朱色の妃嬪
今回は伯璃が追い出された部屋での会議が長引いている為、話が少し短くなっています。
伯璃の暇つぶしは、専ら暗記している書物を冒頭から順に一字一句間違いなく思い出すことです。
一番好きな書物は建国史で、理由は単純に一番長いからです。
後宮の入り口、今回来たのは前回のような裏門ではなく、正門である。門の横には衛兵が控えていて、外から入ってくるものを厳しく監視している。
「朱颯懍です。妹の見舞いに来ました」
「付添の喰魄啾です」
「陛下から通達が来ております。どうぞお通りください」
武官が将軍の顔を覚えていないはずもなく、特に身分証の確認もせず顔を見ただけで簡単に通して貰えた。付添である私に何も言ってこないのは、何かしても将軍なら抑え込めるだろう、という信頼からのことだ。
「慕われていらっしゃるんですね」
「そうですか?」
「そう感じました」
此方から見えなくなるギリギリまで頭を下げていた武官を見て、そう口にすると颯懍殿は首を傾げた。特に自覚はなかったらしい。天然人たらしなのだろう。相手から好意を向けられることに慣れている。
「……朱修容様は、颯懍殿と似ているのですか?」
「いえ、そんなに似ていると言われたことはありません」
「そうですか」
同じような性格の人が二人となると、眩しすぎて疲れそうだ。似ていない、ということは後宮の女性らしく、権謀術数も得意な人物だろう。底なしに明るいよりは対応に慣れている。
「妹に興味があるのですか?」
「興味、というよりは、失礼にならない様にある程度人柄を知っておきたいと思いまして」
「そうですか」
これは本当である。妃嬪の中でも、気位の高い人は完璧な受け答えをしないとすぐに追い返す人もいれば、逆に距離を取った対応を嫌う人もいる。どちらかを把握しておいた方が、円滑にお見舞いはできるだろう。
「……どちらかというと、作法は気にしない方です。我が家は正直な心を重要視しますから」
「ありがとうございます」
真摯な対応を心掛けた方がいい、という事だろう。有難い助言をしっかりと頭に記録する。事前情報を全く与えてくれなかった陛下には、後から苦情を入れようと思う。
朱修容の私室まで辿り着いた。あくまでも私は颯懍殿の付き添いなので、前に出ることはせず横に控えて扉が開くのを待つ。
「朱将軍がお越しです」
扉が開くと、颯懍殿と似た女性、そしてその側に控えている黎明が見えた。頭を下げているとはいえ、後宮の床は丁寧に磨かれているので、反射である程度見えるのだ。
「……お、お兄様。この、度は、見舞いに来てくだしゃりありがとうごじゃいまひゅ」
陛下の無茶振りで体調不良ということにされている朱修容は、誤魔化すのが苦手なのか大分噛みながら見舞いの礼を告げた。
朝廷とはまた違う魑魅魍魎が跋扈する後宮で、嘘が苦手なのは致命的とは思うが、修容という立場なのだから普段はしっかりしているのだろう。
「付き添いの方も顔を上げてください」
作法は体に叩き込まれている。頭上げ、この部屋の主人に簡単に挨拶をする。
「お言葉に感謝します。この度付き添いとして参りました、秘書少監の喰魄啾と申します」
私に対しては特に緊張した様子も無く顔を上げるよう指示をした。ということは、身内の前で緊張しただけのようだ。黎明も雅亮兄さんの前では変に緊張して失敗するので同じことなのだろう。
「…………」
何かしただろうか。私は挨拶をした。礼儀作法に則っていたつもりだが、相手である朱修容から会釈が返ってこない。颯懍殿の方に目を遣り、何か無礼をしたか小声で確認するも困惑した声にか返ってこなかった。
「あの、颯懍殿……」
「すみません、妹は少し体調が優れないようで……」
相手からの会釈が返ってこないというのは、私にはそのような価値はないと示されているか、私が何か無礼を働いたかのどちらかだ。後宮という場所において立場が弱いのは私の方なので、どちらにせよ咎められるのは私だ。
「朱修容様!?」
慌てた様子の黎明が声をかけると、ハッとした様子の朱修容が礼を返してくれた。それは良いのだが、現在朱修容がしている礼は大礼というもので、皇帝か皇后にしかしない、最も丁寧な礼だ。
「……すみません、見舞いの品を取ってきて貰えますか?」
「はい。失礼します」
あまりの状況に見かねた颯懍殿が私に見舞品を取ってくるように指示をした。普通なら妃嬪の宮の入り口で女官に預ければ終わりなのだが、今回は直接渡すという形を取る。つまりただの時間稼ぎだ。
「とはいえ、一人で歩き回るわけにもいかない……」
皇帝陛下の思惑に嵌るのは嫌だが、確かに後宮に出入りするなら男としてではなく、女として来た方が身軽である。二度と来ることはないと思いたいが、次に来るなら伯璃として来た方が良さそうだな、とぼんやり考えた。
見舞品を取ってこようと思い近くを歩いていた女官に声をかける。すると、女官は鋭い目付きで絶対にこの場から動かないでください、と言ってから見舞いの品を取りに行ってくれた。
「気持ちはわかるけど、見張りもなしに……」
ついてこられた方が困るのだろうが、放置するのも如何なものか。間違っても女性に手を出したりはしないので問題はないけれど。
「黎明に一緒に来てくれるよう頼めばよかったな……」
今のうちに情報を受け渡せば用事は済んでいたのだが、頼み損ねてしまったものはしょうがない。一応、颯懍殿と朱修容は兄妹とはいえ、妃嬪と男性を二人きりにしてはいけないので、どちらにせよ黎明は部屋から離れられなかっただろう。
「……中々戻ってこない」
朱修容の部屋から少し離れた場所。扉は見える位置にずっと立っているだけである。流石に暇になってきたのだが、下手に動いて罪に問われたくもないので大人しくしているしかない。
「そろそろ、朱修容も落ち着いたかな……」
急に兄が来て驚くのも分かるが、落ち着いたなら中に招き入れてほしい。そう思いつつ、冷たい廊下で立ち尽くすのだった。
次回更新は5月24日17時予定です。