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大阪を歩く犬6  作者: ぽちでわん
6/42

中国街道と琴浦神社

それからまた中国街道散歩のために尼崎へ向かった。阪神本線尼崎駅から続きを歩きに。

初めての阪神電車梅田駅は地下にあった。

地下のホームで、レトロなオレンジ色の車両を隣のレーンに見ながら出発を待つのって、なかなかよかった。今からレトロな町へタイムトラベルをしに行くって感じがした。

電車が尼崎駅に近づくと、お城がよく見えた。城跡公園に建設中のお城。

前回見つけた尼崎駅すぐのたい焼き屋さんに寄って、1個70円のたい焼きをゲット。あとでいただいた。これは「まねしないでください」「専門家の監修の元、特別に行っています」とか書かないといけない案件かな。小麦粉、砂糖、ふくらし粉、小豆、きっとアイケンカに叱られる。

たい焼き屋(駅の北側)の反対側(南口)に出て、左へ。

古い御園町会館前を通って、阪神尼崎駅東交差点の方へ。交差するのは尼崎港線で、その向こうは庄下川というところだったけれど、尼崎港線は上のほうを走っていて、その横の低い位置の歩道を右折していったから、なにも見えなかった。

高い位置を走る尼崎港線が壁になっていて分からないけれど、その向こうに川が流れ、その向こうには建設中の尼崎城や桜井神社。

開明橋交差点を通って南下していき、上を高速が走る西本町交差点で右折。今度は高速の壁の横の歩道を西に向かっていった。

ここからが前回歩いた中国街道の続き。


次の五合橋交差点は西本町交差点と同じく横断歩道がなくて、歩道橋に上って渡る方式だった。

ずっとこんなのが続いたら辛いなと思ったけれど、ここだけだった。あとは横断歩道で渡って行けた。

右手に尼崎塩業K.Kとある廃業になった感じの工場があった。

道沿いにはずっと工場が並んでいたのだろうな。今も工場が多くて、他にも廃業になった工場跡っぽいところが売地になっていたり、新築の家が建っていたりした。

向かいには「尼エサ」。釣りのエサを売っているのかな。塩業とか釣りエサとか、大阪湾に近い感じはするけれど、全くそんな雰囲気は無かった。

それから「犬NG」と書かれた公園があって、神社が現れた。山門風の入り口だった。というか、山門そのものだな。

ここが、前回行った長洲から分祀されたという貴布祢神社(西本町)だった。

通り抜けによく使われているようで、けれどこんな高速脇の神社にしては、参拝している人もちらほら見えた。犬連れでも、通り抜けじゃなく参拝ならOKだって。ここまでの中国街道では犬NGのところを多く見てきたから、うれしかった。

反正天皇の頃、「尊い神」が瀬戸内から尼崎へ降臨。そこから京都、貴船川川上へと移動したのだって。

長洲貴布祢神社では、平安時代、このあたりは鴨社の荘園で、縁の深い貴船神社が云々と説明されていた。けれどここの説明によると、関西で最初に降臨した地が長洲。ここから貴船神社の地へと向かった・・・ということね。長洲から西本町には、中世の頃に分祀されたそうだ。元々はこの地に、ではなかったみたい。最初の鎮座地が尼崎城になって、移転してきたのだって。


全国の貴船(貴布祢)神社の祭神は高おかみの神(水神)だそうだ。

反正天皇は仁徳天皇の息子。丹比(堺市あたり)に都をおいた人。

京都の貴船神社もまた反正天皇の時の創建と伝わるそうだ。さらにさかのぼってタマヨリヒメ(オオワタツミの娘で、神武天皇の母)が、淀川、鴨川、賀茂川、貴船川と「黄」色の「船」で遡ったのが奥の宮とも伝わるそうだ。

神社からは西にある出屋敷駅(阪神本線)方面に向かった。工事しているところがあって、迂回しながら出屋敷駅へ。

駅にはアマトラ横丁が見えていた。アマ(尼崎)とトラ(阪神球団の)からきているのかな。

駅の東のバス通り(出屋敷線)を竹谷交番前交差点まで北上。ここを西に行くのが中国街道。琴浦通りなる道だった。

ここを直進して北に行くと、すぐかんなみ新地っていう小さな新地があるらしかった(この後、一斉廃業したそうだ)。尼崎は高度成長時代、工場もいっぱいあって、労務者もいっぱい住む、賑やかなところだったのだって。

琴浦通りを西に向かうと、左手に古そうなところがあって、行ってみると宮内公園だった。大きな個人宅だったのが公園になっているみたい。一帯は古くて大きなおうちが多くて、出屋敷の地名に合っていた。

江戸時代、尼崎城下の屋敷通りを出た地点だったので「出屋敷」というんだとか。

しばらくしてよも川を渡った。川沿いは蓬川緑地になっていた。

この日歩いた辺りも、「防犯カメラ」とか「ゴミ捨て禁止」「犬の迷惑な散歩はいけません」「シンナー乱用禁止」とかの文言が目立ち、前日歩いたあたり同様、あまり治安のいいところでないように思われた。

けれど車は横断歩道で止まってくれ、神社には参拝者がいて、犬好きと見えてにこにこしてくれる人も多かった。

散歩中、たまたま車が止まってくれたり、止まってくれなかったりするだけなんだとは思う。けれどそのことで、町の印象ってかなり変わってくるものだな。

もう少し進むと「中国街道(琴浦通り)」と道路にはめこまれていた。大名行列の絵も描かれていた。


左手には緑豊かな小学校があって、かつては横を川が流れていたのかな?という雰囲気だった。

琴浦神社前交差点を過ぎると右手に神社があり、琴浦神社だった。小さな神社だったけれど、ここにも参拝しているおばあさん。

琴浦神社の祭神は源融だって。太融寺に七堂伽藍を建てた人だな。

父の嵯峨天皇は子だくさんで、みんなを皇族にはできないくらいだったから、源の姓を与えて臣下に。それが嵯峨源氏で、その一人に源融がいた。「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルになった人ではないかと言われていて、すごい男前だったのだって。

この人の孫の孫が源綱。母の実家の摂津の渡辺に住み、渡辺を名乗るようになったという人。渡辺党なる武士団を結成し、そのトップは全国の水軍を牛耳るくらいの実力者になっていったみたい。氏神が坐摩いかすり神社。大阪城を秀吉が築城するのに場所が近すぎたから、神社と渡辺党は移転させられた。大阪を散歩していて知ったことには。

ここはかつて「琴浦」と呼ばれたところだったそうだ。源融の時代、塩焼き(海水をくんできて、塩釜で焼くのかな)というのも風流なことだったのだって。源融が琴浦で海水をくみ、京で塩焼きを行っていたと伝わり、そのことから琴浦神社が祀られたみたい。

このあたりには居酒屋がなんだかやけに多かった。銭湯もあった。


琴浦通りをさらに進むと左手に公園があった。水明公園だって。

公園の奥には新しくて大きな施設が見えて、尼崎競艇場らしかった。

それで居酒屋がいっぱいあったり、交差点にガードマンさんが立っていたりするんだな。

ちょっと尼崎競艇場の方まで南下してみた。新しくてきれいで、雰囲気の悪くない塀で囲われていて、イメージとは全く違っていた。

もっと南に行くと、阪神電車の高架を過ぎたところに神社があった。道意神社だって。

海老江の道意さんが江戸時代、このあたりを開拓(道意新田)し、地元の八坂神社を勧請したものらしい。

そのすぐ北に尼崎ボートが開かれたのが昭和27年。

おじさんが自転車でやって来て、駐輪場に入っていった。


琴浦通りまで北上して西国街道の続きを歩くつもりだったのだけれど、北上している途中でつい西に進んでいった。ツシ2階の家や蔵のある家などがあり、袋小路になった路地などもあって、古い一帯で、面白かった。

源光寺の北門や圓徳寺を見ながら歩いた。

それからこの道は、カーブして南に向かっていった。すぐ西には土手が見えていて、土手を北上して北に向かいたいところだったけれど土手に上がる道はなくて、南に進むしかなかった。

そうして武庫川駅に出た。阪神電車の尼崎駅から3つ目の駅。

踏切の向こうの南側が素敵に見えて、なかなか遮断機の上がらない踏切で待ち、行ってみると、河川敷の楠だった。

川は武庫川で、南に流れて大阪湾に注ぐみたい。そして川の上に武庫川駅があるみたい。

堤道は桜並木になっていて、春にはきれいだろうな。整備された大きな川で、人工的ではあったけれど。

踏切を渡らなくても河川敷を歩けたので、河川敷を北上していった。


途中、堤道に上がってみると、車道と自転車置き場と、その間の歩道になっていた。

歩道を北上していくと、右手に神社が見えた。階段で下っていくと、素戔嗚すさのお神社(西素戔嗚神社)だった。

このあたりは比較的新しく開発されたところで、西新田と呼ばれたところなのだって。

そのすぐ北で武庫川に武庫川橋がかかっていて、ここが琴浦通り(中国街道)だった。

橋を渡って西に進んでいった。かつては川は「小松の渡し」で渡っていたのだって。北に山がきれいに見えた。

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