大阪城公園と令和
梅園を見に2回通った大阪城公園に、今度は桜を見に行った。
大阪城公園はリニューアルして素敵になっていたから、前に散歩していて見た大阪工廠跡の建物辺りはどうなったのかな?と思って、それも確かめつつ大川沿いを歩くことにした。
地下鉄森ノ宮駅へ。
もうすっかりおなじみになった大阪城公園を噴水方向に向かい、本丸近くの高台へと上っていった。
いつもの梅園はここを右手に下っていったところ。高台から見下ろしてみると、すっかり花は散り、個性の分からなくなった同じような梅の裸木が、整列して並んでいた。
梅園とは反対方向の豊国神社の方向へ。それから大阪城を右手に見つつ、西の丸庭園方向に向かった。
修道館を過ぎたところには「石山本願寺推定地」とあった。
生玉八坊の1つ、法安寺の東側に小さな坊が建てられたのが石山本願寺の始まりと言われるらしく、ここはその坊があったと思われるあたり。
生玉八坊は、生玉さんこと生國魂神社の8つの坊のことで、生國魂神社は前に「天王寺の七坂」を歩いていて一番北の真言坂を上ったところにあったけれど、元はここが鎮座地だった。そしてここが大阪城になるので立ち退きになった。
伝わることには初代神武天皇の創建で、祭神は生島神、足島神。古すぎる話で詳細は不明。
「大阪城公園城内詰所」なるレンガ塀の建物があった。
立入禁止で、なんだかいかめしく、ここも元は軍関係の施設だったのだろうなと思われた。
帰って調べると、陸軍第4師団通信隊の駐屯地で、その後、陸軍刑務所になっていたこともあるらしく、このレンガ塀はその時のものと思われるのだって。
真田山陸軍墓地で知ったことには、大阪では陸軍所が明治3年に設置。後に「大阪鎮台」の管轄下に入ったのかな、そして大阪鎮台は後に「第4師団」に。
西の丸庭園は入園料350円だって。普段は200円だけれど桜シーズンは350円らしく、中をのぞくと桜がいっぱいだった。人も結構いた。
櫓の内部も特別公開中で、チケット売り場に人が並んでいた。外国の人が多かったかな。
それから大手門口へ。
いったんここから出て行って、外濠の外側から北に向かうことにした。大阪工廠跡はこの北の方だった。
大手門口には「市多聞跡」とあった。大手門は正面玄関みたいなものだそうで、確かにそんな感じがあった。今でいうと、超高級で超ビッグなデパートの、息をのむ玄関口、そんな感じ。
立派な門や、びっしり積まれた石垣、その石の大きさ、高い位置に遠く小さく見える城、それを見ると、ここに入ることだけで特別なことに思えそうだった。
外国の人もいたけれど、全体的に人は少なくて、ツアー客はあまりここまで来ないのかな? はるばるやって来たら、ここも見てほしいような気がした。
桜も石垣と一緒に見れて、きれいだった。
門を出ると、北上。
大手前給水場の古い建物があり、すぐ西の上町筋の向こうには大阪府庁があった。
大阪城は少し北寄りの西側を向いているように見えたけれど、ずっと後になって知ったことには、天守閣って四方を向いているんだな。。
追手門学院の建物が西や北にいくつかあり、前年が130年周年だったらしかった。大阪城の大手門での説明で知ったことには、大手門は「追手門」ともいうのだって。大阪城の大手門そばにあるから追手門なのだろうな。
外濠沿いに北に進むと、ずっと遊歩道のようになっていて、大阪工廠跡も遊歩道からすぐのところにあった。
前に見た時よりも崩壊が少し進んでいるように思った。けれど前のままにまだ残されていた。
そのまま進み、すぐの歩道橋に上っていった。大阪橋だって。
道路向こうに日本経済新聞社が見えていて、そこに「新聞輸送」と書かれた車がぞくぞくと集結してきていた。みんな同じミニバンの、ホロのついた車。敷地内にスペースがなくなり、やってきた車は大阪工廠跡方面に走って行った。
新しい元号が午前中に決まるという日だったから、号外を積んで走るために集まっていたのかな?
大阪橋は寝屋川を渡り、土佐堀通も越えた。
振り返って見た大阪城は素敵だった。川(寝屋川)と桜と大阪城が一緒に見られた。
地上に下りたら、今度は地下道があって、京阪電車の下をくぐれるようになっていた。
線路をくぐったら、川沿いの遊歩道だった。大川沿いが公園になっていて、対岸には造幣局のある桜の名所。
ところが桜は3分咲きくらいだった。
大川沿いの桜も、大阪城の桜も、間近に見上げる桜はきれいだった。けれど対岸に遠く見ると、まだまだ白くさえなかった。
桜に迫力がないと、大川沿いの風情の無さが目立ったかな。
対岸に屋台が並んでいるのが見えた。大川クルーズの船も雰囲気はなく、サッカー場があったり、大声を出している若者がいたり、煩雑過ぎた。
おまけにすごく寒かった。花冷えというのか、寒の戻りというのか、気温は低く、風は強かった。おまけに雨が降ったりやんだり。
寒空の下で見る桜は、そんなにいいものじゃないな。花をめでる余裕がいまいちない。やっぱり暖かい中で、満開の桜を見るのがいいや。
それでも大川沿いを北上して行くと、面白いところもいくつかあった。
きれいな花が咲いているところは、藤田邸跡公園。男爵だった藤田さんの屋敷の日本庭園だったところらしかった。
すぐの桜宮橋のたもとには、自分の所有物を快適に配置して、そこを自分の空間にしてしまった人たちのスペースが並んでいた。長屋型ホームレスって感じに。
等間隔のスペースに区分けされたところに数人が住み暮らしているみたいだった。ホームレスってほとんど見なくなったようだけれど、まだ存在しているんだな。
それから桜宮神社。
道の横で狭そうだった。それに周りはラブホだらけだった。
水害に遭ったりで、詳細は不詳らしい。桜宮にあるから桜宮神社なのかと思ったら、ここが桜宮と呼ばれる神社だったので、地名も桜宮になったのだって。
それから次には水辺の公園が現れた。
「ふれあいの水辺」って名で、浄水した水を流し、周りを砂浜にして柵で囲い、中で遊べるようになっていた。
寒いのに、信じられないことに足まで水に入って遊んでいる子どもたちがいた。あと、ビーチバレーする大人たち。
ここをそのまま進むと行き止まり。赤い橋を渡って、源八橋の下をくぐって、進んでいった。
そこからJRの線路の手前までの桜が一番きれいだった。開花も一番進んでいて。
都島橋(都島通)の下もくぐり、まだまだずっと歩いていくつもりだった。大川沿いに淀川まで行って、そこからは淀川沿いを歩いていこう、と。
けれど、何度も雨に降られていて寒いし、都島通に上がっていった。ここからすぐらしい都島駅からもう帰ろうと思って。
駅に向かう途中、都島神社があった。後白河法皇がやって来て、水害に見舞われたことをいたみ、神社を祀るよう言ったのだって。
宝篋印塔がたっていた。これは鎌倉時代のもので、大阪市で最古の石造物らしい。
それからパン屋を探したのだけれど、マルルー、三好パン、どちらもお休みだった。残念だったな・・・。
新しい年号を、おかあさんとわたしは、だれかの会話なんかで知ることになるかな、と思いつつ歩いていた。
けれど全く聞かないままでおうちに帰った。そしてテレビを見て知った。新しい年号は「令和」だって。




