帰郷
軍を除隊したシンノスケはアクネリア銀河連邦ガーラ恒星州にある宇宙コロニーを訪れた。
このコロニーは居住可能惑星が少ないガーラ恒星州の首都機能を持つ恒星州最大のコロニーだ。
定期運行の旅客船を利用してコロニーの宇宙港に降り立ったシンノスケは思わぬ人物の出迎えを受けた。
「おかえりなさいシンノスケ」
旅客ターミナルでシンノスケを出迎えたのは上品なワンピースを着た女性。
その姿を認めるやシンノスケは思わず後ずさる。
「・・・義姉さん」
出迎えたのはシンノスケの義姉であるエミリア・サイコウジ。
アクネリア銀河連邦でも有数の総合企業体であるサイコウジ・カンパニーの会長だ。
実はシンノスケはサイコウジ・カンパニー会長の遠縁にあたり、商会の貨物船の船長として勤務していた父を事故で失ったため、前会長に養子として迎え入れられた経歴を持つ。
そんなシンノスケの一応の実家であるサイコウジの館やサイコウジ・カンパニーの総本部もこのコロニーにあるのだが、実に5年ぶりの帰郷である。
因みに、シンノスケの姓はサイコウジではなくカシムラだが、これはシンノスケが亡くなった父のカシムラの姓をそのままにしているからだ。
シンノスケの義父であるサイコウジ・カンパニーの前会長には実子であるエミリアがおり、エミリアがカンパニーを継ぐことが決まっていたため、シンノスケは軍人としての道を選んでアクネリア銀河連邦宇宙軍士官学校へと進学したのだが、その後はろくに実家には寄りついていなかったものの、義父やエミリアとの関係は程よい距離感を保ち、良好だった。
5年前に義父が亡くなり、カンパニーの会長には予定どおりエミリアが就任したが、この際に養子であるシンノスケにもカンパニーの一部の経営権と莫大な遺産の相続権があった。
しかし、シンノスケはその殆どの権利を放棄してエミリアに譲ったのだが、その中で義父から唯一相続した物があり、軍を辞めたシンノスケがこれから始めようとしていることにそれが必要なため、取りに来たのである。
とはいえ、それは実家であるサイコウジの本家に保管されているわけではないので、実家に立ち寄る予定もなく、受け取りに必要な手続きを済ませたらさっさと旅立つつもりでもいた。
そんなシンノスケの思惑とは裏腹にエミリアが宇宙港でシンノスケを待ち受けていたのだ。
エミリアは秘書であるスーツ姿の男性1名と他に数名のボディーガードを連れている。
「・・・義姉さん、どうしてここに?」
「どうしてって、貴方を迎えに来たに決まっているじゃないですか!」
「はっ?」
「サイコウジ・インダストリーから連絡がありました。貴方、あれを受け取りに来たそうですね」
「はい・・・」
「貴方のことだからあれを受け取ったら私に顔も見せずにまた何処かに行ってしまうつもりだったでしょう?」
「・・・」
図星を突かれて言葉に詰まるシンノスケ。
「だからこうして薄情者の弟を迎えにきましたのよ」
エミリアが指を鳴らすとボディーガード達がシンノスケを取り囲む。
そして、エミリアとその秘書の指示により有無を言わさずに連れ去られてしまった。
エミリアに拉致?されて5年ぶりに実家に立ち入ったシンノスケ。
サイコウジの館は広大な敷地を有しており、敷地内には立派な屋敷の他に人工の森や泉すらある。
そして驚いたことに、この屋敷を維持するために数十人の使用人が住み込みで働いているが、この屋敷の住人は今のところエミリアただ1人だけなのだ。
シンノスケもサイコウジに養子として迎えられてから士官学校に入学するまでの数年間をこの屋敷で暮らしたが、その時ですらこの屋敷の住人はシンノスケの義親であるサイコウジ・カンパニー前会長夫妻と義姉のエミリア、そしてシンノスケの4人だけだった。
久方ぶりにサイコウジの館に帰ってきたが、ここに住んでいた頃と変わらずにどうにも落ち着かない。
目の前に出されたお茶に手もつけず、居心地が悪そうなシンノスケを見かねてエミリアが笑う。
「久しぶりの実家ですよ。もっと寛ぎなさい」
義姉のエミリアはシンノスケよりも2つ程年上だが、母方に長命種が多い6325恒星連合人の血が混ざっているせいかシンノスケよりも明らかに若く見える。
見た目だけなら20歳位に見えるが、その実は貿易、金融、運送、重工業、通信ネットワーク、旅行等の各種サービス業の企業集合体であるサイコウジ・カンパニーを束ねる会長だ。
「そういえば、義兄さんはお元気ですか?」
ようやくお茶に手をつけたシンノスケ。
実はエミリアはこう見えて(と言っても三十路であるが)も既婚者であり、サイコウジ貿易の役員の男性を婿に迎え入れている。
「彼は船団を率いてお仕事です。まったく、何時までも現場主義の人間で困ってます。貴方同様にカンパニーの面倒事を私に押し付けて気楽なものですわ」
「相変わらずですね」
シンノスケの緊張が解れたところでエミリアが本題を切り出す。
「シンノスケ、高速通信のメールを読みましたが、軍を辞めたそうですね?」
「・・・はい。不甲斐ないことですが、宇宙軍での居場所とやり甲斐を失いました」
「それで?お父様の遺産であるあれを受け取りに来たと?」
「はい。多少の蓄えはありますが、新たな食い扶持を得る必要がありますから」
シンノスケの言葉にエミリアは頷く。
「それならばここに帰ってきたらどうですか?軍隊の経験を生かしてサイコウジ・カンパニー直属の護衛船隊を率いていただきたいのですが?今は亡きお父様もそれを望んでいたのですよ?そのためにあれを貴方に遺したのです。そして、ゆくゆくはカンパニーの役員として私を補佐して欲しいのですが?」
エミリアの言うとおり、実家に戻れば将来は約束されたようなものだ。
しかし、シンノスケは首を縦には振らない。
「ありがたいお誘いですし、サイコウジの家に受けた恩を考えればそうするべきでしょう。しかし、恩を仇で返すようで申し訳ありませんが、私はサイコウジに戻るつもりはありません」
「仇で返すなんてとんでもない!貴方を引き取ってからの養育費用なんて、この家にしてみれば微々たるもの、庭園の維持管理費の方が高い位ですわ。サイコウジ商船の船長だった貴方のお父様がサイコウジに貢献してくれたことに比べればむしろ恩を返せていないのはサイコウジの方です。それに貴方、軍隊での給料の一部をこの家に送金していましたね?それで十分、というか、過剰な恩返しですよ?」
シンノスケは苦笑する。
「カシムラの親父共々過分な評価と待遇ですよ。やはり、恩を返すべきは私の方ですが、それでも私はサイコウジには戻りません。1人で気楽に事業でも始めてみようと考えています」
「血は繋がっていなくても貴方は私の弟ですね。一度決めたら引かない頑固者です」
「人生は選択肢の連続です。その選択肢は自分で選びます」
シンノスケの返答はエミリアも予測していたようで、ニッコリと微笑みながら頷いた。
「分かりました。もう余計なことは言いません。貴方の好きにしなさい。あれを使っての事業ということは自由商人でも始めるつもりですか?」
「はい、サリウス恒星州の自由商船組合に加入して個人事業を始める予定です。あの艦を使って行うための事業ライセンスも取得してあります」
そう言うとシンノスケは1枚のカードを取り出してエミリアに見せる。
シンノスケが取り出したのは宇宙船を運用して各種事業を行うための資格証だ。
エミリアが手に取って見るとカードの情報表示ディスプレイにシンノスケの事業資格が表示された。
「ふむ、交易業務E級と旅客・貨物運送業務E級。まあ、個人事業で交易や運送事業の経験が無い上にあの船のペイロードでは仕方ありませんね。それと、護衛艦業務C級ですか。これはあの船の性能と貴方の軍務経験からすれば妥当なところですね」
シンノスケが取得した資格はアクネリア銀河連邦とダムラ星団公国、6325銀河連合国家での交易活動が可能な「交易業務E級」、乗客20名以下、貨物100トン未満の輸送営業が可能な「旅客・貨物運送業務E級」何れも最下級の業務資格だ。
そして単艦での護衛や犯罪船取締りが可能な「護衛艦業務C級」。
これは一定以上の武装をした戦闘艦を保有していることが条件であるが、資格を取得するためには軍隊か沿岸警備隊等での3年以上の軍務経験又は護衛業務艦での5年以上の勤務経験が必須となっており、資格取得の選別も厳しい。
しかし、シンノスケは義父から相続した艦を所有しており、宇宙軍での軍務経験があるので資格取得に問題はなく、軍隊での経歴に加えて取得時の選別試験の成績からC級ライセンスを取得することが出来た。
エミリアはシンノスケにライセンスを返すとニッコリと微笑んだ。
「分かりました、頑張りなさい。でも、貴方の船はまだ整備中、最終チェック中で引き渡しは明日になります。それから、1つだけお願いがあります。貴方が受けとるケルベロス級コルベットは知ってのとおりサイコウジ・インダストリーの技術の粋を投入して開発した船です。諸々の事情で日の目を見ることなく6年前の建造以来インダストリーのドックで眠っていたとはいえ、各種システムは最新版にアップデートされています。そこで、貴方が運用したデータを定期的にサイコウジ・インダストリーに提供して欲しいのです。新型艦開発の貴重なデータになりますからね。当然ながらサイコウジ・インダストリーと貴方で正式に契約を結び、報酬は支払います」
「分かりました。でも、いちいち報酬なんか要りませんよ?」
シンノスケの言葉にエミリアは厳しい表情を見せる。
「これはサイコウジ・カンパニーとしてのケジメです。それにシンノスケも自分1人の力で生きていくならばこういったことをお座なりにしてはいけませんよ!」
これから独立して事業を始めようとしているシンノスケにエミリアからの叱責の形の手向けだった。