10.地獄の釜
死者の世界
人間の世界と季節や風景や動植物に至るまで、瓜二つだが、異なった所もある。
その一つに、「生」と「死」が無いことがある。
植物の葉や茎は、衰えることなく、伸びることも無い。
丘の花は朝に開き、夕方にはつぼみになり、それを繰り返すがごとく、全ての物が、そのままの姿である。
生態系も、もちろん無く、弱肉強食というものが無い。
食べる事も無く、一切の不浄の物も無い。
水はきれいなままで、流れ続ける。
年月の概念も無い。
1日の移り変わりはあるが、月日は進まない。
様々な時代が交差する。
過去は即ち現代であり、未来でもある。
天空を照らすのは、「天照大御神」であり、その恩恵を得ている。
夜は「月弓乃尊」が、程よく照らし、安心して眠ることが出来る。
昼は太陽の様に、明かりが満ちあふれ、夜は月に癒される。
現在の人間界の様に環境がめまぐるしく変化し、職や食を求めて苦労することも無いが、
「この世」からきた時、即ち人間界で死んだ時の時間、性格から逃れられない。
幸せに死んできた者は安住の地を約束され、
不幸にしてこの世を去って来た者は、次に人間界にて生まれ変わるまで、ずっとその状況を繰り返す。
同じ性格、同じ者同士が寄り集まる。
良き心の持ち主は、やはり良い心を持った者で集まり、「極楽」を形成し、
悪しき心、罪を背負った者同士は、似たような者で集まり、その集大としての「地獄」を形成する。
ただし、中には変わった者もいる。
まだ修行が足りぬと、人間界の呪縛から解かれても尚、厳しい場に身を置く者もいるのだ。
そして、翔子ちゃんと、そのお父さんも、その修行の場として「地獄」を選び、日々過酷な試練に立ち向かっているのであった・・・
地獄の入り口
ゴツゴツとした岩場に、洞穴が大きな口を開いていて、その前に一人の鬼が立っている。
恐ろしい形相の鬼。人の2倍位の背丈はあろうか・・
頭に牛の様な角が二本生えていて、目はぎろりとにらんで、口は堅く閉められ、牙を覗かせている。
筋肉隆々の肉体で、手には、突起の無数に付いた、「いわゆる」鬼の金棒を持っている。
その脇に翔子ちゃんのお父さん。なにやらそわそわしている・・
まだ、翔子ちゃんが来ていないようだ。
「遅い!!何をしているのだ!!」
「すみません・・もう少し待って下さい・・」
恐る恐る、鬼にお願いしている。
「ああ・・まだかな・・まだかな~」
辺りを見回すお父さん。まだ、姿が見えない。
「パパ~!」
そこへ、翔子ちゃんが息を切らして滑り込んできた。
「ごめんなさい!!遅れました!!」
「きさま~!!3分遅刻だ~!!」
金棒を振りかざす鬼。
「ちょっと、お兄ちゃんのお母さんと話をしていたので・・」
翔子ちゃんが言い訳をしている。あまり、言い訳にもなっていないが・・
「ワシは暇人じゃないんだ!超~多忙の中、お前たちの道楽に付き合っている身にもなってみろ!!」
「すみません、すみません」
お父さんが必死に謝っている。
「ワシは、時間に関しては鬼のようにうるさいんじゃ!鬼教官だからな!!」
「上手い!!一本とった!!」
翔子ちゃんが、おだてる。
どうでもいいけど、漫才してるんじゃないんだから・・
「ふふふ・・では行くとするか!」
鬼も機嫌直ってるし・・
ほのかに顔を赤らめている・・(元々赤いんじゃないのかな・・)
慣れた様子で、翔子ちゃんとお父さんが合唱している。
鬼が、金棒を一振りして、天空にかざし、何やら呪文を唱えている。
3人の周りが光に包まれる・・
眩い光が一同を覆ったと思ったら、次の瞬間、姿が見えなくなった。
テレポーテーション?瞬間移動というところか・・
死者の国は何でもアリなのである。
針の山
3人が向かった先は、針の山だった・・
小高い山がいくつも連なった。その山肌に、
15センチ程の長さで縫い針のような細さの針がびっしりと突き出ている。
地獄に落ちた無数の亡者が針の山を登っている。
一歩踏み出すと、足元に鋭い針が突き刺さる。
足の裏に刺さった針が、重心を掛けるとともに、肉に入り込んでいく。
足の裏から、足の甲に貫通する針もあれば、骨に当たって神経まで入り込む針もある。
神経に触ると激しい痛みが走る。
「ウワーアアアアアアアア!」
激痛をこらえるが、次の一歩を踏み出さねばならない。
足を針から抜くと、血が滴り落ちる・・
その血が流れ出て、泉のように麓に溜まっている。
亡者たちの悲痛なうめき声が、辺りにこだましている・・・
何人かの鬼が、足の遅い亡者を蹴散らす。
殴られた亡者が、その場に倒れて、体に針が突き刺さる。
顔や、目、鼻、手足に針が刺さり、もがき苦しんでいる亡者に容赦なく金棒が打ち付けられる。
「お前たちの、犯した罪は、こんなものではないぞ!!」
無益な殺生をした者が罪を償う場所であるという・・・
翔子ちゃんとお父さんは、この光景に絶句して、目を手で覆った・・
「やめて・・・こんな事・・」
「ふふふ・・この程度では、こいつらには軽すぎる・・」
一緒に来た鬼が、この光景を眺めている
まだ罪深いとでもいうのだろうか・・
「ここで、何をしようと言うんですか?」
お父さんが、恐る恐る、鬼に聞いてみる。
「お前たちも、この山を登ってもらう!!」
「え~!!」
翔子ちゃんが、驚いている・・
「ワシはお前たちを特別扱いはしない!!正にオニだからな!!」
痛そうな針・・突き刺されば、激痛が走るだろう・・
「お前たちには、教えたはずだ・・あの呪文を唱えるがいい!!足の裏に神経を集中しろ!!」
あの呪文・・
「南無大師遍照金剛・・」
翔子ちゃんが手を合わせ、念仏を唱えてみる。
足の裏に神経を集中する。
足の裏がほのかに光ってきた・・・
「この足で・・登るんですか?」
「うむ・・登ってみよ!ただし、『恐怖』の感情が少しでも出れば、その呪文は解けて、たちまち他の亡者と同じく激痛に苛まれるだろう・・
精神を集中するのだ!」
「ここでの授業時間は6時間!集中力を高めよ!!」
鬼の言うままに、その足で針の山を登る翔子ちゃんたち・・
足の裏に、針が当たる。
多少の痛みはあるが、針が肌に入ってこない。
針の上に乗って宙に浮いた感じがする。
バランスを取らないと、ひくりかえってしまう。
念仏を唱えていないと、針が刺さってくる。
ギリギリのバランスの上で針の上を一歩一歩踏み出す二人。
目の前に亡者が倒れ、こちらに向かって助けを求めている。
手をこちらに向けて出してくる。
助けたいと思って、そちらに目を向けると、足の裏に針が刺さってくる。
他の者には手が全く出せないようだ・・
「むう!・・他の者に注意を払えるほど、このステージに余裕は無い!
親子とて同じだ。互いの安否に気を配れる暇も無い!!自分の神経のみを集中しろ!!」
後ろに控えている鬼から注意を受ける。
その言葉通りに神経を集中し、一歩一歩前進を続ける翔子ちゃん。
しばらくすると、お父さんは、少し慣れたらしく、翔子ちゃんの後に下がって見守りながら歩いていった・・
「がんばれ。翔子~!!」
お父さんは、多少、声を出しても、足に神経を集中していられるようになっていた。
一人の亡者が、翔子ちゃんに近づいてくる。
翔子ちゃんの足にすがる亡者・・
必死で振り払おうとするが、亡者の力のほうが強く、しがみついてくる。
転びそうになる翔子ちゃん・・
「翔子!!危ない!!」
お父さんが叫ぶ!
「きゃ!!」
足を掴まれ、前へ倒れる翔子ちゃん!
「あ・・ うっ・・ あ! あぁーー!!」
針が体に突き刺さり、激痛が走る。
「ぐあーーーぁーーー!!」
顔や、手、足、、胴に針が突き刺さっている。貫通している針もあれば、肉や内臓を貫いている針もある。
目や鼻、肺や心臓に針がささり、中から体液が出てきている。
「きさまー!!何をしている!!!」
鬼が針の束をかき分けながら走り寄り、翔子ちゃんを掴んだ亡者に金棒で殴りかかる。
「この期に及んで、まだ罪を重ねるか!!」
「ぎゃーーー!!」
亡者はちりじりになってしまう・・
「大丈夫か!翔子ーーー!!」
お父さんが声を掛けるが、激痛が走っている・・
「あッ・・いっ・・痛い!痛いよーーー!!」
叫ぶ翔子ちゃん。
針が全身に刺さって身動きが取れない・・
「ワシが力を貸すことは出来ない・・」
鬼は静かに翔子ちゃんとお父さんに告げる・・
「自力で、起き上がるのだ!!」
翔子ちゃんに起きる事を促す・・でもどうやって・・
「まず、呪文を唱え、手に神経を集中させろ!!」
「手?」
「その手で、自分の体を持ち上げるのだ!!」
「う・・うう・・な・・南無・・大師・・・」
痛みをこらえながら、念仏を唱え、手に神経を集中させる・・
手がうっすらと光に包まれる。
その手で、針の束の先を押さえ込む。
少しずつ、体が起き上がる。
刺さった針が、なかなか抜けない・・
「あっ ・・・い! 痛い・・」
激痛が走り、再び倒れこむ・・
「あーーーーーーーーーーー!!!!!」
叫び声をあげる翔子ちゃん・・
「声を上げるな!呪文のみを唱え続けなければ、今のように力が入らなくなる!!」
「翔子ーーー!!がんばるんだーーー!!」
お父さんが勇気付ける。
「う・・・ん・・・」
その時、翔子ちゃんの頭に、お母さんとヒロシの顔が浮かんだ・・
「い・・いたいよう・・・ママ・・・」
目に針が刺さり、流れ出す血で前が見えなくなっている。
「お・・お兄ちゃん・・・わたし・・がんばる・・・!」
再び、念仏を唱える翔子ちゃん・・
今度は全身が、光に包まれてくる・・・
「うっ・・こ・・これは・・!!」
鬼がその姿に驚いている・・
全身が光り輝き、立ち上がりはじめる翔子ちゃん・・
刺さった針がずるずると引き抜かれていく。
そこから血が滴り落ちていく・・
針の刺さっていた傷口から流れ出る血・・
構わずに、立ち上がる・・
手を合わせ、再び歩きはじめる・・
光が翔子ちゃんの全身を包む。
先ほどよりも歩きやすくなっているようだった・・
傷口も、少しずつ直ってきている。
針の山を力強く歩いていく翔子ちゃん。
その姿を見つめながら
「うむ・・ここでの修行は終わったか・・あの娘・・大したものだ・・こんな短時間に・・」
鬼がつぶやく・・
「凄い・・」
お父さんが、その言葉を聞いていた・・
「そなたも、ああなるには、まだまだ修行せねばなるまい・・」
「はい・・」
「お?そろそろ時間か・・」
その声とともに空を見上げる鬼。
「時間?」
お父さんも、同じく空を見上げる・・
それまで、厚い雲で覆いつくされていた空が、急に明るくなる。
雲が切れて、その切れ間から光が差し込む・・
「盆が来た・・」
辺りから、亡者のうれしそうな声が湧き上がっている。
「お盆ですか?」
「この時期は、地獄の釜も休む・・皆、故郷に帰るがいい・・」
方々にいた亡者の魂が、光に向かって浮かび上がっている。
「お前たちも、修行は中断だ!!」
「はい・・」
「家族と心行くまで過ごしてくるがいい・・」
「でも、どうやって行くんですか?」
「家族を思い浮かべればいい・・そうすれば、あのように、光がお前たちを導いてくれる・・」
そう言うと、針の山をゆっくり降りていく鬼だった。
お父さんも、翔子ちゃんに声をかける。
「おーい。翔子~!帰るぞ~・・!」
その声に気づいた翔子ちゃん。
「う~ん。今行く~!!」
お父さんの元へ戻ってきた翔子ちゃん。
お父さんが・・
「翔子は、もうここでの修行は終わったって・・」
「え?本当?」
「ああ・・」
空を見上げる、お父さん。
翔子ちゃんも見上げる。
「明るくなったね~」
「お盆なんだそうだ・・」
「へえ~これがお盆なの?」
「母さんの所へ帰ろう!!」
「うん。でもどうやって?」
「親しい人を思い浮かべるんだそうだ・・」
「やってみる!」
翔子ちゃんが目をつぶって、お母さんを思い浮かべる。
お父さんも同じく、目をつぶる。
すると、体がフワっと浮かび上がった・・
そのまま、光の差し込む方へと自然に体が導かれていく・・
翔子ちゃんは、うれしくなった。
おびただしい光の渦に囲まれていく・・