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大阪を歩く犬6  作者: ぽちでわん
17/42

西国街道を中河原から

右手に旧家が並んでいた。地名は下井町。

新豊川橋交差点で国道171号線を渡って、道の続きを進んでいった。

右手の水路沿いに家があり、そのドアの前には水路に板が渡されているのが面白い光景だった。

宿河原バス停と信号があり、信号を渡った先には「歴史の道・西国街道」の案内があった。道はグレーっぽく舗装されていて、「本陣跡入口まで100m」とあった。

カラー舗装された道に「本陣跡」ときたら、枚方宿や富田林みたいに並んだ旧家が素敵なお店になっていたりするんじゃないかと、ちょっと期待していた。そこにパン屋でもあったらいいな。

けれど、街道沿いには今や普通のおうちも建ち並び、街道は普通の公道と変わらず、わざわざ来る人もほぼいないようだった。お店も皆無。

宿口さんなんてお宅があり、本陣跡が現れた。

「椿の本陣」と呼ばれたのは、門のところに立派な椿があったかららしい。今も椿はあった。見ごろはちょっと過ぎていたけれど、花もいっぱいつけていた。

本陣跡は史跡で、見学も本来はできるようだった。けれど北部地震のため、安全が確認できるまで見学中止だって。

享保6年の建物らしかった。

本陣というのは、大名の休憩所や宿泊所。西国街道を行く大名のために、土地の名家のお屋敷が本陣になっていた。


続きを進むと、右手には勝尾寺川、左手は山で、竹林なんかだった。けれどその左手が、歩いているうち、すっかりニュータウンにかわっていった。新しい家々が建ち並んで、街道を見下ろしてきていた。

宿河原西会場なる公民館があり、「右かつを・・」とある道標があった。

このあたりではピンクっぽい色のカラー舗装になっていた。その舗装が右折する道に続いていたので行ってみると、ここにも巡礼橋がかかり、川に向いて地蔵が並んでいた。ここでは顔は描かれていなかった。ほとんど石に近いようなお地蔵さんたち。

椿の本陣手前で西国街道に合流してきた道祖本街道が、ここで西国街道から分かれ、勝尾寺川を渡って北西に向かうみたい。

西国街道を進むと勝尾寺川を鍛冶屋橋で渡り、新鍛冶屋橋北詰交差点へ。

このあたりでは梶さんのおうちが多かったように思ったけれど、鍛冶屋と関係があるのかな?

蛇行して流れる勝尾寺川の左岸をしばらく西に向かった。地名は豊川だった。

左手に鳥居と灯籠があり、その先には児童公園があって、その奥には階段が見えていた。小さな公園に入っていくと、その向こうに勝尾寺川が流れていた。川沿いは田舎の様相だった。

川を渡ると階段は、広々とした木々のアーチの中を、山に上っていく感じになっていた。たどり着いたのは春日神社だった。

木立の中、階段を山の中に上っていった先にあった神社は割拝殿で、中に入っていくと、二対の小さな狛犬が、赤と白の首掛けをして、苔むしてちんまりといた。

そして小さな本殿があった。空気が違っていた。こんなに小さくても、十分に素敵な神社だった。

創建については不詳。祭神は春日神社だからアメノコヤネ。中臣系の祖ね。


町中にいても手がかじかむようだったこの日、山では手足がとっても冷たかった。

一帯は摂関家(藤原氏)や、その氏神、春日大社の荘園、垂水東牧だったところなんだって。平安時代の頃かな?

豊島てしまの垂水西牧とともに、元々は摂関家の牛や馬を育てる牧だったと思われるそうだ。けれどそのうち田畑になっていって荘園に。それでここもまた春日神社がいっぱいあるらしかった。

道祖本というのは、今ではこの南の地名みたい。

けれどかつては、道祖本はもっと広い範囲を示し、豊川の広い範囲も道祖本の一部だったのだって。

道祖本ほか、周囲の村々(小野原、粟生、宿久庄、清水)が合併して豊川村になっていた時期があったらしく、このあたりも元は道祖本だったけれど、豊川の地名を残したみたい。

同和に関わる問題(結婚差別による事件)が起きたとき、道祖本事件と呼ばれて有名になってしまい、名を変えたかったのかも・・・。


西国街道をもう少し西に進んで右折すると、ここにも神社があった。

道祖どうそ(さい)神社だった。ここも創建などについて詳細は不明。

道祖神は「さい(賽)の神」とも言われて、それでこのあたりの地名が道祖本さいのもととなったと考えられているそうだ。

道祖神社は春日神社と向かい合うくらいの位置関係だった。けれどこちらの道祖神社は東寄りを向いて、目をそらしていた。

山下橋で勝尾寺川を越えると、左手にコリア国際学園が見えた。

この少し北側で、箕川が勝尾寺川に合流してきていた。

少し古いニュータウンの端っこみたいなところを歩いた。左は高台になっていて、池のようだった。上がって光景を見てみたかったけれど、柵があって上がれないようだった。

少し北に行ったところにパン屋があって、寄ってみた。スワンなるパン屋だった。全国展開しているのだって。福祉会が経営しているようだった。人気BEST5が書かれていて、それを参考にパンをゲット。

そのまま進むと大阪モノレール豊川駅。

全然知らなくて、てくてく歩いていってしまったのだけれど、この少し北は宿久庄や清水で、春日神社や新屋神社(3つあるうち、唯一まだ行っていない宿久庄の新屋神社)があったようだった。

駅を過ぎるとすっかりニュータウンだった。地名は小野原。

このあたりからカラー舗装が道路の端だけタイル調ってものに変わった。

市も変わって、茨木市から箕面市に入ったようだった。

荒内谷川(箕川の支流)を渡って進み、小さな小野原東公園で休憩をした。

ショコラパンがおいしかった。ショコラなんてめったに口にできないからなあ。

これも「いい子はマネしないでね」の案件ね。チョコを食べたりするとアイケンカは黙っていない。

チョコは犬のNGフードなんだって。けれど理由は、アメリカで板チョコを何枚も食べた犬が亡くなって、雑誌などが「NGフード」呼ばわりするようになったからみたい。

板チョコ何枚もはやばいと思うけれど、散歩のときの一口くらいは食べさせてほしいなあ。


鳥居が現れて、小野原の春日神社の旅所のようだった。

このあたりも藤原氏の広大な荘園、垂水牧だったところ。すぐそばには灯篭や道標があって、「楠水龍王」とあった。

楠木正成が、負け戦さを覚悟で湊川に向かう時、小野原で井戸水を賞味したといわれているのだって。

後醍醐天皇が建武の新政に失敗して、ないがしろにされる武士の代表として足利尊氏がたちあがり、南北朝の戦いに。

もう世の流れは尊氏にあったから、和睦をと楠木正成は言ったけれど天皇は聞き入れず、敗色濃くなっても現実を受け入れなかった。

楠木さんは「桜井の別れ(息子との今生の別れ)」をして西国街道を湊川に向かったのだって。

いったん九州にひいた尊氏軍が海をやって来て、上陸するのが湊川だったみたい。そして1336年旧暦5月25日、湊川で尊氏死す。

その少し前に賞味したっていう井戸水が地元にあれば、人々は花を手向け、手を合わせたことだろうなあ。

あたりは稲野さん他、大きな旧家ぞろいだった。


小野原南交差点で府道120号山田上小野原線と交差した。

それから右手に正念寺。

稲野さんや笹川さんがいっぱいだった。

右手は下り(箕川が流れている)、左手には上りで、上りの先がなんだか不思議な感じだったので、進んでいってみた。ここにも笹川さんの味のある旧家がいくつかあった。そしてバス通りを越えた向こうに神社があった。春日神社だった。

名誉市民笹川良一さんの碑があった。天然痘を撲滅するのに偉大な功績があった、みたいなことが書かれていた。笹川さんは明治から平成を生きた豊川村の人なのだって。

川端康成(宿久庄の出)とは旧友で、小学校も同級、おじいさん(どちらも地元の有力者)同士も友だちだったのだって。

ムッソリーニを信奉し、ムッソリーニに会ったこともあるそうだ。右翼のドンと呼ばれる人だったけれど、戦争には積極的ではなかったのだとか。

戦後は競艇の創設者として有名になったみたい。

小野原春日神社は、平安時代に春日神社となる前は榊輪神社といったのだって。奈良時代、榊の木を切って開拓したからなんだとか。

今も榊輪神社も合祀されていて、祭神はアメノホヒとフツヌシだった。

古いところだった雰囲気はあったけれど、今やきれいなバス通りが走り、周辺は新しく改修されていた。

ここをもう少しだけ南に行けばサニーサイドなんかがあったようだった。他にもパン屋などがいっぱいあったみたい。吹田市(千里)との境に近く、新しく拓かれたのかな?

けれど神社の向こうがそんなことになっているとは思いもしなくて、西国街道に戻っていった。途中、素敵なところがあってちょっと散策したりしつつ。


西国街道に戻り、川を渡ると道は上りになった。川は箕川の支流かな?

苗代さん、勝野さんが多かった。

右手に鳥居が現れた。勝尾寺の鳥居で、ここから北に約4kmの道が表参道なのだって。

鳥居は1666年のものと説明にあったけれど、やけにきれいだった。ここから始まる丁字石は、13世紀の、日本最古のものもあるのだって。

このあたりも古い一帯だった。

さらに進むと左手が高台になっていて、墓地公園だった。ニュータウン建設にあたって、墓地も確保されたとかかな?

それから今宮交差点で、国道171号線にちょっとだけ横から接して、また離れていった。

ここが前に歩いた呉服街道の終点。ここで呉服街道が西国街道に合流するのだって。ここを北に行けば、前に寄ったイナツヒコ神社。


そのまま道の続きを歩いていった。

野菜100円、はっさく200円とか、無人の販売所が2カ所だけだけどあって、田舎の風情だった。

けれどすぐ北は国道で、その道沿いはにぎやかだった。

青面金剛とある庚申塔があった。けれど横の灯籠は倒れていて、そのままだった。

道はそれから結局、国道に合流。Q'sモールとかもあってびっくりした。西宿西交差点、萱野交差点とずっと都会の様相だった。

萱野交差点(新御堂筋との交差点)では、線路(北大阪急行)の延長工事中だった。

萱野4丁目交差点まで進み、左折。

すぐの、ベンツの並んでいるところを越えて右折。この道を道なりに進んでいった。

国道を離れると、また、あっという間に田舎らしくなった。そしてここは、かなり古い一帯だった。

ときどき、一帯全部が古くて、きりがないからかえって歩き回る気がしないってところがある。法隆寺とか、太子町とか、竹之内とか。このあたりもそうだった。大きな旧家ばかりだった。もうほとんど別世界だ。

途中、萱野三平邸跡があった。忠臣蔵で有名な人らしい。その屋敷跡に涓泉亭が建てられ、資料などが展示されているらしかった。

忠臣蔵って赤穂の話だったと思うのだけれど、萱野さんはここの生まれらしい。清和源氏の出だそうだ。鎌倉時代の頃からここに豪族として住んだ一族で、村の名をとって萱野。

赤穂の浅野さんの家臣となったのは、父のボスの推挙があってのことだったそうだ。

萱野さんは俳句に秀でていて、そのペンネームが涓泉だったんだって。

そして赤穂浪士に名を連ねることになり、27歳でここで自害。討ち入り前のことだったそうだ。


それからもしばらく大きな旧家が続いた。

記憶に残るところだった。市街地にほど近いのに静かで、懐古の風が吹いているようなところだった。

道なりに進むと萱野三丁目南交差点でバス通りに交差し、左折して南に行くと萱野三平の墓、右に行くとツバメの巣専門店、とあった。

ツバメの巣のデザートの出てくるカフェだって。ツバメの巣も売られているみたいで、100gだと値段は5万と少し。ツバメもびっくりだろうなあ。自分の知らないところで「専門店」なんて出されてさ。

そのまま進むと鍋田川を過ぎた。地名は稲で、お地蔵さんなどがいっぱいいた。今は為那都比古神社に合祀されている為那神社が祀られていたっていうところだな。縄文時代のものも見つかっているところ。

晴れているのにぱらぱらときて、キツネの嫁入りかと思ったら、少しだけ雪が降っていた。

また国道に近づいていき、新しい家々の中に入っていった。ゴミ置き場には「資材持ち去りの場合、罰金10万円」とあった。条例ってやつかな。

また国道に合流し、国道を歩くことになった。牧落交差点を過ぎ、次の横断歩道のあるところで右手の道へ。

このあたりは牧野さんが多かった。豊嶋牧なる馬の牧場があったらしく、それで「牧落」に「牧野」さん、かな。

豊島牧は平安時代になって、鳥養牧(摂津市)なんかと一緒に設置された6つの近都牧のうちの1つ。

垂水牧といい、このあたりは牧場に適したところだったんだな。というか、水源に乏しく、土もいまいちで、農業に適していなかったみたい。

近都牧は各地からの貢物の馬を放牧していた官営の牧場だったそうだ。必要となったときに利用できるように。

高札場跡があり、ここは箕面・大坂道(箕面街道)と西国街道との辻だったところなんだって。箕面街道は曽根(豊中市)あたりで能勢街道から分かれ、箕面の滝の奥の方まで進む道。

右手に神社が現れた。牧落八幡宮だった。江戸時代、石清水八幡から勧請したそうだ。地名は百楽荘で、新興住宅地になるにあたりつけられたのだって。

もう少し行くと桜井駅(阪急箕面線)だった。

駅の近くで、グッドマンなるパン屋を見つけて寄り、桜井駅からおうちに帰った。

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