109.再び、あの坂で
コッコッコ・・・
夜の住宅街にヒールの音が響く・・
あの女性がいつもの帰り道を歩いている。
その様子を、離れた場所から見守る野口・・
電信柱の陰に隠れながら、辺りをくまなく観察する。
いつもは、女性が歩いていると、別の音の足音が、後を付けている様に鳴り響くのだという・・
足音が聞こえるならば、かなり近距離なはずなのだが・・
この間は、2~30m後の方まで調べたのだが、誰も見当たらなかった。
ひょっとして、女性の聞き間違いか極度の恐怖感による耳鳴りのような「幻聴」の可能性もある。
それならば、探偵や弁護士ではなく、耳鼻科か精神科なのだ・・
本当に、誰かが後をつけていた場合は、不審者として取り押さえなければならない・・相手が凶器を持っていればケガをする事も考えられる。
様々な可能性を考えながら女性の歩く周辺を見守る野口・・・
街灯の灯りに照らされると、はり込んでいるのがバレるので、なるべく暗い場所を少しずつ移動する。
まるで、自分がストーカーになっているような感覚さえ浮かんだ・・・
コッコッコ・・・
カッ・・
女性が歩くのを止め、後ろを振り返っている・・・
何か変化があったのだろうか?
街灯の灯りの元に、誰も居ない事を確認して、前を向いて、再び歩き出す女性・・
どうやら、様子を覗っただけらしい・・・
ホッと安心して、後を追う野口。
坂の上の階段を昇り詰めた、マンションの入り口の辺りに女性が待っていた。
この日は、全く異常が無く、マンションまで無事にたどり着けたのだった。
野口が駆け寄ると、安心した表情になっていた女性・・
「どうでしたか?
足音は聞こえましたか?」
「いえ・・
今日は、全く聞こえませんでした。」
「そうですか・・・
良かったですね・・・
いや・・
ストーカーが見つからなかったから、
あまり良くはないのかも知れませんが・・」
「以前も、毎日、聞こえたわけでもありあませんでしたから・・
今日は大丈夫だったようです。
でも、ありがとうございます。
こんなに親身になってもらえる人なんて、居なかったですよ。」
嬉しそうに答える女性・・
『何もしない警察』などと思われるのが嫌だった反面、この女性を守る事もしてみたかった野口・・
興味本位というのも少なからずあった。ひょっとしたら、この女性と恋に落ちるとか・・・
世の男性ならば、そういう下心も無きにしもあらず・・
だが、家庭持ちの野口にとって、そういう道に反れる事はできない。
「いえ・・
無事なのが一番ですよ。」
「でも、
相手が見つかるまで、続けるんですか?」
再び不安がる女性。
いくら警察官だとはいえ、見ず知らずの男性が周辺に居るのも異常だ。
女性にしても、野口に悪い事を押し付けている感じもあった・・
「そうですね・・
毎日というわけにもいきませんね・・」
「では、メールを教えます。
何かあったら、連絡するという事でどうでしょうか?」
若い女性からメールアドレスを教えてもらえるという・・
男性にとって、これ以上に嬉しい事は無い。
だが、理性が働く野口。
「いえ・・
そんな事は、あまり好ましくないですよ。
オレは全く、第三者なんですから!」
「私達は、
赤の他人・・・
ですか?」
「いや・・」
『赤の他人』と言われて、戸惑った野口。
女性に親身になって後を追って、これで第三者と言えるのだろうか・・
「私は、あなたを信用しますよ。
こんなに親身になって頂けたんですから・・
あ!・・
恋人や奥さんに勘違いされるのが嫌なら・・別ですが・・」
その言葉に、思わず首を縦に振ってしまった野口・・
お互いに危害を加えない相手同士ならば、メールアドレスを交換する事は差支えないだろう・・
アドレスを交換し合って、その日は別れたのだった。




