細家の宴
四家の直系は、一人一台牛車があるどころか、一人一つ屋敷を持てるくらいには地位も金もあります。
しかし、喰家だけは牛車を一台も所有していないので、何かある時は躳家か頓家に借りています。
早朝、静に起こされて他の躳家の使用人が顔を出すより前に身支度を整える。前日、休む時間が遅かったので若干眠気に負けそうだが、静の方が休む時間自体は短いので文句は言えない。
「主様、お加減は……?」
「少し眠いけれど、大丈夫。ありがとう」
睡魔と戦っていることは静にお見通しだったようだ。心配そうに声を掛けてくるが、眠いだけなので体調には問題が無い。身支度が終わると、静には細家絡みの招待状を確認してもらうため、屋敷の方に戻って貰った。
「起きてる?」
「雅亮兄さん、おはようございます」
「おはよう」
静が躳家から出ていったのと入れ替わりに、雅亮兄さんが控えめに客室の外から声を掛けてきた。既に身支度も終えているので、扉を開けると中に入ってきた。
「あれ、静は?」
「屋敷の方に戻って貰いました。早ければ、昼前には書類が届くと思います」
「そう。ああそうだ、今日は私の牛車で一緒に行こう」
「ありがとうございます」
時間的には歩いて出仕してもいいのだが、この眠気で歩いていくのは若干危険なので牛車に乗せてもらえるのは有難い。
「朝食を準備してあるよ。他はまだ起きないだろうから、私達だけで食べよう」
「分かりました。挨拶ができそうにないのは残念ですけど……」
昨日の夜も時間が遅くて挨拶できていないし、今日も早めに出発しないと仕事上の問題は全く解決していない。朝食もゆっくり取る時間はないだろう。
殆ど味を感じる余裕もなく、二人で黙々と朝食を取ってすぐに牛車に揺られて出仕する。雅亮兄さんの方も、現在は仕事が忙しいらしい。朝廷の中でも常に多忙と言われるような部署なので仕方がないらしい。
「なんとなく、私の多忙と秘書省の事件、関係がある気がするんだよね……」
「関係はあると思うけど……」
無くなった前年度予算と、退朝した官吏達。当然、予算案が再提出されたり、提出が遅れたりすると戸部は忙しくなる。
「取り敢えず、証拠もないまま動くと無駄な労力になるからな……」
「ただでさえ忙しいのに、無駄な労力を割く余裕はない、ですよね」
「そうなる。だから、一度で済むことを祈っているよ」
そう言って、雅亮兄さんは牛車の壁に凭れ掛かった。相当参っているようだ。私も、到着してから張さんに報告して、書類が見つかりそうにないなら退朝した官吏に接触する手段も考えないといけない。王さんは貴族同士の繋がりに関しては得意分野ではない。
「さて、そろそろ到着すると思うけれど……」
「さ、喰蘭台侍郎!喰蘭台侍郎はいらっしゃいますか!?」
牛車の留場に到着すると、何故か私の名前が連呼されていた。こんな朝早い時間から誰だろうか。あまりにも必死な声なので逆に心配になってくる。
「あの……、どうかなさいましたか?」
「ああ!喰蘭台侍郎!!」
牛車が停まったことを確認してから、雅亮兄さんより先に牛車を降りる。叫んでいた人物に声を掛けると、勢いよく此方を向いた。他には人も牛車もいないので迷惑はかけていないと信じたい。
「……吏部の、呼延?」
「そうです!覚えていただき光栄です!」
左目の泣き黒子に、見覚えがあった。というか、見たばかりの顔である。昨日、吏部からの伝令役として秘書省に来ていた人物が、早朝から私を呼んでいるという事は。
「……書類について、何か進展がありましたか?」
「あ、いえ!その件については、本日吏部尚書並びに侍郎が全体確認を行った後、秘書省の方に状況をお知らせします!」
「そう」
冷静に考えると、昨日の時間では既に帰ってしまっている官吏も多かっただろうし、今の時間では官吏が揃っていないだろう。きちんと確認をするような時間があったとは考えにくい。
「……結局、用件は何かな?何時まで待っても話が終わりそうになかったから、待ちくたびれたよ」
「雅亮兄さん……、ごめんなさい」
「別に魄啾を責めている訳ではないよ」
それなら、用件は何だろうか。そう思っていると、牛車から優雅に雅亮兄さんが降りてきた。関係が無い話ならいない方がいいだろうと待っていてもらったのだが、痺れを切らしたらしい。
「躳、戸部侍郎……!?」
「うん、そう。で、用件は?」
呼延は、急に現れた雅亮兄さんに若干怯えつつも、私の方を向いて紙を手渡してきた。書簡というより手紙だろうか。公的なものではなさそうだ。
「は、はい。喰蘭台侍郎に、招待状を、預かっております……」
「招待状?」
貰った手紙には、確かに招待状という文字が書かれていた。見覚えのある筆跡だ。代筆等の可能性があるので中を見ないと断言できないが、恐らく差出人は。
「……細家」
「そうです!朝、昨日のこともあって早く来たら、急に頼まれてしまって……」
話題に出たばかりの細家が、本日の夜に宴をする旨が書かれていた。今迄、他の家に宛てた細家の宴会の招待状は見たことがあるが、自分に宛てられたのは初めてである。
「今回の件について、中書省の官吏が関わっているので謝罪したい、とのことでした」
「そう、確かに受け取りました」
呼延は、頼まれたら断ることはできないだろう。家柄も、官位も相手の方が上だ。下手に睨まれるような真似はできないし、名目上は謝罪の為の招待状を届けてほしいというだけだ。
「それでは、確かにお渡ししました!」
私が受け取ったことを確認すると、呼延は吏部の方向へと走っていった。多分、本人は使い走りを頼まれた、くらいにしか思っていないのだろうが、相手によっては恨まれると思う。
「魄啾、それは……」
「……宴の招待状、兼、宣戦布告でしょうね」
受け取った、という時点で返事をしなければいけない。家の方に送ってくれれば、入れ違いで伝わらなかった、等の言い訳がたつのだが、第三者を挟んで受け取り確認もされてしまったので、返事は必要だ。
「この時間に登朝することが分かっていて、尚且つ断りにくい人に届けさせる」
「謝罪、という名目で仕事絡みとちらつかせて、確実に出席させたいみたいだね」
断ってもいいのだが、適当な言い訳が無くては角が立ってしまう。仕事が忙しい、と言いたいが仕事絡みの用件で呼ばれているのでそういう訳にもいかない。
「今迄、一度も招待なんて来なかったのに……」
「今回の書類紛失とは確実に関係あるようだね」
何を狙っているのかは謎だが、私を出席させたいことは確かなようだ。四家が一人来るだけで宴に箔が付く、程度ならいいのだが、それなら私でなくてもいいはずだ。私は王家以外からの招待は基本的にすべて断っている。
「雅亮兄さんの方には招待は?」
「確認はしていないけれど、来てないと思うよ」
「そう、ですか」
どちらかというと、宴などの参加率が高いのは躳家の上二人だ。なのに、私。書類紛失について隠蔽するために賄賂でも握らせてくるのか、それとも細家の関与を追及される前に失脚させようとしてくるのか。
「取り敢えず、行って良い事はなさそうですね……」
そもそも、宴という行い自体が苦手なので、正直とっても行きたくない。でも、行かない方があることないこと吹聴されて面倒になるのは分かっている。
「今日の仕事次第かもしれないけど、行っておいで」
「雅亮兄さん……」
「私は呼ばれていないからね。どうしようもないかな。ほら、そろそろ行かなくていいの?」
「行きます……」
せめて一緒に行ってください、そう思って見つめてみるが、あえなく断られてしまった。今日中に事件が解決すれば、行かなくてもいい。そう気持ちを切り替えて、秘書省へと足を向ける。
登朝時間を過ぎてから暫く、各部署からの報告は次々と来たが、担当官吏が退朝している為、回答不可能という言葉だけが繰り返された。静が持ってきた書類にも決定的な証拠はなく、私は全く気が進まないが、細家の宴に参加する為、特別手配して貰った牛車に乗り込んだのだった。
次回更新は4月12日17時予定です。