Got Hacked
以下別作品のキャラが出てきます。
「Sailor's Act」
https://ncode.syosetu.com/n3662eq/
以下別作品と同じ舞台です。
「ディザスタ」
https://ncode.syosetu.com/n8679cq/
濁った色の曇り空。不機嫌そうな唸り声をあげて、大小無数の機体が縦横無尽に飛び交う。
不安定に積み重なる瓦礫の隙間を、乾いた風と砂塵が通り抜ける。周囲にたちこめる、砂と火薬の匂い。
数人の兵士が、廃屋の影で息を潜め銃を抱えている。彼らの頭上で短い警告音が鳴った直後、近くからまばらな着弾音。
「崩れるぞ!」少し離れた建物の上から、狙撃部隊の声。
廃屋の柱が折れ、錆びた金属製の屋根板と大量の土砂が、駆け出した兵士たちに降り注ぐ。
兵士の一人ーー迷彩柄の上下に身を包んだ青年が、鮮血の滲む左腕を押さえてうめきながら身を起こし、
「おい、ケガは」
横に伸ばした手が空を切る。
味方の手に過剰なほど身をよじった年下の兵士が、
「……ひ」
喉の奥から短い悲鳴を上げた。
顎の先から鮮血がしたたる。持っていた銃が足元に落ちる。突然立ち上がったかと思うと、半狂乱の悲鳴を上げ、ブロック塀を飛び越え、あさっての方向へ走っていく。
遠くで瓦礫が崩れる音。いくつかの発砲音。続く静寂。
壁を背に銃を抱きこんでいる壮年の男が、姿勢を崩さないまま曇天を見上げて、舌打ちを鳴らす。彼の左目の前の中空に浮かんでいる正方形の半透明パネルから、青い点が一つ消える。
ほぼ同時、人工音声が『戦線離脱』と平坦に告げた。
と。
『不審物発見、地点はーー』
顔も知らない仲間の誰かが告げた地点に、何人かが物陰からそっと目をやる。
瓦礫の隙間からもうもうと立ちのぼる、まだら色の煙。異様な色のそれを、別の一人が皆に報告する最中、甲高いアラート音が割り込んだ。人工音声が検知したばかりの有毒成分を告げる。ヘルメットからするりと降りてきた簡易防毒マスクが、付近で身を隠す兵士たちの顔を次々に覆った。
と、慌てた声が無線を飛び交う。何事かと兵士たちが視線を周囲に彷徨わせた直後、上空から轟音。
兵士たちの目にーー装甲をがたつかせた弾痕まみれの旧式の機体が、大きく傾きながら突っ込んでくるのが見えた。古臭いエンジン音が周囲の空気を震わせる。
『撤退ーー』隊長を務める初老の女の焦った声が、耳をつんざく爆発音で掻き消される。
全身の皮膚をちりつかせる熱風。何かが焼けるような、焦げたような匂い。誰かの叫び声ーー。
臓器を直接棒きれで打ったかのような、着弾の衝撃。周囲の瓦礫と兵士たちの身体とが、一緒くたに宙に跳ね上がる。
地面が大気が、大きく、おぞましく震える。
視界を埋め尽くす煙の中、青年の右腕が、かろうじて手探りで探し当てた壁を引き寄せる。それにしがみつきながら、左目のパネルを赤外映像に切り替えようと指を伸ばしーー
表示されていた地図から、味方を示す青い点がどっと消えた。
一瞬にして、『生死不明(MIA)』の文字に変わる。
「は」
青年の短い息が、マスクの下でこぼれた。
本能的に、背中にじわりと脂汗が滲む。
たちこめる煙の中、喉を震わせながら長い息を吐いた青年が、ゆっくりと立ち上がる。年季の入ったブーツが砂利を踏みしめる。左手の指先から流れた鮮血が、ぱたぱたと地面に落ちーー
『ーーオマエ、それ左上腕、そろそろ処置しないと動かせなくなるぞ』
専用通信に突然割り込む異国語。場違いなほど平坦な女性の声。粉塵の向こう、周囲でまだ息のある数人が、ぎょっとなって身を伏せる微かな物音。
ただ一人、身動きせず虚空を見上げていた青年が、掠れた声でぽつりと呟く。
「……麻生、」
血の滲む迷彩服に包まれた左手で、マスク内側のマイクの位置をずらした青年が、カタコトの現地語で味方に告げた。
「すんません、援軍です」
言いながら、その上体が左に傾いで、背後の塀に沿ってずるりと滑りーー砂利と瓦礫と薬莢まみれの地面に倒れ込む。
直後ーー彼らの頭上に、影。
かろうじて動ける数人が、反射的に銃口を向けーー
『援軍っつったろーが』無線越しの声が、今度は流暢な現地語でそう告げた。
卵型の小型機が一機、音も風もないまま中空でぴたりと静止している。国際規定により必ず機体に印字することが義務付けられているはずの、所属を示すロゴは、どこにもない。
謎の小型機が、突起の一つもないつややかな表面から、数発の『何か』を敵陣の方向に射出した。
無線の向こうから、女が傍受しているらしい、敵陣無線の慌てた声といくつもの警報が飛び交う様子が聞こえる。
ただ呆然と、曇天に浮かぶ卵を見上げる、傷だらけの兵士たち。
『あとは自分たちでどーにかしろよ。コイツはあたしがもらってく』
音も風もなくあっという間に垂直降下した卵型の機体に、反射的に銃口を向ける者。慌てて『戦意なし』のハンドサインをする者。
それら全員を気にもとめず、機体は側面のハッチを開いて、銀色のマニピュレーターを一本突き出す。
「む、無人機だ」中が見える位置に伏せていた、兵士の誰かが小さくぼやく。
彼らが息を殺して見守る中、マニピュレーターは動物のようなしなやかな動きで伸び、地面に伏して荒い呼吸をしている青年をつまみ上げ、機体内にぽいと放り込んだ。
***
戦場を抜け、広大な非居住地域の上を、音速で滑空する卵型の機体。その機内ーー
自動起動したメディカルチェックの赤い光が、床にうずくまったまま荒い息を吐く青年のヘルメットのてっぺんからブーツのつま先までを辿る。
天井から降りてきたクリーム色の球体ーー治療ユニットが青年を覆い隠す。ゆっくりと明滅する『治療中』の赤いランプ。
「何度も言うけど、あたしは見てるだけだっての、毎度毎度よくもまぁ」
機内の様子を見ながらそう呟く少女の手元に、人型の三次元画像が浮かび上がる。それをーー青年の全身スキャン情報を一瞥して、「ふーん」と呟いた少女は、急に興味が削がれたように別の中空パネルに視線を移した。
ややあって、赤いランプが消える。ゆっくりとユニットが上昇する。
施術用の精密アームの先端が開く。摘出したばかりの銃弾が、カランと膿盆に転がる。
「銃弾解析いる?」
『雇い主に送っておいてくれます』
「あいよー」
少女の手が中空を滑る。いくつもの防護壁をあっという間に突破して、青年が加入している保険会社のシステムをハックして、保険請求の申請から承認までを勝手に済ませる。
脱いだヘルメットを抱えて上体を起こした青年の、包帯を巻いた頭の上で、軽快な入金音が鳴る。保険料から治療ユニットの施術費を差し引いた差額を、保険会社の口座から青年の口座に入金した音だ。
いつも通りの作業に今更驚くことも慌てることもなく、青年は見慣れない機体の内部を興味深そうに見回しながら、姿の見えない少女に向かって言う。
『チャーター費と輸送費も差し引いてください』
「自己破産したいとかどういう性癖なの」
にべもない返答と同時、青年の前に突然浮かび上がる一枚の半透明のパネル。おそらくは世界最高速度であろう数値を示す速度計に、青年は口をつぐんだ。
「いーんだよ、これテスト飛行だから」と少女。その背後にある採光窓が開き、
「ぐえっほ!」
屋内に乱暴に放り込まれる青年。
毛足の長い絨毯の上に、汗と血液がぱたぱたと落ちて、ゆっくりと染み込んでいく。クルクル回りながら寄ってきた清掃ロボが、ノズルを伸ばして白い泡を吹き付ける。
頭に包帯を巻いた、血まみれ泥だらけの服の青年が身を起こす。
「ありがとう、助かった」
「見りゃわかる」
うず高く積まれた箱状の精密機器の前に鎮座している、大きな黒いイスがくるりと回る。妙な体勢で寝そべるようにそこに座っていたボブヘアの少女の目と、青年のそれとが合う。
少女の左目を覆うように中空に浮いていた、半透明の情報表示パネルが霧散する。彼女の周囲に浮かんでいた、衛星映像、膨大な数式、目まぐるしく増減を繰り返す複雑なグラフ、深海の観測映像ーーさまざまなものを映す数十枚のパネルが、さあっと少女から離れる。
青年のすぐ鼻先をーーその中空を、魚の群れがふよふよと泳いでいく。青い光の鱗が煌めく。
「動くな」ぴしゃりと少女の声。
照明の横、天井に正方形の穴が開き、水色の球形ユニットが降りてくる。青年をすっぽりと覆い隠した直後、筐体のてっぺんに付いている『洗浄中』の青いランプが灯る。
ユニットの中から噴射音が鳴る。続いて、ごおお、とファンの音。
と、廊下から近づいてくる軽い足音。イスの上で寝転がる少女が、これみよがしの大きなため息をついた。
ドアが外側から開く。べこべこの学生カバンを肩に引っ掛けた制服姿の女子高生が、生クリームたっぷりのカフェラテを片手に部屋へ入ってくる。
「おじゃましまーす。友織さん、おかえりー」
ちょうど洗浄ユニットから開放されたばかりの迷彩服の青年に、女子高生が朗らかに手を振る。綺麗に塗られたネイルの中で蝶が踊る。
「用件は」いつも通りの無愛想で家主の少女が問うのに、
「遊びにきただけ」と返した女子高生はカバンをソファに放り投げ、ラテをすすりながら、勝手知ったる台所に向かう。もう一つの足音が廊下の先からドタドタと追ってきて、
「ミスズさん何で置いてくんですか?!」汗だくの、大学生らしき黒いポロシャツの青年が、悲痛な声でわめきながら部屋に飛び込んできた。その手元から持っていた端末が滑り落ちる。絨毯に埋もれた画面の中央で、某国立大の校章が明滅する。
「うるさい駄犬」
家主が不機嫌そうに吠えーー
壁から生えた防犯用の金属矢ーー強化装甲を装備した空き巣や強盗用ーーが大学生の飛びすさったすぐ横を猛スピードで通り抜ける。
「ごめんなさいっ」
早口で謝った大学生は身軽に受け身をとるなり、滑り込むようにその場に正座。矢が突き立つ絨毯から、細い白煙があがっている。
人数分のおやつをお盆に乗せて台所から現れた女子高生ーーミスズが、大人しく正座する彼の前の床に、プリンの乗った皿を置く。
「そろそろ自分で開けれるようにならなくちゃね」
「ムリです!」
わあわあ言いあう来客コンビを遠巻きに眺め、「うるさぁい」鼻の付け根に皺を寄せた少女が呟くなり。
青年の頭部に、犬の耳のようなものが、ぴこんと生える。
「なにしました? ーーわぁ、耳! 尻尾も!」
ジーンズの尻ポケットから小型端末を取り出そうと身をよじった青年が、触れられない器官に手を突っ込んで歓声をあげる。
まばたきのたび僅かに左右に揺れるその、よく見ればただの立体映像である白いふわふわに、ミスズが「おお、網膜投影」とつぶやく。
「動かせる、すげー」
真っ白な尻尾を左右に振りながら笑顔で礼を言う青年。嫌がらせのつもりだったボブヘアの少女が白けた目を向ける。
その頭上から、ぽん、と着信音。少女がうんざりした顔で通話を切る。それが数回繰り返されて。
「あさお、かわいそうだよー」ミスズが寄ってきて少女にプリンを差し出し、そのタイミングでめげずに着信を告げた少女の頭上に、すいと人差し指を振る。
「あ、ばか」
『麻生様、そこいらの対立に介入するときはお知らせくださいと』硬質な声が息もつかせぬ勢いで捲し立てる。
「文句は、リスク計算のできないこの傭兵に言って」と少女。
「あの人には軍属時代に恩があって」視線を向けられた迷彩服の青年は、眉を下げて小さく答える。「それに、無計画ってわけじゃ」
「ふぅん? どんなシミュレーションしたの」
心底不思議そうに問う少女が、数式とグラフを表示させたところで青年が降参の意を告げる。
スプーンを咥えながら、ミスズが不思議そうに首をかしげて、通話の向こうに声を投げる。「痕跡、あさおが自分で消すよ?」
『いいえ、社長のお手を煩わせるわけには』
消化不良の顔で黙るミスズに、少女が「ほれみろ」と言わんばかりの顔をする。「言ったろ、こいつらキチガイなんだから。ヤバめの新興宗教だと思いなさいって」
「ううーん」
曖昧な返事をよこすミスズを無視して、プリンを丸呑みの勢いで食べ終えた少女が、部屋の隅に控えていた金属製のカバを手招きする。のしのしと歩いてきた四足歩行動物の、大きく開いた口の中に食器とカトラリーを放り込む。瞬く間に分子レベルまで分解されたそれが、可変ペレットとなってカバの尻から転がり落ちた。
「ああもー」事態に気づいたミスズが肩を落とす。「洗えばいいだけなのに」
残りの三人分の食器を重ねて台所に向かう。いつもならその役目を負う運搬モジュールが、手持ち無沙汰に周囲をウロウロしている。それを押しのけ、相好を崩した大学生がミスズを追って、いそいそと台所に駆けていく。
ソファに腰かけて、調光ガラスの窓を流れていく、のどかな田園風景を眺めていた傭兵の青年の、すぐ横に少女が座る。迷彩服のボタンに、少女が手を伸ばす。内ポケットからアルミパウチを取り出して、玄米と合成肉製の携帯食料にかぶりつく。
「また勝手に俺の食糧」
「食べ足んなかった」
「……こないだの作戦、昼メシ抜きだったんだけど」
アルミパウチをごそごそしながら、少女が不思議そうに青年を見上げる。
「代わりの入れといたろ」
「食べ方分かんなかった」
「端末持ってないの」
「あのな、凡人は作戦中に端末いじれないんだよ」
ねー、と台所からミスズの声。「ついでだから夕食も作るねー」
家主の返事を待たず、自動調理器をオフにする音が鳴る。
「機械ができることを人間がやる意味がわからん」ソファに沈み込みながら、少女がぼやいて隣の青年をつっつく。「オマエもだぞ、『無人戦争の時代に死にに行くなんて』」
高校卒業直前、当時付き合っていた彼女から告げられた別れの言葉を一字一句正確に再現されて、青年は眉を下げる。
「……いっぺん聞こうと思ってたんだけど、当時から見てたのか、過去のアーカイブ引っ張り出してるのか、どっち」
「企業秘密ー」
天井近くを彷徨っていた青い光の魚群が降りてきて、青年の鼻先をくすぐる。
すいと催促するように寄ってきた数枚の情報パネルを、少女がめんどくさそうに覗き込む。
「麻生、」
懸命にもぐもぐしている丸いほっぺたが振り返る。ソファを降りて絨毯の上にひざまづいた青年が、深々と頭を下げる。
「ありがとう、助かった」
包帯の巻かれた頭部を、少女の瞳がじいっと見つめる。
「お礼にちゅー」
少女が平坦にそう言って、左手の薬指を折って手首を回す。催促の仕草。
鼻から息を逃した青年の、片膝がソファの座面に乗る。少女の頬に手を添えーー頬と頬が触れる。ちゅ、という音だけが少女の耳に届く。
ビズを鳴らしただけで離れていく青年の顔を不満そうに睨みつける。
「べろちゅー」
「しません」
青年の手が、ひっついてこようとする少女を押し返す。その手が小刻みに震えていることに気づいて、少女が一枚のパネルを手招きで呼び寄せながら言う。「薬いる?」
「ああ、いや、ありがと。ちゃんと医者にもらうよ」
少女の目が不思議そうに、青年の青白い顔を見上げる。「あたし医師免許ある」
「え?」
「つぅか、オマエのかかりつけんとこの処方サジェストシステム、あたしの設計」
「ええ……」少し考えた青年が首を振る。「大丈夫、帰ったら飲む」
「あそ」
二人の前の絨毯を、清掃ロボが回転しながら滑っていく。充電ソケットに向かうロボを追って、白い毛の子犬が尻尾をふりながら、モーター音を鳴らしながら駆け回る。
台所から、ミスズの声。
「地球の裏側がめんどくさいことになってるのに、ここは平和だねぇ」
異国語の会議資料を表示する半透明のパネルが、青い魚群と一緒に、部屋の中空を流れていく。
***
どこまでも続く一面の白。
少女の身体が、傾斜の強い雪原の上を猛スピードで滑空していく。ボブヘアの毛先と、金属繊維のハリントンジャケットの裾が、冷え切った空気をまとってふわりと広がる。
「ああもー」身一つで飛行する少女が小さくぼやく。「なんもかんもあれにリソース取られて、マジで面白くないっ」
彼女の周囲に、寸分のブレもなく追従する、半透明のパネルが十数枚。その中の一枚が少女の瞳を覆うように広がった。ミラーレンズのような虹色を呈して、雪原からの照り返しを反射する。
ひっきりなしに吹きすさぶ真っ白な風を、軽装の少女が突き抜ける。その先、雪原に映える鮮やかな黄色の毛をした犬たちが、ひとところに集まっている。彼らの足元には、雪に沈む足跡もなければ影もない。
彼らと同様、少女もまた、雪に沈むことなく着地する。出迎えるように寄ってくる一匹の背をするりと撫でて、「触覚切ってんだった」と呟き、犬たちの中央あたりをひょいと覗き込む。かすかに動く雪面の上に、突如、人工的な長方形が出現するーー遭難者探知用の、動体・熱源探知結果だ。
少女がうなずくと、大きめの一匹を残して、救助犬のアバターが一斉に霧散する。
直後、山頂の方角から、雪上救助車のサイレンの音と、周囲の雪を押し、轍が刻まれる音がかすかに聞こえてくる。
それを見上げーー白い風に呑まれた少女の姿が、ぱっと掻き消えた。
*
一瞬ののち。
同じ姿が、濃い色をした海面に浮かぶ一隻の大型船の、すぐ真横に現れる。忙しそうにクレーンを動かして、海面に漂う宇宙ゴミを回収する専用船隻を眺めながら、重力に沿ってまっすぐ落下しーー
ーーざぷん、と涼しげな水音。白い水柱が上がる。
少女の周囲の速度が一気に落ち、あらゆる環境音が遠くなる。少女の身体と周囲のパネルにまとわりついていた小さな気泡が、ゆっくりと空にのぼっていく。パネルの青白い光が少女の頬を照らす。
『麻生様、』黒の上下に身を包んだ人影が、水を掻く少女の真後ろに現れた。
「あたし今忙しい」振り向かずに少女が言う。
『珍しい、何事ですか……って、いえ結構です、お聞きしない方が良い件ですね』
「そうね、危ないねー」ゆっくりと水中に沈みながら、せわしなく両手を動かす少女が平坦に答える。
「ああもー」膨大なシミュレーション結果を前に、どうにもならないらしい何かにうめいて、少女が自身の鼻先を掻きむしる。「用件これでいい?」
作業中の少女と、その後方でたたずむ黒服との間に表示されるーー数個連なる格納庫の管理表と、フライトレーダー情報が重ね合わされた世界地図。
「あたしの私物なのに」
「平和条約ですから」
「わぁってるっ」
表内にずらりと並ぶ赤丸が次々に青丸に変わり、地図上に散らばっていた点が一斉に方向転換して、ある地点へと向かう。
短く礼を言った黒服が消える。
「このくそ忙しいときにアイツあんなとこに」
少女がつぶやいて、顔の右上に浮遊するパネルに目を向ける。鬱蒼と茂った熱帯雨林の隙間から、枝葉の隙間に身を潜める青年の、迷彩柄のヘルメットの端が覗くーー
爆音。パネルを覆う赤い光。
ーーヘルメットと周囲の枝葉が横なぎに吹っ飛んだ。
少女の両手の指先が、ぴたりと止まる。
黒い煙の隙間から見えたのはーー大きくひしゃげた対衝撃樹脂製のヘルメットが、倒木の細枝の先に引っかかって間抜けに揺れるさま。
少女の顔が強ばったのはーーたったの一瞬。
少女の右手が自身の首元に伸び、見えない何かをむしり取って後方に放り投げる。
大海の水が一瞬で消える。少女の背中にはイスの感触。目の前にはうず高く積まれた箱状の精密機器。
毛の長い絨毯の上に転がった超軽量金属製の|投影端末(HMD)を、寄ってきた運搬モジュールがすかさず拾い上げる。
少女の手が、かたわらの端末をものすごいスピードで操作する。世界地図にいくつもの点が浮かび上がる。それら全てが地球の裏側に集中しているのを見て、悲壮な顔をする。
すぐにまた両手の指先が中空で動く。赤外表示に切り替わったパネルの映像が大きく乱れる。乱暴な着陸をしたらしい機体からアームが伸びて、ピクリとも動かない青年の体をいつものように機内に放り込む。
パネルが機内の映像に切り替わる。すぐさま赤い光が青年の全身をたどりーー
『要搬送:この治療ユニットでは処置できない症状です』の赤文字がパネルに浮かび上がる。
手元に出現した電子カルテにすばやく目を通す少女。そのかたわらに膨大な量の医療機関の羅列が流れる。自動処理で必要設備と空き病床が抽出され、現場からの距離でソートされたそれの、一番上に表示された大学病院の名称を、少女の細い指が執拗に連打する。
と。
別のパネルから少女を呼ぶ切羽詰まった声と、いくつかのアラート音とエラー表示。少女は作業中だったほかの全てをAIに放り投げて、両手を下ろして目を閉じーーずるりとイスからずり落ちた。
床に伸びたその姿勢のまま右手を振り、震える声で、小さく親友を呼ぶ。
世界最高スペックの各種機材が所狭しと置かれている、一人っきりの部屋に、呼び出し音が鳴り続ける。
『うん、大丈夫。手術件数から見てもベストな搬送先だよ』もちろん状況を把握していたミスズはいつになく硬い声で言う。彼女の声の向こうから、何かが崩れる音と、爆音と警報と、それから異国語の怒号や悲鳴が聞こえている。『ごめん、さすがに抜けれないから、あとでかけ直す。大丈夫、一緒にお見舞い行こーね』
それだけ言うと、通話は切れた。
一度見たものをほぼ正確に記憶するはずの双眼が、先ほど見たはずの電子カルテを、何度もたどる。
仄明るい青の光が少女の頬を照らしーー座面の下のダンパーが、ゆっくりと元に戻る。ふわふわのパンダスリッパが、毛足の長い絨毯に沈む。
ひたり、と小さな足音がした。




