異世界召喚の家
息子が中学生になるのをきっかけに私たちは家を買うことにした。
マンションではなく、戸建ての。
夫はいくらか誇らし気で息子は校区内の立地にほっとしたようだ。
校区外に出れば友達と別の中学に通わなければならなくなる。
まだ小学生の息子にとっては大問題だ。
私も近所付き合いがうるさくないここはいいと思っている。
少し買い物がわずらわしくなるがそのくらいは許容範囲だ。
引っ越しは滞りなく済み、私たち家族は新居を満喫していた。
息子などは友達を呼んで家の中でかくれんぼをしたり、家を探検するのに忙しそうだ。
そんな日常の中、気づいたら息子は消えていた。
いつものように友達とかくれんぼしてる間にいなくなっていた。
私は半狂乱になりながら、夫は冷静さをよそおいつつもなかばいまいましげな気持ちで警察に捜索願いを出した。
まだ一週間だという思いともう一週間だという恐れが私たちの心を引き裂く。
あの子はどこへ隠れてしまったのだろう?
そうだ。
かくれんぼ。
あいつはまたかくれんぼをしているに違いない。
夫がそんなことを言い出したのは息子が消えてから三月が過ぎようとした頃だった。
毎日、仕事から帰ると「もういかい」と声かけて家の中を這いずり回る。
天井から床下まで。
煤と泥まみれになったスーツ姿の夫は哀れというより恐ろしかった。
夫は童子のように笑い、息子の名を何度も大声でよんだ。
私はそれが嫌だった。
先に行かれたと思った。
悲しいとき先に泣いた方が楽なようにこんなときは現実から自分を切り離してしまう方が楽なのかも知れない。
煤泥まみれのスーツの替えを準備しながらその袖口にほころびを見つけ、ネットで格安スーツを10着注文した。
これが毎日続くかも知れない。
続かないで欲しいという私の願いは届かなかった。
格安のスーツをまた10着注文した。
夫は会社では「まとも」であるらしい。
家での夫は違うのに。
私はそんなことだけを悩んでいた。
今では幸せだったと思う。
本当の不思議は私なんかの想いの及ぶところにはなかった。
息子が帰ってきたのだ。
仏間に呆然と佇む息子は服を着ていなかった。
息子を探して家を徘徊していた夫は息子を見つけたことに戸惑っているようだった。
私は恐る恐る息子の名を呼んだ。
息子はまるで重い鎖で戒められているように緩慢な動きで顔をあげ、それから顔の前を手でひと撫でする。
息子が口を開く。
それは奇妙な光景だった。
息子は確かに言葉を発している。
だが声どころか空気の振動する気配さえない。
そうまるで息子の発信したものがすべてその瞬間にかくれんぼしてしまったような違和感があった。
ぱくぱくと口を動かして、緩慢な動作で息子は私たちに詰め寄る。
衣服を纏わず、そのくせまるで動き難い何かを着ているような緩慢な動作に
かくれんぼしてしまう息子の言葉に
私は反応できずにいた。
肩を掴まれ揺さぶられた。
顔を真っ赤にして何かを訴える息子を私は怖いと思ってしまう。
夫を見る。
その顔に喜びはない。
私はそれを確かめて安心した。
私は普通だ。
異常ではない。
夫も帰ってきた息子を受け入れることができていない。
安堵のため息が出た。
そして私は息子を受け入れた。
また夫に先に行かれたら嫌だ。
その思いだけが動機だ。
私は息子を労り、抱きしめて声をかける。
言葉が伝わっているかわからない。
それでもいいのだ。
今度は私の番だ。
夫は困惑しつつも色々と質問してきた。
「何を言っているのかわかるのか?」
「酷いにおいがしてるぞ」
「本物なのか」
確かに息子は変わっていた。
行方不明になる前とは別人だ。
鈍い私がはっきりとそう感られほど変わっていた。
目つきや体つきもそうだが近づくだけで心臓を掴まれたような圧迫感がある。
息ができない。
それでも
だからこそ
私は先に行く。
今度はあなたが私になる番だ。