98.朝食準備
トントントン・・・・
まな板で包丁を叩く音が鳴り響く。
シュワ・・
煮干しの入ったグラグラとお湯が煮立った鍋に、細かく切った大根を入れる。
弘子さんのアパートの台所に立つ陽子の姿があった。
薄暗い外の光が入り、蛍光灯一本の流し前・・
まだ、弘子さんと今西が並んで布団に入っている。
その気配に気づいた弘子さんが飛び起きる。
時計を見るとまだ5時半を回ったばかりだった。
山の修行場では朝の早かった陽子にとっては遅いほうだったが・・・
「陽子さん!朝ごはんの準備ですか?」
「起こしちゃった?
お世話になってるんだもん・・
これくらいしなきゃね・・」
「スミマセン
・・
あ、
おはようございます・・・」
「おはよう・・
まだ、今西君は寝てるみたいね・・」
「ええ・・お兄ちゃん、いつも寝坊だし・・
小学校の頃からですよ!」
「ふふ・・
昨日は大活躍だったのよ・・
もう少し、休ませてあげましょ!」
「はい・・」
グーグー寝ている今西をヒンシュクな目で見つめて、着替え始める弘子さん。
着替えが終わって、陽子の手伝いをしようという弘子さん。
「何を手伝えばいいですか?」
「ああ・・じゃあ、その鍋に味噌を入れてくれる?」
「お味噌汁ですか~。久しぶりですよ。」
冷蔵庫から味噌の入ったタッパーを取り出す弘子さん。
蓋を開けると、半分乾燥している味噌・・
「わ!味噌・・ガビガビだ・・」
「あんまり使ってないの?」
「はい・・いつも、卵スープとかなんですよ・・
味噌汁とかは量がある程度必要だし・・
何度も温めると煮詰めちゃうんで・・」
タッパーから味噌をお玉でえぐりだして、鍋に溶かす弘子さん。
陽子はまな板できゅうりを切っている。
「一人暮らしだと仕方が無いわよね・・」
「ご飯とかも、一回焚いたら、小分けにして冷凍してるんです。」
冷蔵庫のフリーザーを開ける弘子さん。
中皿に開けて、電子レンジに入れ、タイマーをセットする。
「便利な世の中になったものよね・・」
「はい。調理とかは電子レンジがメインですよ。
冷凍食品を温めるだけですが・・
でも、陽子さんも修行場では一人暮らしなんでしょう?」
「山では、釜戸を使ってるわ・・」
「え~?今時、薪ですか~??」
「ご飯もオヒツを使ってるわ・・
冷めたらおかゆとか、お茶漬け、雑炊ね・・」
現代社会では電子ジャーが普及し、ご飯も電気で炊飯するのが一般的だ。
電子炊飯器では保温もできるのだが、意外にエネルギーを消費する。
最近では省エネも兼ねて冷凍庫にラップをして小分けにして保存し、必要な時に電子レンジでチンする方法が浸透している。
電気の無い時代では、薪を使って釜戸でご飯を炊くのが普通だった。
火力の調整も大変だったが、焚いた後も最後まで食べるのに工夫や手間が必要だった。
釜で焚いた後、「おひつ」という少し深めの桶にご飯を移し替える。
「おひつ」では保温も効かないため、時間が経つと冷え切ってしまうので、温めるのには一度お湯に通したり、おかゆにしたり、味噌汁に入れて温める「おじやご飯」にしたりしていた。
おかゆは通常のご飯よりも消化が良く病人の流動食にも使われている。
お茶漬けは、最近は「ふりかけ」にお湯を注ぐが、ご飯に「お茶」を注ぐのが本来の姿である。
現代は電子レンジもあるし・・便利な時代になった・・
「朝食もコンビニとか、よく利用してますよ・・」
「自炊するよりも、意外と安上がりだって聞いたことがあるわ・・」
「はい。食材を買ってきても、丸ごと使い切るのって大変ですから・・
残った野菜とかは、結局、腐らせて生ごみ行きですよ・・」
弁当や外食の既製食材は大量に作る事で、材料の効率化と、エネルギーの効率化が図れる。
個々の家庭で弁当を作るよりも、給食センターで大量に作った方が安上がりなのだ。
現在は物流も進歩しているので、各家庭に配給する事も可能になっている。
一人暮らしのお年寄りも、自炊するよりはスーパーの弁当や宅配を利用した配給制の食事を利用した方が経済的だし、火を使わない分、安全だ。
だが・・
「便利な時代にはなっているけれど、
その分、工夫したり、作り方を算段したりって事もしなくなるから・・・」
「そうですね・・
料理を作るのも億劫になります・・
直ぐにコンビニへ行ったり・・
外食へ行ったりします・・」
「それに、食べ物の栄養を体に取り入れる時の障害になっている可能性もあるのよ・・」
「消化の障害・・ですか?」
「そう・・例えば、その味噌だけど・・」
「味噌?」
「味噌は味付けのための調味料だって思っている人もいるようだけど、
大豆を発酵させて、消化を促し、保存も効かせる万能な消化酵素の塊なのよ・・」
「発酵ですか・・」
発酵・・
微生物が食物を分解する「活動」によって促進される。
微生物(細菌)には3つの種類がある。それは、蘇生型細菌と崩壊型細菌、そしてどちらにも属することが出来る「日和見菌」である。
蘇生型、崩壊型の細菌はお互いに対立関係にあり、蘇生型細菌が優勢な場合には、周りの日和見菌も蘇生型の性質を示す様になり、崩壊型細菌が優勢になると、日和見菌も崩壊型に傾く・・
ほんの一握りの蘇生型、崩壊型細菌の優勢によって、全体が左右される・・
そして、「発酵」は蘇生型細菌が優勢な場合に促進される分解・・
崩壊型細菌が優勢な場合は「腐敗」となる。
食べ物を長期間放置しておくと、「発酵」か「腐敗」のどちらかの状態になる。
蘇生型細菌の主な細菌は、麹菌、光合成細菌、乳酸菌など・・人体に有用な細菌で、これらの微生物が腸内で活性化すると、体内への消化吸収もスムーズになる。
逆に腸内細菌が崩壊型に偏ると、消化が上手く行かないどころか「病気」になってしまう・・
人が健康であることを保つには、まず、腸内細菌を蘇生型・・発酵型細菌を活性化させる事が肝心なのだ。
「味噌は、食品を保存するために用いる事もある・・
『味噌漬け』とか、よく言うでしょ?」
「はい。
魚とかありますね・・」
「発酵させることで、分解も促して、保存も効くのよ・・・
しかも、消化が良くなるんだから、一石二鳥も三鳥もある。」
「微生物の力って、凄いんですね・・」
「そういった、活性化された微生物を食べる事が少ないと、
腸内細菌も腐敗型に偏ってしまうのよ。」
「腐敗・・ですか・・・」
「既製品の食材だと、味付けや香り付けの目的になりがちね・・
化学調味料や合成着色料・・保存料を使うようになる。
賞味期限が1ヶ月なんてパンとかね・・」
「腐らないって事は・・
何か入っているわけですよね・・」
「工場で働いている人が、自分の製品は食べたがらないって話は良く聞くわ・・」
「何を入れてるか、知ってるわけですからね・・
知らないうちに私達・・薬漬けになってるのかな・・
恐ろしい話です・・」
「便利になっている分、
自分が何をしているのか、
何を食べているのか・・
自分でも把握する必要があるわ・・」
「ところで、山での修行って何をしてるんですか?」
「修行ね~
よく、滝行とか、山岳信仰の登山とか思い浮かべられるんだけど・・
実際には日々の生活をしているだけよ」
「日々の生活?」
「規則正しい生活・・
日の出と共に起きて、日没と共に寝る事を目指しているわ・・
とは言っても、季節によって差があるのも何だから・・
起床は5時、就寝が9時・・ 一日二食・・
掃除、洗濯・・特殊な事は写経とか座禅か・・
周りの自然にも触れて、『気』を高める事を目的としている・・」
「起床が5時ですか・・
何か、大変そう・・」
「禅寺とかは、もっと厳しいわよ・・
私も本当は4時くらいに起きなければいけないんだろうけど・・・」
「上には上があるんですね・・
一日2食ってのも・・
大丈夫なんですか?お腹減らないですか?」
「不思議とカロリーを取らなくても、やっていけるようになるのよ。
さっきも言ったけど、腸内細菌を活性化することで、吸収する効率も良くなるみたい・・
少ない食事でも、効率が良くなれば同じなのよ。」
「え~?
じゃあ、私達って、食べたものの栄養が殆ど出てるって事ですか?」
「そうなるわね・・
便秘とか下痢になりがちになるでしょう?
一食くらい抜いてもいいのかもね・・
夕食も就寝前の2時間前には済ませたい所だけど・・
食べる事も大事だけと、お通じも大切なのよ。
決まった時間に出す事よ。」
朝食を作りながら、お通じの話ですか・・・
「あ~
夕飯って言うか・・夜9時くらいに食べて、そのまま寝てますよ~
便秘気味だし・・出ない日もあるし・・
私・・不健康そのものかな~」
「お肌に出るわよ~。
睡眠もちゃんととらないと!」
「そう言えば、陽子さん、お肌綺麗ですよね!」
「歳の割には?」
「ハイ・・」
「うふふ・・
美容は健康からよ!
あとは、朝食をしっかり取る事が基本ね・・
一日のエネルギー源なんですから・・・」
「はい・・
肝に命じます・・」
世の女性には耳の痛い話だった・・・
「それにしても・・・
お兄ちゃん・・!」
弘子さんが今西の方を向く・・
幸せそうな寝顔・・これだけ話し声が聞こえていても微動だにしないとは・・どういう神経なのか・・
「そろそろ、起こしても良さそうね・・」
陽子が時計を見て、起こすには良いタイミングだと見計らう・・
「こら~!!!
お兄ちゃん!!!
起きろ~!!!」
大声で耳元で叫ぶ弘子さん。
「ギャ!!!なんだなんだ~????」
飛び起きる今西。
「もう~!!
陽子さんも起きて、ご飯も準備できてるんだよ!!」
「え?
もう朝???」
寝ぼけ眼で時計を見る今西・・朝の6時を廻っている・・
「まだ、こんな時間ジャン・・
もう、一眠り・・・」
再び布団に入ろうとするが・・
「コラ~!!!!
今西!!
早く起きんか!!!!」
さすがに陽子もキレた・・・
「はい!起きます!!」
大の大人が・・しっかりしろよ・・今西君・・




