XD-F00 ケルベロス
翌日、シンノスケは義父から相続した艦の引き渡しを受けるべくサイコウジ・インダストリーを訪れた。
シンノスケの艦である「XD-F00ケルベロス」は、元は軍の新規駆逐艦配備計画のコンペティションに参加するためにサイコウジインダストリーが開発建造した高機動軽駆逐艦の試作艦だった。
しかし、その性能が駆逐艦としての運用基準の要求を満たないことから、コルベットに艦種が変更された艦だ。
コルベットに変更したものの、コルベットにしては建造コストが高いことから軍の採用は見込めないと判断され、開発が中止された。
とはいえ、その性能は高く、20隻程度を指揮する指揮艦機能を有していることからサイコウジ・カンパニーの船団護衛に運用することを想定し、カンパニーの前会長の個人所有に艦籍を変更した矢先に前会長が亡くなり、シンノスケが相続したというわけだ。
サイコウジ・インダストリーの一室でシンノスケの前に座る係員が手続きについて最後の確認を行っている。
「確認しました。カシムラ様を艦長とし、XD-F00の護衛艦業務のための武装について宇宙治安局の承認の他、法律上の必要な手続きは完了しています。後は商船組合に登録すればこの艦を各種業務に運用することができます。なお、実体弾の宇宙魚雷とミサイルランチャーは全装填してあります」
説明しながらシンノスケの端末にデータを転送する係員。
各種手続きから武装やエネルギーまでフル装備で引き渡しとは随分と待遇がいい。
「サービスがいいですね。義姉の差し金ですか?」
「それもありますが、どちらかというと我が社としての意向の方が強いですね。契約上の代金を支払うだけで貴重な運用データを得られるんですから、当社としても割の良い取引です。大切な契約者に対しての心配りです。それから、今後の整備や修理についてはサリウス州のコロニーにも当社の整備工場がありますので、そちらに依頼してください。まあ、データ収集も兼ねていますので格安で対応します」
確かに、メーカーが建造した艦も軍用艦として採用されると、その艦の実戦データは軍事機密扱いになり、メーカーといえど最低限のフィードバックしか得ることが出来ない。
しかし、軍機に囚われない護衛艦資格を持つ自由商人の実戦データはそれらの制限を受けないため、金銭的な契約で貴重なデータを得ることができるのだ。
「なるほど。そういうことでしたらありがたく受領しましょう」
シンノスケは頷くと艦の受領確認のデータを送り返した。
全ての手続きが完了し、係員が退出すると、入れ替わりにエミリアが入ってきた。
「手続きは終わりましたね。では、私からも貴方に餞別を2つ差し上げます」
「いや、もう十分ですよ。後は私1人で気楽にやらせてもらいます」
エミリアの申し出に対して遠慮するシンノスケだが、エミリアは首を振る。
「その1人で、というのが問題です。確かにケルベロスは1人での運用が可能な船ですが、それでは船の性能を十分に発揮できません。とはいえ、事業の見通しも立たないうちはクルーを雇い入れることも出来ないでしょう。ですので、私から餞別として運用支援型のドールを1体差し上げます」
シンノスケがピクリと反応する。
ドールとは、人間の様々な業務や生活等を支援するアンドロイドであり、艦船の運用支援型ともなれば操艦から通信、兵器管制など様々な役割をこなすことが可能な高性能なもので、当然の如く非常に高価であり、下手をすると民間用の小型クルーザー程の値段がする。
とてもではないが、シンノスケの蓄えでは到底手の届かないものだ。
正直に言えばシンノスケも艦船運用支援型ドールは喉から手か出る程欲しいと思っていたのでエミリアの申し出はありがたい。
「そんなに高価なものを本当に頂いてもいいのですか?」
「構いません。元々はお父様の私有船の運用を任せていたのですが、お父様が亡くなってからはあれも暇を持て余していましたのです。それならばシンノスケが引き受けてくれた方が余程有意義ですし、あれ自身がそれを望んでのことですわ」
ドール自身がそれを望んでいるということは、エミリアが言うドールは自ら判断力を持つ自律型ドールらしい。
ドールの種類には管理者の指示命令に従ってのみ行動する受動型ドールと、基本的には管理者の指示命令に従うが、その命令に反しない限りは自分の判断で行動する自律型ドールの2種類がある。
受動型ドールは常に管理者と行動を共にする必要があるが、自律型ドールは単独での行動が可能で、管理者が役所に申請をすれば正当なる人権を認められ、一個人としての義務と権利を得ることができるのだ。
加えて生体組織外装が施された女性型ともなれば、非常に美しい外観で、頭部側面に設置されたセンサーアンテナが無ければ人と見紛う程であり、機種によっては『あらゆる意味』で人と同じ機能や感情のような機能を持つものもある。
つまり、自律型ドールは基本方針さえ示せば自分で判断して行動し、あらゆる分野において頼りになる相棒となるのだ。
こうなればシンノスケに否やはない。
それに、邪な気持ちまでは無いとしても、シンノスケも男である以上は少しは期待してしまう。
「分かりました。ありがたく受け取らせていただきます」
シンノスケが承諾するとエミリアは満足そうに頷いた。
「よろしい。これで私も一安心です」
そう言いながらエミリアは手を叩いて部屋の外に合図する。
合図に従って扉が開いた。
「お初にお目に掛かります。私は支援型ドールS-21型、個体名マークスです」
室内に入ってきたドールを見上げてシンノスケの表情が固まる。
シンノスケの前に現れたのは生体組織外装など施されておらず、見た目はメカメカしいアンドロイド。
身長は2メートル程もあり、作業服に軍用ブーツ、ミリタリージャケットを着ているものの、四肢と頭部がある外観以外は人間に寄せるつもりもない、一目で分かる、見た目など関係ない機能優先のガチガチの軍用ドールだ。
S-21型ドールは宇宙軍海兵隊の一部の部隊で運用され、隊員や分隊長として任務に就いており、シンノスケも見たことがある。
「シンノスケ・カシムラだ。よろしく頼む」
平静を取り戻したシンノスケが差し出した手をマークスは一瞬だけためらうような動きを見せつつも握り返す。
「よろしくお願いします、シンノスケ様」
シンノスケは内心のがっかり感を悟られないように表面上は平静を保っているが、マークスはともかく、エミリアのニヤニヤとした悪戯っぽい笑みはシンノスケの心の内を見透かしているかもしれない。
笑いながらエミリアは再び手を叩いて合図をする。
次に室内に入ってきたのはエミリアの秘書だ。
大きなケースを抱えており、その中身をシンノスケの前のテーブルに並べる。
それは船乗り用の制服一式だった。
自由商船で護衛艦業務に就く者は高い倫理観と規律を求められるため、その証として艦長に着用が義務付けられている艦長服だ。
デザインの規程は無いが、軍人の制服や旅客船の船長が着用するような端正なものである必要があり、エミリアが用意したのは端正なものでありながら堅苦しくなく、日常的に着られる機能的で、シンノスケが好む黒を基調しながらも随所に赤い縁取りのアクセントがある洒落たデザインだ。
ありがたいことに礼装と略装の2種類があり、帽子も制帽と略帽が用意されている。
せっかくエミリアが用意してくれた制服だ。
早速着替えてみれば、あつらえたかのように(実際にあつらえたのだが)ぴったりだ。
「うん、サイズはちょうどいいようですね」
制服を着たシンノスケの姿を満足げに眺めるエミリア。
「何年も会っていないのにどうやって私のサイズを調べたのですか?」
シンノスケの問いにエミリアは勝ち誇るように胸を張る。
「簡単ですわ。宇宙軍の装備部門の幹部に友人がいますので、彼女からシンノスケの制服のサイズのデータを入手しました」
エミリアの答えにシンノスケは呆れ顔を浮かべた。
「軍の情報ではないですか」
「軍の情報とはいえ、機密というものではないでしょう?家族として問い合わせたらデータを提供してくれました」
まるで些細なことのように話すエミリアにシンノスケはため息をついた。
確かに、除隊したシンノスケの情報など大したものではないだろう。
これ以上の詮索は無駄でしかない。
とはいえ、出発の準備は整った。
「ではシンノスケ。私の助力はここまでです。ここから先はサイコウジ・カンパニーにとって貴方は星の数程居る契約上のビジネスパートナーでしかありません。後は自分達の力でやってみなさい!」
「はい。色々とお世話になりました」
エミリアに敬礼をしたシンノスケはマークスと共にケルベロスに乗り込んだ。
シンノスケはブリッジの操縦席に座り、艦の各システムを起動するとブリッジ前面の大半を占める大型モニターに艦の前方の映像が映し出された。
シンノスケが座る操縦席には3枚のモニターが備え付けられており、艦の運用に必要な全ての情報が集約される。
操艦については、操縦席に設置された操舵ハンドルとスロットルレバー、フットペダルを駆使して行い、1人でも通常航行や戦闘機動を行うことが可能だ。
シンノスケがシステムチェックをしている間にマークスは統合オペレーター席で目的地までの航路を入力する。
一通りの準備が完了した時点でシンノスケは建造ドックの管制室との通信を開いた。
「XD-F00ケルベロス、出航準備完了!出航許可願います」
シンノスケからの出航要請を受け、艦の周囲で作業を行っていた作業員が退避すると、ケルベロスが係留されていたドックの空気が抜かれ、正面の重厚なゲートが解放される。
ゲートの先はもう宇宙空間だ。
『XD-F00ケルベロス、こちら管制室。これより艦を出航位置に移動させます』
管制室からの指示を受け、ケルベロスが固定されている船台が移動を始め、艦がコロニーの外部のデッキに押し出された。
「出航位置への移動を確認。各システムに異常なし。船台のロック解除を要請」
『了解。船台のロックを解除。XD-F00ケルベロス、出航を許可します!』
「了解」
出航許可を得たシンノスケは下部のスラスターを噴射して艦を浮き上がらせ、船台から艦を離脱させる。
最後まで接続されていた係留索が切り離されていよいよ出航の時だ。
シンノスケはスロットルレバーに手を掛け、ゆっくりと押し出した。
「微速前進、ケルベロス出航!」
艦が前進を始める。
「よし、行こうマークス!」
「了解しました」
シンノスケとマークスは広大な宇宙へと漕ぎ出した。