3.ピアノ・コンクールにて・・・
ビルの屋上から下界を眺める翔子ちゃん・・・
日は西に傾き、夕方も近くなってきた。
「さて!そろそろ、時間かな・・!」
バ!!!
屋上の手摺から身を乗り出し、そのまま頭から飛び降りる。
自由落下し、3階の窓辺りまで落ちる翔子ちゃん。
フワリと体が浮かぶ。
僕と彼女のいる公園の樹林帯を目指して飛んでいく・・・
僕と彼女は、人目を盗んで、二人で一緒にいた。
木の陰に隠れるように、僕が彼女を抱いている。
僕は彼女の髪をなで、彼女は僕の胸に顔を寄せている。
「ヒロシくんの心臓の音が・・聞こえる・・・」
僕はドキドキしていた・・
恐らく、心臓はばくばく言ってるのではないか・・
「うふ・・・心臓・・早いね・・・」
「そう?」
「ドキドキ言ってる・・・・」
「うん・・・望月さんと居ると・・ドキドキする・・・」
「私も・・ドキドキしてるヨ・・・」
そう言って、僕のほうを見る。
彼女の顔が、間近にある。ほのかに頬を赤らめ、瞳が潤んでいる。
かわいい・・・
そう思った時、彼女がそっと目を閉じた。
唇を寄せてくる・・・
あ・・キスするのかな・・・
僕も目を閉じた・・・
その時・・・
「お二人さん!時間です!」
「え?!」
「しょ・・翔子ちゃん!!」
翔子ちゃんの声がした。
二人はとっさに、離れた・・・
彼女には何処にいるのか見えていた。
僕は、声のみだった・・・
「もう!いいところだったのに!!」
彼女が翔子ちゃんに文句を言っている。
「まだ、中学生なんだから!」
確かに・・翔子ちゃんが止めなかったら、僕達は・・
際限なく行き着くところまで行ってしまったのだろうか・・・
「それに・・ もう時間だよ!
そろっと会場へ行かないと、コンクール始まっちゃう!」
「そ・・そうね!」
時間が経つのを忘れていた僕達・・
でも、彼女が、自分の格好を気に出している。
「私・・着替えたほうがいいかな・・・」
体や服のあちこちに傷がある。先ほどの童子との戦いのすさまじさを物語っている・・・
時計を見ると、あと30分で開場の時間だった。
「ちょっと、間に合わないかも・・・」
僕が彼女に言う。
「そうだね・・このまま行くしかないか・・・」
少し、あきらめた感じの彼女・・
「ちょっと、待って・・・お姉ちゃん・・・」
「どうしたの?」
翔子ちゃんが、なにやら彼女のほうへ近づいている(らしい)
彼女の傷口に、手を添える翔子ちゃん。
その、かざした肌の部分が、少しずつ回復している。
僕には、翔子ちゃんの姿は見えないので、彼女の傷が、まるで消しゴムで消しているかのように、
スーっと傷が消えている様子が見えるのだった。
「すごい・・・」
僕は、ただ、驚くばかりだ。
「服は・・しょうがないけど・・・」
「うん・・大丈夫!ありがとう、翔子ちゃん!」
服を、パンパンとはたいて、埃をはらっている・・
切れた所には安全ピンで応急に繋ぎ合わせた。
「あ~あ・・この日のために、せっかく選んだんだけどな~・・」
今日のデートのために、彼女なりに考えていたらしい。
僕にとっては、かわいい彼女と居るだけで・・それで十分なんだけどな・・・
公会堂・・
僕がいつも通っている図書館の隣に、公会堂の建物が並んで建っている。
第23回 市内ピアノコンクール
エントランスに掲げられた横断幕・・
もうすぐ開場の時間で、入り口は待っている列で人だかりになっていた。
「先生に顔出してこようよ!」
「うん・・元気付けてあげなきゃね!」
「私・・何だか、ドキドキする!」
翔子ちゃんが、興奮気味だ。
先生が出るので、身内として緊張して落ち着かないらしい・・・
「翔子ちゃんが出るわけじゃないんだから・・・」
「うん・・そうだけど・・・」
控え室への通路。入場受付を済ませて、席は確認したのだが、
何故か、先生が気になっていた。
「関係者以外立ち入り禁止」
廊下の真ん中に、立て看板が立てられ、警備員も配置されている。
関係者は既にリハーサルを終え、この先でスタンバっているのだろう・・
「やっぱりね・・・」
「さすがに、身内でも、入れないよね・・・」
とりあえず、警備員さんに聞いてみることにした。
「あの・・・演奏者の身内なんですが・・・」
「受付に名簿があるので、スタッフのネームを付けて来て下さい・・」
そうか・・「スタッフ」のネームを下げていないと入れないシステムか・・・
「どうする?」
「うん・・受付けに行ってみる?」
僕と彼女が相談している。
いくら応援するといっても、急に入るのは難しそうだ。
「この先なのかな~・・」
翔子ちゃんは、入ろうとしていた(らしい)
彼女が話しかけようとしたが、僕が止めた。
警備員に変な人扱いされると面倒だからだ。
その時・・
「あ・・ヒロシ、美奈ちゃん・・」
父が関係者側の通路から呼び止めた。
「お父さん・・」
「雨宮先生は、後半の10番目だよ。まだ、時間があるから入るかい?」
前半はどうでも良いのか?
それにしても、父の様子がいつもと違う・・
何かそわそわしているような感じがあった。
「何かあったの?」
「いや・・ちょっとね・・・」
その「ちょっと」というのが気になる。
「先生、緊張してるの?」
「う~ん・・緊張してるといえば、緊張してるかな・・・」
「どっちなの?」
「引越しで、あんまり練習できなかったからな~。」
僕と彼女が顔を見合わせる。
部活でいつもお世話になってるんだから、こういう時は後ろで支えるくらいの事はしたほうがよさそうだ・・
「行く?」
「うん・・・」
「私も行く!」
翔子ちゃんが一番、行きたそうだった・・・
「行くよ!」
お父さんに返事をする。
警備員に事情を説明し、僕達を中に入れてもらえるように交渉している。
控え室で・・・
「先生・・入りま~す。」
「ど・・・どうぞ!!」
ほんの4帖半ばかりの小さな控え室の鏡の前に先生がポツリと座っていた。
何だか、いつもと様子が違っていた。
演奏用の衣装に着替えてはいる。化粧もいつもよりもたっぷり塗って、髪のセットもバッチリと決めている。
綺麗
というのが第一印象だった。
でも、様子が違うのは、いつもの先生の感じではないのだ・・・
「あ、ヒロシ君!・・望月さん!
来て・・くれたんだ!!」
なんだか、オドオドしている・・・
父が、今買ってきたミネラルウォーターのボトルを先生に手渡すが、
中の水が小刻みに震えている・・
笑みは浮かべてはいるが、緊張は隠せないようだった。
「何だか・・落ち着かないみたいですね~・・・」
「うん・・・ちょっとリハーサルで・・・」
「え?」
「指が・・上手く動かないの・・・」
指が動かない?
両手を掲げる先生・・指が小刻みに震えている。
ひょっとして、引越しの・・・・
「先週は、ちょっと重い荷物持ったり、掃除したりしたからな~」
父が説明を加える。
筋肉痛ですか・・・
週末は、引越しの最後の仕上げに、市営住宅の部屋中を徹底的に掃除したのだった。
ピアノの演奏を前に、もう少し控えれば良かったのだろうけれど、
張り切って掃除していたのだった。
ウキウキしていたし・・(発表会の後の食事が待ちきれなかったらしく・・)
「う~・・運動不足よね~・・日頃から鍛えてないから・・」
先生が嘆いている。
別に、普段から筋肉を鍛える必要もないと思ったのだが・・・
思考回路も普段と違うようだ・・
でも、このままだと、いい演奏もできそうにない・・・
父も、二の腕からマッサージを試みたり、冷温スプレーをかけたりしてはいたようだった・・
「お兄ちゃん・・・あのさ・・」
翔子ちゃんが僕に耳打ちした・・・
しばらく、翔子ちゃんの提案を聞いていた僕・・・
「うん。やってみるよ!」
彼女が不思議そうに見ていた。
「お父さん!僕が、交代するよ!」
「え?」
「マッサージ、僕に任せてよ!」
「ああ・・・」
先生のすぐ前に座り、向かい合う。
こんなに至近距離で、相、対して座るのも、少し恥ずかしいが・・・
「両手を出してみて!」
「はい・・・」
両腕を真っ直ぐ、こちらに伸ばす先生。
細く、長い腕・・
筋肉も、そんなについていない、女の人の「か細い手」・・
こんな細い手で、掃除やら家事やらをこなしていたなんて・・
はじめは、腕の所々の「ツボ」らしき所を手で押さえた。
「う!」
痛いところもあるようだ。
ある程度、もみほぐしたところで、
その手の平を軽く握り、僕の胸元へと寄せる。
そっと、目を閉じる。
何が起こるのか、不思議がっている先生や父・・
「ど・・どうなるの?」
「黙って、手に感覚を集中してみて!」
「うん・・・」
初めは、半信半疑だったようだけれど、次第に、手の感触に変化があるのが分かってきたようだった・・
「あれ?」
先生が何かに気付いた。
少しずつだが、疲労が取れてきているらしい。
彼女には全てが見えていたのだろう・・・
僕が、先生の手を伸ばす役をして、翔子ちゃんが、その腕に手をかざして念を送り、治療をしていたのだ。
「何だか、手が温かくなってきた・・」
筋肉痛も直り、血行が良くなってきているのだろう・・
さて・・どうやて、この方法を説明するか・・
「あのさ・・僕のおばあちゃんが、よくやってくれたんだ!」
我ながら、いい言い訳のような気がした。
「え?オレのお母さんが?」
父が聞いている。少し焦ったが・・
「いや・・お母さんの・・・」
何とか切り返した。
「ふうん・・こんな方法があったんだね・・」
「大分、緊張もしていたみたいだから・・
リラックスすれば、よくなると思うけど・・・」
「そうか・・慌ててたから・・焦りもあったのね・・」
すっかり良くなった手を振りながら、手の感触を確認している。
もう、震えも止まっているようだった。
「うふふ・・ここまで直してもらったら・・頑張らなくちゃね!」
「先生・・・」
「待ってなさい!優勝トロフィーを持ってくるわ!」
そこまで言うか~??
元気と自信を取り戻した雨宮先生。
もう、一抹の不安も無いようだった。
ーーー後半の演奏が始まります。
演奏者はステージの控えにお集まりくださいーーー
館内放送で呼び出される。
観客も席に着かないと、入れなくなる。
「いよいよだね!」
「じゃあ、俺たち、席で見てるよ!」
「うん!ありがとう!!がんばるわ!」
僕たちは、控室から観客席へと戻る。
「ヒロシ君・・ありがとう・・・」
先生が、僕に礼を言っている。
振り向き様に、返事をする。
「あ・・はい・・頑張ってください。」
「あと・・・
翔子も・・・
ありがとう・・・」
「ママ・・」
僕の隣にいた(らしい)翔子ちゃんが驚いていた。
先生が、笑顔で僕たちを送り出している。
どうやら、翔子ちゃんが治療していたのが、バレていたらしい・・・
ピアノ・コンクール後半の演奏が始まった。
観客席にて、僕と彼女、お父さんが並んで座っている。
中央、やや後ろの列で、中央通路の脇で最高の席の連番だった。
次々に演奏者が入れ替わり、腕を競い合っている。
どの演奏も、素晴らしく、強豪ぞろいだ・・皆、この日のために1年かけて練習を積んできている。
あっという間に先生の前の奏者の番だ。
翔子ちゃんではないが、僕もハラハラして順番を待っていた。
腕は回復したと言え、引っ越しや部活で忙しく、練習もままならなかった・・
ちゃんと弾けるだろうか・・・
そう言えば、翔子ちゃんの声が聞こえない。
演奏中に、霊感ケータイを作動するわけにはいかないし・・・
この回の演奏が終わり、拍手が起こる。
次だ・・・
「いよいよだな~こっちも緊張するな~」
父の方が先生の演奏を心配している。
こちらも、以下同文である・・
別に、自分が演奏するわけでもないのだが・・
感情移入とでもいうべきか?
ステージ上の明かりに照らされて、先生が入ってくる。
先程と違って、落ち着いた雰囲気だ。本番には強いのか?
お辞儀をして、舞台の真ん中に設置しているピアノまでゆっくりと歩いていく。
椅子に腰かけて、静かに演奏が始まる。
クロード・ドビュッシー作曲
「月の光」
「この曲・・響子の好きだった曲だ・・・」
父がポツリと言った。
そう・・生前、母が好きだったという曲・・
偶然にも、翔子ちゃんも好きだったという。
父と先生の出会いの曲でもある。
静かな弾きから始まるこの曲は、月夜の静けさを思い起こし、
亡くなっていった母の事も、また、翔子ちゃんのイメージと重なった・・
会場全体に染渡るような・・そんな感じがあった。
「翔子ちゃん・・先生の脇に立っている・・」
彼女がポツリと言った・・・
ピアノで演奏している先生の、すぐ脇で、スポットライトに照らされながら、
その手の動きをじっと眺めて見守っているという・・
「翔子・・聞こえてる?」
「うん・・ママ・・」
先生がつぶやきながら演奏をしている。
翔子ちゃんは、先生にメッセージを送っている・・・
「さっきは、ありがとう・・」
「うん・・どういたしまして!」
「おかげで、弾けるようになったわ・・」
「良かった・・」
「この曲は、あなたが一番好きだった曲・・」
「忘れないわ・・・この曲・・大好き・・ママのように優しいメロディー・・・」
「翔子・・・あなたは、私の手を離れて、
遠く旅立ってしまったけれど・・
私は、この曲を弾く度に・・あなたを想い出す・・・
あなたとの想い出が・・
心に浮かんでくるの・・・」
「私・・
お母さんが新しい生活を選んだ時・・
そのうちに、忘れられるんじゃないかって・・・
ずっと思っていたの・・」
「人間は、100年にも満たない、その寿命が終わっても、
共に生きてきた人の心の中で、想い出となって生き続けるって言うわ・・・
芸術家や建築家は、
自分の作品を後世に残して・・
自分が生きた証を残すことができるけれど、
他の多くの人は、世代が入れ替わると、
想い出とともに、忘れ去られていく・・・
時代の中に埋もれていく。
それが、本来の人間の姿なのよ・・・
次の世代の人が、私たちが生きてきた事を忘れようと、
それで、いいじゃない・・
怖がることも、寂しがることもない。
今を生きる事・・
かけがえのない人たちとの想い出を大切に生きていく・・
今、生きている私たちに出来ることは、
それだけよ・・・
私には、この曲がある限り・・
あなたの思い出がいつでも心に蘇る・・
まるで、昨日のように・・・
私は、翔子を忘れない・・
あなたが、どんな所へ行こうとも・・・
あなたは・・
私の・・
愛する・・
娘・・・」
「ママ・・・」
ステージの明りに照らされて・・
先生の頬に、涙がきらりと光った。
演奏が静かに終了していく。
ピアノの余韻が、会場をやさしく包んでいた。
拍手に送られて、先生がステージを後にする。
コンクールの発表が始まった。
先生は、見事!
優勝は逃したけれど、それは仕方がない。
練習を積んで、来年にリベンジだ。
でも、先生は何故かスッキリしていた。
清々しい笑顔だった。
翔子ちゃんと、演奏中に心で打ち溶けれたと、
後で言っていた。
「それじゃあ、オレたち食事して帰るから、先に頼むよ!」
「あと、お願いね!」
父と先生が、公会堂の門の前で僕たちに話しかける。
「うん・・」
「ごゆっくりどうぞ!」
「望月さん・・あんまり遅くまで居たら家の人、心配するわよ!」
「はい。お父さんには、遅くなるって伝えてます。」
「そ~いう意味じゃなくってね・・・」
彼女のマイペースも全開だった・・・
「先生も、あんまり遅くならないうちに帰って下さいね」
お父さんと先生が顔を見合わせている。苦笑いしている二人・・
「ふふふ・・そうするわ!」
「俺たちが帰るまで、彼女、家に送ってくんだぞ!」
「うん・・」
そう言って、僕たちは二人ずつに分かれた。
マンション
彼女が腕を振るって、夕食を御馳走してくれるという。
そんなに食材があるわけでもないんだが・・お互い中学生だから、
外食をするわけにもいかず、経済的な自宅での食事となった。
それでも、彼女は、嬉しそうだった。
が・・
「何で、翔子ちゃんが居るのよ~」
「だって、私、お兄ちゃんの妹だもん!!」
「『念波の修行』もいいトコ終わったんだから、帰りなよ!!」
「いいじゃない!兄妹で憩いの時間が欲しいもん!」
「こっちだって!まだデート続いてるんだから!!」
「大会終わったんだから、帰りなさいよ~!」
睨み合って、お互いに引こうとしない・・
彼女は誰も居ない空間に向かって独り言を言ってるようにしか見えないんだろうな・・
「ヒロシくん!こういうのアリー?」
「お兄ちゃん!夜遅くまで女の子、家に帰さないなんて、不純異性交遊よ!」
「私が居なくなったら、何するつもりなのよ~!!」
「そっちこそ!私が公園に迎えに行かなかったら、どうなってたか!」
な・・何なんだか・・・先が思いやられます・・
「ひろしくん!」
「お兄ちゃん!」
「ハイ!!」
地獄のステージ・・
ドドドドド・・・・・
滝に打たれて翔子ちゃんのお父さんが、一人、修行をしている。
念仏を唱え、落ちてくる水の勢いに耐えるお父さん。
神経を集中し、精神を統一する修行のようだった・・・
「時間ですよ!」
女の人の声がする。僕の母が翔子ちゃんの代わりに付き添いに来ていた。
その声に気づき、滝行を終えるお父さん。
「ふう・・・」
「お疲れ様です!」
タオルを渡す母。
「やっぱり、修行は疲れますね・・」
顔や体を拭きながら、お父さんがもらす。
「あまり根詰めないで下さいね。」
「翔子には『差』をつけられましたからね・・・」
「はい。最近の翔子ちゃん、どんどん成長してますからね。」
「あんなに早く、『霊力』が高まるとは思いませんでした。」
「『念』で、色んな事ができるようになったし・・」
「殆どが、修羅の奥地・・『伊吹丸』に教えてもらった技です。
『鬼教官』とは違った系統みたいで・・」
「何か・・翔子ちゃん・・このまま成長すると危ないような気がして・・」
僕の母がポツリともらす・・
「え?」
「これは・・心配しすぎかも知れませんが・・」
その、予感は半分当たっていた・・・
丁度、そこへ、「鬼教官」が戻ってくる。
「どうだ?修行の調子は?」
「はい、大分、集中できるようになってきました。」
「先ほどの会議で、小娘の『処分』が決定した・・」
「処分?」
翔子ちゃんのお父さんが驚いている。
「今回、人間界に向かわせたは、身に着けた技を、どう活かすかを試させてもらっていたのだ・・」
「え?それを知らずに・・」
「うむ・・あの小娘・・悪霊退治にも使っておるが、私利私欲の為にも使っておる・・」
「翔子ちゃんなら・・・ありえるかも・・・」
彼女や先生を治療したり、僕や先生と話をしたりする事が私利私欲なのだろうか・・
「あの小娘・・『妖術系』の技を身に着け、人間界で、その技を使うのは危ういと判断された・・・」
「出入り禁止になるのですか?」
「うむ・・このままだとな・・・
あの技を使いこなすには、『精神的』な面での強化が必要だ。
よって、ワシの管轄から『十一面観音様』に修行を委ねることとなった・・」
「え?それは・・・」
「あの方が弟子を取るのは300年ぶりじゃ・・・」
「それって、すごい出世ってことですか?」
「まあ・・そうじゃな・・」
喜んでいる二人。十一面観音と言えば、久世に奔走するありがたい観音様なのだ。
「翔子ちゃん喜ぶでしょうね!」
「はい。これは大ニュースですよ・・帰ったら教えなきゃ・・」
歓喜に満ち溢れる二人に鬼がポツリと言った。
「これだけ言っておく・・・
あの方の下へと行くことは、今の人間界での記憶は、徐々に無くなってしまうのだ・・」
「え?」
「神の領域に近づく程、自我というものが薄れていく・・
人間の『煩悩』を切り捨てていく事に他ならない・・」
「そんな・・」
「元々、『霊界』が存在すること自体、不自然な事なのだ・・
人間としての修行が終われば、その時の因縁は全て断ち切って、
精神の世界へと移行するのが自然だ。
だが、人間の結びつきや『煩悩』が強すぎ、そこに固執する霊があまりにも多くなり、
仕方なく、人間界と精神の世界との間に「霊界」を設けているのが、現在の姿だ・・・」
「私たちの存在自体も・・・不自然なのですか?」
「ワシですら・・自分の・・今の存在を捨てられぬ・・・
それが、『煩悩』なのだ・・
『今の自分でありたい』という事自体が、人間の『煩悩』・・・」
自分が自分でないということは、どうなる事なのだろうか?
人はいずれ「死」を迎えるが、更にその霊がかつての人格をも捨て去る・・
それは、自らを「やめる」事なのだろうか・・・
修行をしたり、悟りを開くと、「無の境地」や「全体世界」に気づき、「自我」を捨て去るという・・
現世にて「悟り」を開いてきた人は後世に「宗教家」として名を連ね、
他の人たちを幸せの方向に導く。
(が、時として、「戦争」の原因ともなる)
この人間界での人としての営みは、全て「修行」だという。
この世で修行をして、精神を鍛え、最終的に「神の領域」である「無の境地」や「全体(精神)社会」に目覚めていく訳だが・・
それは・・
自分の「自我」を捨て去る事に他ならない・・・
自分よりも家族や他人、社会を大切にする事が尊い「行い」とされる。
今の自分の「地位」や「人格」にこだわる事が、悟りや修行の邪魔をしている。
人間の「煩悩」を捨てる事・・
人間であることをやめる事・・
それは、自分の家族や最愛の人達を切り捨て、「(精神の)全体社会」としての一員に目覚める事なのだろうか・・・
確かに、人は死ねば、生前の因果関係は全て無くなる・・・
その時こそ、人が「神の領域」に近づくチャンスなのだ。
死んだ人を想い、悲しみに暮れるよりも、
その人の修行の最大の成果をあげる時期だと位置づける・・・
それが、仏教であれ、キリスト教であれ、各宗教、宗派を超えた「教え」の中に散らばっている。
「自分の最愛の家族の事を忘れるなんて・・翔子ちゃんには・・・」
母が鬼教官に訊ねる。
「あの小娘には、出来んだろうな・・・」
「その時は・・どうなるのでしょうか?」
「最悪は、修羅で見たような『幽閉地』にて隔離される・・」
「幽閉地?!・・」
「永遠に隔離される・・孤独の世界じゃ・・」
「どっちを選ぶのも・・翔子ちゃんには・・苦しい道・・」
母がポツリと言った。
「ヒロシ君を助けるために始めた修行が、彼との別れの原因になるなんて・・なんて皮肉な現実なんだ!」
嘆いている翔子ちゃんのお父さん。
「直ぐに決めろとは言わぬ・・
だが・・これ以上、『力』を付け、人間界での存在が高まれば・・
強制的に迫られる可能性はある・・
死者が、人間の現世で存在すること自体・・あってはならぬ事なのだ・・」
翔子ちゃんの知らない所で、『霊力』を高めた影響が出始めていた・・・
この事実を知った時・・翔子ちゃんは、どれほど苦しむのだろうか・・・
その頃・・・
「お兄ちゃん・・大好き・・・」
何も知らない翔子ちゃんは、僕の隣で、幸せそうに寝ていた・・・