第二話 赤子の名は“レノン” (レノン3歳)
赤ん坊は三歳になった。また、精霊達の長い審議の結果、赤ん坊は“レノン”と名付けられた。
さらに、精霊の特徴がよりはっきりしてきたので、それぞれにも名が与えられた。
火の精霊、サラムス。
木の精霊、ユトネ。
水の精霊、ニューナー。
土の精霊、オノウム。
風の精霊、エウロラ。
雷の精霊、クェレバス。
この名で呼ばれるのは、特に変化が顕著だった六体の精霊。
この精霊達は、レノンを最初に拾った個体でもある。
また、初めの六体ほどの特徴は無いが、火や水を好むようになった精霊は複数存在する。個性は火の精霊ならサラムスに、木の精霊ならユトネに、それぞれ似通っているようだ。
そして生まれたばかりの精霊は、特徴が薄いものの明らかにレノンの影響を受けているように見える。新しい属性を持った精霊が出てくるのも時間の問題だろう。
そんな彼らが育てるレノンだが、人間として生きるのに必要な変化が乏しいのだった。
まず、人の言葉が全く話せない。一歳にも満たぬうちから精霊語に慣れてしまったせいか、気持ちを言葉に変換するという行為が苦手なようだった。いや、苦手というよりも必要だと思っていないと言う方が正しいだろうか。
これに関しては多少強引になるが、レノンに精霊語で話しかけるのを止め、人の言葉を聴かせ続ければそのうち嫌でも覚えるだろう。
深刻なのは、身体の発達が遅いというところだ。三歳になったにも関わらず、ほとんど成長していないのだ。足腰が赤ん坊と変わらず弱く、歩けるのはほんの数メートル。排泄は垂れ流しで、そもそも回数が少ない。
成長が遅い大きな要因の一つは、魔法の異常な習得スピードだろう。
精霊との触れあいの中で、属性魔法やその他多くの魔法を扱えるようになった。属性魔法は精霊と遊ぶことにしか使わないが、もっぱら浮遊魔法は移動や物を取ることなど、生活のほとんどをそれに頼っているのだった。
さらには、不快な排泄を抑えるために、食べ物の吸収率を上げる魔法を使い、魔力を血液とともに循環させることで食事自体を減らすという、とんでもない手法を無意識に編み出していた。
初めに赤ん坊を見つけた精霊の一体であり、後にオノウムとなった精霊は発光体を明滅させ、悩んでいた。
――まずいな、明らかに正常ではない。我々が個性を持ち、人に近づくことと同じように、レノンも我ら精霊に近づいているのか?
レノンのため、精霊同士の会話もほぼ人の使う言語になっていた。
オノウムが率先して行動したことにより、早く浸透していったのだが、そんな彼は独り言すらも人の言語になっているようだ。
近くを通りかかったユトネは呆れながら突っ込む。
――また一人で考えごと? 陰気臭いわね。
――ユトネか……。レノンについて、そろそろ本気で対策をしないといけないだろう。その事でな。
――そうね。あのままだと確実に人間ではなくなるわね。でも最初の目的は、私たちに育てられたらどうなるか、だったはずよ。レノンが何になろうと、それを結果として受け止めるべきじゃないかしら。
――確かにそうだが……。何故かは分からない。分からないが、あの子には人として生きてほしいと思っている。おかしいだろうか。
レノンを特別視しつつある自分に、オノウムは悩んでいるようだった。
初めて出来た曲げたくない思いに、混乱しているとも言える。
――ふーん。ま、いいんじゃない。あんたのいちいち悩まなきゃ答えが出せないそういうとこ、嫌いじゃないわ。それに、みんなも人の子としてのレノンが気に入ってるみたいだしね。
レノンは既に精霊達の中心にいた。
オノウムが前から物思いにふけっているのを知っていたユトネは、みんなからそれとなくレノンに対する思いを聞き出していたのだった。
――そうか……。ありがとう、ユトネ。
――な、なによ、嬉しそうにぴかぴか光っちゃって。みっともない。
――そういうおまえこそ、いつもより綺麗に光っているが。
――き、綺麗!? 何言ってるのよ!
その言葉にユトネは大きく動揺した。
慌てて木の裏に身を隠し、まるで深呼吸をして動悸を静めるように、明るくなったり暗くなったりした。
オノウムは何かしてしまったのかと、おろおろしている。
何やらいい雰囲気だが、そんな二人の間にひどく焦った様子のニューナーが飛び込んできた。
――ちょっと! 二人で盛り上がってるとこ悪いけど、レノンが大変なのよぉ!
――レノンが!? どこだ!
――案内して、ニューナー!
オノウムとユトネがニューナーに付いていくと、レノンの右腕が真っ赤に燃え上がっていた。サラムスと複数の火の精霊が慌てたように周りを飛び回っている。
――サラムス! 危険だと伝えろ!
――伝えてるよぉ。でも、僕たちが慌てたせいで不安になってるみたいなんだ。自分で抑えられそうもないよ。みんな手伝って!
――分かった。
――私も手伝うわ。
オノウム達はレノンの元へ向かった。火の精霊であるサラムスを中心にして、腕を包んで燃え盛る火を押さえ込む。ニューナーが安心させるように精霊語を囁き、ユトネが炎から木々を遠ざける。レノンが落ち着いていくにつれて火は小さくなり、協力した甲斐あってか、完全に消えてなくなった。
『怖かったぁ!』
――レノン、よく聞いて。さっきのはとても危ないから、許可無くやっちゃダメよぉ? 約束破ったら、もう遊んであげないからねぇ。
『ごめんなさい』
レノンは疲れたのか、一言謝るとそのまま眠ってしまった。
精霊の焦りに反応して、森が少し騒がしくなっている。葉を揺らしてざわめく木々をユトネが落ち着かせ、興奮しだす動物達にはエウロラが眠りの風を吹かす。
クェレバスはレノンの体を調べて異常がないことを確認すると、蔦の家に運んでベッドに寝かせた。
ようやく事態が落ち着き、精霊達はふらふらと散ってゆく。エウロラとサラムスは蔦の家に入り、レノンを見守るようだ。
――しかし、炎と同化たぁ驚いたぜ。なぁ、オノウム。
話しかけてきたのは、ついさっきまで蔦の家にいたはずの雷の精霊、クェレバスだった。
自然界において最も高いエネルギーの一つである雷を操るのはもちろん、生物に対する解析魔法にも優れている。
そのため、レノンの肉体や魔力の状態を一番よく理解している精霊でもあった。
――クェレバスか。ああ、事は思ったよりも深刻だった。精霊になりかけているということだろう。いっそ人間を拐ってきて、レノンを育てさせようか。
――そりゃ人間に育てるなら同じ人間が良いだろうが、本物である必要はねぇだろ。
――どういう意味だ?
――だから、俺らが人間に化ければいいじゃねぇか。今日みたいなことがあったとき、どうにか出来るのは俺たちしかいないだろ?
――なるほど……。そういった手もあるのか。しかしレノンにばれないような擬態は難しいか……。ふむ、明日皆に意見を聞いてみるとしよう。ありがとう、クェレバス。
――いいって。たいした提案でもないからよ。まぁしかし、俺としてはどっちでもいいんだ。レノンが何になろうが、俺たちに好意を向けてくれるなら応えるだけだしな。だが、お前の判断に文句は言わねぇ。
――何故だ。
――レノンを一番見てるのはお前だからだよ。悩みがあるなら相談しろよ、同胞。
オノウムが何かを言う前に、クェレバスは静電気を散らして消えてしまった。案外、照れ臭かったのかもしれない。「柄にもないこと言っちまった」とぼやくクェレバスを想像して思わず笑いが漏れる。
――笑い、か。明日にでも人里へ行って、表情の作り方でも学んで来るか。
オノウムは一人呟くと、地面に潜って姿を消した。




