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大阪を歩く犬6  作者: ぽちでわん
38/42

多田街道と伊丹郷

だんだん空を飛ぶ飛行機が近くなっていった。

新しい家々も建っていたけれど、左手に久成寺くじょうじが現れたあたりから、旧家だらけになった。

大きな立派な旧家ばかりで、しかもそれがずっと続いていた。

面白くてうろうろした。奥の方まで立派な旧家が並び、ただものじゃない集落の感じだった。久代と書いてくしろ。

久々知くくちしろ(田)」からきた地名だと言われているのだって。大彦命の末裔に久々智氏がいて、その土地だったと思われるらしい。

尼崎や有馬に久々知ってところがあり、そこに久々智氏が住み、杣山そまやま(皇族所有の山林かな)の管理をしていたと思われるそうだ。「くくち」って木の神さまのことをいうらしく、その名をもつからには山の管理をしていたのだろうって話みたい。そして久々知の地名をもつからには久々智氏が住んでいたのだろう、その間にある久代は久々知の代だったのだろうというわけかな。

大彦命は8代天皇の第一皇子。崇神天皇には伯父さんであり、義父でもある。娘が崇神天皇の皇后になって垂仁天皇を産んでいるから。

四道将軍の一人として北陸に派遣されている。


久代公民館があり、久代さんや多田さん、他のおうちが目立っていた。そんな重厚な、ただものじゃない旧家の並んだ真上を飛行機が飛んでいった。

旧多田街道をつきあたりまで進んで左折。

このあたりも面白くてうろうろした。覚正寺なんかがあった。東に13号線を越えていくと、春日神社があったみたい。

じぐざぐ南東に歩いていくと、広い公道に出た。

ずらりきれいなマンションの並んだ、別世界だった。そしてずらりと並んだマンションで、南に道はなくなってしまっていた。

大きく迂回して、西の13号線か東のJR沿いからしか南下できないみたい。JR沿いには西猪名公園があって、そちらに進み、公園の中を南下していくことにした。

公園の桜は終わりかけだったけれど、少し前にはきれいだったろうなあ。大きなウォーターランドがあって、夏場は楽しそうだった。おかあさんは来たことがあるのだって。リーズナブルで、おじいさんたちが係員としていっぱいいて、小さい子たちが楽しく遊べるところだったって。

ウォーターランドがオープンしていない今は無料開放されているようだったけれど犬はNG。

公園の途中で川西市から伊丹市に入ったようだった。

公園の西側には小さな川(飛鳥井)が流れていて、その向こうは工場地帯だった。

前に伊丹緑道を歩いて、加茂井かもゆっていう用水路の上が緑道になっているってことを知った。あの加茂井は、猪名川から取水して、鴨神社のある加茂を通って南下していくから「加茂井」。

飛鳥井は、その加茂井から久代で取水して、加茂井の東側を南下し、加茂井と同じく駄六川に注ぐ用水路かな? どうして飛鳥井というのかは不明。

用水路はよどんできたなかった。西側に渡る橋もあったけれど、公園はフェンスで囲われていて、橋に出られないようになっていた。南側にもかつては使われていたのだろう出口があるのだけれど、全部フェンスで覆われていた。


公園を南口から出て、多田街道に戻るべく右折。

飛鳥井を越えて、かつては水田だったあたりなのだろう工場地帯を抜けて、13号線へ。

多田街道は13号線より東側だったけれど、すぐに現れる国道171号線を越えるには13号線を南下するしかなくて。

北村交差点で171号線を越した。171号線はここから南西に向かい、鋳物師3丁目交差点、東中学校前交差点へと進んでいく。前に行った緑ヶ丘公園あたり。

交差点を渡ってすぐ左折すると、旧道が残っていて、「多田街道」とあった。ここを南下。

ここからは、ところどころに「多田街道」とあった。横を流れる水路には、渡した竹の植木鉢にかわいく花が咲いていた。

すぐに左手に教善寺が現れた。室町時代の創建と伝わるそうだ。

霊蓮寺なる寺が鋳物師にあり、件の荒木村重事件で焼け落ちたのだけれど、その時に本尊の阿弥陀如来像がここに運ばれたのだって。そして今も本尊となっている。

その霊蓮寺が伊丹廃寺ではないかと思われるそうだ。

伊丹廃寺跡には前に緑ヶ丘公園から行った。奈良時代前期に造営されたと思われるお寺の跡だった。

周りには坂上さんや阪上さんの大きな旧家があった。

南下を続けると川があり、少し左手の谷口橋で渡った。駄六川だった。駄六川をさかのぼると、鋳物師の臂岡天満宮や伊丹廃寺跡。

左手(東)には松谷化学が見えていた。西国街道歩きで横を通った、猪名川の西側にあった建物群だ。


それから西国街道で歩いた「辻の碑」のところに出た。

西国街道で歩いた「多田街道との辻」。西国街道歩きでは、松谷化学からずっと味気ない道を歩いてきて、すごく素敵に思えた。けれど今回はほぼほぼ旧家の中を歩いてきたからか、そうでもなかった。

そのまま進むと水車があった。地元の有志の人たちが再現したという水車。周りは新興住宅地だった。

それからすぐ伊丹坂トンネルのところに出た。横を走る13号線に。

ここまで全くパン屋も見当たらず歩いてきて、空腹だったので近くのコンビニエンスストアでゲット。散歩してきて、コンビニで軽食を確保したのって初めてだった。

最後までお店が無くて、なにも食べないまま帰宅したこともある。それを思えばコンビニでも十分だった。

13号線の西側、伊丹段丘の下の道を南下していった。

途中、右手に公園があって、ここから伊丹段丘の上、伊丹緑地に上がった。ちょうど白洲邸跡のところだった。ここを南下。

伊丹緑地をずっと行くと猪名野神社の裏手で、神社の表の参道を進むと「ことば蔵」(市立図書館)、金剛院。前にも歩いたところ。

そのまま南下して2つ目の信号を左折すると、旧岡田家と旧石橋家だった。

岡田家は作り酒屋で、酒蔵とお店があり、お店は17世紀の建物だったそうだ。相当にぼろぼろだったのを伊丹市が買いとって、解体修復したみたい。酒蔵は18世紀のもの。どちらも国の重要文化財。

石橋家住宅は元は猪名野神社の門前通りにあった江戸時代の町屋で、震災後にここに改修移築したのだって。

岡田家の西側まで引き返して南下していったら、面白い建物ばかりだった。そこにテナントなどが入り、魅力的な通りになっていた。交差する道も素敵だった。

右は阪急伊丹駅、左はJR伊丹駅という通りで、酒蔵通りというらしかった。

都市景観形成道路に指定されていて、意識して酒造や寺院が魅力的に残されているみたい。

「長寿蔵」って酒蔵だったところが、今は素敵なレストランになっていたりした。

多田街道は多田神社と伊丹郷を結ぶ道で、ここが伊丹郷の中心だったあたりらしかった。

伊丹郷は元は南北朝時代の頃に建てられた伊丹城の城下町だったところ。後に伊丹城は荒木村重が入って有岡城となり、荒木村重が織田信長に謀反を起こしたものだから攻め落とされ、廃された。

江戸時代になると伊丹で澄んだお酒、清酒が発明され、池田と共に酒造で大いに栄えたそうだ。上質な酒として江戸で大人気で、ほとんどが江戸に送られたのだって。最盛期には伝法から舟でじゃんじゃん送られていたみたい。

それで酒蔵が多いんだな。

酒蔵通りを阪急電車の方に行くと広場があって、大蓮寺や法厳寺ほうがんじなどお寺もいっぱいあった。法厳寺の大くすがすごい立派だった。そして広場は気持ちがいい!

憩いの場所になっていて、人もいっぱいいた。通り道にして急ぎ足で行くもよし、ゆっくり休んで行くもよし。

パン屋サンブレッドなるところでお土産にパンをゲット。JR伊丹駅からおうちに帰った。

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