7.再び別荘へ・・
トゥルルル・・ トゥルルル・・
僕の家の電話が鳴る。誰もいない僕の家。
僕は図書館へ自習しに行っている。
電話をかけているのは千佳ちゃんだった。
「あれ? 居ないのかな・・・・」
僕が図書館に通っているという話を思い出した。
「そうか・・図書館か・・・勉強の邪魔しちゃ、悪いな・・」
電話の受話器を置く。
「美奈ちゃんは、お寺の掃除よね・・・もうお盆近いからな~・・」
ポケベルを握り締める。
「一人で行ってみますか!」
自転車をこぎだす千佳ちゃん。
行く先は、あの海辺の別荘だ。
小高い丘づたいの道を1時間ばかり走らせる。
電車で行けば10分で到着するのに、なぜか自転車を選んだ。
夏空の下、松の並木道を走っていくと微か(かすか)に潮風が吹いきた。
心地いい風が頬に当たる。
「晶子さん・・・
あのね・・
あなたのお母さんは、まだ晶子さんが、生きて帰って来るって・・
待っているんだと思うよ・・」
一緒に憑いて来ているであろう晶子さんに話しかける。
浜辺の脇の道を過ぎ、坂道を自転車を降りて押していく千佳ちゃん。
あの別荘街まであと少しだ。
心臓がドキドキしているのに気づいた。
娘が既に死んでいて、しかも、ここに居るという事実を伝えなければならないと思うと、自分には荷が重いと感じていた。
別荘の前に来て、洋館を見あげる千佳ちゃん・・
どうやって、伝えれば良いの?
途方に暮れ、道路際で立ち尽くしていた。
「あら・・あなた、この間の子じゃない・・」
後ろから声がかかる。
振り向くと、日傘を差し、買い物籠を持ったおばあさんが立っていた。
「この間は、ごちそうさまでした・・」
「また、訪ねて来てくれたの?」
「はい・・あの・・」
思い込んでいる様子の千佳ちゃんを見て、
「外で立ち話も何だから・・中にお入りなさい。」
そう言って、ポーチから玄関へ向かうおばあさん。
自転車を停め、その後をとぼとぼとついていく千佳ちゃん。
一昨日と同じ部屋に通され、テーブルにつく。
お茶が出されて、お菓子が並べられる。
空になったティーカップを眺めながら、しばらく黙っている二人・・
何から話していいのか、分からない千佳ちゃん。
沈黙を破ったのは、おばあさんだった・・
「不思議ね・・
良く、自転車で出かけたのよ、あの子・・」
写真を見つめながら話し始めたおばあさん。
「晶子さんですか?」
「ええ・・
丁度、この間の貴女みたいに半袖のシャツを着て、急に居なくなってるのよ。いつも帰るのが遅かったわ・・」
「活発な人だったんですね」
「小さいころから、音楽が好きだったのよ・・
いつか、この家を出て自分の道を進んでいくのが薄々分かっていた・・」
「だから、アメリカへ留学させたんですか?」
「あの子は、この国では収まりきらなかった・・
「夢」を追いかけて行く方があの子には良いって思うようになったわ。
生き生きした目をしていたのよ。」
昔の写真を見つめながら語っている。
「それが・・あんな事になるなんて・・」
「この家を出て行った事ですか?」
千佳ちゃんの問いに、おばあさんは頷かなかった。
そのまま、物思いにふけるおばあさん。
千佳ちゃんは、晶子さんが既に他界したことを告げようか迷っていた。
昨日から自分に晶子さんの霊が憑いてきていること・・
今までの思い出を見せてくれたこと・・
それには、色々と説明する必要がある。
何処から話せばいいのか・・
「晶子さん・・」
千佳ちゃんがポツリと言った。
その言葉を打ち消すように、おばあさんが話しを続けた。
「私は・・・
あの子を許せない・・!
私と、この家を捨てた事を!」
写真を睨みつけるおばあさん。
千佳ちゃんは、何とか説得しようと試みる。
「私のお母さん・・
私と喧嘩しても、待っていてくれるって・・
最後に帰るところはここなんだって言ってくれました・・」
「あなたのお母さんは、優しいのね・・」
目を細めるおばあさん。
「でも・・
皆がみんな・・
同じ様な優しい人とは限らないのよ・・
ずっと恨みを忘れない人もいる・・」
「おばあさん・・」
「あの子は、あの日。
この家を出て行く時、
今まで援助してもらってた事を棚に上げて
そんな協力なんて、して欲しくないって言ったのよ。
どれだけ、あの子にお金を注ぎ込んだか!」
夢で見せられた晶子さんの記憶の場面を想い出した千佳ちゃん。
喧嘩別れと同然で家を出た晶子さん。
「晶子が信用していた連中は、この家の財産が目当てだったのよ!
半年もしないうちに借金の請求が私の所へ来たわ。
支払わなければ、晶子の生活は保障できないって脅しをしてきたのよ。」
「その借金を払ったんですか?」
「そんな事、するもんですか!
この別荘を盗られるくらいなら、晶子と縁を切ることを選んだわ!」
「そんな・・」
莫大な借金を背負って働き続けた晶子さんの姿を想い出す千佳ちゃん。
「身勝手だったのよ。
小さい頃から甘やかした私も悪かったのかも知れない。
でも、親に向かって、そんな協力は要らないって口答えしたのよ!
それでいて、
結局は借金の肩代わりよ。お笑いよね!
こんな人間に育てた私がバカバカしくなったわ。」
「でも、晶子さんは・・」
その後、苦しい生活を経て、ようやく夢が実現しかけた事を話そうと思った千佳ちゃん。
でも、そんな話を真に受けてくれるとは思えなかった。
晶子さんが自分に憑いて過去の記憶を見せてくれた事も説明しなければならない。晶子さんが海難事故で亡くなってしまった事も証さなければならないのだ。
「私は晶子を許せない!
あの出来事も、私は信じない・・」
再び険しい表情となって、海の方を見つめるおばあさん・・
よほど、見捨てて出て行った事を恨んでいるのだろうか・・
切ない表情で見つめていた千佳ちゃんに気付いたおばあさんが我に返り、
「ダメね・・
歳をとると頑固になるの・・」
千佳ちゃんは、それ以上、何も言えなくなってしまった・・
「私・・・
どうしていいのか、分からなくなってしまいました・・・」
千佳ちゃんの目から涙があふれている。
おばあさんを説得し、仲直りさせた上で、晶子さんの現状を伝えたい・・
その一心で、ここまで来たのに、何も言えず、全てが虚しく終わろうとしている・・
その様子を見て、おばさんが・・
「あなたには心配をかけたわね・・」
涙をぬぐいながら、
「ごめんなさい・・
もう一度、考えてきます・・
ごちそうさまでした・・」
そう言って部屋を後にする千佳ちゃん。
「あ!」
呼び止めようとしたおばあさんの声を尻目に出て行ってしまった千佳ちゃん・・・・
薄暗い部屋に一人、ぽつんと取り残されたおばあさん。
別荘街を外れ、浜辺までの道を、自転車を押して歩いている千佳ちゃん。
さっきまで晴れていた空は、少し雲がかかり、ゴロゴロと遠くで雷の音が鳴り出している。
夕立の気配。
自転車を押しながら、
「私・・どうすればいいの?」
ポケベルを見つめると、メッセージが届く。
アリガトウ
モウ イイヨ
アキコ
「もう・・いいって・・どう言う事?!」
ポケベルのメッセージに反応する千佳ちゃん。
アノ イエニハ
ワタシハ カエレナイ
アキコ
「このままじゃ・・晶子さんも・・
あなたのお母さんも・・可哀想・・・」
雨がポツポツと当たりだす。
先ほどから辺りは雲で暗くなってきていた。
ワタシハ カコヲ
ステタノヨ
アキコ
「それは・・違うと思う!
過去を捨てたなら、何で、あなたは、ここに戻って来たの?」
ソレハ・・
アキコ
「お母さんは、あの写真を大事に持っていた・・・
それは何故なの?」
・・・・
ポケベルにメッセージが届かない・・黙っている晶子さん・・・
別荘・・・
僕と彼女が、訪ねてきた。
何やら心配だと、彼女が図書館に急にやって来て、ここまで付き合わされたのだ。
「今日は・・・」
僕が呼び鈴を押すと、あのおばあさんが玄関のドアを開けた。
「あら・・あなた達はこの間の・・」
「一昨日の、クッキーが忘れられなくて!」
にっこりと微笑む彼女・・
こらこら。そういう用事じゃないでしょ?
雨がポツポツと当たっているのを見て、
「降ってきたわね・・あがっていきなさい・・」
「おじゃまします・・」
僕が答える。
一昨日の部屋へ通される僕たち。
再び、お茶が出される。
窓から外を眺めている、おばあさん。
雨が本格的に降り出し、辺りは暗くなっている。
風が吹いている・・
「あの子・・大丈夫かしら・・」
千佳ちゃんを心配するおばあさん。
「あの子?」
僕が聞き返す。
「さっきまで、あの子が来てたのよ・・
この間、あなた達と一緒に来てた子よ。」
「ああ・・千佳ちゃんですね!」
彼女が答える。千佳ちゃんも来ていたのか・・・
更に彼女が付け加える。
「晶子さんが、一昨日から千佳ちゃんに憑いてきていたから・・・」
「え?」
その言葉に驚くおばあさん。
こらこら!いきなり、驚かすような事言ったらまずいでしょ。
まだ、晶子さんが他界したなんて知らないんだから!
「あなた・・なぜ、それを・・?」
「私・・見えるので・・」
言っちゃった・・
「見える?」
「晶子さん、20年前に亡くなってますよ。海難事故で・・」
あっさりと晶子さんの事実を告げた彼女・・・
だが、おばあさんは驚かなかった。
しばらく、激しく雨が降る窓の外を眺めていたが静かに話し出した・・
「とうとう・・この日が来たのね・・」
「この日?」
「あなた達が来た時・・
こんな事になるんじゃないかって・・
覚悟してたの・・」
「覚悟?」
僕が聞き返す。
「ええ・・
知っていたわ!
晶子は死んだのよ・・」
「え?」
今度は僕が驚いた・・晶子さんの死を知っていたなんて・・




