仮病の見舞い
基本的に刃物を後宮に持ち込むことはできません。
魄啾が小刀を持っていたのは、皇帝陛下から事前に渡された通行証替わりの小刀です。
本来、入り口で見せる以外に使ったりはしませんが、魄啾は用事がある度に新しい小刀を渡されるので最近は遠慮なく使っています。
見舞いの品を取りに行った女官が戻ってくると、再び朱修容の私室に招き入れられる。
「………でしたね、朱将軍」
「…………本当に、…………宝林」
扉が開かれる直前、黎明と颯懍殿が話している声が聞こえたが、内容まではわからない。普通に緊張をほぐすための談笑していただけなのだろう。
「嗚呼、帰って来ましたね。どうぞ中へ、喰官吏」
さて、いつ中に入れてもらおうか、話が途切れたタイミングで足音をわざと立てれば気付いてもらえるだろうか。そんな事を考えていると、颯懍殿が中から声をかけてくれた。
比較的静かに、話を遮らないように大人しくしていた筈なのだが、気付いたのは流石は将軍、気配には敏感という事だろうか。
「失礼します、お見舞いの品をお持ちしました。頓宝林、ご確認頂けますか?」
先に入室するよう促してくれた颯懍殿と、部屋の主人である朱修容に会釈する。それから黎明に渡すための書簡を添えて、見舞いの品である果物の入った籠を渡す。
書簡は極力簡潔に書いているし、指示書は留紐の色を変えているので最初に目を通すはずだ。赤色を使う時は緊急案件。私達の間での共通合図である。
「朱修容様のお好みの物を選んで頂ければ、直ぐに食べられるように致しますが」
黎明があからさまに嫌そうに目線を逸らしていたので、果物、というか、その横にある書簡を見なければいけないように誘導する。
幸い、果物を剥くのは得意だし、小刀も持っているので実現可能である。これで見てませんでした、という言い訳は許さない。陛下のいる部屋の扉に矢を放った黎明が悪いので退路を残すつもりはない。
「…………うん」
黎明も私の意図には気付いたようだ。諦めて朱修容に渡す為の林檎の選別を始めた。うん、というのは恐らく心の中で言おうとしたのだろうが、口から出ている。内容的に問題ないからいいけれど。
一つ目の林檎は不合格だったのか、黎明が二つ目の林檎を手に取る。そして、両者を見比べたあと、一つ目の林檎を手渡して来た。
「……失礼しました。此方は持ち帰りますね」
一つ目の林檎、それを手に取った瞬間、黎明が言いたいことがわかった。中身が違う、というか、手に取った時の揺れで液体のようなものが揺れている。確実に何かが仕込まれている。
「運ぶ最中に籠と擦れて傷ができていたようです。朱修容様に何かあってもいけませんので、代わりの品を後ほど届けさせていただきます。申し訳ございません」
この籠を準備したのは陛下に命じられた側仕え。本来は私に咎は無いが、こういう時は取り敢えず謝罪するという様式が出来上がっているので、それに則り朱修容に頭を下げる。
(はーちゃん、渡してきた相手はもちろん覚えてるよね?)
(それは勿論。覚えることが仕事だからね)
黎明が視線で問いかけて来たので返事を返す。私の仕事は覚えること。特に、皇帝陛下の敵となる者や、その人物を罰する証拠を忘れないことが役目。後ほど、しっかりとこの件に関しては報告させてもらおう。
「では、林檎を剝きますね」
一つ目の林檎は駄目でも、二つ目の林檎は安全であることが確認できた。有言実行、言ったことは責任をもってやろう。取り敢えず、丸々皮をむけばいいかな、と思い、颯懍殿に一言断ってから小刀を出し、皮を剥く。
しゅるしゅると皮が剥ける音だけが部屋に響く。兄妹間の会話とかしないのかな、意外と普段は接点が少ないのかもしれない。別に悪用する気はないが、この場のことも情報として覚えようとするのは悪い癖か。そう思っていると、朱修容が此方を向いたまま突然背筋を伸ばした。
「ああああああああああのッ!!喰官吏!!」
急に声を掛けられて少し驚いたが、何とか笑顔を返す。この場にいる人間の中で、最も関わりの薄い私に態々話しかけてきた理由は何だろう、と一瞬勘ぐる。が、黎明が特に気にした様子はないので、世間話をしようとして、兄の前で緊張して上ずってしまったという事だろう。
「何でしょうか」
「好みの女せ……ムグッ!?」
素早い、視認するのがやっと、という程の速さで、颯懍殿が朱修容の口をふさいだ。思わず持っていた林檎を落としそうになってしまった。聞き返そうと思ったが、颯懍殿と黎明の表情からすると、聞き返しても無駄である。
好みの、じょせ。助成、助勢、除錆、除籍、除斥、序説、除雪。一通り単語を思い浮かべてみたものの、特にこれと言ったものはない。私は記憶は得意だが、全て意味のある文章として覚えているので、途中で言葉が切れた場合の、音だけを覚えるのはそこまで得意ではない。聞き間違えた可能性が高いな、と先程の質問というか、言葉はあまり気にしないことにする。
「魄啾殿」
「はい」
小さく咳払いをした後、颯懍殿が改まって声を掛けてくる。此方も背筋を伸ばし返事をすると、さわやかな笑顔で言った。
「私達はそろそろ失礼しましょう、妹もまだ気分が優れないようだ」
朱修容の様子というか、体調というか、気分が優れない、という事は分かる。先程から失言が多く、普段の評判とは似ても似つかない様な行動ばかりだ。兄である颯懍殿に緊張している間の行動が他に見られたりする可能性を少しでも減らそう、という意味だろう。
だが、しかし、だ。今、私が剥いている最中の林檎は、どうしたらいいだろうか。私から言い出したので、要らないと明言されない限りはやめる訳にはいかない。一方で、私はあくまで付添人として来ているので、颯懍殿が退出すると言っているのならそれに従うべきだ。
頭の中でぐるぐると二つの意見が戦っている。それが表にも出てしまっていたのか、黎明が手を差し出してきた。林檎は任せろ、という事だろう。少し頭を下げて感謝を示しつつ、林檎だけ渡す。多分黎明も自分の小刀はもっているだろう。
「それでは、失礼しました」
「朱修容様の一日も早い御全快を心よりお祈り申し上げます」
私が林檎を預けたことを確認してから、颯懍殿は頭を下げ、退室の言葉を述べる。続いて見舞いの付添としての形式的な挨拶を述べ、同じく頭を下げる。黎明に書類を渡すことはできたので良かったのだが、正直よくわからないお見舞いだった。
「ありがとうございます。朱将軍と陛下のお心遣いに感謝しつつ看病に専念させて頂きます」
朱修容の代わりに黎明が見舞いに対する礼を言い、形式的な挨拶は全て終了した。そう言えば、黎明から細家の宴に参加していた踊り子の情報貰ってないな、と、気付いたのは後宮から出た後だった。どうやら、自分でも思ったより混乱していたらしい。
「それでは、今日は付き添いありがとうございます」
「いえ、お役に立てたのなら良かったです」
最後まで爽やかな笑顔で颯懍殿は帰っていった。基本的に爽やか、以外の印象を与えない人だったが、将軍としては確かな実力を持っている人だった。これから、一緒に仕事をすることが増えそうだな、と去っていった方向を見て思ったのだった。
次回更新は5月31日17時予定です。