドスに水路を引きました。かなり風景が変わっていますよ。一度実家に戻って休んでは?」
「散々、邪魔した人の言葉じゃないっすよ」
むすっとした口調で袋の口を開ける。中に入っている金貨を目算で数え、カミルは「これは給与っすね?」と念押しして掴んだ。ずっしり重い革袋は、先日のアメシス王国での散財用より詰まっている。自然と頬が緩んだ。
「しばらく戦闘や裏工作は必要ありません。ゆっくり休んでいただいて構いませんよ」
そう言いながら、彼の目と手は書類の上を滑る。次々と処理しながら、手早く箱に分類していた。
「アンタは?」
「はい?」
意味を捉えかねたウルリヒが手を止め、顔を上げた。わかりにくいが頬が少しこけたか。目の下の隈も濃い。これはヤバいと判断し、カミルはにやりと笑った。いい仕返しを思いついたぞ!
「ボスはどうしてます?」
「女王陛下とスマラグドスへ視察旅行に向かい、本日戻る予定です」
「わかった」
短く答えた直後、手にした革袋を離した。重さに従い、落ちる金貨が派手な音を立てる。気を取られたウルリヒへ距離を詰める。首の後ろに手刀を当て、意識を刈り取った。机に向かい倒れる彼を支え、カミルは満面の笑みで宰相を肩に担ぐ。
特に隠す様子もなく、堂々と扉から廊下を使い、屋敷から出た。何があったのかと振り返る人はいても、呼び止める者はいない。庭先で愛馬を呼ぶ口笛を鳴らし、放牧用の柵を飛び越えた相棒に跨る。当然、ウルリヒも連れて。
手綱も鞍もない馬の背に跨り、自分の前へウルリヒを横たえた。腹を支点に馬にしがみつく形になったウルリヒの髪が揺れる。金茶色の長い髪は、スマラグドスにはいない。周囲はなんとなく察した様子だった。
「しっかり休めよ」
お前も、その人も。仲間に言われるまでもなく、そのつもりだ。愛馬はカミルの足が伝える小さな合図を見落とさず、慣れた様子で走り出した。敵との交戦中は両手を離して馬を操るスマラグドスの民にとって、馬は己の手足の延長だ。
落ちる心配などなかった。徐々に速度を上げる愛馬のタテガミを掴み、姿勢を整える。駆け抜ける馬は、一般的な軍馬より大きい。その巨体に二人を乗せ、まったく苦にした様子なく街道を抜けた。途中から道を外れ、鼻先を一族の屋敷へ向ける。
ボスであるルードルフと、途中ですれ違うことはなかった。アンネリースの馬車があるため、街道を進んだはず。人の手が入った林を抜け、その先の草原を走り、見慣れた山の麓に着く頃、ようやく麗人が身じろいだ。
「動くと落ちますよ」
最低限の警告はして、カミルはさらに速度をあげた。