船の無い船乗りは無職も同然
シンノスケは2週間の入院の後、無事に退院した。
退院はしたものの、船が無いので仕事も出来ないし、セイラとミリーナはアイラの護衛艦に乗って仕事に行っている。
シンノスケとマークスはすることもなく、空のドックの隅にある事務所でぼんやりとしている。
「ケルベロス、沈んじまったな・・・」
「そうですね」
「これからどうしたものかな?」
「そうですね、幾つか選択肢はありますが、自由商人を続けるなら新しい船が必要ですね」
「船って高いよな・・・」
「組合からの補償もありますから中古の護衛艦くらいなら買えますよ。今までの蓄えもありますから少し頑張れば新造船でも可能です」
「でも、ケルベロス程の船は手に入らないよな・・・」
「それはそうですね」
「ケルベロス、良い船だったな・・・」
シンノスケは心にぽっかりと穴が空いたようで、全く気力が感じられない。
「自由商人を辞めるという道もありますよ。今までの蓄えでセラさんとミリーナさんに十分な退職金を払っても一生遊んで暮らせる程の財産が残ります」
ある程度の仕事を積み重ねた自由商人は基本的に大金持ちだ。
但し、仕事を続ける以上は船の維持管理費用やその他の諸経費も膨大なものであり、逆に金が掛かる。
「一生遊んで暮らすか、それもいいな・・・。で、一生遊ぶって何をして過ごせばいいんだ?」
「私は遊ぶという行動をしませんので知りません。マスターこそ、何かしたいことは無いのですか?」
「あればこんなとこでボーッとしていないな。・・・一生遊んで暮らすってのもつまらなそうだな・・・」
まるで意味の無い会話を重ねて時間ばかり過ぎてゆく。
「そういえば、マスター、今日はお茶がすすみませんね」
シンノスケの前には封を切った合成フルーツ茶が置かれているが、中見は殆ど減っていない。
「ああ、何だか美味くなくてな、全然減らない・・・」
「美味くないって、マスターはそのお茶を美味しく感じていたんですか?」
「いや、元々美味くないな・・・」
「相変わらず辻褄の合わないことを言いますね」
「細かいことを気にするなよ・・・」
「細かいついでに、マスター、なぜ眼帯をしているのですか?」
「右目と左目の視力の差がありすぎて頭が痛くなるんだよ。新しい眼鏡を作らなくてはな。それまでは眼帯で凌ぐさ」
「ですから、義眼のおかげで左目の視力は正常になったのでは?」
「そうだな、左目はよく見えるな」
「なら、なぜ左目に眼帯をしているのですか?」
「自分でも分からん・・・。加えて、俺達がこんな不毛な会話を続けている理由も分からんな」
「私にも分かりませんが、多分マスターに原因があるのでは?」
「そうだよな・・・何もすることがないというのは辛いな。この体たらくでは、自由商人・・船乗りを辞めても1週間と耐えられそうにないな・・・」
「なら仕事をしなければいけませんね」
「そうだな。労働は尊いものだよ・・・」
その時、ドックのインターホンが鳴った。
「マスター、お客様ですよ」
「船の無い船乗りに客なんか来る筈が無いだろう・・・」
相変わらずグダグダしているシンノスケに代わってインターホンのモニターを確認するマークス。
「自由商船組合のリナさんですよ」
尋ねて来たのはリナのようだ。
「リナさんが?何だろう?仕事の話かな?」
「いえ、そうではなさそうです。リナさんは平服姿です」
普段から世話になっているリナが来たとあれば無視は出来ない。
シンノスケが扉を開けると、確かにそこに立っていたのはリナだった。
見慣れた組合の制服ではなく、薄い黄色のワンピース姿が新鮮だ。
「シンノスケさん、デートに行きましょう」
突然の誘いにシンノスケは面くらった。
「デートとは?そのような約束をしていましたか?」
「いえ、約束はしていませんが、先程マークスさんに問い合わせたら『マスターは暇をもてあましています、いつでもどうぞ』って返信がきましたよ」
満面の笑みを浮かべるリナ。
とてもではないが、断れるような雰囲気ではない。
「マスター、こんな所でグダグダしていないで気分転換でもしてきてください。リナさん、マスターをお願いします」
「はい、任せてください。さっ、シンノスケさん行きましょう!」
まだ行くと答えていないシンノスケの手を取って歩き出すリナ。
ドックの前には2人乗りの小型車が止まっている。
リナの私有車のようだ。
「ちょっ、分かりました、リナさん。行きますから、あまり引っ張らないで。マークス、お前、帰ったら覚えておけよ!」
「いえ、メモリーから消去しておきます。マスターが帰ってくる頃には忘れていますので、気兼ねなく楽しんできてください」
シンノスケはリナの車に押し込まれ、連れ去られていった。
リナが最初にシンノスケを連れてきたのはファッションアクセサリーショップだった。
「シンノスケさんにプレゼントがあるんですよ。さっ、入りましょう」
シンノスケを押すようにして店に入る。
リナが予め予約しておいたのか、店員が準備を済ませて待っている。
カウンターの上に並べられていたのは数々の眼鏡のフレームだ。
視力矯正のために眼鏡を掛けることが珍しいこの時代では眼鏡店は存在せず、眼鏡というものは装飾品としてこのようなファッションアクセサリー店等で取り扱っているのである。
無論、視力矯正用にレンズを加工することも可能だ。
「シンノスケさんが掛けていた眼鏡のデザインを参考に私の見立てではこの辺りのデザインが好みだと思うんですが?」
リナが選んでおいた眼鏡はどれもシャープなデザインでありながら、フレームはしっかりとした造りのものであり、確かにシンノスケ好みのものばかりだった。
「凄いですね、私の好みというか、拘りがよく分かりましたね」
「はい、シンノスケさんはあまり軽いフレームはお好きではないのかな?と思いました」
「確かにそうですね、長年眼鏡を使用していたせいか、流行りの軽いフレームはしっくりこないんですよ」
「ですよね。さっ、好きな物を選んでください」
リナがシンノスケのためにここまでお膳立てしたのだから、遠慮するのは野暮というものだ。
シンノスケは数あるフレームの中から以前のフレームに似たデザインで、いぶし銀色のフレームを手に取った。
「これがいいですね。とてもしっくりきます」
シンノスケが手に取ったフレームを見てリナは目を輝かせた。
「わっ、嬉しい。実はそれ、私がデザインしてオーダーメイドで作って貰ったものなんですよ。シンノスケさんに選んで貰えてとっても嬉しい!」
「ちょっと、リナさん。そういうことなら最初から言ってくださいよ」
「そうは言っても、やっぱりシンノスケさんが選んだ物が1番ですからね。もしも選んで貰えなかったら予備の眼鏡としてプレゼントするつもりでしたし」
シンノスケは自分のファインプレーについて心の中で自分を褒めた。
それはもう自分の選択を大絶賛した。
結局、シンノスケが選んだリナがデザインした眼鏡と、リナが選んだやや赤みがかったシルバー色の眼鏡の2つをプレゼントして貰うことになった。
直ぐに右のレンズにのみ矯正加工を施して、シンノスケは無事に両目の視力を取り戻したのである。
新しい眼鏡を掛けたシンノスケの顔をまじまじと見たリナは大きく頷く。
「うん、やっぱり眼鏡を掛けている方がシンノスケさんらしいですね。とっても素敵ですよ」
「ありがとうございます」
リナは再びシンノスケの手を握った。
「さっ、シンノスケさんの視力も戻ったことですし、次に行きましょう」
「えっ?次って?」
「到着するまでは内緒です。そこでシンノスケさんにお願いがあるんです」
「お願い?」
「さっ、行きましょう」
リナは車を発進させた。