そこにいる少女
「生き残りがいたのか!」
「直ぐに助けないとっ!」
通路に佇む少女を見て思わず駆け出しそうになるシンノスケとミリーナ。
「お待ち下さい!」
マークスが通常会話を遥かに上回る音量でシンノスケ達を止めた。
思わず踏みとどまるシンノスケとミリーナ。
マークスの大声にシンノスケは冷静さを取り戻す。
「そうか、エメラルドⅢが遭難したのは76年前。冷凍睡眠装置でも使用しなければ10歳程の女の子が存在するはずはないな・・・」
「はい。彼女からは体温が検出されません。加えて周囲の空気の流れも乱れていません。つまり、彼女はそこに存在していないのです」
無感情に説明するマークス。
「だったらあの子は何なんですの?怯えながらも私達に助けを求めているんじゃありませんの?」
ミリーナも頭では理解しているようだが、気持ちが追いついていない。
「私にも分かりません。気体の密度変化による現象か、電子による歪みやプラズマによる幻影が人型を形成している可能性があります」
「マークスにもあの子が見えているのか?」
「はい。私のカメラでも彼女の姿を捉えています」
「マークスが説明した事象であんなにはっきりと女の子の姿が浮かぶか?」
「いえ、あのように明確に人の姿となる可能性はゼロに近いです」
シンノスケとマークスがそんなやりとりをしていると、通路の先に佇んでいた少女は寂しそうな表情を浮かべると通路の先に走り出した。
「おい、マークス。お前の言うプラズマとやらはあんな表情を見せたり走り出したりするか?」
「あり得ません」
「そんなことを言っている暇はありませんわ!助けに行かないと!」
「待てっ、ミリーナ!」
ミリーナはシンノスケが止めるのも聞かずに少女を追って駆け出した。
「マズい!マークス、追うぞ!」
「了解」
シンノスケ達はミリーナの後を追うが、その時には既にミリーナは通路の角を曲がってしまい、見失ってしまう。
「チッ!どっちに行った?仕方ない、マークス、二手に分かれよう」
「二手に分かれるのは反対です。このようなケースのセオリーに反します。加えて『ここは二手に分かれよう』はアクネリア軍非公式軍規第12条に抵触します」
マークスが反対するのも分かる。
非公式軍規云々以前に宇宙軍の行動マニュアルで他船に対して臨検する場合には単独行動を避けるように明記されているのだ。
「分かってはいるが、冷静さを失ったミリーナを1人で行動させることの方が危険だ」
それでもシンノスケは手分けすることを選択する。
シンノスケが判断したのならマークスは強硬に反対はしない。
シンノスケとマークスは二手に分かれてミリーナを探すことにした。
マークスと分かれて1人薄暗い通路を進むシンノスケ。
船内マップを確認すると、この先にあるのはレストラン、娯楽施設等だが、その手前には非常用設備に通じる通路がある。
非常時以外は強固な扉で閉ざされている筈だが、扉のロックが外されて解放されていた。
「この先に冷凍睡眠装置がある筈だな・・・」
数が足りないとはいえ、冷凍睡眠装置が使用されていないのはあまりにも不自然過ぎる。
シンノスケは装置の状態を確認することにした。
この通路は船の右舷側に沿っていて、脱出艇の乗り込み口もあるが、使用されている脱出艇は船長の記録にあったとおり1隻のみだ。
そして、その先には冷凍睡眠装置管理室があった。
管理室の扉もロックされていない。
立ち入ってみるも、管理室内に異常は認められない。
「船内で争った様子もない。何故冷凍睡眠装置を使わなかった?」
シンノスケは違和感を覚えた。
シンノスケとてエメラルドⅢのような事故を体験したことは無いが、このような事故が発生したらその船内では少なからず争いが生じることは容易に想像できる。
我先に脱出しようとする者、冷凍睡眠装置に入ろうとする者の間で争いが生じる筈だ。
しかし、エメラルドⅢの冷凍睡眠装置は起動しており、装置の中に入れば冷凍睡眠状態に入れる状態にありながらそれを使用している者が本当にいないのである。
シンノスケが違和感を覚えるのも当然だ。
「まあ、ここで1人で考えていても答えは分からない。それよりもミリーナを探すことが先だな」
冷凍睡眠装置管理室にミリーナの姿は無かった。
一方、シンノスケと分かれたマークスは船の後部、機関室や倉庫等が集まる区画を捜索していたのだが、今、マークスの目の前に先程の少女が立っている。
その距離僅かに数メートル。
少女はライムグリーンのワンピースを着て、可愛らしいネックレスを首に掛け、マークスを見上げている。
(体温検知されず。身体の透過率35パーセント。実体でないことを確認)
マークスが少女に向かって手を差し出しながら一歩踏み出すが、そんなマークスに少女は不安そうな表情を浮かべて後ずさってしまう。
(接触拒否の姿勢。その表情から私に対して恐怖していることが認められる。何らかの意思を持つ存在であると推定)
マークスは手を差し出したまま、その場に膝をつき、少女に対してゆっくりと語りかける。
「怖がる必要はありません。私の名はマークス。見た目は怖いですが、貴女に危害を加えるつもりはありません。貴女のお名前を教えてもらえますか?」
マークスの問いかけに少女は困惑した表情を見せるが、やがて笑みを浮かべ、直ぐに困ったような表情に変わった。
コロコロと変わる表情が愛らしい。
「私の言葉は認識できるようですが、貴女は声を発せられない。実体の無い貴女では仕方ありませんね」
それでも、マークスのカメラにも少女の姿ははっきりと映っている。
その少女は確かにマークスの前に存在しているのだ。
マークスは少女を刺激しないようにじっと動かずに少女の反応を待つ。
マークスの内蔵タイマーで3分15秒間、お互いに見つめ合っていたが、少女はマークスの差し出したままの手に自分の手を合わせると、忽然と姿を消した。
マークスは少女が合わせた自分の手の状態を確認する。
「接触の痕跡なし。彼女からの何らかのメッセージと判断」
マークスは少女の背後にある扉を見た。
エンジン冷却システム室。
エンジンの冷却液を一定温度に保つための冷却装置のある部屋で、室内は常に-20度を保っている。
マークスは立ち上がると扉に手を掛けた。