小惑星帯から脱出せよ
ヤタガラスとフブキは異形クラゲを刺激しないようにゆっくりと後退を始めた。
2隻が後退するにつれ、異形クラゲ達もジリジリと後を追ってくる。
『シンノスケさん、ちょっとヤバくないですか?』
「とにかく刺激するな。どっちにしろあんな小さな標的に砲撃を当てること自体が困難だ。せいぜい弾幕を張る程度しか出来ないが、それすらも効果が期待できない。とにかくゆっくり後退だ」
小惑星を避けながら後退し、異形クラゲが一定の間隔を保ちつつ後を追う。
緊張に次ぐ緊張の状況が延々と続く。
「アンディ、そちらは後退の速度を少しだけ上げて先に離脱しろ。出来るな?」
『そりゃあ出来ますけど、いいんですか?シンノスケさん達を置いていって』
「それは問題ない。それよりもアンディの疲労が心配だ」
現在、ヤタガラスにはシンノスケ、マークスの他にミリーナ、マデリア、そしてアイラが乗艦している。
それに対してフブキにはアンディとエレン、セイラの3人しか乗っていない。
しかも今のフブキには艦を操縦出来るのはアンディしかいないのだ。
この緊張状態が続けばアンディが疲労で倒れてしまう。
そうなる前にフブキだけでも離脱させるべきだし、アンディの精密操艦技術とフブキの運動性能ならばそれが出来る。
『分かりました。先に離脱します』
フブキが後退速度を上げ、逆にヤタガラスが速度を落とす。
ヤタガラスが速度を落とすと、異形クラゲ達も速度を落とし、一定の距離を保つ。
それぞれ岩石に擬態していた異形クラゲ達の一部の個体が触手を伸ばし、赤い目でヤタガラスを観察している。
異形クラゲの攻撃は身体を岩石状に丸めての体当たりによるもので、その威力は宇宙船を貫通する程に強力だ。
その異形クラゲが擬態を解いている。
「観察しているのか?直ぐに攻撃してくる様子はなさそうだが・・・」
「何を言っていますの?あんなワケの分からないモノ、何を考えているのか分からないじゃないですか」
ミリーナは言うが、今に至るまで異形クラゲ達が攻撃を仕掛けてきていないことも事実だ。
「なんの根拠もないけどな。だが、ここは逃げの一手。それ以外の選択肢はない。あのクラゲ達の平和的な良心に期待するしかないな」
「平和も良心も、そんな次元の思考を持ち合わせているとは思いませんわ」
フブキは既に離脱に成功している。
後はシンノスケ達のヤタガラスが逃げ切ればいいだけだ。
シンノスケは徐々に後退速度を上げる。
いざとなれば急速反転して小惑星帯から一気に離脱する手も考えたが、それは悪手だろう。
下手に刺激をして特攻を受ければヤタガラスの最高速度でも追い付かれる可能性が高いし、そもそも小惑星帯の中で最高速度にまで速度を上げることはできない。
その時、マークスが異形クラゲの異変に気付いた。
「マスター、本艦の後退速度の上昇に対して対象は速度を上げる様子が認められません。相対距離が徐々に離れていきます」
マークスの報告通り、異形クラゲ達がヤタガラスから距離を取り始めている。
中には反転して離れていく個体もある。
「離れていく・・・見逃してくれたか?」
「我々の方が彼等のテリトリーから離れたものと推測します」
やがて全ての異形クラゲがヤタガラスの前から姿を消した。
異形クラゲが姿を消し、ヤタガラスの周囲にあるのは大小様々な小惑星の数々。
「これ、本当に小惑星ですのよね?」
珍しくミリーナが不安げな声を漏らす。
「大丈夫でしょう。先程まで観測していたコミュニケーション信号と推定される信号が受信できなくなりました」
マークスの報告にブリッジにいた全員が安堵の息をつく。
「一体なんだったのかしら?宇宙空間にあんな生物がいるなんて聞いたことがないわ。しかも、なんとか無事だったけど、私の船は問答無用で壊されるし、とんだ災難だわ」
「アイラさんの船が攻撃を受けた理由は分かりません。とりあえず今回収集したあのクラゲのデータは宇宙環境局に提出するべきでしょうね」
ヤタガラスも無事に小惑星帯を抜けて、危機から脱することが出来た。
「シンノスケ、そして皆は救助依頼が出ているわけでもないのに助けに来てくれたんでしょう?本当にありがとう」
「別に構いませんよ。それに、アイラさんの捜索に行きたいと言い出したのはミリーナとセイラで、それに協力したのがアンディ、エレン、マデリアの3人ですからね。私とマークスは捜索に出るつもりはなかったので私とマークスに礼を言う必要はありません」
「そうは言っても助けられたことは事実だし、このお礼は必ずするわ。・・・とはいっても私は船を失ってしまったから、新しい船を手にいれる必要があるので、少しだけ待っていて欲しいわ」
確かにアイラは今回の一件でA884を失ってしまった。
アイラもトップランカーの護衛艦乗りだから新しい船を手に入れる蓄えはあるのだろうが、それでも余裕はないだろう。
「アイラさん、よかったら暫くの間私の商会で働きませんか?私のところは現在船はあっても人がいない状態でして、手伝ってもらえると助かるのですが?」
シンノスケの誘いにミリーナも頷く。
アイラは暫し思案した後に首を振る。
「ありがたい申し出だけど止めておくわ。私は1人で気楽に仕事をする方が好きなのよ。だから新しい船を手に入れて直ぐに立て直すつもり。でも、せっかく誘ってくれたことだし、助けてもらった恩もあるから・・・そうね、たまになら手が足りない時にシンノスケの仕事を手伝わせてもらうわ。提携や下請けみたいな関係かしら?格安でシンノスケ達の手助けをさせてもらうわ」
シンノスケは頷いた。
「分かりました。それで結構ですし、お礼についてはアイラさんの好きなようにしてください。元々私達が勝手に捜索したのですからね」
「そうさせてもらうわ。でも、私は恩を忘れるような薄情な船乗りじゃありませんからね。必ずこの借りは返すわよ」
「分かりました。それでは帰還しましょう」
ヤタガラスとフブキはサリウス恒星州に艦首を向けた。
「そうだ、シンノスケ、ちょっと頼みがあるんだけど」
「なんですか?」
「貴方、サイコウジ・インダストリーに顔が利くわよね?新しい船を手に入れるのにちょっと口利きをお願いできないかしら?」
シンノスケはアイラの強かさに思わず苦笑した。




