第3話 死神
金色の三つ編みがユラユラ揺れている。そして、その持ち主の黒いローブを着た小さな人間?は宙に浮いていた。狼人や鬼がいるというのは父に聞かされたことがあったし、街に行ったときに色々な種族は見たことがあったが、宙に浮く人間というのは聞いたことが無い。仙人か何かだろうか?とも思ったが、その物々しい大鎌を見るに仙人とも言い難かった。そして、後ろから少しだけ見える横顔は少年とも少女とも思える。
「大丈夫ですか?」
やや高い声。だが、首元から小さな喉仏が見えた。まだ幼いから少女のように見えるのか、それとも生まれつき中性的な顔つきなのか分からないなとハヤトは思った。
「大丈夫じゃなぁーいッ!!」
ハヤトの後ろにいた少女がそう叫んだ。
「・・・ルル。貴女には聞きたいことがいっぱいあります・・・が、それはまた後で」
そう言って少年は正面に向き直った。ルルと呼ばれた少女は頬を膨らまして拗ねている。彼女の腕に、分厚いファイルが抱かれていることにハヤトは気が付いた。何だ、あのファイル?
「・・・ファルカ、これは一体どういうことです?」
大鎌を持った少年はそう言った。未だに空を飛んでいる黒い羽根の少年―ファルカは、冷たい瞳でハヤト達を見下ろしている。
「別に?君たちの持っている『魂のリスト』を、ちょっと貸してもらおうと思っただけだよ」
「借りる?一体どうしてですか」
「ちょっと中身が気になったから」
「そんな言い訳、通じるとお思いですか?貴方のやっていることはルルよりよっぽど質が悪い」
「―ハッ」
ファルカは嘲笑すると、再び手を振り上げた。ゴウゴウと音を立てながら火球が生まれてくる。ハヤトの前に居た少年は大鎌を構え、すごい勢いでファルカに突進した。ファルカに向かって大鎌を振ろうとしたとき、ファルカは思い切り少年を蹴りつけた。少年は「うっ」と呻き声を上げて吹き飛ばされ、ハヤトのいる2~3m左側に落ちた。ゴロゴロと転がって木にぶつかり、その衝撃で大鎌から手を放してしまう。打ち所が悪かったのか、少年は頭を片手で抱えたままふらふらと揺れている。
「ほんと、ムカつく。天国の犬野郎」
そう言って、ファルカは腕を振り下ろす。それと同時に少年に向かって火球が飛んできた。火球は少年を飲み込んでしまう程大きい。ハヤトの脳裏に、火球がぶつかってぽっかり穴が開いた幹の映像がよぎった。このままでは幼い子供が危ない。ほぼ無意識に、ハヤトは駆け出していた。右手からゴウッと恐ろしい音を立てて火球が迫っている。少年はやっと火球に気が付いたようだが、上手く起き上がれないようでまだ地面に座ったままだ。間に合うか分からない。だがハヤトは頭から突っ込むようにして少年を抱え、そのままゴロゴロと地面を転がった。つい数秒前に自分が居た場所が、火球によって大きく抉れた。地面に尻を着いたまま抱えた少年を見ると、彼は驚いてハヤトのことを見上げていた。
「あ、ありがとう・・・ございます・・・」
「あっいや、どういたしまして」
ハヤトが少年をそっと地面に降ろすと、彼は丁寧にペコリとお辞儀をした。だが、今はそんな場合では無かった。上空でファルカが此方をにらみつけている。今すぐに自分たちを粉々にしてやろうと言わんばかりの眼だ。ファルカの整った顔立ちが余計に恐ろしさを増していた。ハヤトは思わブルリと身震いした。
ファルカが再び腕を振り上げようとした。だがハヤトにはそれが分かっていた。見るからに怒り狂っているファルカが―普段どんな性格の少年なのかは知らないが―突然攻撃を止めるとは思えない。絶対にまた攻撃を仕掛けてくるだろう。ハヤトは立ち上がりざまに拾った拳大の石を右手でしっかり握ると、肘をぐっと引いた。昔からボール遊びは得意だった。だから、今もファルカに狙いを定め、思い切り石をぶん投げた。ルルや大鎌を持った少年ならともかく人間に反撃を食らうとは予想もしていなかったファルカは、豪速で飛んできた石を思い切り額で受け止めた。ゴン、と鈍い音がして額から血が噴き出した。
「いっっっ」
悲鳴のような声を上げて、ファルカはふらふらとゆっくり地面に落ちていく。ガサガサと音を立てながら彼は森の中へと落ちた。黒い羽根が1枚、ひらりと空を舞った。
ハヤトは「ふぅっ」と息を吐いた。いくらキャッチボールが好きだったとはいえ、もし外していれば反撃にあっていただろう。ましてやファルカは怒り狂っていたのだから、例の火球で消し炭にされていてもおかしくは無かった。我ながら無茶をした、と思った。今までは木を切るばかりで、誰かとまともに喧嘩をしたことなど無かったのだから。
小さな少年も既に立てるようになっていて、地面に転がった大鎌を拾うと恐る恐るファルカの方へと歩いて行った。草をかき分けて彼の姿を探す。だが、どこにもファルカの姿は無かった。抜け落ちた数枚の羽根だけが、辺りに散らばっていた。
「――ルル!!」
戻ってきた少年は、ルルに向かって怒鳴りつけた。ハヤトの近くに居たルルは、びくりと肩を震わせるとチョコチョコとハヤトの方に寄ってきて彼の後ろに隠れた。
「そんなところに隠れてないで、出てきなさい!!」
「いやだ」
「いやだじゃ無いでしょう!僕のファイルを返してください!!」
「・・・アタシじゃないもん」
嘘つけ、今両腕で抱いてるだろ。そう思ったがハヤトは黙って事の顛末を見守っていた。
「・・・ルル」
近寄ってきた少年は腕を出して催促した。ルルは渋々抱いていたファイルを彼に差し出した。少年はそのファイルを受け取ると、不思議そうな顔をした。彼が探しているファイルでは無かったのだろうか。
「えっと、僕のデスクからは7冊無くなっていたんですが・・・」
ルルが気まずそうな顔をしたが、それはハヤトにしか見えなかった。ルルはもじもじしながら言おうかどうか悩んでいる様子だったが、ぽろりと「あげた」と言った。
「――え?」
「ここに来る途中に、友達に、あげちゃった」
「・・・・」
少年はルルの言葉を理解できないようだった。目を白黒して、一度ハヤトの事を見た。見られても困るし、ハヤトには何の話をしているのか分からなかった。
「ええ!!?あげちゃったって、どうして!!」
少年は再び視線をルルに戻した。
「だって、欲しいっていうから」
「なんでそんな所だけ素直なんですか!?返してもらってください!」
「・・・商人だから、多分もう売っちゃってるよ」
「・・・・・・・終わった・・・」
大鎌がガランと音を立てて地面に転がった。少年は膝から崩れ落ちた。
「僕の夢が・・・アルファス先輩に褒められる夢が・・・いつか成果を上げて大人の姿になってアルファス先輩に肩を並べるような死神になると思っていたのに・・・もう僕は駄目だ、下界に堕とされるんだ、うわぁぁぁーーん!!」
少年は突然わんわんと泣き出した。こんな所で泣かないでくれ、俺は一体どうしたら良いって言うんだ。ハヤトはチラッと後ろを見たが、ルルはルルで眉をハの字にして此方を見上げていた。何かを訴えるような目だ。彼女は恐らく悪魔族なのだろうが、一体人間の俺に何ができるというのだろう。だが幼い少年が泣いているのを放っておくのも気が引けた。
「えっと、ボク、大丈夫かな・・・?」
ハヤトは少年の頭を撫でた。少年は「ボクじゃなくて、ヘンネスですぅ!!死神のヘンネスですううっ」と叫びながらも泣きじゃくっている。
「えっと、ヘンネス君・・・?とりあえず、ここじゃ何だし俺の家に来る・・・?俺も荷車を持って帰らないといけないし」
「うう・・・っ」
ヘンネスは顔を上げた。彼の黄色い瞳は涙で潤んでいた。鼻から鼻水がダラダラ垂れている。仕方が無いのでハヤトはハンカチを貸してやった。ヘンネスはだみ声で「ありがとうございます」というと、そのハンカチで思い切り鼻をかんだ。そのままハンカチを返そうとしてきたのでハヤトは流石に遠慮しておいた。
その後彼らはハヤトの荷車の所まで戻った。散々逃げ回ったので元の場所に戻るのに1時間くらいかかってしまったが、伐採した木が乗った荷車がそのままになっていたのは幸いだった。ハヤトはくたくたの体に鞭打ち荷車を押した。荷車はいつもよりも重かった。荷台にヘンネスとルルが乗っかっていたからだ。あんなことがあったからか知らないが、ヘンネスとルルは伐採した木の上でぐっすりと眠りこけていた。
「一応商売道具なんだけどなぁ・・・」
そうボヤキながら、ハヤトは荷車を押して森を抜けていった。