第四話 相互作用 (レノン7歳)
人の言葉を話すようになってから、レノンの体は正しく成長しはじめた。柔らかい土の上を走れるようになり、腕の力がついて背も伸びた。今までふやけた食べ物しか摂れていなかったのが、ちゃんとした固形物を食べられるようになった。
また、無意識で体内に魔力を循環させていたことから、魔力の流れをより詳細に理解し、体内にとどまっていた魔力操作を自分の半径数メートルまで広げることに成功した。
空間に漂う魔力を手で触れずに操れる、言わば支配領域の拡大は、後々大きな意味を持つようになる。
レノンは、ノームとユグが建てた木造の家で一緒に暮らしていた。
その過程で、これまで精霊に任せきりだった、掃除や洗濯などを覚えていった。
最も重要だったのは、命のサイクルを知ること。
ノームと食材を取りに行き、虫食いの木の実や、幼虫をくわえて飛び去る鳥を見た。口を血で赤くした小さな肉食の獣の周りには、鳥の羽が散らばっていた。そして、息絶えて倒れた獣の体から、真っ白なキノコが生えてきていた。
レノンは少なからずショックを受けたようだった。まるで深窓のお嬢様のように育ってきたレノンにとって、自然の姿は残酷に見えたことだろう。
しかし、拒絶することはなかった。見てきたことを、どうにか新しい価値観として昇華させようとしたのだ。
その結果が、体の健やかな成長や、魔力操作の上達である。
精霊達は過ぎ去って行く日々を、驚きと喜びと、ほんの少しの儚さを感じながら見守っていた。
そうして、レノンは七歳になった。
朝、桶を持ったレノンが水を汲みに出掛けていく。そのすぐ後ろを、何処からともなく現れたクェレバスとニューナーが付いていった。
――今日も早いな、レノン。
――いつもより早いんじゃなぁい?
突然話しかけられても驚かない。魔力領域内に入ってきた精霊の気配を察知していたからだ。
レノンは振り返って答える。
「おはよう二人とも。今日は、狩りの特訓が始まる日だもん。ドキドキして眠れなかったんだよ」
――そうか、今日だったな。
「うん。あのさ、武器って何がいいと思う?」
――短剣だな。
――何をいってるの、レノンには杖よぉ。
――男なら剣だろうが!
――あなたに性別なんて無いでしょぉ! あ、でもレノンって男の子だったわね。
「なんかそうみたいだね」
――そういうところ、変に無頓着ねぇ。将来が心配だわぁ。
――まぁよ、最初は杖とかでいいと思うぜ。狩りは近付いてするもんじゃないしな。
――そうそう。剣なんて野蛮だもの、レノンには似合わないわぁ。
――何だと? 前言撤回だ、剣を持てレノン。言わせてもらうけどな、魔法の威力が上がる以外に何の能もない杖こそ、レノンに持たせるわけにはいかねぇよ! 剣はな、戦い以外にも役に立つんだぞ!
――杖だって殴るくらい出来るわよぉ!
――そんなの素手だってできるわ!
ギャーギャーと騒ぐクェレバスとニューナーの喧嘩を聞き流しているうちに、小川に辿り着いた。ここは湧き水が出ていて、煮沸すれば飲み水としても利用できる。
レノンは桶を小川に浸しながら、狩りのことについて考えていた。
ユグの読んでくれる本には、よく剣が出てくる。
不思議な剣を持った主人公が、恐ろしい魔物をバッタバッタと倒していく物語に憧れがないわけではない。
けれど、剣は狩るというより殺す意味合いが強いように思う。
何より、生きた動物を斬る感触に、果たして自分は耐えられるだろうか。
そして、苦しませずに動物を狩れるようになるまでに、いったい何年かかるだろうか。
剣は、怖い。
じゃあ、杖はどうか。
魔法なら、すぐに狩りに行けるくらいには上達していると思う。
しかし、今まで一度も他者を傷つけるために魔法を使ったことがない。レノンにとっては遊び道具の一つであり、他者とのコミュニケーション手段なのだ。
ただ、魔法を使って狩りをするのが怖いというのは、お門違いだと分かっている。
森に住む動物は、自衛のため、そして捕食のために、魔法を扱う術を持っている。そんな相手に、貧弱な体一つで狩りが出来るほど甘くはないのだ。
その代わりに、人間は非常に強力な魔法を使えると聞いた。
魔法での狩りというのは、きっと成功率も高く、それでいて相手に苦しみを与えないものなのだろう。そして、自らは遠くから一方的に魔法を放っていればいい、と。
でも、安全圏から攻撃し、いつの間にか獣を殺していた、何てことを繰り返していれば、そのうち自然への畏怖とか命を頂くことの感謝とか、大事なものの感覚が薄れてしまうような気がした。
杖を持つのはもっと怖かった。
レノンは桶を引き上げた。冷たい水にずっと手を入れていたからか、指先がじんじんした。
――ぼーっとしてたな。考え事か?
「うん。ごめんね、待たせちゃって」
さっきまで喧嘩していた彼らは、何事もなかったかのようにけろりとしていた。きっと、何てことのないじゃれあいなのだろう。
――良いのよぉ。悩むならとことん悩みなさい、若人よ、ってね。
レノンには、ただの光の玉であるニューナーが茶目っ気たっぷりにウィンクしたように見えた。
「ありがと」
――うふふ、レノンは可愛いわねぇ。
ニューナーが頭を撫でているつもりなのか、頭上をくるくると回る。何だか恥ずかしくて頬に熱が昇るのを感じた。
レノンは赤くなった顔を隠すように、桶を持ってさっさと歩き出した。
上機嫌で背後を付いてくるニューナーの気配を感じながら、帰路の半分ほどを進んだ頃。
今まで黙っていたクェレバスが、神妙な雰囲気を醸し出して話しかけてきた。
――時にレノン。あいつら、あー、ノームとユグは家でどんな様子なんだ?
「ん? どういうこと? 何か気になることでもあるの?」
――いや、あいつらって夫婦(って設定)な訳だろ? 家ん中じゃ、夫婦っぽいことしてんのかなって思ったわけよ。
――あなた、レノンに何聞こうとしてるのぉ?
――う、うるせぇ。な、レノン、どうなんだよ。
「うーん、夫婦っぽいことが何か分からないけど、たまに胸焼けするくらいイチャついてることはあるよ」
――ほ、ほんとか?
「うん。って言うか、夫婦ってそういうものなんじゃないの? ノームとユグはお互いのことをすごく信頼してるし、愛し合ってるように見えるけど」
――そうか……。俺が特別変になった訳じゃねぇってことだ。
「変?」
――いや、なんでもねぇ。ほら、家に着いたぜ。二人がお前の帰りを待ってるんじゃねえか?
「あ、うん。じゃあ、またあとでね!」
――ああ、あとでな。
――朝ごはんはしっかり食べるのよぉ。
レノンは手を振って、家の中に入っていった。
残されたクェレバスが、やや気まずそうに口を開く。
――まったく、レノンのやつマセてやがるぜ。とても子供とは思えないくらい思慮深いっつーか。考えすぎるとも言えるが……。そうは思わねぇか?
――そうね。精神の成熟は確かに早いわ。
ニューナーは素っ気なく返事をした。そして、じとっとした目でクェレバスを睨む。表情は無くとも、雰囲気はよく伝わった。
――あなたねぇ、もうちょっと聞き方ってものがあるんじゃないのぉ。
――わ、悪ぃ。てかよ、どういう意図で聞いたか気付いてたのか?
――当たり前でしょぉ。普段あれだけ意識されてて、気付かない方がおかしいわよぉ。
――そう、だよな。悪い。
――謝ってばっかり。はぁ、私も“変”なのかしらねぇ。
――んあ? それってどういう……。
――私、人間の体造ろうかしら。あなたもどう? そうしたら一番に愛を囁いてあげるわよぉ。
――な、何言ってやがる!
――あら、ざぁんねん。うふふ。
――あああ! 待った! 是非お願いします!
ライトブルーの光は右へ左へ揺れながら、からかうように逃げて行く。
一時呆然としていた青白い光は、慌てて水色の光を追いかけていった。
精霊がレノンに授けた叡智と、逆にレノンが精霊にもたらした変化は、絶妙なバランスを保って釣り合っているようだった。
今までも、そしてこれからも、影響を与えあっていくのだろう。
その先に何があるのかは、今はまだ、知らなくてもいい。




