薄氷
私は、生まれてこの方冴えない人生を歩んで来た。親の遊ぶ金を作るためにバイトして、隠して溜めた金で食べる給食が日々のささやかな癒しだった。
高校には通えず、介護士に就き普段の生活を忘れる様に働いた。その日暮らしは序の口で、その日暮らしもままならない事もあった。それでも、家から離れられる時間は、私にとって貴重だった。
でも、そんな生活もいつまでもは続けられない。私は過労で倒れて、頭を打ってしまった。それ以来視力が極端に悪くなり、仕事を続けるのが難しくなった。親はとうに家を空けたきり戻っては来ず、私は日に日に生活に困窮して、最後には孤独死した。
……けれども、そんな私を憐れんだのか、揶揄っているのか、私は今、ここに居る。
「──長閑、長閑ね」
片田舎の小さな村で。
私は、里山の中をかけり回る少年少女達を切り株に腰掛けて眺めている。
「メイはいつも1人だな」
「……そうね。でもこれで良いのよ」
隣の倒木に腰掛けたキョウジと言う男の子の疑問には、中身だけ大人な私が答えてみよう。
「誰だって外で走り回りたい訳じゃないし、こう言う事をしていた方が楽しいって思う事もあるよ」
「そんなモンか」
「そう」
そこで会話は途切れ、暫くすると耐えきれなくなったキョウジが話を切り出した。
「な、なあ、メイは明日の『見極めの儀』でどんなスキルが目覚めるって思ってるんだ?」
「……言うに事欠いて。私なんかと無理に話そうとしなくても良いわよ。暗いし、活発でもないし」
それは、この世界の私達にとって、受験や就活よりも遥かに重いイベント、文字通り将来を決めてしまうものだ。だからこそ、ある意味で陳腐な話だ。
「いや気になんないのかよ? 勇者様とか、聖女様とかは皆伝説レベルのスキルに目覚めてそうなったんだぜ?」
スキルが人生を決める、この世界では当たり前の事。人生に指針があるのは、楽なのだろう。ただそれは諸刃の剣。
「勇者も聖女も、結局は死ぬまでそれ以外になる事はなかった。そう思うのだけど」
「最後まで勇者で居続けるのはカッコいいだろ」
決められた道を違う事を世界は、いや人々は許さないだろう。神の宣告が如く、その当人が選ばれた事をスキルがまざまざと示すのだから、その力に見合った働きを皆は求める。
いつしか聞いた、朝の特撮番組の俳優の話を思い出す。一度ヒーローになったからには、いつ如何なる時もヒーローとして生きなければならないと。
「私は理解者ではないから、これ以上英雄にとやかく言う気もないの。貴方がそう思うのなら、それで良いでしょう」
「何だかよく分かんねえし、まだどんなスキルが欲しいのか聞いてねえよ」
「なら、髪の毛を自由自在に伸び縮みさせる能力とか良いかもしれないわね」
でも、定められた道か、道無き道か。どっちか選べと言われても私には選べない。ただの凡人だから。
「──なあ、俺、メイの事が」
「そうだ、私。街に出稼ぎに行こうと思ってるんだ」
「え?」
選べない、選ぶつもりもない。
──……クサビ村のメイ、君のスキルは、『視力強化』だ。
私は今のままで、良い。
──✳︎──
「メイ、いつも悪いわね」
「大丈夫だよ、母さん。私、こう言うの慣れてるから」
見極めの儀から十年。私が十六になる頃、流行りの病でお母さんが倒れた。褥瘡にならない様、シーツを変え、寝返りを打たせる。そして清拭を行う。いつだったか、私がして来た事だった。
「父さんも母さんも、私をちゃんと育ててくれた。その恩返しの時が今来ただけだから」
「メイ、……ええ、ありがとうね」
スキル、私は見極めの儀で望み通り、平凡なスキルを手に入れた。視力強化……《《文字通り》》の効果しかないそんなスキルを。
この世界では、使えば使う程、そして困難を超えるほどスキルは成長すると言われている。腕力を強化するだけのスキルが、山を砕くこともある。ただ、それは一部の埒外を超えた経験をした者だけ。一般人にはそんな機会滅多に訪れない。そして、成長による伸びが著しいもの程、最初期には弱い力しかない。
そうした成長無しには効力の薄いスキル、或いは言葉通りの力を持つスキルの事を、世間一般には『コモンスキル』と呼ぶ。逆に、文字通りの効果以外を持つスキルの事は『ユニークスキル』と呼ばれている。
『剣士』、『暗殺者』、『賢者』、字面では薄らとしか意味の分からない物。
『時喰い』、『パンドラ』、『奈落』、全く予測不可能かつ、概念にすら干渉しうる物。
……どうしてこの世界は滅びないのか、分からない。もしかしたら、危険なスキルの持ち主は、ひっそりと殺されているかもしれない。力の発掘、危険分子の排除、それが見極めの儀の一側面だと思うから。
「お姉様、私も手伝いますわ!」
「ミュタ、貴女は試験の為の訓練があるでしょう?」
「位高ければ徳高きを必す! お姉様は紛れもなくお嬢様の鑑、訓練より私はそれを学びたいのです!」
スキル『お嬢様』、私の5歳下の妹に目覚めたのは、前例の無いユニークスキルだった。別に今の言動はスキルの発現で頭がおかしくなった訳じゃなく、スキルを磨く為に学んだ結果、そうなった訳で……いや、やっぱりおかしくなったのはスキルのせいかも知れない。
また、どう言う訳か、このスキルには剣術と魔法に関しての能力を高める効果があった。お嬢様と言えば高貴なモノだけど、だからと言って剣や魔法に強くなる理屈がよく分からない。
ないない尽くしだけど、私とは違った生まれつきの明るさは、私も嫌いじゃなかった。
「お嬢様たる者、目上の者には従う事、それが一流よ」
「……分かりました。ならば精一杯お姉様とお母様とお父様の想いに応え、私は騎士学校に主席入学して見せますわ!」
騎士学校、ミュタが目指した進路だけど、私としては妹が傷付く職業に就くのは少し嫌だった。
「私は、一流のお嬢様騎士になって、家族に豊かな生活を送って頂きますわ!」
「訳分からないわね……でも、その馬鹿みたいに真っ直ぐな所、好きよ」
「お姉様ッ……!」
私がそう言うと、ミュタは頬に手を当ててクネクネと奇妙な動きをし始めた。
「ごめんなさい、ちょっと気持ち悪い」
「ガーンッ!?」
こんな風に、私は平和で貴重な生活を送る事が出来ていた。だから、私はこのスキルが嫌いじゃない。目が悪い私には丁度良かったから。
……ふと目を逸らすと窓の外に狼煙が見える。父が帰って来た。
「──でな! こ〜んなデカい貫きモグラを1発で撃ち抜いたんだぜ!」
「また始まった」
「凄いわお父様!」
「アナタ、流石ね」
病床の母さんの側で豪放磊落と笑う大男は私の父さん。熊みたいな見た目だけど得物は弓とナイフ。ユニークスキル『狩人』の持ち主だった。母さんも『剣聖』のユニークスキル持ちで、実は我が家は私の方が少数派だったりもする。
「何だ、メイは嫌なのか、俺の話」
「危ないことして欲しくないだけ」
「……寧ろメイの方が不安だぞお父さんは。少し鍛えたらどうだ?」
「少し、ってどの位?」
「ん? そりゃあメイは視力強化スキルの持ち主だから、俺の全力の一矢を避けられる位だな……」
「上澄みじゃないの!」
言っておくが、父の全力の一矢とは、当たれば大穴が空き、射程はキロに迫るふざけた性能をしているので、それを避けられた時点でめでたく平凡な人生は歩めなくなってしまう事請け合いである。
「私は良いの、こんな場所で何が起きるとも思えないし」
「俺や母さんが居るうちは良いがなあ」
「そうね、メイは時々危なっかしい所があるから……」
「私を忘れないで下さいまし!」
「ミュタ、貴女はまだ私の飛ぶ斬撃すら出来てないでしょう?」
「うっ……」
……家のパワーバランスは、あまりに可笑しいと思う。でも、こんな日々を、ずっと前から私は欲しがっていた。笑い合える、本当の家族が居る世界が。
──そうして、皆が眠りについた頃。私はふと、寝室に続く廊下を歩く中、窓の外を見た。
スモッグも排気ガスもない夜の空は、私が知るもう一つの世界よりずっと綺麗で、吸い込まれそうな程暗い。いつも私は、この宇宙を見てから眠りにつく。
綺麗なモノは好き、自分の何もかも、忘れられるから。
「……え?」
でも違う、いつもとは違う何かがそれは居た。
遠くに見える里山、その中で土煙が舞い、その中から飛び出した人影が、夜空を泳いで月を横切って墜ちていく。目が良くなったせいで見えてしまった。
「ウソ……」
何が起きてるのか分からない、けど私の足は動き出していた。いつしか染みついた奉仕根性が、そうさせたのか。
それが私の嫌う非日常の呼び水だとしても、私は扉を自分の意思で開ける。外には夜風が吹き晒していた。嫌な予感しかしない。やっぱり父さんを呼んだ方が──
「──死ね」
「え?」
──あれ、何で、私、座って。
「こぷっ……」
何、これ、胸から、何か出て、る。黒い、水が、止まらない。
「……まさかこんな辺境に人が居ようとはな。騎士狩りには不向きか」
訳、わかんない。何で、何で、なん、で。
寒い、震える。地面が熱い。
目が見えない、夜が濃くなっていく。
知ってる、私は、これを。
──嫌だ、死ぬんだ、私。
「……貴公、彼女に何をした」
「っな! まだ生きて──」
──✳︎──
──貴公、貴公……目を開けてくれ。頼む。
声が聞こえた様な気がして、私は目を開けた。緋色に照らされた岩壁に、火の粉がパチパチと弾ける音をバックに立ち上っている。
起き上がると、焚き火に照らされた全身鎧姿の人が居た。顔もスリットの空いたフルフェイスに覆われてるせいでよく分からない。でも何もして来ないから、今は大丈夫みたい。
「私、赤ちゃんになってない?」
「貴公、刺されただけでなく頭も打ったのか?」
私は、刺された筈。背後から胸の辺りを。あれで死んでいないなんて思える程、私は死ぬ事を知らない訳じゃない。
「……何で、私は生きているの」
そう聞くと鎧の人は私の胸を指差した。見れば、穴の空いた服の下に、傷の痕がある。刺された事は間違いないらしい。
「貴公の傷に代わりの心臓を埋め込んだ」
「代わりの心臓を? 何、誰かの心臓を抜き出したの?」
「私には無理な話だ。これを見れば分かるだろう」
え、何で腰の剣を抜いて──!
「っ! ……?」
鎧の人が妙な形をした剣を引き抜き、躊躇いもなく振り切ろうとして、ピタリと止まった。私の首のすぐ横で。
「私は人を殺せない、そう造られている」
「……造られている?」
それはどう言う意味なのか、私には理解が及ばない。ただ分かる事は、ここまでしても害意がない事を証明しようとしているって事。
「よく分からないけど、今はそれ、信じるから」
でも、私を刺した誰かは──
「──! 私を刺した人は! 村の人達は!?」
「私が始末をつけた。貴公以外は無事だろう」
「そ、そう」
ああ、良かった。でもまだ聞いてない事がある。
「なら代わりの心臓って、何のこと?」
「それ以上は教えられる範疇ではない。貴公は部外者だ」
「うそ、そんな話せない物埋め込まれたの」
幾ら命を助けられても、正体不明の何かが身体の中にあることを知ってしまうと、どうしようもなく心地が悪くなる。
今に私が問いただそうとした時、鎧の人は焚き火の向こう側に見える岩窟の出口に向かって歩き始めた。
「貴公がその寿命を全うする時、また会うだろう」
それがどう言う意味か、すぐに分かった。
「そんなに大事な物なの?」
胸の中にある物、それしか理由は無いから。何をされたにせよ、私はあの人に命を救われて、ここに居る。
「それでも、他者の命に代えられる物ではない」
「……損するわよ、その性格」
「肝に銘じよう」
出口へと向かう背中に、これ以上何も言う気も起きなかった。もう、このまま別れてしまえば波風も立たない、私はあの生活に戻れる──
──ドゴォォォォォン!
「っ! 何、何!」
出口が光ったかと思えば、次は爆音。強烈な耳鳴りに襲われて、訳も分からず咄嗟にしゃがむ。
身体を持ち上げる様に吹いた熱風は、先の夜風よりも遥かに強く吹き晒し、焚き火も一瞬で消えたのが見えた。
「──鎧の人!」
その熱風が止んで暗闇の中、私は目の前に転がって来た鎧の人の姿が見えた。
「ウソでしょ」
鎧の人の兜が、欠けていた。人の顔があるのか、そう思えば、そこにあったのは赤熱した鉄塊と、目の位置には青い光の点だけで、他に何もない。
「人じゃ、ない」
敢えて言うならば、それは機械に近い。熔けた鉄の奥には、幾つもの細いパイプが筋繊維の様に並んでいるのが分かる。と言っても、肉眼で分かるのはスキルのおかげだけど。
「……ピ」
「ピ?」
どうする事も出来ず、ただそれを眺めていると、倒れていた上体を介護用ベッドの様に九十度で持ち上げて、首をグルリと回す。
「破損率12%、稼働に問題無し」
「……やっぱり、機械?」
「──知っているのか、貴公」
急に答えられた、びっくりするなもう。……でも、無事なら良かった。
「しかし、それは後で良い。まさか『爆撃機』がこんな場所にまで来ているとは」
「そうだ、村が危ない!」
「私も行こう」
私達は立ち上がり、岩窟を出て行こうとして、立ち止まる。
「分かった、道案内は私が──って何壁に向かって歩いてるの?」
「ん、そうであったか。そちらへ行こう」
「違う、そっちも壁!」
まさか──
「目が、見えてないの?」
「すまない、私は頭部に致命的な損傷を負っている」
爆撃機って言うからには、きっとそれは空に浮いてる筈。目が見えなくてどうにか出来るのか、分からない。でも父さんなら、撃ち落とせるかもしれない。
「いや、謝らなくて良い。私なんか助けなかったら、貴方はこんな事にならずに済んだもの」
「……自らを、卑下し過ぎではないか」
「そうかな。いつもこうだけど」
「いや、今は置いておこう。貴公はここで隠れてくれ、私が何とかする」
顔の半分を灼かれた姿で、岩壁に身体を擦りながら出口へと向かう姿は、さっきまでの確かな足取りには程遠い。
「私は、ここで──」
──……ドゴォン!
また、爆撃!? どこの方から──まさか村に!
ミュタ、母さん、父さん……!
「急がねば。……何をしているのだ、貴公」
「行くんでしょ。私が案内する」
私は彼の手を握る。近くで見ると、背丈も指の一本一本も私より遥かに大きい。でも今彼には私の力が必要だと、そう感じたら動かずにはいられなかった。
「危険だ。方角を指してくれるだけで構わない」
「それじゃ間に合わないかもしれない! それに貴方、行き当たりばったりの私が死にかけたからって大切な物使っちゃう様な性格なんでしょ。ならここで間に合わなかったらきっと貴方にも悔いが残る! 何もしなかった私にも!」
言葉よりも速く、足は動く。彼の手を引いて。
岩窟を抜け、里山を下ると村の方には火の手が上がっていた。
「皆は──居る!」
赤く染まる村の上には、黒い鳥が飛んでいた。月明かりに怪しげに照らし出される流線形をしたそれは、黒い点を村に落としていく。
「あれが爆撃機だ。私の同族だが、道を違えた者の末路でもある」
黒い点の殆どは、地面から飛んでくる弓矢と斬撃が落としているけれど、あれじゃあ防戦一方だ。撃ち漏らした黒い点は、地面に当たって炸裂してる。
「本来ならば、私があれの始末をつける筈だった」
「アレを、撃ち落とせるの?」
父さんと母さんは落とされる爆弾に対応するので手一杯だから、後一手、誰かの力が必要。
「何か、私に出来る事は」
「爆撃機を撃ち落とす為には、目が必要になる」
目……そんなの、ここに居るのは私しか居ない。
──『視力強化』
信じても、良いの? まともに今まで頼って来なかった外付けの力なんて。
「貴公、力を貸してくれまいか」
「──っ!」
「今、ここでやらねば間違い無く犠牲が出る。これは偏に私の不甲斐なさが生んだ事態だが」
やらなきゃ、ダメなら。今やるだけ、今の為に出来る事を。彼がそう言うのなら、私も賭ける。
里山の森が開けた斜面から、黒い鳥を見据える。彼は、腰から剣を抜く。
「まさか、それを投げるの?」
「違う、この剣は、単なる剣ではない」
すると、その剣に入った血溝から刀身が二つに割れて柄を挟んで上下に並ぶ。
弦は無いけれど、それはまるで、弓の様な形で。
「機神の爪。千里を射抜く鋼鉄の弓であり、剛力の持ち主にしか引けぬ弓だ」
「矢は」
彼は弓を地面に突き刺すと、地面に手を突いた。
「作る──『クリエイト・スチール』」
すると、地面には十数本の鉄の矢が周りを囲む様に生えて来た。
魔法、村でも見る事はあったけど、武器を作る魔法は初めて見た。攻撃魔法とも違う魔法、戦う為の魔法だ。
「この弓、弦は無いの?」
「弓に魔力を流し精製する。触れれば指なぞ切り落とせる」
「えっ、怖っ……」
そう言う彼は淀みなく弓を構える。壊れた瞳は黒い鳥に向けられてはいるけど、弓を握る手が絶えず震えていた。やっぱり、狙いはつけられてないみたい。
私は彼の後ろに入り、右脇腹の下から弓の方向を見定める。
介護士の経験と言うよりは福祉の話だけど、盲目の人を介助する方法も、多少は知ってる。
「左手はそのまま、右手は2センチ下」
「センチ? センツの間違いか?」
「そう、2センツ下」
「了解した」
左手の震えがピタリと止まり、右手が正確に2センチ、もとい2センツを刻む。やっぱり、機械みたい。
黒い鳥と、矢の先端が重なる。
「射って!」
──バチィン!
風を切って飛び出した矢は、黒い鳥の表面で火花を散らすだけに終わった。
「掠めた!」
「墜としていないのか」
「え?」
「伏せろ!」
黒い鳥の上から、何かが迫り出したかと思えば、私達へ向かって光る。
「きゃっ!」
再びの、爆音。
私の身体は、横向きの力で吹き飛ばされる。
──次に目を開けた時には、私は彼の腕の中にいた。
彼の背後には黒く焦げ火を燻らせたクレーターがある。
「あの黒い鳥、あんなモノまで持ってるの……」
「自動で反撃を行う圧縮魔力波動砲、イコライザーだ」
なら、もう外せない。これ以上外したら、彼も私も無事じゃ居られない。
「わ、私、どうしたら。あんな距離で、一撃なんて」
「……私が囮になって引き離せば」
一瞬、それしかないと思えたけれど、私は2回目に死ぬ前に見た景色を思い出す。
吹き飛ばされた人影が夜空に掛かるあの光景を。あれが彼だとすれば、それをした相手は。
「──ねえ、まさか、まだあんなのが他にも居るの?」
「ああ、貴公の言う通りだ」
「今の貴方に、どうにか出来るの?」
「やれるだけ、やろう」
彼が居なければ、あの黒い鳥を墜とせない。なら、他の奴も同じ様に、彼が居なければ──。
皆は、家族は──。見極めの儀で『勇者』のスキルに目覚めて村を出て行く事を選んだキョウジの帰る場所は。
「──やる。私が貴方の『目』になる。今度は絶対外さない」
膝を折り、目線を合わせる彼の頬を掴んで、言う。行ってしまった。これで責任は彼だけのものじゃなく、私のものにもなってしまった。
ひび割れたガラスの中にある青いライトに触れた。
「貴方が何者か知らないけど、助けが居るのなら、私は力になる」
「……貴公は」
「もう一度、お願い」私がそう言うと彼は再び構えを取った。もう外さない。これ以上好き勝手させない為に。
「──今、私は貴公と同じ気持ちなのだろう」
「何、急に」
「私は人々を守る騎士たれと造られた、故にこの姿でいる。だが、今の今まで人と接触する事は無かった。私自身が、他者の危険となる事を恐れて。貴公が私の初めてだ。故に敬意を表そう、貴公の勇気に」
「誤解を生む様な言い方は止めて」
そうして話せば、今目の前に居る彼と私に違いなんて殆ど無いんだと、私は気付く。私が介護士になった時も、似たような事思ったっけ。懐かしい。
彼と、絶対に
『今度は、墜とす』
──彼が弓を振り絞るその瞬間。私の中に、冷たいものが入ってくる感じがした。
『見える』
──カチ、カチ、カチ、カチ。
身体の中で、時計の進む音が鳴り止まない。
鼓動の音はしない。でも今、そんな事はどうでも良いと思った。
私が見て、彼が観る。今、私と彼は1つの視界を共有している。今なら、あれを墜とせる!
「射って!」
「了解した!」
放たれた一矢の行方は──
──キィィィィィン!
「当たった!」
視界の奥には、頭部に矢が突き刺さった黒い鳥の姿。
黒い鳥は、苦しむ様に、雉の鳴き声に似た音を発しながら、ふらふらと飛んで村の上空を去っていく。
「撃退出来た様だな」
「ええ、私達でやったのよ。でも、今の感覚は?」
「私にも分からない。貴公に埋め込んだ物に何らかが影響し合った結果である可能性は高いが」
喜びもすぐに過ぎ去り、私達は改めて自分達で起こした現象に疑問を抱えた。けれど、答えは出そうにもない。
「だがどうやら、私は貴公の視界を共有出来る様になったらしい」
「ウソ、って事は本当に貴方の目になったの、私」
「その通りだ」
よく分からないけど、やっぱりよく分からない。そんな魔法やスキルがあるなんて聞いた事が無いし……いやこの世界に生まれてからは聞いた事の無い方が多いんだけど。
「これで暫くは安全、ってどうしたの貴方!」
そうして考え事をしていると、目の前の彼が急に膝を突いて蹲っていた。
「お腹痛くなった……訳じゃないわよね」
「魔力残存量、10%以下」
「魔力……まさか、貴方は魔力が無いと動けないの?」
「大丈夫だ、少し休めば回復する」
もしかして、あの魔法を使ったから? まさか、そんな燃費の悪さで今までやって来た……の……まさか!
「もしかして私に預けたものって、貴方の──」
「それは、それは……そうだが」
「貴方の力の源が、私の中にあるのね」
何か言おうとした彼は、諦めたのかそれを認めた。私、彼から心臓も、目も奪ったって事。どうしたら、私は彼に償える。魔力ならどうにか出来るかも知れない。
魔力、妹との練習で魔法を使った事があるから魔力の動かし方は少しは分かる。心臓から、末端へ、汲み上げる様に。指先が熱を帯びた頃合いを見計らって、彼の手を握る。
「手を貸して」
「すまない、助かる」
私の中から、何かが出て行く感じがする。すると、彼は徐々に力を取り戻し、立ち上がる。彼が村を救ってくれたのだと思うと、そんな彼にこんな不便を要している事が申し訳なくなってきた。
「私は逃げた爆撃機を追う」
「そんな身体で? 無理よ」
「私の不始末は私がつける」
見た目相応の態度の堅さ。だけど、ボロボロの誰かを何もせずに送り出すなんて、私は嫌だった。
「待って、私も行く」
「だが貴公には家族が」
「どの道家族が危ないなら、私は行く」
そう言うと彼は振り返り、私を見下ろす。
「決意は硬い様だな」
「お互い様でしょ」
彼の手を引いて、一歩踏み出す。
夜明け前に、終わらせる。平和が来るように。
齢十六、私の運命の歯車は──奇妙な導きで転がり始めた。