106.変死体
次の日・・・
「ゲェ~~!!!!!!!」
古いアパートの玄関先で、吐いている野口。
その様子を冷ややかに見ている野口の上司・・・
「全く・・
いつになったら慣れるんだ・・お前は!」
「そんな事言われても・・・」
女性の検視官に介抱されている野口・・
アパートの周辺住民から異臭がすると通報があり、二人暮らしの老夫婦の部屋に入った所、和室に敷いてある布団に旦那さんらしき人の遺体を発見したのだった。
遺体は腐敗が進み、死後数か月は経過していた。
蠅や虫がたかり、ウジが湧いていて、異臭を放っている。
そんな遺体を一目見て、玄関へ出て吐いてしまった野口・・
刑事課というと、殺人や強盗など、ドラマで展開されている事件が日常茶飯事なのではなく、事故死や変死の後処理や窃盗事件の捜査などが殆どなのだ。
なぜ、死後数か月も、死亡届も出さずに放置していたのか・・
事件性としては、「殺人」や「死体遺棄」の疑いで捜査を行う。
「ううう・・・」
現場のアパートの台所で、奥さんが、この世を愁いる様に泣きだしている。
女性の検視官が、奥さんに付いて宥める中、検死の作業が再開される。
「野口、おまえは撮影だ。
他の者は血痕が無いか調べる。」
「はい・・」
上司の刑事が現場の指図を行い、それに従う面々。
野口も、少し落ち着いたらしく、写真撮影の作業に戻った。
旦那さんの腐った遺体を周囲からくまなくカメラに収めていく。
通常、カメラマンは被写体が生きた人間だったりするのだが、死体は、まるで人形でも写しているかの如く・・気味の悪い作業なのだ。
頬はこけ、皮膚がかさかさになった奥には、膿の様にブヨブヨになった内部の肉に無数のウジが蠢いている。
髪の毛も生え際から落ちかけている。半開きになった口からは異臭が漂う・・
瞳には生気が全く感じられない・・
氷の様に冷たい視線なのだ・・
その目が一瞬、ジロっと自分を睨んだような錯覚に陥る野口・・・
タンカが用意され、遺体を病院へ搬送する。
司法解剖によって、詳しい死因が調べられるのだ。
ブルーシートが通路に張られ、搬送車まで慎重に運ばれる。
周辺の住民が息を飲んで見守る中、搬送車がゆっくりと走り出す。
遺体のあった布団には、白線が描かれてはいるが、染みによって、今まで寝かされていた位置がくっきりと分かった。
布団の周囲には消臭用の缶やゴキブリやコバエ取り用の捕虫器が散乱している。
奥さんの事情聴収も始まる。
「悪気があってやったんではないんです!
あの人が居なければ、私は、生活が出来なくなってしまう!!」
泣きながら聴収に応じる奥さん・・
年金需給を続ける目的の為に奥さんが生存を装っていた工作だった。
夫に先立たれたが死亡を隠し通していたのが、異臭で発覚してしまったのだ・・
それでも「殺人」の可能性もあり、血痕や凶器が無いか、捜査は淡々と進められていた・・
部屋の写真を撮りながら、この老夫婦を哀れだと密かに思っていた野口・・
聴収が一通り終わった奥さんが、なぜか野口に訊ねた。
「私・・これから、どうすればいいんですか・・」
途方に暮れている奥さん・・
もう歳は70を越しているお婆さんだ・・
自分で働いて生活をする事など、到底考えられない・・
「身寄りは居られないのですか?」
「息子は所帯を持っていますが・・息子夫婦と喧嘩をして出てきたんです・・・
主人と二人で余生を送ろうとアパートを借りたのですが・・
年金が頼りだったのに・・
こんな事になるなんて・・・」
「息子さん夫婦と仲直りして身を寄せるのが賢明だと思いますが・・」
「そんな事・・今更!!
私の居場所なんて・・何処にも無い!!
もう・・死ぬしか・・」
再び、泣き伏せる奥さん・・
カメラのシャッターを切る作業が止まる野口・・・
「おい、野口!こっちへ来い!!」
上司から呼び出される。
アパートから少し離れた場所で、上司と二人っきりになった。
「野口・・お前の仕事は何だ?」
「オレの仕事は、警察官です・・
市民の安全を守るのが、オレの仕事・・」
「今時、お前みたいに熱血な奴も珍しいがな・・
今、お前に与えられた仕事は、現場の資料を残す事なんだ!
検察の調査や法廷での参考に必要な資料になる。
大事な仕事なんだぞ!」
「でも・・何の為の資料ですか?
あのお婆さんの不利になるような資料しかないじゃないですか!」
「年金の不正受給は立派な犯罪だ!
詐欺罪に問われるんだ。
誰が罪を犯したのかを良くわきまえろ!
いいか?!
国民の税金を不正に受け取る事が、正義だと思うのか?」
「そ・・それは・・・」
それ以上は口答えが出来なくなった野口・・
「お前の言いたい事は分かる。
あのお婆さんが可愛そうなこともな・・
だがな、
犯罪者を放っておく事は、我々警察には出来ないんだ!
前例を作れば、次々に同じような犯罪が繰り返されるだけだ。
我々、警察の立場も危うくなる。
それこそ、市民の安心を損ねる事だと思わんか?」
「・・・
はい・・・」
拳を握りしめた野口・・・
理想と現実の狭間で苦しむ・・・
老夫婦のアパートの検視は夕方まで続いた・・
長時間の作業を終え、くたくたになって自宅に帰って来た野口・・
ビールを片手に、家内に昼間のことを話す・・
「それで、検死の結果はどうだったの?」
「目立った外傷は無かった・・
心臓発作による突然死だったそうだ・・・」
「そう・・
そのお婆さんもショックだったんでしょうね・・・」
「あの老夫婦の収入は僅かな年金しかなかったそうだよ・・
周りの人の証言だと、生活も苦しかったようだ。」
年金のうち、アパート代を支払うと大半が無くなり、あとは食費と光熱費で使い果たしてしまうという・・
高齢者の場合、貸してくれるアパート主も稀で、それも高額なケースもある。
電気を止められるのもしばしばあったらしい。
「年金を騙し取っていた場合は、罰金はどのくらいなの?」
「今まで受け取った分を返さなければならないし、延滞金として高利率の利息も支払わなければならない・・
最も、支払いができるなら、あんな事はしなかっただろうけど・・」
「結局は身内に引き取られるしかないのかもね・・・
肩身の狭い思いをしなければならないなんて・・・」
「息子さん夫婦に引き取られるくらいなら死んだ方がマシだって、言ってたよ・・・」
「旦那さんの死を隠し通せるって思ってたのかしら・・、
いずれはバレるって思わなかったのかしら・・」
「さあね・・」
不正受給を企んだ犯罪・・
というよりも、突然に旦那さんを亡くし、途方に暮れていたというのが事実の様な気がしていた・・
布団に包まり、横になっている野口・・
昼間の事件の事が気になって、なかなか寝付けなかった。
腐敗した遺体が脳裏から離れない。
そして、残されたお婆さん・・・
隣に寝ている法子さんが話しかけてくる。
「道照・・どうしたの?
寝れないの?」
「ああ・・
昼間の事が気になる・・」
壁を見つめる野口。
背中の方から腕を伸ばし、後ろから抱きつく法子さん・・
「根詰め無いほうが良いよ・・」
「警察は・・
市民の安全を守るために仕事をしている・・
誇りのある仕事だって・・
思い続けていた・・
でも・・
『正義』という名の権力を振り回して・・
弱い人達の生活の場を
隅々まで炙り出す(あぶりだす)なんて・・
本当に市民の為に仕事をしているんだろうか・・・
オレだって、模範を示すようなヤツではないのに・・・・」
「道照・・」
呟く法子さん・・
「私は・・
そんな道照の事が好きだよ・・・
弱い人の事を考えてくれてる人がいるって・・
わかっただけで・・
嬉しいよ・・」
「法子・・・」
振り向いて、法子さんの胸に顔を埋める野口・・
野口の頭を優しく抱きしめ、目を細める法子さん。




