172.紗代とイクシマ
その夜・・
紗代の部屋に向かった望月の君。
「紗代殿・・
よろしいですか?」
「はい!
望月の君様!!」
思いもよらぬ来訪者に、かしこまって緊張している紗代。
部屋の上座に望月の君を通して、頭を下げる紗代。
「この度は、ヤスマサ様との婚礼もお決まりになられたとか・・
誠に、
この上ない喜びにてござります。
おめでとうございます。」
和泉の君より大納言の邸宅での出来事を聞かされていた紗代。
「ありがとうござりまする・・
そう硬くなる事はありませぬ・・
気を楽にしてくだされ。」
そうは言われても、ヤスマサの正室となるのが決まった女性なのだ。
未だ仰々しい感じの紗代に向かって話を続ける望月の君・・
「私がヤスマサ様の正室になる事を決めたのは
紗代殿の御蔭でもあります。」
「私めの?」
「はい。
私は、頭に病を持つ身・・
いつ、この世を去るのか分からぬのです。
ヤスマサ様は、そんな私でも正妻に引き受けたいと申されました。
この上ない幸せではありますが・・
私の命は、おそらく、そう長くはありません。」
「そんな・・望月の君様が、そんな弱気では・・」
「さればで、ございまする・・
私の居なくなった後でも、ヤスマサ様を任せられるお方が居るられれば、
私としても安心してヤスマサ様と共にもののけ退治に精が出せると言うものです。」
「ヤスマサ様を任せられる・・お相手・・ですか?」
「貴女です。紗代殿。」
「この・・私めが・・で、ございまするか?
それは、何かのお間違いにございましょう。
私は、ついこの間、この家に舞い込んで来た者でございます。」
「そなたは・・イクシマ殿にそっくりなのです。」
「イクシマ・・様ですか?」
「私が、ヤスマサ様の元から去る時、イクシマ殿にヤスマサ様の事をお任せしたのです。
私に代わりて、ヤスマサ様をお守りして頂きたい。
心の支えとなって頂きたいと・・」
「イクシマ様に、
ヤスマサ様の事を・・
託されたのですか?」
「イクシマ殿は、幼少の頃から、ヤスマサ様の事が好きだったと聞きます。
越後から遥々、京に上って来られたのは、ヤスマサ様を追っての事とも聞きました。」
「イクシマ様の事は、ヤスマサ様からお話をお聞きしておりました・・
宮中にて、ご活躍もされていたとか・・」
「さよう・・
越後から、この都に上り、2週間も経たぬうちに、帝の周辺の警護を任されるようになったのです。
あっと言う間の出世でございました。
後に聞けば、イクシマの御父上は先々代の帝にお仕えしていたとの事です。
代々、宮中にゆかりがあるのは、運命なのかも知れんせぬが・・・」
「その様な御方と、
私めが似ているという事なのですか・・・
ヤスマサ様にも申したのですが、
私めは、イクシマ様とは全く縁もゆかりも無い者です。
会った事も御座いませんし、親戚の繋がりも無いのです・・」
「そうで、ありましょうな・・・
そなたが上京した時には、既にこの世には居なかったのですから・・・
信濃と越後では隣同士とはいえ、善光寺と国上山では距離がありすぎます。
それに、イクシマ殿の一家は父親の代に都より移り住んだのです。
元から国上山に居たわけでもない・・
でも、
そなたを見ておると、イクシマ殿が、あの日のまま、目の前に居るような錯覚さえ覚えるのです。
しかも、
この敷紙・・」
懐から、昼間、和泉の君の持ってきた「折り紙」を取り出す。
人型に折られた和紙。
「それは・・
私の、呪いの紙・・」
「この形は、イクシマ殿の使っていた敷紙にそっくりなのです。」
「敷紙?
イクシマ様の使っていた・・妖術に?」
「この折り方は、紗代殿のお祖母さんから教わったと聞きました。」
「はい。間違いありませぬ・・」
その答えに、ため息を漏らした望月の君・・
紗代が怪しいと言えば怪しい。
ヤスマサの屋敷に、ひょんと入って来た上にイクシマに良く似ていて、更に同じ様な呪術を用いるとは・・
だが、紗代に悪意のあるような気配は全く無いのだ。
「私は、そなたがどのような経緯でこの技を習得したのかは問いませぬ。
私にとって、今、重要なのは、あなたのその呪いが、私の病に効果があるかどうかです。」
「効果・・ですか・・
昔、叔母上が亡くなる前に一度だけかけた事があります・・
あの時は、腹部に痛みを訴えていた故・・
折り紙の痛む部分に印をしました。
次の日は痛みも和らいだと言われていました。
それでも、半年後に他界してしまいましたが・・・」
「そうですか・・
効果はあるのですね・・
イクシマ殿とまでは行かずとも・・
・・・・
それでも、私の寿命も長らえるかも知れません・・
少しでも痛みが和らぐなら・・
少しでも長く生きられるなら・・」
「そんなに痛むのですか?」
「はい・・
頭は、常に、重い痛みがあります。
時々、割れるような痛みにも襲われる・・
痛みが治まった時、まだ、生きているとホッとしますが・・
いつ何時・・この世を去るのかわからぬのです。」
「そんなお体とは・・
思ってもみませんでした・・
それは一大事にございます・・」
深刻な望月の君の症状を聞かせれ、紗代も役に立てればと思い始めた。
「それ故・・・
そなたの呪いを、私にかけて頂きたいのです。
今は一時でも長く、ヤスマサ様にお仕えしたい一心です。」
「よろしいのですか?
私などを信用されて・・」
「そなたは、澄んだ目をされている。
イクシマ殿と同じ目をされておるのです。
それ以上、疑う事もありますまい・・
私が亡き後は、そなたに全てを任せまする。
その時が早く訪れるだけです。」
「望月様・・
わかりました。
どこまで出来るのかわかりませぬが、
望月様の痛みが和らぐのならば・・」
見つめ合う二人。
お互いの信頼関係が深まった瞬間だった。