107.骨まで愛して
朝・・
同じ布団に二人包まっている野口達・・
ブルルル・ブルルル
携帯電話のバイブレーターが鳴って、畳の上で蠢いて(うごめいて)いる。
布団から、野口の腕が伸び、布団の中で携帯に入ったメッセージを読む・・・
緊急の内容だった・・
バ!!!
布団をとばす野口。
「キャ!!颯太が起きるでしょ!!」
一糸纏わない姿の法子さんが叫ぶ。
「公園で自殺だ!
年を取った女性だって・・・」
「え?!昨日のお婆さんなの?」
「わからない・・
でも、公園の場所は、あのアパートの近くだ!」
心配になり、急いで着替える野口。
朝食も採らずに家を飛び出す。
救急車とパトカーが数台止められている先の公園の樹林帯にブルーシートが張られていた。
周りには多くの野次馬が人だかりになっていた。
シートをまくり上げて、中に入る野口。
樹林帯の一本の木の枝に、ロープがくくりつけられ、地面には段ボール箱がいくつか散乱していた。
下ろされた女性の遺体が横たわり、検死官が調査を行っている。
手を合わせ、女性の顔を拝む野口・・
違う!
昨日のお婆さんでなかった事に、胸を撫で下ろした野口・・
「良かった・・」
人が亡くなった前で不謹慎ではあるが、一瞬、唇が緩んだ。
その時、
「野口!何でお前が居るんだ!」
振り向くと、上司が到着したばかりの様子だった。
「緊急のメールを見て、自宅から、直接来ました・・」
「バカもんが!検視の道具なしで何ができるんだ!
署に行って取ってこい!」
「はい・・」
お婆さんの事が気になり、一刻も早く現場で確認したかった野口・・
警察署へ寄っている余裕など無かった・・
上司に言われて、シートを開けて署へと戻ろうとする野口・・
野次馬が目に入る。
その群衆の中に、昨日のお婆さんが立ちすくんでこちらを見ているのが分かった。
目が合い、お婆さんがコクリとお辞儀をして、その場から離れて行った。
お婆さんを追う野口・・
「待ってください!」
逃げるように、公園の側道を小走りに歩くお婆さんを追う野口。
追いついて、立ち止まったお婆さんが振り向く・・
「心配したんですよ!」
「心配した?」
「はい。ひょっとして、あなたじゃないかって・・
急いで来たんです!」
「あなたが・・
私の事を・・?」
近くの喫茶店に入った野口とお婆さん。
「息子夫婦と仲が悪かったんです・・
特に、私と息子の嫁がいがみ合う様に、いつも喧嘩ばかりしていた・・」
「あのアパートに来る前ですか?」
「はい・・
私達は収入が無いから、散々な目に合わせられても、抵抗ができなかった・・
息子たちも、それを良い事に、やる事がエスカレートしていったんです・・
主人は、そんな私を見かねて・・
あの家を出ようと言ってくれたんです。
二人分ぐらいは何とか稼げると・・」
「ご主人が?」
「主人は、昔から私に気遣ってくれた・・
私も正義感の溢れる主人が好きでした。
結婚も、駆け落ち同然でしたから・・
私は、あの人と一緒に暮らせるだけで、幸せでした。」
「相思相愛だったんですね・・」
「それが・・
あんな事になってしまった・・・」
食事を取っている最中に、急に苦しがって、気が付いたら息をしていなかったとの事だった・・・
最愛の家族の突然の死・・
その死が、どうしても受け入れられなかったお婆さん・・
「その事を、正直に法廷で言ってください・・
何も知らない他人は、あなたを犯罪者だとしか思わない。
でも、
裁判官や検事の中には、物や数字で捉えない人もいると思います。
法律は法律・・。
人の人権や尊厳の上に成り立つものであって、
決して、法律の上に人が居るわけではない・・」
「刑事さん・・・」
「私は、あなたの言葉を信じます。」
「・・・ありがとう・・・」
そう言ったお婆さんの頬に、涙が一粒、伝っていた・・
喫茶店を出る時には、お婆さんに何度も頭を下げられた野口・・・
お婆さんの今後の無事を祈りながら警察署へと引き返す。
警察署内・・
野口が昨日撮影した現場の写真を整理しながら報告書を作成している。
写真の現像が終了し、1枚1枚の撮影場所を確認しながら番号をふって、部屋の見取り図に番号と矢印を書いていく。
腐敗した遺体の写真が大半だった。
グラビアなどでモデルを撮影する場合はシチュエーションや角度を変えて何十枚と同じ被写体を追いかけるのだろう・・
だが、
現場の写真は、被写体も背景も全く変わらない・・表情も変わらないのだ・・
「臭い」など写真には写らないはずなのだが、悪臭のイメージが色濃く残り、今も尚、その時の光景が思いだされる。
そんな写真を報告書に添付する作業・・
1枚の写真を眺めながら、先程のお婆さんの話を思い出した。
そこに映されている遺体・・
実際は悪臭を放つ腐った遺体なのだが、生前は、あのお婆さんを優しく守り続けたご主人なのだ。
苦しいときも、悲しいときも、共に付き添い、世の中の荒波を越えてきた・・
食事中に、急に倒れられたご主人・・
それまでは、お婆さんの前で活き活きと動いて、支え続けてきた・・
それが、全く動かない無表情な人形のようになって映し出されている・・
この遺体は、お婆さんにとって、懐かしいご主人を思い起こさせるものなのだろうか?
亡くなってから、ずっとご主人の変わり果てる姿を見続けていたはずだが・・
写真に映った状態の今の姿でも、愛おしい感情が湧くのであろうか・・・
自分の家族・・
最愛の法子が、同じ状態になったらどうなのだろう?
逆に、自分が死んで、法子はお婆さんと同じように死亡届も出さずに、遺体と一緒に何ヶ月も過ごす事ができるのだろうか・・
「骨まで愛して・・」という歌詞もあった・・
そんな事が現実にあるのだろうか・・
いや・・
日常では思いつかないが、確実に人間は死ぬのだ。
自分が先なのか妻が先なのか・・
ひょっとしたら颯太の方が先に逝く場合もある。
人間の「死」というものを実感し、虚しい想いがつのるばかり・・・




