十一. 母のこと父のこと
コンクリートでできた市営住宅の3階に僕の家がある。
初夏の照りつけた日差しで暑くなった屋上の熱気が部屋にこもっている。
もう日も暮れて暗くなった部屋の中、僕はベットの上で、天井を見つめながら考えていた。
昼間の少女、
何だか気になる。
「お母さんのカレーか・・」
そう・・
もう何年も食べていない。
母は僕が幼稚園の頃に発病した。
白血病という重い病・・
何回も入退院を繰り返して、4年後にこの世を去った。
母の作った料理は、わずかな期間、家にいる時に食べたくらいで、殆どが病院で過ごす毎日だった。
もっと手伝いをすればよかった・・
もっと一緒にいたかった・・
あの少女も父親を亡くしている。
やっぱり同じことを感じているのだろうか・・
それにしても、あの子、どこかで見た覚えがある。
何処だったっけ・・・
懐かしい覚えのあるあの感じ・・・
ガタン
「ただいま~。」
重い扉を押し開けて、父が帰ってきた。
「お帰り・・」
廊下に出て、父を出迎える。
母が死んでから、この5年間、母親の替わりも努めてきた父。
一人では大変だから、何度も再婚したらって親戚に言われ続けているのに、頑なに僕を一人で見ようとする。
父は本当に母が好きだったのだろう・・
炊事と洗濯は僕の役割だ。
既にテーブルの上に用意してある食事を見て、父が言った。
「ああ、いつもありがとな・・」
「うん」
男の二人暮らしなんて、会話も少なく、こんなものだ。
彼女と話したり、あの女の子と話していると会話も弾む。
まるで母と話しているように、いつまでも一緒にいたいと思うのに・・・
居間の片隅に置いてある仏壇に母の写真がある。
「お化けでもいいから、出てきて欲しいよな・・」
母の位牌に向かってつぶやいた父。
「霊感ケータイ」
ふっと思い出した。
あの携帯で母の声を聞かせれば、父は元気になるだろうか・・
僕が昔の思い出にひたっているのと同じくらい、父も母のことを思っているのだろうから・・
「・・・って、
落ち込んでるだけじゃ~
だめだよな~!」
急に元気になる父。
「今度の、参観日はオレも出るぞ~。
会社の休みも取ったしな~。
個人面談もあるんだろう?」
「へ?出るの」
「あったりまえじゃないか~!
この間、手紙が来てたぞ~!
最近成績が落ちてますって!」
まずい・・・
そういえば、近頃、勉強に身が入らなかったのだった・・
母のことを思い出してばかりだったし・・
何だか、気が重い。
悪夢を見ているのか???
最近の僕って祟られてるんだろうか???
今週の金曜か~・・
最悪の日になりそうだ・・
次の日の学校・・
「ヒロシくん居る?」
昼休み、彼女が僕の教室を訪ねてきた。
ド近眼メガネを掛け、ポニーテール姿の冴えない姿の彼女。
クラスの女子がきゃーきゃー言ってる・・
この間の除霊の儀式のことを思い出しているんだろう・・
普段は、地味な格好の彼女に、男子もあまり興味を持たない様子・・
噂ばかりが先行して気味悪がっている感じもある。
あのメガネの中には、可愛い彼女が居るのにな~・・
みんな見る目が無い。
まあ、僕だけの秘密にしておこう。
「お~い、ヒロシ彼女だぞ~。」
「例の霊感少女だぜ!」
まだ、付き合ってるわけじゃないんだけどな~。
赤面して頭をポリポリとかきながら教室の入り口へ向かう・・
何の用だろう?
一緒に雨宮先生の事でも調べようとでもいうのだろうか?
「ねえ、今日の放課後、時間あいてる~?」
「いや、ちょっと行くところがあるけど・・」
彼女から放課後誘われたのだが、先約がいたのだった。
「ふうん・・
じゃあ、いいか~・・
雨宮先生のトコに行くんだけどな~」
「へ?」
男子の間で、雨宮先生が憧れの存在であることを知ってるようだ。
先生を餌にするあたりは、彼女も一枚上手である。
どうしよう・・
昨日の公園の少女との約束もあるし・・
ちょっと迷ったのだが、やっぱり約束のほうを優先することにした。
「残念だけど、先約があって・・
ごめん、また今度ね・・」
平謝りをする僕。
彼女も、意外なリアクションだと不思議そうな顔をしていたが・・
「う~ん、
残念!
じゃあ一人で行ってくるわ!」
本当に約束があるとあきらめた様子だ。
ちょっと不機嫌そうな彼女の背中を見送る。
後で何かされそうな感じもするのだが・・・
放課後、
病院の隣の公園へ再び向かった。
まだ、あの子の姿が無い。
「まだ、来てないのかな・・」
ベンチに座る。
やっぱり、彼女と雨宮先生の所へ行きたかったな~・・・
でも、約束したしな・・・
どちらかといえば、あの少女のほうが気になるのだ。
しばらくすると、病院の入り口へ通ずる歩道を、彼女が歩いてくる。
あれ?
なんで病院へ?
誰かと一緒だ・・
僕は、何故かベンチから脇の植樹の陰に身をひそめた。
見つかると、何か言われそうだったから・・
隠れながら、歩道の方を覗く。
彼女と一緒に歩いてきたのは、雨宮先生だった。
なにやら話をしながら病院へ入って行く・・
そうか、雨宮先生の娘さんもこの病院に入院しているのか・・
小学校5年生って言ってたっけ・・
脳死状態の子供さんを1人で看病しているのも大変だ。
ほとんど毎日の病院通いだそうだけれど、回復の見込みはあるんだろうか・・
彼女に頼ってきたのも、回復のきっかけになればと、試しているんだろうな・・
聞けば電極を脳に入れたり、薬で刺激を与えたりして意識を取り戻した例もテレビで見たことがある・・
「お兄ちゃん、
お待たせ。」
隠れていた僕の後ろで声がした。
一瞬、ビクッとなった。
振り向くと、あの少女が立っていた。
何だか昨日と様子が変である。
困りごとでもあるのか表情が少し暗い・・
「どうしたの?」
「うん、
ちょっと怖い人が来たの・・」
その声は少し怯えて(おびえて)いる感じがした。
怖い人・・・・
どんな人なんだろう?
物騒な話だ。
借金の取立てとか、ストーカーとか、変質者とかが来たとでもいうのか?
「ここで一緒に居ればいいよ。」
少しでも女の子を安心させなければ。
ベンチに座って落ち着かせようとする。
「うん。」
僕の脇にチョコンと座った少女。
少しうつむき加減だ。
何か話題を作って話しをしないと・・
そう思っていると、
「私、
ママとずっと一緒にいたいの。」
ポツリと少女が呟いた。
「うん。」
自然にうなずいた。
僕も、ずっと母と一緒に居たかった。
「でも、
お兄ちゃんともいたい・・」
「へ?オレ?」
突然何を言い出すんだろう?戸惑う僕に
「大好きだよ!」
こっちを向いて、明るい表情を取り戻している。
さっきまで俯いていたのが嘘のようだ。
でも、
ちょっと待った・・
まだ会って二日だよ。
でも、前に会った事があるというし・・。
「私、この病院に入院していたんだよ。
お兄ちゃんのお母さんの隣のベットに寝てたの覚えてる?」
「そういえば・・」
確かに、母の病室に小さな女の子がいた。
見舞いに来るたびに、その子と話をした記憶がある。
ほんの挨拶程度だったのに・・
僕は忘れていたけれど、この子はずっと覚えていてくれてたらしい。
「お兄ちゃん、いつも優しかったから・・
お嫁さんになれればいいな~って思ったこともあるの」
「お、お嫁さんね~・・
はは・・」
笑いながら、お茶を濁そうとするが、これは紛れも無い告白ってやつですか・・
しかもこんなに小さい子から・・
僕って、意外とモテるのかな~。
「まあ、大きくなったらね・・」
たぶん、この子は小学校の中学年くらい。小学3年生といったところか・・
歳が5歳も離れていては、恋人にもできないだろう。
いや・・
待てよ・・
僕が25歳になれば、この子は20歳くらいか・・
世の中の大人のカップルでは珍しくない組み合わせなのかも。
意外に、小学校くらいの年齢の差って、大人になると解消するのか?
悪くないかも・・
可愛いいし・・
とか考えてみる。
でも、僕の言葉を受けて、再び寂しそうな顔になった。
どうしたんだろう・・・
「ねえ、
生きてる楽しみって、
なんなのかな~?」
いきなり、何なのだろう?
小学生で人生だの、結婚だのって、かなり「おませ」な子だな・・
でも、生きてる楽しみってなんだろう?
僕もその問いに直ぐには答えられなかった・・・
「う~ん、
友達と話したり、遊んだり・・
テレビ見て笑ったり・・
ゲームしたりとか・・
家族とどこかへ行ったりとか・・」
ありったけの、楽しみを言ってみた。
僕には付き合ってる女の子とかいないから、デートを楽しむということはなかったけど・・
と、思っていたら、ついこの間、彼女とデート「らしき」ものをしていたのだった・・
そういえばドキドキの連続だったけれど・・
「デートで心がドキドキするとかね・・」
「うん。
私もおにいちゃんに会ったとき、ドキドキしてたよ!」
ああ、
ずっと思われてたのだな・・
思わず抱きしめたくなったけれど、まだ小さいからね・・
それから、二人で、他に楽しいことはなかったか、語り合った。
本当に、和む気がした。
この子といると、何だか落ち着く・・・
霊感少女の彼女とは、いつもドキドキさせられっぱなしで、まるで正反対だ。
でも、弱い面を見せた彼女も可愛かったけれど・・
その日はそんな感じで会話が弾み、あっという間に夕方になっていた。
また、会う約束をしてお互い、帰路についた。
そういえば、雨宮先生と彼女は、まだ病院から出てきてなかったな・・・
ちょっと覗いていきたい気もしたけれど、断ったのだから仕方が無いか・・




