第九話 レノンの根源―1 (レノン7歳)
それは数ヶ月前の事だった。
ノームと共に何回かの狩りを成功させ、いよいよ一人で狩りにのぞむという日の出来事。
「準備は出来たか?」
「うん」
ノームの問いにレノンは緊張の面持ちで頷いた。
肩に弓を担ぎ、腰には数本のナイフと何やら怪しげな小瓶を複数ぶら下げたベルトを巻き付けている。
レノンの装備品は全てノームが作ったものだ。レノンは弓を選んだが、他にも剣や槍なども作ってくれていた。
もう少し弓の練度が上がったら、他の武器も使ってみるつもりであった。
レノンは今日何度目かの深呼吸をする。
「怖いか、レノン」
「……」
「それでいい。あとは教えたことをしっかり守っていれば大丈夫だ。無理はするなよ、時間はたくさんあるんだからな」
ノームはそう言うと、こちらを向いていたレノンの体をくるりと回し、森の方へ向けて背中を押した。
数歩よろけたレノンは、不安そうな目で振り返る。
その様子に、ノームとその後ろにいたユグは少しだけ安心した。最近はめっきり弱々しい顔を見せないし、我が儘も言わないので、良い子でいるために気を張りすぎているんじゃないかと心配だったのだ。
「怖かったら今日は止めてもいいのよ」
「……ううん、やるよ。だって食べるものがないもん」
「そうね、頑張りなさい」
もっとも、ユグはレノンが逃げ出すなんてこれっぽっちも思っていないようだった。今日躓いても、いつか必ずやり遂げる子だと、ここまで育ててきて知っているからだ。
「これはおまじない」
ユグがレノンに近付き、頭にキスをする。
「わ、これ、なに……?」
今のレノンには複雑すぎて分からないほどの魔法がかけられる。かと思えば、ひどく単純にも感じられた。どんな魔法なのか、その効果は全く分からなかった。
本当にただのおまじないのようで、不思議だった。
「いつでも私達はレノンを見てるわ。だから、安心して行ってらっしゃい」
その言葉は本当である気がした。
心の底から安心できるのは、二人からの愛情と、見えないだけで確かに聴こえる精霊達の息づかいのお陰だろう。
「うん。行ってきます」
レノンは二人の目を見て、大きく頷いた。
そして、鬱蒼とした森へ足を踏み入れていった。
「いいのか? あんなあからさまに」
レノンが狩りに出掛けてしばらくたってから、ノームが口を開く。
あからさまとは、おそらくさっきのおまじないの事を言っているのだろう。やり方はどうあれ、緊急の際にはすぐに助けに行けるよう、術を施すつもりだった。二人は基本心配性なのだ。
ユグは答える。
「いいのよ。安心しても、油断はしないもの。そういう子よ、レノンは」
「そうだな」
どうか何事もありませんようにと、そう願いながら二人は家に入っていった。
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レノンは時おり草木に足を取られそうになりながら、獲物の痕跡を探していた。
七年ここで暮らしてきたが、自分の家の庭のように勝手を理解するには、まだ時間がかかるだろう。
と言うのも、この森は“活動期”なるものによって、その様相をがらりと変えるのだ。
活動期は一年のうち二ヶ月ほど続き、精霊によると、森本来の姿を取り戻す期間だという。
活動期中は、精霊達が雨を降らし、植物に目一杯日の光を浴びせ、環境そのものを作り替えていく。
そうして出来上がるのが、地面を奪い合うように生える数々の植物と、カラフルな見た目に驚くような能力を併せ持つ動物達の楽園である。
「これはひどいな」
しばらく進むと、何者かに食い荒らされた動物の死骸を見つけた。草食動物の子供のようだった。
「適応出来なかったのかな……」
レノンはそっと手を組んで森に祈りを捧げる。
特殊な森に棲む動物達は、一変する環境に適応するために、他にはない進化をしなければならなかった。
基本的に精霊は環境しか変えないが、その力の影響は多分に動物にも変化を与えた。
そうして急激に能力が発達した動物は、活動期になると全く別の生態を見せるようになったのだ。
外見も、そして能力も大きく変わるため、生態系のピラミッドが反転することもあった。
それでもこの森から動物が逃げなかったのは、種として強くなるために、精霊の干渉を本能で受け入れたということなのだろう。
このように常軌を逸した魔法生物だが、レノンの登場によって活性化した森に、取り残される個体が出てきた。
そういった個体はあっという間に淘汰されてしまう。
レノンが見つけた死骸は、まさに新たな進化に乗り遅れたものだろう。一足先に適応した動物に、抵抗すら出来なかったようであった。
レノンはこの痕跡の近くにあった足跡を追うことにした。
「この足跡は……。活動期で肉食になる動物だったっけ」
活動期というと狩りの難易度が高いように思えるが、実は平常時とあまり変わらない。むしろ簡単な場合すらある。
もちろん危険であることに違いはない。しかし、生態や能力が突出したりはっきりしているため、明確な対処法が存在するのだ。基本的なサバイバル能力と知識があれば、最低限身を守ることはできる。
この時期にレノンが一人で狩りをするのもそういった理由からだった。
さて、これからレノンが追おうとしているのは、正確に言えば草食から雑食になる動物だ。
豊富になる様々な食物に合わせて、胃腸の働きをまるっきり変える選択をした彼らだが、さすがに無理があったのか、植物を消化する働きがかえって他の動物より弱くなってしまった。
その為、草食動物の胃から消化しかけの食物繊維を得るしかないわけで、そこを突けば割と簡単に狩猟ができる。
彼らは発酵した植物の匂いに寄ってくるのだ。
また群れを成しているものの、草食動物の名残なのか、一度襲われると手負いのものを囮にして一目散に逃げ出す習性がある。
集団で抵抗してこないので、先手を取ってしまえば狩りの成功率と生存率はグッと高まる。
注意すべきは、相手の体を振動させて意識を無くしてしまう魔法を使ってくることだが、触れるような近さでないと使ってこないため、弓ならばその危険も少ない。
初の単独狩猟には持ってこいの相手だった。
「まずは足跡を追わないと」
発酵した植物はベルトに提げた小瓶に入っている。
しかし、その動物の鼻の機能はあまり高くないため、確実に狩るにはある程度近付かないといけない。
レノンは早速動き出した。
(草食動物を捕食したあと、すぐに何かを追いかけていったみたいだ)
六頭ほどの群れをようで、足跡は一つの方向に続いていた。隊列が乱れることもなく、立ち止まった形跡も無いことから、どうやら次の獲物を標的にしたらしい。
レノンは周囲に気を配りながら、深いジャングルを進んで行く。
一歩足を進めるごとに、様々な生物が魔力領域内に入っては通りすぎていった。
枝に擬態する虫や、鮮やかな毒蛙。木のうろに身を潜める夜行性の動物。硬い金属のようなくちばしを持つ鳥が頭上を飛び、足元には花に擬態させた触角を用いて、小動物を地中に引きずり込む微生物の集合体がいる。
それらの対処法を逐一思い出しながら、足跡を追うことしばし。
(おかしいな、この動物はいったい何を追ってるんだ?)
レノンは明らかな違和感を覚えた。
随分と足跡を辿っているが、六頭が追っているはずの標的は、何一つ痕跡を残していないのだ。
足跡を消せる動物は、居るにはいる。しかし、総じて移動能力が低く、ここまで一直線に追われているとなると、もう捕まってしまっていてもおかしくない。
それよりも異常なのは、毛の一本や鱗の一枚、そして匂いすら無いことだ。
(このレベルまで隠密に長けた生物がいる? いや、でも精霊はこの森の動物を全種類把握してるって言うし……。伝え損ねるとか、隠してる様子も無かったよね)
レノンは色々と思考を巡らせながらも、素早く後を追う。
自分が狙われて、捕食されるなんて事がないように姿をくらませつつ進んでいると、大分奥まで来てしまったようだ。
(未だにこの六頭以外に痕跡が無いな。幻術にかかっている線もあるけど、そんな魔力すら感じないや。ん、やっと追いついたみたいだ)
本当は夢でも見てるんじゃないかなんて考えが頭をよぎったが、ついに六頭の獣を発見した。
少しばかり開けた場所で、何者かを囲んでいるようだ。
レノンは気付かれないように木の上に移動する。
(あれ、襲う気配がないな。姿勢も隙だらけで無防備だし)
何をしているのか、一向に動かないでいる。六頭はぼーっと突っ立ったままだ。
そして、そんな彼らが見ているものは。
(何だ、あれは? 生き物なのか?)
それは、雷に焼かれ、炭化した木の幹ほどに黒いナニか。
輪郭はぼやけていて、四足の獣にも、二足の人型にも見える。
体高はレノンの半分くらいに見えるが、度々炎のように大きく揺らめくので、正確な大きさは定かではない。
そして何より異質なのは、そんな不可解な相手にも関わらず、嫌悪感も湧かなければ、相手からの敵意も感じないことだ。
(魅了、されてる? なんてこった、あまりに微弱すぎて分からなかった!)
黒い影のようなものに、全神経を集中させてやっと感じられるほどの魔力。
しかし、確かに精神に影響を与えているようだった。
(だめだ、これ以上は危険だ。しかも、あれを追っていたおかげで森の端まで来てしまった)
精霊の森は永遠に続いているわけではない。普通の森と精霊の森には、はっきりとした境界があるのだ。
精霊の力の影響は、森の端に向かうにつれて弱くなるのではなく、常に一定だ。つまり、境界の外と内では、精霊の加護はゼロか百かのどちらかなのだ。
その境界は、活動期中なら一般人の目にも分かる。
穏やかな森が、突然ジャングルに変わるのだから、判断も付くはずである。
(今日はもう帰ろう。変なやつが森に入り込んでるってことだけ伝えて……)
危険だと頭の中では思っているものの、魅了のせいか、嫌な予感一つしない。
このまま深追いしても何事もないんじゃないか、そんな考えを押しとどめ、レノンは木から降りた。
彼らを刺激しないよう、森の境界に沿って、迂回しながら帰ろうとした、その時だった。
六頭による棒立ちの包囲網から、さっと黒い影が飛び出した。
そのまま身をかがめるレノンの方へ、一直線に向かってくる。
「ええっ? ちょっ――」
黒い影は自分を追っていたもう一人の存在に気付いていなかったのか、隠れているレノンを見て体が強ばってしまったようだった。
そしてレノンもまた、黒い影のまさかの行動に咄嗟の判断が出来ないでいた。
硬直する両者は、呆気なくぶつかる。
接触の衝撃で、レノンの体のほんの一部が、境界を越えた。
「あぶないっ!!」
「――え?」
このとき、様々なことが一瞬の内に起きた。
まず、レノンの見ていた景色がグニャリと歪み、いつの間にか体の全てが境界の外に出ていた。
同時に、強い力がレノンを再び境界の中に引き戻そうとする。
まばたきをした。
ひゅっと風を切る音がした。
レノンが目を開けたとき、真っ二つになった黒い影と、誰かの片腕が宙に舞っているのが見えた。
そして、レノンを庇うようにして立つ女性が一人。
「っ! ゆ、ぐ」
レノンは息が詰まって彼女の名をろくに呼ぶことが出来ない。
いつの間に側にいたのかなんて、そんなことはどうでもいい。
大切な家族の一人であるユグの右腕が、斬り飛ばされていた。




