名誉の桜
笛の音が聞こえ始めた。黎明達の、最後の演目が始まったのだろう。急がなてはいけないな、と淑妃陣営に向かう足を早める。
「……失礼、陛下から遣いとして参りました。秘書少監の喰です。淑妃様はいらっしゃいますか?」
「はい。お取り次ぎ致します」
陣営の入り口で見張りをしている妃嬪に声をかける。恐らく、陣営の最も下っ端の妃嬪だろう。陛下に指示された質問もしておいた方がいいだろうか。
「すみません、先に別件で用事があるのですが」
「はい。如何なさいましたか?」
「実は、陛下が今回の名誉を与える妃嬪を迷っていらっしゃるようで、他の方の意見も聞きたいとのことなのです」
勿論、匿名性は保証します。と、にこりと笑えば、妃嬪は小さな声で細充媛の名前を述べた。匿名とは言ったものの、不安だったのか、本当に細充媛に心酔しているのか。
「ありがとうございます」
「では、お取り次ぎしますね」
「よろしくお願いします」
どちらにせよ、この答えが得られたことに意味がある。後、数人から話を聞いておけば陛下も満足されるだろう。
「さて、戻ってくるまでに何人捕まるかな」
ちらり、と周囲を見渡すと、数人の妃嬪と目があった。私はにこりと微笑みかけ、妃嬪に近付いたのだった。
取り次ぎの妃嬪が居なくなってから、近くの妃嬪から順に話を聞き、五人聞いたところで淑妃様のところに通された。
「淑妃様は奥でお待ちです」
「ご丁寧にありがとうございます」
「いえ……」
五人のうち、二人は細充媛を推薦し、二人は全く別の妃嬪を、そして最後の一人は、ちょうど演目が行われている舞台から目を逸らさず、黎明の名前を答えた。
「話は聞きました。陛下のお呼びということですね?」
「はい。淑妃様の許可をとった上で、細充媛をと」
そして今、淑妃様の前にいる訳だが、淑妃様は興味がないのか、全く今の舞台を見ていないようだ。随分な自信である。
「別件も申し付けられていると聞きました」
「はい。陛下が、誰に名誉を与えるか、淑妃様の意見も確認しておきたい、と」
そう言うと、淑妃様は上機嫌に笑った。陛下が自分の意見を気にした。つまり、後宮内で自身の影響力が強いと認められたと思ったのだろう。四妃全員に聞いています、とは言わない方がいい。
「私は勿論、細充媛を推薦します」
「では、細充媛は私と一緒に陛下の元に来ていただくことになりますが、よろしいですか」
「勿論です」
そう言うと、淑妃様は目線だけで細充媛に指示を出した。私に着いて行け、だろうか。細充媛は小さく頷き、私の方を見た。
「では、参りましょう」
「はい」
そして、静かに淑妃様のいる場所から退出し、陛下のいらっしゃる天幕へ向かう。途中、陛下の側仕えを見かけたので、細中書侍郎に天幕へ来てもらうよう伝言を頼む。
「文官様?」
「はい、何でしょう」
「先程の方は……?」
細充媛が怪訝そうに尋ねてきた。ある程度の察しの良さはあるようだ。余計に疑われないように、嘘偽りなく笑顔で答える。
「陛下の側仕えの方です」
「そう、ですか」
名誉を頂くことに関係があるのかも、と思ったのだろう。少し嬉しそうな表情を浮かべて黙った。これで、頼まれ事は完了である。後は、細充媛と中書侍郎を天幕にいる武官に引き渡し、陛下の元に戻るだけ。
「あ」
舞台を見上げると、丁度舞の佳境なのか、黎明が桜に包まれて舞っていた。ぎり、と歯がなったような音が隣からしたが、聞こえなかった振りをした。
曲の最後を締めくくる笛に合わせて黎明が膝を折り、陛下に礼をする。どうにか演目が終わるまでに戻ることができた。陛下にだけ聞こえる大きさで、声をかける。
「陛下、只今戻りました」
「ああ、魄啾か。こちらへ来い」
「はい」
その瞬間、割れんばかりの拍手が会場に響いた。私は殆ど見ていなかったが、黎明達の舞は細充媛達の舞に匹敵するものだったのだろう。
「其方にしては遅かったな」
「間に合って安心致しました」
現在、黎明は頭を下げていて表情は窺えないが、恐らく余韻に浸っているところだろう。存分に目立ってくれたので、此方としては満足な結果である。
「陛下、出来は如何でしたか」
一応、確認の為に陛下に尋ねると、陛下は口の端を僅かに吊り上げた。結果は上々、ということだ。これで、細中書侍郎とその一派を吊し上げることが出来る。
「準備は抜かりないか?」
「勿論です」
黎明達は儀礼通りに舞台から降り、陛下の前に全員並びなおして跪いた。そして、今回の舞の中心人物であった黎明が代表して挨拶をした。
「今上陛下にご挨拶申し上げます」
黎明が挨拶をして、すぐに返事をするかと思ったら、陛下は自分の思い通りに状況が動いた為、笑いを堪えきれない様子だった。口を開いた瞬間笑い声が出そうなのを堪える為か、如何にも勿体ぶって間を開けている振りをしている。
取り繕う気があるのはいいが、私の腕を小刻みに叩くのはやめてほしい。暫くして、長すぎる間の後、深呼吸をしてから陛下は言った。
「素晴らしい舞だった。顔を上げよ」
黎明がゆっくりと顔を上げる。そして、陛下の顔を見て僅かに眉を顰めた。なんというか、美形であることは認めるものの、好みじゃないな、とでも思っているのだろうか。
確か、黎明は雅亮兄さんのような中性的な顔立ちの方が好みだった筈なので、良くも悪くも男性的な魅力のある陛下の顔は好みでないだろう。
「勿体ないお言葉」
「伝統を重んじ、桜をも魅了する麗しさであった」
「ありがたいお言葉感謝いたします」
暫く、黎明と儀礼的な遣り取りをしていた陛下は、私の方に扇子を差し出した。舞台からは死角になっている為、遠慮なく扇子を開いて確認すると、空色に白い模様があるだけだった。
「…………」
空色に、白。中書省の色である。すぐに周囲を見渡し、細中書侍郎が武官と一緒に会場にいることを確認する。
「所定の場所にいます」
小さな声で言うと、陛下は一瞬その方向を見て、ゆっくりと黎明の隣にいた賢妃様の方を向き、先程と比べて格段に甘い声で舞を賛美した。
「そなたが総括した舞、非常に美しく有益であった。感謝する、林栄よ」
「……ありがとうございます、陛下!」
賢妃様が、何とも愛らしく笑う。その瞬間、視界の端にいた細充媛と中書侍郎の顔が歪んだ。
次回更新は8月30日17時予定です。




