エメラルドⅢのメモリー
クララ、その名はマークスのメモリーに記憶されている名だ。
70年以上前にこの世を去った少女の名であり、あの遭難船エメラルドⅢの船内で出会った少女の名だ。
訪ねてきたレイクウッド婦人はそのクララの姪だと名乗った。
レイクウッド婦人が何の目的で来訪したのかは分からないが、ドックの中で立ち話というわけにもいかない。
マークスはレイクウッド婦人をフブキ艦内の食堂へと案内した。
軍用艦故に殺風景ではあるが、立ち話よりは余程いいだろう。
マークスはレイクウッド婦人に何か飲み物でも、と判断したが、クルーが全員外出中のため何も用意していない。
他に何かないかと冷蔵庫を開けてみれば、そこに並んでいるのはシンノスケの合成フルーツ茶ばかり。
他にもセイラやミリーナの飲み物もあるが、そちらを勝手に出すことははばかられる。
(仕方ありません・・・)
マークスは合成フルーツ茶のボトルを取り出し、コップと共にレイクウッド婦人の前に差し出した。
「このようなものしかありませんので申し訳ありません。マスター、カシムラ艦長の好みの飲み物ですが、あのお方の嗜好は他の皆さんも理解できない程に偏っていまして、あまりお勧めできるものではありません。成分的には何ら問題なく、健康にも良いことは間違いないのですが・・・」
マークスの言葉にレイクウッド婦人はニコニコと笑う。
「大丈夫ですよ。急にお邪魔したのは私の方ですもの」
レイクウッド婦人はそう言いながらボトルの合成フルーツ茶をコップに注いで一口飲んでみる。
「あら、美味しい。独特の風味ですが、私、嫌いじゃありませんわ。なんというか・・・そう、体に良さそうな味ですのね」
褒めているのかどうか、微妙な評価だが、これはシンノスケの責任なのでマークスは気にしないことにした。
さて、用件を聞くにしてもドールであるマークスは座る必要もないのだが、レイクウッド婦人に椅子を勧めている手前立ったままというわけにもいかないので、婦人の対面に座る。
「ところで、クララさんの姪ということですが、どういったご用向きでしょうか?」
マークスの問いにレイクウッド婦人は来訪の目的を話し始める。
「私はクララ・レイクウッドの兄の娘です。当然ながら私は叔母に会ったことはありません。叔母の兄である私の父は存命ですが、高齢で病に冒されており、もう長くはありません。父は幼くして成長することなく亡くなった妹のことを今でも想い続けたまま亡くなろうとしています。その折に叔母の乗ったエメラルドⅢを見つけてくれたカシムラ様達がこの聖都に来ていると聞きまして、一言お礼を伝えたく、そして、話していただける範囲で結構ですので、エメラルドⅢのことをお聞きしたく、居ても立っても居られずにお邪魔させていただきました」
レイクウッド婦人は病床の父に代わり感謝を伝え、クララのことについて聞きに来たというのだが、そうであればシンノスケやミリーナに戻ってきてもらう必要かありそうだ。
「申し訳ありません。お話ししたとおり、カシムラ達は外出しておりまして、戻りの予定が分かりません。ちょっと連絡を取ってみます」
「いえいえ、それには及びません。突然お邪魔したのは私の方なんですから。カシムラ様達がエメラルドⅢを発見したという情報は運行会社の関係者や乗員乗客の家族に伝えられました。遭難から70年以上の時は全ての人が事実を受け入れる準備期間としては十分過ぎる時間で、安堵と共に、一つの区切りとして受け入れられました。私の父もその筈でしたが、先の短いことを知っている父はしきりにクララとの短い思い出を口にしています。そんな父にほんの少しでも叔母のことを伝えることができれはと・・・」
確かに、エメラルドⅢの中でクララと出会ったのはマークスだ。
仮にそれがマークスにとって理解し難い現象であってもその話がクララの兄の心の安らぎになるかもしれない。
無論、逆効果になるかもしれないが、それについてはレイクウッド婦人が判断すべきことだろう。
マークスはレイクウッド婦人を見た。
「これから話すことの一部の現象について、私は是認しておりません。しかし、私はあえて事実をありのままにお話しします」
マークスの言葉にレイクウッド婦人は真剣な表情で頷いた。
マークスはあの日、あの船の中で起きた全てをレイクウッド婦人に伝える。
乗員乗客は必死で運命に抗おうとしていた記録のこと。
誰一人として冷凍睡眠装置を使用せず、争うことなく死を受け入れたこと。
そして、保存されていたクララの傍らにあったエメラルドⅢ2等船員航行管制員リード・フィルダーの記録のこと。
極限状態の中でクララの明るさが皆の心の拠り所になっていたこと。
そして、エメラルドⅢに乗り込んだマークス達の前で発生した不可解な現象のことを。
「70年以上の間、クララの魂がエメラルドⅢの中を彷徨っていたということでしょうか?」
レイクウッド婦人の言葉をマークスは否定する。
「私はその現象を是認しておりません。あれは私のシステム内のバグとして記録されています」
自分で説明しておきながらその事実を否定するマークスにレイクウッド婦人かクスクスと笑う。
「そうしますと、マークスさんはクララが探していたネックレスを見つけてくださったのね」
「既に亡くなっている彼女が探していたというのは適切な表現ではありませんが、彼女にネックレスをお返ししたのは事実です」
「クララはとても喜んでいたと思います」
「それも理解不能ですが、確かにあの時『ありがとう、おじさん』なるノイズを検知しました。私は製造されてまだ25年のドールです。おじさんという表現は受け入れがたいものです」
マークスの言葉を嬉しそうに聞き入るレイクウッド婦人。
気がつけば随分と時間が経過しているか、シンノスケ達が戻ってくる気配はない。
「あら、お忙しいのについ楽しくて長居してしまったわ。そろそろお暇しないと」
レイクウッド婦人はそう言って立ち上がるとマークスに深々と頭を下げた。
「マークスさんのお話を父に聞かせればきっと喜びます。『輪廻の星の中でクララに会うのが楽しみだ』と言いそうですわ」
そう言って歩き出すレイクウッド婦人の背中にマークスが語りかける。
「それは叶わないかもしれません」
「ドールであるマークスさんには分からないでしょうが、人間は弱い生き物です。宗教に限ったことではありませんが、人間はそういったものを信じることで心の安寧を保つこともあるのですよ」
「いえ、そういったことではなく、私はエメラルドⅢでの出来事の後でアクネリア銀河連邦サリウス州中央コロニーでクララさんと外見特徴の一致率48.2パーセントの少女に『おじさん』呼ばわりされました」
マークスの言葉に振り返ってキョトンとした表情を浮かべるレイクウッド婦人。
そして嬉しそうに微笑んだ。
「それでしたらとても嬉しいことですわ。きっとクララは生まれ変わって幸せな人生を送っているのね」
「その可能性についても私は否定します。私が出会った少女は推定年齢10歳程度。エメラルドⅢでの出来事と時間的矛盾が生じます。マスターによれば、残されていた魂が生まれ変わった彼女の下に帰った。とのことですが、私には全くもって理解できません」
「そう・・・そうなのかもしれないわね。今日はマークスさんとお話ししてよかったわ。カシムラ様達にもくれぐれもよろしく伝えてくださいね」
そう言い残すとレイクウッド婦人は帰っていった。
レイクウッド婦人が帰って数時間。
シンノスケ達がフブキに戻ってきた。
「あれ?マークス、お前、何か嬉しそうだな」
シンノスケがマークスをまじまじと見る。
「はい。マスターにご報告することがあります」
そう話し、今日の出来事を報告するマークスはどこか誇らしげだった。




