37.現場検証
葬儀の次の日、
リリリリ・リリリリ
博士の自宅の電話が鳴る。
カチャ・・
「はい・・雁金です。」
警察からの電話だった。
事故現場の立ち合いをお願いしたいという依頼の連絡だ。
博士にしてみれば、娘の死をまだ受け入れられず、整理もつかない状態で、頭がいっぱいだった。
3日間研究室を開けてしまった事も気になるが、それどころではない・・
弥生ちゃんがどのように事故に遭ったのかも知っておきたかったが、
再び、あの少年とも顔を合わせなければならないのかと思うと、二の足を踏んでいた。
できれば、2・3日、そっとしておいて欲しかった・・・
が、
「済みません。
事故現場の検証も、時間が経つと記憶が薄れるので、
できれば、早い方が良いのですが・・」
それらしい理由をつけているが、早めに事故を処理してしまいたいという警察の事情が見え見えだった・・
博士にしても、それは、いずれは通らなければならない道・・
仕方なしにOKを出す博士・・
事故現場へ赴くと、捜査官が数人がいそいそと作業を行い、例の少年と一人の警官が指を差しながら現場の説明をしていた。
博士に気づいた、警官・・
「あ、済みません!
直ぐに終わるので・・」
・・・直ぐに終わる?・・・
博士が心の中で呟いた。
娘の死亡事故現場の検証を、そんなに直ぐに終わらせていいのだろうか?
人が一人、亡くなったのだ。
じっくりと検証をしてもらいたい・・
どうなって事故に合い、ひいた本人はどう思っているのか・・死んだ弥生ちゃんは、どんな気持ちで死んでいったのか・・
だが、そういったメンタル的な部分は、全く手付かずに、淡々と作業が行われている。
車の付いた測距儀で、ブレーキ痕の長さを計測・・そこから何m先から反応したのか・・
被害者・・
弥生ちゃんが歩いていた場所に、時速何kmで衝突したのか・・
折れ曲がったボラード(歩道と車道を分ける支柱)と歩道に僅かに残った血痕が、そこで事故があったのだと髣髴させる・・
チョークで囲われた人型の部分・・
「ここに、娘さんが倒れていたのです。」
事故現場・・
そこで、本当に弥生ちゃんが交通事故に遭い、命を亡した現場・・
病院に呼び出され、葬儀が終わる一連の儀式が、まるで夢であったかのような気分だった博士・・
ひょっとしたら、呼べば、弥生ちゃんが笑顔で出てくるのではという錯覚さえあったが、
朝、目が覚めると、家はシンと静まり返っていた。
実際に、事故現場を訪れた時、
本当に弥生ちゃんが、ここで事故に遭い、
死んだのだと・・
実感した・・
それまで、自覚していたはずの弥生ちゃんの「死」は、言葉上の・・「死」
言葉では理解していたはずなのに・・
現実世界での、本当の「死」と結びついた瞬間・・
「娘が・・ここで・・死んだのですか!!」
博士が叫ぶ。
「いえ・・ここでは死亡していません。
死亡は病院で・・
ここでは、事故に遭われたのです。」
「誰がひいたのですか!娘は何をしていたのですか!
何がどうなって、事故が起こったのですか!!」
急に取り乱す博士・・
「それを検証するために・・」
「検証したって、娘は戻って来ないんですよ!!
娘は!!
私の、可愛い弥生・・
ずっと・・大切に育てて来たのに!!
二人で旅行へ行って、次も行こうって!!
約束したばかりなのに!!!
妻を亡くして、娘の成長だけが楽しみだった!!!
弥生は・・
弥生は、何処へ!?」
大声を張り上げている博士に、周りの調査官達が振り向く。
素通りしていた通行人も、何が起きたのかと足を止めた。
向こうで現場の説明をしていた少年が俯く・・
「お父さん・・少し、あちらで・・」
パトカーへと案内された・・
・
・
・
「私は、自分が温厚な性格だと思っていたんです。
でも、
あの事故現場を見た時、
急に、激しい感情が沸き立ってきた・・
自分の中に
感情的な部分があるなんて・・
思ってもみなかった・・」
「雁金博士・・」
再び、教頭先生の実家。
一同が、博士の話に・・言葉も出ない・・
「それは・・
無理も無いのかも知れません・・」
教頭先生のお母さんが答える。
「私の娘が、
もし、
交通事故で他界したのなら・・
やはり、感情的になると思います。
激しい感情は・・抑えきれない・・
最愛の娘の命が亡くなるのですから・・・」
「お母様・・」
教頭先生が呟く。
その顔を見て、お母さんが話を続ける。
「そして、ひいた運転手を恨むでしょう・・
それ以外、自分の感情をぶつける所は・・
無いのですから・・」
「そうです・・・
私も
あの時ほど・・
人を憎いと・・
思った事は無かった・・
討論で白熱する事はあっても・・
その人、自体を恨む事なんて、無かったのですから・・」
そして、話を続ける博士・・
「私の研究では、激しい憎悪の様な感情は、
周りの空気中の水分子に影響を与えます・・・
『負』のエネルギーが転写される。
温厚なはずの、私でさえ・・
恨みや悲しみ、怒りといった「負」のエネルギー源になりうる・・」
ナイフを握り絞める博士・・
その状態を見て、ユミちゃんが席を立ち、博士の横に座った。
力いっぱい握り絞めている手を、優しくさするユミちゃん。
「博士・・」
見上げるユミちゃんの顔を見つめ、
頭をなでる・・・・
「私は、この子を見ると、亡くした弥生の事を想い出すのです。
まるで、生き写しを見ている様な感じになる事があるのです。
この子の親御さんには、失礼だとは思っているが・・
実の子供の様な感じになるのです。
弥生の想い出にかられるのと同時に、癒される・・・。
激しい感情は、今でも湧いてくる事もあるが・・
この子を見ると、その感情も抑えられる。
何度・・、救われた事か・・・」
「先程の、『負』のエネルギーというのは・・
どういったものなのでしょうか?」
教頭先生のお父さんが聞いてきた。
「さよう・・
水と言うのは、エネルギーを転写する性質があるのです・・」
この地球上、いや、宇宙に大量に存在している水分子・・
水素2個と酸素による単純な構造であり、プラスとマイナスの電荷の方向がある。
複数個の水素分子が、電気的に結びついて、塊になりクラスターを形成していて、周りの電気的な性質をクラスター単位で記憶する。
例えば、コップに入った水に、
「ありがとう」
という言葉を投げかけ、それを凍らせると、その結晶は美しい形になり、
逆に、
「ばかやろう」とか「死ね」
とか言う言葉を投げかけて凍らせると、その結晶が乱れるという。
クラッシックやハードロックといった音楽を聞かせても同様の傾向がある。
更に、紙に書いた言葉・・
「ありがとう」とい書いた紙を水に入れても同様な現象が起こる。
そして、人間の体を形成する大半(80%以上)が水であり、
子育てをする場合も、感謝の言葉を投げかけて接している場合と、怒りの感情で接するのでは育ちも違ってくる。
人が持つ感情が、自分の体内の水分子に電気的エネルギーを転写すると同時に周囲の水分子にも影響を与えるのだ。
そして、この転写された水分子自体が、過去の人の記憶であり、「霊」であるというのが、博士の理論なのだ。
「なるほど・・
水には特殊な性質があるのですね・・」
「病は気から・・という言葉がありますが、
体内の水分子が『負』のエネルギーの傾向に傾くと、病気になりがちになるのです。
実際、怒りに満ちた血液を、魚やラットに与えると、猛毒の性質があり、死に至らしめる。」
「健康の秘訣は、温厚な性格ですか・・」
「いつも感謝の気持ちを持つことが、長生きに繋がります。
怒らず、和やかに暮らす事です。」
昔の人の知恵、経験と言うのは、あながち、嘘でもない・・
「私は、温厚な性格だと思っていたのですが、
そんな私すら、激しい『負』の感情でいっぱいになる事があるのです。
人間が、この世で・・この地球上の限られた空間で活動している限り、
空気中の水分子に、どんどん負のエネルギーが転写されていく傾向にある・・
『浄化』や『消磁』という作業を行わなければ、
世の中が『負』の方向に傾いてしまう・・
そんな懸念があるのです。
なんとか、その傾向を食い止めたい・・
それが、私の研究の出発点であり、最終目的でもある。」
「私は、その研究の一役を担っているという事ですか・・
嬉しい事です。」
再び、昔の話へと戻る・・・
パトカーの車内でシートに腰かけ、差し入れされた缶コーヒーを飲んでいる博士。
無理やり連れてこられて、気分も悪い。
弥生ちゃんの事故に関しても、まだ、詳しい内容を聞かされているわけでもなく、
あの少年の運転する自動車かバイクに跳ねられたというのは予想がつくが、どういった状態だったのかは全く分からないのだ。
窓の外では、あの少年と警察官が道路で書類と現場の内容を確認しながら右往左往していて、その度に捜査官が何かを計測したりしている。
・・弥生は、いったい、どうなって、事故に遭ったのだ・・
空の缶コーヒーを握り絞めながら、心に呟く(つぶやく)博士・・
そして、いつもの警官が、パトカーに戻ってきた。
「実況見分がまとまりましたので、お伝えします。」
ようやく、内容がまとまったらしい。
パトカーから出て、遠くの道路の方へ案内された。あの少年はパトカーの中へ入れられた。
博士と直接会わせるのは、まずいと思われているらしい・・
博士にしても、それは同様で、「犯人」と顔を合わせたら、感情的に、何を起こすかわからなかった・・
検証を終えた報告を読み上げる警察官。
「まず、あの少年の運転するバイク・・
125ccの小型自動二輪・・かっこ、少年の所有するバイク・・
が夜7時50分頃に、時速60kmで、この道路を走っていました。
少年は何かに気を取られ・・かっこ、後方の車両の様子と思われる・・
25m道路を走行し、進行方向上の歩道を歩いていた雁金弥生さんを確認するのが遅れ、
ブレーキをかけたのですが、間に合わず、15m進んだところで、歩道を乗り越て1m侵入し、
自分の運転していたバイクが弥生さんに接触して、3m飛ばされて歩道の路面に接地し、
別紙による障害を負わせてしまいました。
バイクを起こして、近くの売店にあった公衆電話で救急車を呼び、
8時8分に到着した救急車と共に弥生さんを病院まで送りました。・・
以上が実況見分の内容です。」
書類を棒読みした警察官・・
その内容は、物理的なものしか書いていない・・
まさに「実況」だけが書かれていた。
「事故の内容は、わかりました・・
それで、なぜ、彼のバイクは60kmもスピードを出して、
こんな時間に弥生がひかれ、死ななければ、ならなかったのか・・」
博士が警官に質問したが、
「それに関しては、本人からは、まだ証言は得られていません。」
あっさりと答える警官に、少しムッとした博士。
「それを聞くのが、警察の仕事ではないのですか?」
「裁判で争う場合は、弁護士同士の話になります。
我々の仕事は、現場がどういった状況だったかを正確に、まとめることなので・・」
「事故の全容は、本人の状態とか調べる事ではないのですか?
どんな気持ちで運転していたのか・・
人をひいて、どんな気持ちだったのか!」
「感情や私情を報告書に書くわけにはいきません。
あくまでも法に照らし合わせて、違反したのかどうかを公正に判断する材料を調べる必要があるのです。」
「そんな!
ひいた人に罪があるんじゃないですか?」
「少なくとも、ひき逃げはしていないし、飲酒もしていません。
最低限の行動はとっています。
バイクも自己所有ですし、免許もあります。
病院まで送って行ったのと、葬儀にも出席した事で、反省の様子は窺えます・・」
「私は、そこで、何が起きたのか知りたいのです!」
「ですから、事故の概要は、先程の通りです。
他に、今、2・3の目撃者の証言を調べている最中です。」
「そんな・・
あなた方は、いったい・・何を調べているんですか!!」
感情的になりかけていた博士・・ダメ押しに、その書類にサインと押印を要求された。
前回は印鑑を持ち合わせておらず、拇印を求められた事もあったので、あらかじめ印鑑を持参していた博士・・
「あ、ご自宅まで、お送りしますが・・」
「結構です!歩いて帰りますから!」
警官からパトカーで送っていくと言われたが、断わった博士。
もう一台のパトカーに乗せられていた少年。
そのまま、警察署へと走り出した。
行ってしまうパトカーを見送る博士。
現場に残り、もう一度、自分で見てみようと思っていた。
歩道の一角に、弥生ちゃんが倒れていたというチョークの跡が残されている。
その前に跪いて(ひざまづいて)、呆然と見つめる博士・・
バイクにひかれ、3mも飛ばされたという・・
チョークで囲まれた中に、髪の毛が数本落ちていた。
茶色い細い髪の毛を拾い上げる博士・・
その髪の毛を握りしめながら、
「弥生・・」
俯いて、そこを離れる事が出来なかった・・・
その時・・
「雁金博士ですね?」
後ろから声をかけられた。
振り向くと、30代後半くらいの男性が立っていた。
着古した背広を着て、小脇に抱えたショルダーバックとカメラ・・
「どちらさんですか?」
博士が聞くと、紳士的に答え、名刺を渡される。
「こういう者です。」
「新聞社の方ですか?」
「はい。2・3、お話したい事があるのですが、宜しいでしょうか?」
場所を変えて、近くの喫茶店に入った二人。




