22.ジレンマ
翔子ちゃんが隣の部屋に入って、しばらく様子を覗っていた。
「決して覗かないでね・・」
その言葉が、いつまでも耳に残る・・・
こんな時・・・
色々な神話や物語では、「みるな」と言われて、「見てしまった」場合、何らかの災いが襲う。
昔話の「つるの恩返し」では、おじいさんとおばあさんが、機を織る娘の正体を知り、正体のバレた鶴は、その家に留まれなくなってしまい、遠くへと飛んで行ってしまった・・
古事記の「国生み」では「イザナギ」は死んでしまった「イザナミ」を追って、黄泉の国へ訪ねて行ったが、「見るな」と言われた「イザナミ」の正体を見てしまい、この世まで追いかけられて、息絶え絶えに逃げ帰った・・
ギリシャ神話では「オルフェウス」も黄泉の国へ亡くした妻を取り戻しに行ったが、帰りの道中、決して振り返ってはいけないと言われていながら、もう少しという所で振り返り、妻を取り戻すことができなくなってしまった・・・
「覗くな」と言われて、「覗いた」場合、そのものの真実や正体が明かされる。
それは、知られてもらいたくない事実であり、それを知った場合、お互いに利益になる事は、まず無い・・
でも、
人は、「興味本位」や真実を知りたい心が働き、どうしても、見てしまう・・・
翔子ちゃんが隣の部屋に入って、大分時間がたったが、一向に出てくる気配がない・・・
時間が経てば、経つほど「見たい」気持ちが高まる・・・
でも、僕は、翔子ちゃんとの約束を守ることにした。
絶対に、覗かない!
覗けば、翔子ちゃんを取り戻すこともできなくなってしまうのは明らかなのだ!
「ううッ」
隣の部屋から、翔子ちゃんのうめき声が聞こえた・・・
とても苦しそうな声だ。
「どうしたの?」
僕は、襖越しに翔子ちゃんに聞いてみた。
「う・・ん・・・
何でも・・・な・・い・・」
何でもない割には、苦しそうな声で答えている・・・
「苦しそうだけど!大丈夫?」
「だ・・大丈夫・・・
決して・・・こっちに・・
来ないでね・・・」
苦しさをこらえているようだが、決して見ないでという・・・
ここで、入ったら・・・
おそらく大変な事になるのだろう・・・
僕は我慢して部屋の囲炉裏のある中央へと戻った・・・
隣からゴソゴソと音が鳴り、翔子ちゃんのうめき声が続く・・
それでも僕は、隣の部屋へ入ることを踏みとどまった。
どのくらい時間が経っただろう・・・
「キ・キ・キッ・・・」
あの老婆の声が何処からともなく響いてきた。
「そなた・・あの小娘が苦しそうなのに、助けてやらぬのか??」
「絶対に覗かないって・・・・約束したんだ!」
僕が答える。
「約束か・・・そなた・・真実は見たくないのか?」
「真実?」
「あの小娘の本当の姿じゃ!」
「そんなの・・見たくない!!」
「キ・キ・キッ・・・・
真実を全て受け入れなければ、助かるものも助からぬわ!」
老婆が襖を開ける。
「あ!」
僕がその動作に叫ぶ。
布団に入った翔子ちゃん・・
うずくまって布団に包まっている・・・
「見ないで!私を見ないで!!」
「この小娘は自らの親達に怪我を負わせ、
止めに入った鬼の精鋭共に重傷を負わせた・・
事の重大さに気づいた鬼が、小娘の心臓を吹き飛ばし、
かろうじて動きを止めたのじゃ」
「え?翔子ちゃんの心臓を!?」
「まあ・・霊界では、そんなダメージはいずれ、修正されていくがな・・
じゃが・・
ここでは、違う!
再生していく肉体が与えられ、
その肉を貪る虫どもに、その身を侵され続けるのじゃ!」
「肉を貪る?」
「見るがいい!この醜い妹の姿を!」
そう言って、翔子ちゃんの被っている布団を強引に取り上げる老婆・・
「あーーーーー!」
翔子ちゃんが悲鳴を上げている。
そして、そこで、見たものは・・・・
着ていた着物は、ボロボロになり、裸同然の翔子ちゃん・・
全身にゴキブリやウジがたかって、不気味に動めいている・・
皮膚はただれ、膿が腫上がって、血が滴り落ちている。
鬼に吹き飛ばされた心臓の辺りは、肺も跡形もなく、消え去り、空洞となり、内臓が見え隠れする。
その穴に巣食う無数の虫・・
腹も薄皮一枚残して、内臓を食い破られているようで、ボコボコと虫が蠢いている・・
体の内と外から虫に侵されている
見るも無残な翔子ちゃんの変り果てた姿・・・
僕は、思わず吐きそうになった・・・
口に手を当て、吐きそうになるのを我慢している僕に向かって、老婆が静かに語りだす・・・
「ここでは、人を恨めば、楽になれる・・
人を恨む心・・・その心で満たされれば、虫も離れ、皮膚も内臓も元に戻ろう・・・
じゃが・・・この小娘は、頑なにそれを拒んでおる!」
老婆が、翔子ちゃんに『憎め』と迫る。
「そ・・そんな事・・出来ない!!」
翔子ちゃんは、頑なに拒否している・・
ずっと、こうやって必死の抵抗をしていたのだろうか・・・
「キ・キ・キッ・・・この男に騙された事も知らんで!」
「お兄ちゃんが、私を騙すはず無い!」
「この男・・力も何も無いにも関わらず、
口先だけで、お前を「守る」とか「癒す」とか言ってきたが・・・
それは、言葉だけじゃ!
こうして、お前が苦しんでいても、助けようともせぬ!!
力が無いのに、努力もせず、他人の力を頼ってばかりいる・・
お前の力を利用しておったのじゃ!」
「そんな・・・」
僕は言い返そうとした・・でも、その通りだった・・
「違うのか?
しかも、こやつには、心に決めた女子がおるにも関わらず、
お前にまで、心があるような事を申しては、その力を利用しようとしておった・・・」
「お姉ちゃん・・」
すこし、眉をしかめる翔子ちゃん・・・
彼女の事が、翔子ちゃんにとっては恨みへのスポットになっていた・・・
その表情に、ニヤリと笑う老婆・・・
「あの、娘が憎かろう!お前の愛する、この男を奪う、あの娘が!」
「う・・・
に・・・
憎い・・・!
私の・・・お兄ちゃんを・・・」
虫が、ぽとぽとと落ちていく・・・憎しみの心が芽生えてきている翔子ちゃん・・・
「そうじゃ!憎め!憎めば、ここでは楽になる!!
その苦痛から開放されるのじゃ!!」
翔子ちゃんの目が吊り上ってくる・・まるで般若の様な形相になっている・・
「やめるんだ!翔子ちゃん!!」
僕は、必死に説得を試みる・・・
「うう・・・」
「確かに・・僕には力は無い!
君を・・・翔子ちゃんを、便利に見ていたかも知れない!!
でも・・・僕は、君を、殺人兵器だなんて思ったことは無い!!
君は、僕の家族だ!掛け替えの無い妹だ!!
可愛い・・僕の・・妹・・・ずっと、それは・・・変わらない!!」
「ううう・・・」
「騙されるでない!言葉ではどんな事も言えるのじゃ!
言葉など薄っぺらい・・紙よりも薄いものじゃ!!
そんな無責任な言葉に、純粋な女子はコロっと騙され、
どんなに献身しても・・気がつけば、自分が犠牲になっている!!
今のお前がいい見本ではないか!!」
翔子ちゃんの中で、愛する心と憎しみの心が闘っていた・・
それでも、まだ、僕の事を慕っている・・
心の奥底に潜む、僕への愛情が、最後の最後まで抵抗をしていた。
「そ・・そんな・・・そんな人じゃない・・・お兄ちゃんは・・・・」
「まだ、申すか!!」
「止めるんだ!お婆さん!!」
「何じゃと!!?」
「神でも仏でも、僕たちの仲を離す事は決してできない!」
僕はそう言って、翔子ちゃんを抱き寄せた。
翔子ちゃんの体を蝕んでいた虫が僕の手を伝ってくる。
ゴキブリやムカデが這って、僕の体にまとわりつき、服の中でモゾモゾと這い巡る・・
ゾクゾクとするけれど、僕は我慢した。
翔子ちゃんの頭をなでる。
髪の毛がバサバサと抜け落ちる。
シラミが髪の生え際にたかって塊になっている。
「お・兄・ちゃん・・苦・しい・・」
僕に話す口からはドブのような悪臭が漂ってくる。
頬はこけ、目はただれて血管が浮き出て、充血している。
肌の所々に穴が開き、膿が湧き出し、ウジがうごめく。
生きる屍と化している翔子ちゃん・・永遠に、こんな姿のままなのか・・・
「翔子・・ごめんよ・・・僕のせいで、こんな目に合わせて・・・」
「僕は、ずっと、君のそばに居るよ・・・」
「どんな姿になろうと、君は・・僕の家族だ!
僕の掛け替えのない妹・・・
いや・・・
僕は・・・
君の事が・・・
好きだ!」
「お兄ちゃん・・」
僕は、ブヨブヨに膨れ上がった翔子ちゃんの唇に口づけをする。
納豆の様なネバネバしたものが、僕の唇につく。
腐った匂い・・




